学位論文要旨



No 215186
著者(漢字) 竹谷,昭彦
著者(英字)
著者(カナ) タケタニ,アキヒコ
標題(和) 松くい虫の防除戦略に関する基礎研究
標題(洋)
報告番号 215186
報告番号 乙15186
学位授与日 2001.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15186号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 日本大学生物資源科学部 教授 山根,明臣
内容要旨 要旨を表示する

 日本における松くい虫の被害は明治38年(1905)までさかのぼることができる。長崎県にはじまり,福岡県や鹿児島県に拡がって行った。その後数次の異常大発生期をへて,被害は順次拡大し,昭和50年代には北海道と青森県を除く各県に被害がみられるようになった。

 松くい虫の防除法および研究史のなかで画期的なできごとは,(1)ファーニス勧告と(2)マツノザイセンチュウの発見があげられる。ファーニス勧告は松くい虫に関する研究を総覧して,新しい防除法の制定に導いたところに意義があり,戦後の森林保護政策の基礎となった。マツノザイセンチュウの発見は線虫学の常識をくつがえすような大発見であった。この発見によりこれまで暗中模索していた防除方法を色々な視点から開発できることとなった。

1.マツノマダラカミキリの形態・生態

 マツノマダラカミキリは北海道と青森県を除いた日本全土に分布し,外国では中国・南京・安徽省,台湾北部,韓国・釜山で発生している。日本における加害樹種は導入種を含めて28種記録されている。これらの樹種のなかで日本において実際問題となっているのはアカマツ,クロマツおよびリュウキュウマツである。

 マツノマダラカミキリ成虫の羽化脱出消長を解析するためにRichards関数を導入した。羽化脱出のパターンの特徴は羽化脱出期間の中央にピークがくるのではなく,前半にピークが傾いている。全国平均でみるとピークは170.12日つまり6月20日ごろにあり,地域によりこれより前後する。このピークの値の年変動は少ないので防除の目安となるであろう。羽化脱出期間はおよそ41日である。

 マツノマダラカミキリの後食は高さ,方位などに関係なくランダムにおこなわれる。また,成虫は好んで1年枝と2年技を後食する。その後食量は全体の約85%に相当する。後食量は温度と密接に関係していて,温度と後食量の関係を求めたところy=743.0028(1-e-0.0809(-30.4264+t))(1/1-1.01033)であらわせ,最適温度は26.4℃付近であることが分かった。

 産卵対象木は樹脂流出異常木である。マツノマダラカミキリの初産卵がみられたのは異常になってから4〜10日経過しており,平均6.9日目であった。産卵数の多いのは異常日から6〜20日間で,この15日間に全体の83%の産卵があった。

 産卵部位として樹皮厚1mmから7mmあたりまでを好み,それ以上の厚さになると急激に減少している。産卵の選好は産卵場所の高さが関連しているものではなく,樹皮の厚さで一義的にきまる。

 羽化脱出から産卵までは,Y=A(x−B)C+Dの関係がえられた。これから,B=21.3℃とD=5日が得られた。この式のxに気温を与えれば産卵までの日数が得られる。

 幼虫の発育零点は11.8℃,蛹は11.2℃,幼虫期と蛹期をあわせたものでは11.1℃である。幼虫期の有効積算温度は雌雄の差がみられ雄のほうが少ない。この差が羽化脱出の雌雄の差としてあらわれている。

 現在用いられているモデルにはいくつかのの問題点があり,その問題点を改善するためのモデルとして,y=A(1−e(-B(x−C))1/(1−m)を提案した。パラメーターAは最終的に収束する発育日数,Bは発育速度,Cは収束する温度そしてmは発育の型に関連するパラメーターである。

 このモデルを実際のデータで検証した。実験データはいずれもこのモデルでよく表現できることがわかり,各y=4(日),x=3(℃)に収束した。

 成虫の羽化脱出時刻は羽化脱出の最盛期では午前中の羽化脱出が比較的多く,終了期には午後から夜半にかけて羽化脱出数が多い。成虫は羽化脱出後3日以内に死亡することが多いが,以降残存した個体は50〜100日程度は生存するものとおもわれる。なかには174日間生存する個体がある。

 標識をつけた成虫の放虫による成虫の移動距離の調査によると,移動分散距離は比較的短く,放虫1週間後の調査によると放虫成虫のうち75.5%は100mの範囲であった。移動距離の最大は2.4kmであった。

 野外における成虫の移動距離の推定は非常に困難であるので,ランダム移動することを前提にして移動距離について検討した。その結果,移動距離は成虫の移動許容角度と一日の移動回数によって決められることがわかった。これは,成虫の移動が風を主とした気象条件,地形,地勢などの地理的条件によって移動範囲が限定されることをしめしている。マツノマダラカミキリ成虫の移動分散は本質的にランダムであっても,環境によって様々な様相をしめすことと考えられる。

