学位論文要旨



No 215178
著者(漢字) 平田,勝
著者(英字)
著者(カナ) ヒラタ,マサル
標題(和) 相対論密度汎関数法による硝酸アクチニル錯体の電子状態解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 215178
報告番号 乙15178
学位授与日 2001.10.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15178号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,篤之
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 助教授 浅井,圭介
 東京大学 助教授 長谷川,秀一
 東京大学 助教授 長崎,晋也
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 核燃料サイクル工学の分野における最も重要な研究課題の一つとしてアクチノイド元素の分離があげられる。核分裂生成物と混在するアクチノイド元素を高効率、高選択的に分離する技術を確立することができれば、核燃料サイクルや高レベル放射性廃棄物の処理処分に関する研究分野で格段のブレイクスルーになると考えられる。これらの研究では溶媒抽出法がよく用いられており、これまでにいくつかの抽出剤が提案されている。しかしながら、電子状態計算にもとづく分子設計手法が応用されている例はなく、これまでにアクチノイド元素の分離挙動を理論的に解明された例も報告されていない。本研究では、相対論密度汎関数法を用いて6価の硝酸アクチニル錯体の電子状態を解析することによりアクチノイド原子と周辺の配位子との化学結合状態を解明し、錯体の安定性を理論的に説明することを目的とした。

2.硝酸ウラニル2水和物の光電子分光スペクトル測定と電子状態解析

 アクチノイド化合物の電子状態を実験的に調べる最も精度の高い手法は光電子分光法である。そこで、図1に示す硝酸ウラニル2水和物(結晶)[UO2(NO3)2・2H2O]のX線光電子分光スペクトルを測定し、相対論DV-DFS分子軌道法による計算の結果として得られる軌道エネルギーとその軌道成分から得られた実験スペクトルの理論解析を行った[1]。その結果、図2に示すように価電子帯の低エネルギー側に現れる比較的強度の高いピークAをウランの5f成分と硝酸イオンの酸素2p成分の混合に伴うものであると帰属することができた。また、実験的に得られたAからFの6本のピークを定量的に帰属できたことから、この相対論DV-DFS分子軌道法の精度の高さとアクチノイド化合物の電子状態計算の有用性を示すことができた。

3.硝酸アクチニル2水和物の電子状態の特徴

 硝酸ネプツニルおよびプルトニル2水和物の電子状態を硝酸ウラニル2水和物と比較することによって、アクチノイド原子とそれに配位している水分子との化学結合の特徴および化学的安定性などを調べた[2]。その結果、価電子帯のHOMO-LUMO近傍以外は比較的類似した電子状態をとっており、硝酸ウラニル2水和物のHOMO-LUMO間のエネルギーが他と比べて大きく、化学的に安定であって還元されにくい性質を示すことを電子論的に裏付けることができた。また、アクチノイド原子の5f,6d軌道は主としてAn=O間の共有結合に寄与しており、硝酸イオン、水分子との相互作用にはあまり関与しないことを定量的に示すことができた。さらに、硝酸ネプツニルおよびプルトニル2水和物のHOMOは反結合性軌道であり、この軌道に入る5f電子は周辺の配位子酸素との結合を弱める働きをすることを明らかにした。

4.硝酸ウラニルおよびプルトニル2水和物の構造最適化計算

 アクチノイド元素の抽出分離挙動は、抽出される錯体の安定性に依存する。このため、アクチノイド錯体の構造最適化や結合強度解析が重要である。相対論DV-DFS分子軌道法の積分精度を向上させた相対論密度汎関数法(RDFT法)を用いて、硝酸ウラニルおよびプルトニルの水分子とウラニル(プルトニル)酸素の原子間距離の最適化を行った[3,4]。ウラニル、プルトニルともに比較的実験値に近いところで全エネルギーが最低になることを確認したほか、硝酸プルトニル2水和物の水分子がプルトニル酸素と比較して非常に弱くプルトニウムに結合していることを結合エネルギー解析の原子間距離依存性を調べることによって示した。