 現存する生立木の空間分布をIδ指数を用いて解析した。この結果によると,生立木の密度の差はあっても,Iδ≒1であり,残存生立木の分布はほぼ完全な機会的分布をしていることが明らかである。植栽はほぼ均一,一様に行われているから,植栽後の消失は機械的であると推察される。これは,誘引トラツプで捕獲された成虫の分布型をみると,Iδは1.2である。行,列間のIδ値もほとんど1に近い値を示している。つまり,成虫の林内における分布は機会的分布に近いことからも裏付けられる。

 また,この実験では誘引範囲は十分試験地を覆っているので,捕獲個体数は誘引剤に反応する成熟個体群の密度を示しているものと思われる。推定式から,御船試験地内でのマツノマダラカミキリ雄成虫の密度は122.6頭±10頭(0.72ha)と推定され,性比を0.5とすれば,雌雄合せての密度は245頭(312頭/ha)と試算された。

 マツノマダラカミキリ成虫の持ち出す線虫数は極めて偏りがある。5月31日までの羽化脱出虫のうち60%の保線虫率であるが,それ以降6月の羽化脱出虫は20〜40%の保線虫率であり,7月に羽化脱出した者の保線虫率は20%以下の低率であった。

 1頭あたりの保線虫数は,5月30日までの羽化脱出虫は172頭であったが,6月に羽化脱出脱出したものについては8頭〜73頭で比較的に少なく,7月の羽化脱出虫については0頭から0.2頭でほとんど線虫を持っていなかった。

 これらのことからマツ類の予防散布は5および6月に羽化脱出したマツノマダラカミキリを対象に行うことがより効果的であると考えられる。

 3か所の試験地で異常木の出現経過について調査した。異常木の出現は6月に最も多く,その異常木の多くは枯死している。6月以降の月にも異常木は出現するがほとんど枯死することはなく,回復している。

 枯損木の未処理地と処理地での枯損本数と比較すると,未処理地では前年の枯損本数の5〜7倍に増加しているが,処理地では増加率は低く3倍以下である。これは林内の枯損木を処理することによってマツノマダラカミキリの密度が減少したことによるものであろう。

 供試苗木の設置温度と接種線虫数を種々取り混ぜた実験によると,接種頭数の多寡によって,樹脂流出停止までの日数が決まり,また,温度が高く,接種頭数の多い方が樹脂異常木の出現率が高いことがわかった。マツノザイセンチュウの加害力,枯損率あるいは樹脂停止までの期間は侵入ザイセンチュウ密度と温度,両者の相互関係によって大きく左右されることが明らかになった。

2.昆虫相等の群集構造の解析法

 農薬散布等の影響を把握するために多様度指数について検討した。従来から提案されている指数を検討して,それに改善を加えてRλ指数を提案した。Rλ=1−〓=1−〓で,このRλは0〜1の間にあり,1に近いほど群集が多様度あることを示す相対値である。この指数では群集の構造の変化などについて説明することができないので,群集構造の組成を示す指数について検討し個体数と種数の関数S=K(1−exp-rN)fをえた。Kは種の豊かさ,rは多様性を,fは安定性をあらわすものである。この関数は群集の構造についてRλより細部について表現することができた。実際の空散地と空散に似せた農薬散布地でのデータを解析したところ,矛盾なくその影響を説明できた。1回の農薬散布の影響は2〜3週間で回復していることが明らかになった。

3.MB指数による激害枯損の発生環境区分

 MB指数を設定し,MB指数による発生環境区分を行なった.

 関東以西32都道府県950気温観測点の1961〜1965の5年間の月平均気温よりMB値をえて,それを地図上に落し,5MBごとの等量線を引き区分し,マツの枯損との関係をみた。

 この等量線と現在までマツノザイセンチュウが発見されている地域と対比させてみると,40MB以下の地帯からの発生は殆ど報告されていない。また45MB以上の地帯には激害地とされている地域が多く分布している。これを基に,被害発生環境の区分を40MB以下,40〜45MB,45MB以上の3区分を行った。この各区分とマツノマダラカミキリの発育に必要な温量,産卵までの温量,マツが産卵可能になるまでの温量を加え値と,各MB値の地域区分の内の温量を比較すると40MB値あたりがマツ枯損の起こるかどうかの限界地点であることが推測された。

4.枯損防止シミレーションモデル

 マツの材線虫病はマツノザイセンチュウを病原体とし,マツノマダラカミキリを伝播者とするマツの伝染病である。この伝染病の発生と拡がりの機構を解明し,モデルを組み立てるには,(1)マツ,マツノザイセンチュウおよびマツノマダラカミキリ3者の関係,(2)マツ林分のおかれている環境条件,(3)マツに侵入するマツノザイセンチュウの密度と毒性,マツノマダラカミキリの密度と行動など,主要な構成要因を数量化して,把握する必要がある。

 単純であるが必要な情報が得られるTreshholdモデルを用いて,枯損動態資料を解析した。

 1974年から1983年にかけて,熊本県に4ライン,大分県に1ラインを設けてマツの枯損動態を調査した。解析結果をとりまとめると,予防や駆除をせずに放置すれば全滅するようなラインと,これより低い値であるが,流行病としてはかなり激しいラインにわけられた。感受性マツを減らすという観点から抵抗性マツの導入,また感染率を減少させるために松くい虫の予防,流行の激しさをやわらげるために駆除などの施策が必要であると結論できた。