5.硝酸アクチニル−リン酸トリエチル(TEP)錯体の電子状態とその抽出分離特性評価

 相対論密度汎関数法によりアクチノイド化合物の電子状態を求めることができれば、アクチノイド元素の抽出分離選択性におよぼす5f電子の影響や化学的性質を予測することが可能となる。有機リン酸系抽出剤を用いる6価アクチノイド元素(U,Np,Pu)の抽出分配比はU>Np>Puの順に低下することが知られている。しかしながら、同じ形式電荷を持つ3種類のイオンになぜこのような抽出特性があるのかについてはこれまで明らかにされていなかった。そこで、相対論密度汎関数法を用いて、抽出剤とアクチノイドイオン間の化学結合におよぼす5f電子の役割を明らかにし、これらの抽出分離選択性の違いを解明した。図3に示す硝酸ウラニル2TEP錯体と中心金属をUからNp,Puに置換した錯体の電子状態を比較することにより、以下のことを明らかにした[5]。表1に示すように、原子番号の増加に伴って増える5f電子は原子殻内に局在化する傾向が強く、その結果としてアクチノイドイオンの有効電荷は原子番号の増加とともに減少する傾向がある。また、Np,Puの5f電子は反結合性軌道に占有される傾向が強いことから、アクチノイド原子と抽出剤の酸素原子間の結合次数はU>Np>Puの順に減少することが分かった。これらの有効電荷(イオン結合性)と結合次数(共有結合性)の減少によって、U>Np>Puの順に錯体の安定性が低下し、それに伴って抽出分配比が減少することを明らかにした。

6.まとめ

 相対論密度汎関数法を用いて硝酸アクチニル2水和物とTEP錯体の電子状態を調べた結果、以下のことを明らかにした。相対論DV-DFS分子軌道法を用いることにより、硝酸ウラニル2水和物の光電子分光スペクトルを定量的に解析することができた。また、硝酸ネプツニルおよびプルトニル2水和物と比較すると、硝酸ウラニルではHOMO-LUMO間のエネルギーギャップが大きく、化学的に安定であり還元されにくい電子状態をとることを明らかにした。また、相対論密度汎関数法によって硝酸ウラニル、プルトニル2水和物の構造最適化を試みた。硝酸プルトニル2水和物のプルトニウム原子と水分子酸素、プルトニル酸素との結合エネルギーを比較することにより、プルトニウムに結合している水分子の配位能力が弱く、結合エネルギーの原子間距離依存性が小さいことを示した。そして硝酸アクチニル2TEP錯体の化学結合状態を調べることによって、これら錯体の安定性を評価した。すなわち、硝酸ウラニル2TEP錯体と比較して、ネプツニルおよびプルトニル錯体では、原子番号の増加に伴って増える5f電子が原子殻内に局在化してアクチノイド原子側の有効電荷を減少させる方向に働くことを明らかにした。また、これらのHOMO近傍の5f軌道が反結合性であることから、U>Np>Puの順に共有結合性が低下し、化学的に不安定になることを示した。これらの結果は、有機リン酸系抽出剤による6価アクチニルイオンの分離挙動と相関があることを解明した。

[1]M.Hirata, H.Monjyushiro, R.Sekine, J.Onoe, H.Nakamatsu, T.Mukoyama, H.Adachi, K.Takeuchi, J.Electron Spectrosc. Relat. Phenom., 83(1997)59.

[2]M.Hirata, S.Tachimori, R.Sekine, J.Onoe, H.Nakamatsu, Adv. Quantum Chem., 37(2001)335.

[3]平田勝、T.Bastug, 館盛勝一、日本原子力学会誌、41(2000)1104.

[4]M.Hirata, T.Bastug, S.Tachimori, R.Sekine, J.Onoe, H.Nakamatsu, Adv. Quantum Chem., 37(2001)325.

[5]M.Hirata, R.Sekine, J.Onoe, H.Nakamatsu, T.Mukoyama, K.Takeuchi, S.Tachimori, J.Alloys Comp., 271(1998)128.

図1 硝酸ウラニル2水和物のモデルクラスター

図2 硝酸ウラニル2水和物の(a)実験(b)理論光電子分光スペクトルの比較

表1 硝酸アクチニル2TEP錯体の5f電子の局在化割合

図3 硝酸ウラニル2TEP錯体のモデルクラスター

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、相対論密度汎関数法による計算により、硝酸アクチニル錯体の電子状態を明らかにしたものである。論文では、相対論密度汎関数法を用いて6価の硝酸アクチニル錯体の電子状態を解析することにより、アクチノイド原子と周辺の配位子との化学結合状態を解明し、錯体の安定性を理論的に説明することを試みている。

 第1章には研究の背景が述べられている。アクチノイド元素を高効率、高選択的に分離する技術を確立することができれば、核燃料サイクルや高レベル放射性廃棄物の処理処分に関する研究分野で格段のブレイクスルーになると考えられるため、これまでにいくつかの抽出剤が提案されている。しかしながら、電子状態計算にもとづく分子設計手法が応用されている例はなく、これまでにアクチノイド元素の分離挙動を理論的に解明された例も報告されていない。そして、本論文では相対論密度汎関数法を用いて6価の硝酸アクチニル錯体の電子状態を解析すると、本研究の位置づけを行っている。

 第2章では、硝酸ウラニル2水和物の光電子分光スペクトル測定と電子状態解析についての報告を行っている。アクチノイド化合物の電子状態を実験的に調べる最も精度の高い手法は光電子分光法であることから、硝酸ウラニル2水和物のX線光電子分光スペクトルを測定し、相対論DV-DFS分子軌道法による計算の結果として得られる軌道エネルギーとその軌道成分から得られた実験スペクトルの理論解析を行っている。そして、価電子帯の低エネルギー側に現れる比較的強度の高いピークをウランの5f成分と硝酸イオンの酸素2p成分の混合に伴うものであると帰属をおこなっている。また、実験的に得られた6本のピークを定量的な帰属もおこなっている。

 第3章では、硝酸アクチニル2水和物の電子状態の特徴について調べた結果の報告をおこなっている。具体的には、硝酸ネプツニルおよびプルトニル2水和物の電子状態を硝酸ウラニル2水和物と比較することによって、アクチノイド原子とそれに配位している水分子との化学結合の特徴および化学的安定性などを調べている。その結果、価電子帯のHOMO-LUMO近傍以外は比較的類似した電子状態をとっており、硝酸ウラニル2水和物のHOMO-LUMO間のエネルギーが他と比べて大きく、化学的に安定であって還元されにくい性質を示すことを裏付けている。また、アクチノイド原子の5f,6d軌道は主としてAn=O間の共有結合に寄与していることを、定量的に示している。

 第4章では、硝酸ウラニルおよびプルトニル2水和物の構造最適化計算の結果の報告をおこなっている。相対論DV-DFS分子軌道法の積分精度を向上させた相対論密度汎関数法を用いて、硝酸ウラニルおよびプルトニルの水分子と酸素の原子間距離の最適化を行った結果、ウラニル、プルトニルともに比較的実験値に近いところで全エネルギーが最低になることを確認しているほか、硝酸プルトニル2水和物の水分子がプルトニル酸素と比較して非常に弱くプルトニウムに結合していることを結合エネルギー解析の原子間距離依存性を調べることによって示している。

 第5章では、硝酸アクチニルとリン酸トリエチル(TEP)との錯体の電子状態と、その抽出分離特性の評価を行っている。硝酸ウラニル2TEP錯体と中心金属をUからNp,Puに置換した錯体の電子状態を比較することにより、原子番号の増加に伴って増える5f電子は原子殻内に局在化する傾向が強く、その結果としてアクチノイドイオンの有効電荷は原子番号の増加とともに減少する傾向があることを明らかにしている。また、Np,Puの5f電子は反結合性軌道に占有される傾向が強いことから、アクチノイド原子と抽出剤の酸素原子間の結合次数はU>Np>Puの順に減少することを明らかにし、その結果、これらの有効電荷と結合次数の減少によって、U>Np>Puの順に錯体の安定性が低下し、それに伴って抽出分配比が減少することを明らかにしている。

 第6章は結論である。本研究では、相対論密度汎関数法を用いて硝酸アクチニル錯体の電子状態を調べている。そして、硝酸ウラニル2水和物の光電子分光スペクトルを定量的に解析したほか、硝酸ウラニルではHOMO-LUMO間のエネルギーギャップが大きく、硝酸プルトニルより化学的に安定でることを明らかにし、また硝酸プルトニルではプルトニウムに結合している水分子の配位能力が弱いことを示している。また、硝酸アクチニル2TEP錯体の化学結合状態を調べることによって、これら錯体の安定性を評価し、U>Np>Puの順に共有結合性が低下し、化学的に不安定になることを示している。

 以上のように、本研究は、相対論密度汎関数法を用いて6価の硝酸アクチニル錯体の電子状態を解析することにより、アクチノイド原子と周辺の配位子との化学結合状態を解明し、錯体の安定性を理論的に説明しており、高レベル放射性廃棄物の処理処分の化学に寄与するとことが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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