5.防除に対する提言

 松くい虫の被害をおさえるためには(1)除去率をあげる,(2)感染率を低下させることが必要である。現在行っている防除方法は大変有効であり,日本のマツを守っている。しかしながら,防除を中止すると再び被害が増大する恐れがある。そのため,防除を実効あるものとするためには守るべきマツ林に対象を限定して,継続して行う必要がある。

 被害の逓減を恒久化させるために,抵抗性マツの導入と事業拡大,天敵類の積極的な導入,防除帯などの更なる検討が必要である。

 松くい虫の防除は,現在のように広範囲に拡大した時点では全国一律の手法では困難であり,流行病の強さを把握してそれに見合った方法を選ぶとともに,常にモニタリングを行い,被害量の少ない初期に対処することが大切である。

審査要旨 要旨を表示する

 アメリカから侵入したと考えられるマツノザイセンチュウによるマツの集団枯損を松くい虫被害と称するが、その発生は1905年にまでさかのぼることができる。それ以来、被害は順次拡大し、1970年代には青森県を除く各県に被害がみられるようになり、今もなお激しい被害が発生している。この間マツノザイセンチュウとその媒介昆虫であるマツノマダラカミキリに関する研究は精力的に行われ、その蓄積は膨大なものがある。しかし、個々の研究は防除の観点から見て必ずしも有機的なつながりをもたず、また防除目標や防除に際して考慮すべき重要な項目は時代とともに変化するため、現代にふさわしい防除戦略の構築という観点からみるとき、そこには多くの未解決の課題が見い出される。本論文はそうした未解決の課題のなかで重要なものを選び、著者が長い期間にわたって蓄積してきたデータを改めて解析し、防除に対する提言を行ったものである。論文は6章から構成されている。

 第1章は序章で、わが国における松くい虫の被害の推移と研究の歴史をとりまとめている。松くい虫はわが国の森林昆虫学のなかでとりわけ重要な位置を占めてきただけに、本章はわが国の森林昆虫学史の記述であるといってよく、有用である。

 第2章は媒介昆虫であるマツノマダラカミキリの生態を記述し、本論文の中心となる部分である。要防除密度や防除適期を決定するうえで不可欠なマツノマダラカミキリの羽化脱出消長、成虫の後食量、幼虫の発育と気温の関係、成虫の飛翔と分散などをとりまとめている。

 薬剤散布にあたっては成虫の羽化脱出時期の推定がもっとも重要である。このため、これまでから羽化脱出消長をプロビット法やロジット法を用いて解析してきたが十分なものではなく、防除適期を確定する上で改善が望まれていた。新たにRichards関数を変形したものを考案して解析したところよく適合し、羽化脱出消長を記述するに好適なものであることが判明した。

 マツノマダラカミキリの後食は卵巣発育のために小枝の樹皮を食するものであるが、マツノザイセンチュウは後食の際に主としてマツ樹体に侵入する。したがって後食痕の量と分布の調査からマツノザイセンチュウの侵入経過を推定することができる。本報告ではとくにこれまで解析が難しかった気温と後食量の関係を明らかにすることを試みた。気温と後食量の関係もRichards関数にきわめてよく適合し、後食がもっとも活発におこなわれるのは26.4℃の付近であることが明らかになった。

 昆虫の幼虫の発育は一般的に有効積算温量則によって記述することが行われているが、そこでは発育速度と有効積算温量を常に一定と仮定するなどのいくつかの問題点がかねてより指摘されている。こうした点を考慮して新たなモデルy=A(1−e(-B(x−C)))1/(1−m)を提案した。yは発育期間、xは温度、パラメータAは最終的に収束する発育日数、Bは発育速度、Cは収束する温度、mは発育の型に関連するパラメータである。飼育実験データはこのモデルによく適合し、これまでから問題とされていた各地の発育の差を説明することが可能となった。

 第3章は薬剤散布が生物群集に与える影響を明らかにするうえで重要な、昆虫の群集構造の解析法を検討したものである。従来から提案されてきた各種の指数を野外のデータにあてはめて検討したうえで、それを改善した指数を群集の多様度指数として提案した。また群集構造の組成を示す指数として個体数(N)と種数(S)の関係S=K(1−exp-rN)fを提案した。Kは種の豊かさ、rは多様性、fは安定性を示すものである。これらの指数を使用すれば、薬剤散布が昆虫群集構造に与える影響を具体的に説明することが可能になった。

 第4章は、マツ枯損の発生環境を気温との関係で、また第5章はマツ、マツノマダラカミキリ、マツノザイセンチュウの3者の関係をもとに枯損防止のためのシミュレーションモデルの構築を述べている。以上をふまえて、総合考察を最終章で行い、効果的な防除に対する提言を行っている。

 以上のように、本研究はわが国の森林昆虫学のうえでもっとも重要な課題の一つであるマツのマダラカミキリについて取りまとめたものであり、学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク