学位論文要旨



No 215187
著者(漢字) 矢吹,映
著者(英字)
著者(カナ) ヤブキ,アキラ
標題(和) マウス腎臓の組織構造における系統と雌雄の特性およびその機能的意義
標題(洋)
報告番号 215187
報告番号 乙15187
学位授与日 2001.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15187号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨 要旨を表示する

 腎臓は,その形態学的特徴が機能と密接な関連を持つ器官であり,成書でも詳細な解剖学的および生理学的記載が行われている。しかしながら,動物実験で最も基礎的な事項である,「動物の特性」については,ほとんど明らかにされていない。マウスは,実験動物として古い歴史を持ち,使用頻度が最も高い動物である。また,近年の遺伝子工学の発達により,各種遺伝子のノックアウト動物やトランスジェニック動物などの遺伝子改変動物が盛んに使用されているが,その主役もマウスである。しかしながら,腎臓の組織構造として広く知られる詳細な情報のほとんどは,ラットやヒトで得られたものであり,マウスの特性として明らかにされているのは,雄の糸球体包外壁が立方上皮で構成されていることのみである。

 そこで,まず,第1章では,マウスの腎臓の組織構造における系統と雌雄の特性を明らかにすることを目的として,広く実験に使用されている5系統(ICR,BALB/cA,C57BL/6J,C3H/HeNおよびDBA/2Cr)の雌雄マウスの腎臓を,組織学的ならびに組織計測学的に検索した。組織学的観察では,上記の糸球体包外壁の形態に加えて,近位直尿細管上皮の刷子縁の過ヨウ素酸シッフ(PAS)反応性,近位直尿細管上皮のPAS陽性顆粒,および近位曲尿細管上皮細胞の空胞構造−に明らかな雌雄差ならびに系統差が観察された。組織計測学的観察では,各計測パラメーターに雌雄差や系統差が認められた。糸球体包外壁に立方上皮をもつ腎小体の比率および腎小体の直径では,5系統全てで雄が雌よりも有意に高い値を示し,雌雄ともに系統差が認められた。一定面積内の近位曲尿細管上皮細胞の核数(近位曲尿細管上皮細胞の大きさの指標)では,全ての系統で雌が雄よりも高い値を示し,このパラメーターでも雌雄とも系統差が認められた。また,血圧調節因子として重要で,腎臓から分泌される酵素であるレニンについても,免疫組織化学的に観察した結果,陽性領域の数には,有意な雌雄差は認められなかったが,雄群で系統差が認められた。

 上記の結果のうち,PAS陽性顆粒は雌の近位直尿細管上皮に認められるものであるが,顆粒の数や大きさは系統により異なり,特にDBA/2Crは,小型の顆粒に加えて核の大きさを越える程の巨大顆粒が著明な系統であった。これは,マウスの腎臓の形態としては新規の知見であることから,第2章では,このPAS陽性顆粒について,その細胞学的および機能的意義を検索した。電子顕微鏡観察および電顕計測学的観察の結果からは,小型の顆粒および巨大な顆粒は,共に,多層板構造のdense bodyであることが明らかとなった。このdense bodyには,酸性ホスファターゼ(AcPase)の陽性反応が検出され,これが大型のリソゾームであることが確認された。次に,固定液の違いが,本顆粒の出現頻度に影響を及ぼすのか,また,PAS染色以外の染色法でも顆粒が検出されるのかを,6種類の固定液(ホルマリン,PFA,PLP液,ザンボニ液,ブアン液およびカルノア液)と7種類の染色法(HE,PAS,アルシアンブルー,PAM,トルイジンブルー,アザンおよびコンゴレッド染色)の組み合わせで観察した。その結果,PAS陽性顆粒の検出率は,ホルマリンやPFAなどのアルデヒド系固定液で高い値を示したが,カルノア液やブアン液では検出率が低く,固定液の違いによる影響が明らかに認められた。他の染色では,過ヨウ素酸メセナミン銀(PAM)染色で小型の顆粒と巨大顆粒が共に検出された(カルノア液を除く)。PAS染色とPAM染色は,共に多糖類の検出法であることから,本顆粒(リソゾーム)には多量の糖質が含まれていることが考えられた。そこで,糖鎖のプローブであるレクチンを使用して組織化学的および細胞化学的検索を行った。21種類のレクチンを用いた光顕観察では,12種類のレクチンが顆粒に陽性反応を示した。光顕下でのレクチン陽性顆粒がリソゾームであるのかを確認するために,電顕的にもレクチン反応の検出を行った。レクチンの糖鎖特異性を基に得られた結果を解析すると,mannoseは近位尿細管上皮のリソゾームに広く分布するが,N-acetylglucosamine, N-acetylgalactosamine, galactoseおよびgalactosyl(β1,4)N-acetylglucosamineは,近位直尿細管上皮のリソゾームに多く含まれていると考えられた。以上の検索結果から,雌マウスの近位直尿細管上皮に存在するPAS陽性顆粒は,糖蛋白質の代謝に関与する大型のリソゾームであることが示唆された。

 第1章での観察の結果,雄の近位曲尿細管上皮に,パラフィン切片上で空胞構造が観察され,これはDBA/2Cr系統で著明であった。そこで,第3章では,この空胞構造の細胞学的および機能的意義について検索を行った。この構造は,オスミウム酸固定後のエポキシ樹脂切片では,トルイジンブルー(TB)陽性顆粒として観察された。このTB陽性顆粒は,全てのマウスの近位曲尿細管上皮に存在していたが,半定量的に解析した結果では,雌雄差や系統差が認められ,最も著明であるのは,やはり雄のDBA/2Crであった。電子顕微鏡観察では,このTB陽性顆粒(パラフィン切片上での空胞構造)は,単純な脂質封入体ではなく,多層板構造を有する大型のdense bodyとして観察され,AcPase反応の結果,リソゾームであることが確認された。また,脂質を含んでいると考えられ,凍結切片−ズダンB染色により脂質の検出を行った結果,陽性反応を示した。更に,近年の報告では,近位尿細管上皮が活発な低密度リポ蛋白質(LDL)の取り込みを行っていることが明らかにされており,LDL代謝への関与が疑われた。そこで,LDLレセプターのリガンドであるapolipoprotein-Bに対する免疫組織化学的観察を行った結果,この構造物に陽性反応が認められた。以上の結果から,雄のDBA/2Crマウスの近位曲尿細管上皮で著明な空胞構造は,LDLの代謝に関与する大型のリソゾームであることが示唆された。

 最後に第4章では,マウスの腎臓の組織構造における雌雄差の発現に対する性ホルモンの影響について検索を行った。まず,ICRマウスで行った精巣・卵巣摘出,および性ホルモン(テストステロンおよびエストラジオール)投与の結果では,糸球体包外壁に立方上皮細胞を持つ腎小体の比率,腎小体の直径,および一定面積内の近位曲尿細管上皮細胞の核数(近位曲尿細管上皮細胞の大きさの指標)には,精巣摘出およびテストステロン投与による変化が認められ,テストステロンが,糸球体包外壁の構成細胞の立方化,腎小体および近位直尿細管上皮細胞の肥大化を促進することが明らかとなった。また,雄の近位直尿細管上皮の刷子縁のPAS反応性は雌に比べて弱いが,その反応性には精巣摘出による増強とテストテロン投与による減弱が認められた。なお,上記の全てで卵巣摘出やエストラジオール投与による変化は見られなかった。また,雌の近位直尿細管上皮にはPAS陽性顆粒が存在するが,これには系統差が存在する。すなわち,ICRは小型の顆粒を持つ系統であるが,系統によっては小型の顆粒に加えて核の大きさを越える程の巨大顆粒が存在し,この巨大顆粒は,特にDBA/2Crマウスで著明である。そこでDBA/2CrでもICRと同じ実験群を設定し,本顆粒の精巣・卵巣摘出および性ホルモン投与による変化を,両系統で比較した。更に,本顆粒は雌に見られることから,DBA/2Crマウスを用いて発情周期の影響についても検索を行った。検索の結果,ICRでは,小型の顆粒が精巣摘出により出現し,テストステロン投与により消失したが,卵巣摘出およびエストラジオール投与による変化は認められなかった。DBA/2Crでは,無処置の雄でも極少数の小型の顆粒が観察されるが,その数は精巣摘出により増加し,テストステロン投与により減少した。更に,DBA/2Crでは,卵巣摘出による小型の顆粒の減少とエストラジオール投与による増加が認められた。DBA/2Crで顕著な巨大顆粒は,卵巣摘出により消失し,エストラジオール投与により出現したが,雄では精巣摘出後でも観察されなかった。なお,小型および巨大顆粒の数には発情周期による変動は見られなかった。また,DBA/2Crマウスは,雄の近位曲尿細管上皮に顕著な空胞構造が観察される系統であるが,この構造は精巣摘出により消失し,テストステロン投与により出現した。一方,雌では卵巣摘出やエストラジオール投与でも出現しなかった。ICRマウスでは,全ての群で近位曲尿細管上皮に空胞構造は観察されなかった。これらの結果から,マウス腎臓の形態に認められる雌雄差は,性ホルモン,特にテストステロンの影響により発現することが明らかとなった。また,DBA/2Crマウスでは,エストラジオールが雌の近位直尿細管上皮のPAS陽性顆粒を,テストステロンが雄マウスの近位曲尿細管上皮の空胞構造を出現させたが,ICRマウスではこれらの作用は見られず,系統間で性ホルモンの作用が異なることが示唆された。

 これまで述べてきたように,本研究は,マウスの腎臓の組織構造における系統と雌雄の特性およびその機能的意義を検索したものである。今回得られた結果は,形態学的に新規の知見を含むだけでなく,実験動物の生物学的特性の解明のための基礎資料として意義があり,マウスの腎臓を対象とした研究に従事する多くの研究者にとって重要な情報を提供するものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 腎臓は,その形態学的特徴が機能と密接な関連を持つ器官であり,成書でも詳細な解剖学的および生理学的記載が行われている。しかしながら,動物実験で最も基礎的な事項である,「動物の特性」については,ほとんど明らかにされていない。本研究では,実験動物として最も使用頻度が高い,マウスの腎臓の組織構造における系統と雌雄の特性,およびその機能的意義について検索を行った。

 第1章では,5系統(ICR,BALB/cA,C57BL/6J,C3H/HeNおよびDBA/2Cr)の雌雄マウスの腎臓を,組織学的ならびに組織計測学的に検索した。組織学的観察では,糸球体包外壁の形態,近位直尿細管上皮の刷子縁の過ヨウ素酸シッフ(PAS)反応性とPAS陽性顆粒,近位曲尿細管上皮細胞の空胞構造−に雌雄差ならびに系統差が観察された。組織計測学的観察では,糸球体包外壁に立方上皮をもつ腎小体の比率,腎小体の直径,一定面積内の近位曲尿細管上皮細胞の核数(近位曲尿細管上皮細胞の大きさの指標),およびレニン陽性領域の数に雌雄差ならびに系統差が認められた。

 上記の結果のうち,PAS陽性顆粒は雌の近位直尿細管上皮に認められた新規の知見であり,特にDBA/2Crは,小型の顆粒に加えて,核の大きさを越える程の巨大顆粒が著明な系統であった。第2章では,この顆粒の細胞学的および機能的意義を検索した。電子顕微鏡観察および酸性ホスファターゼ(AcPase)反応の結果からは,小型および巨大な顆粒は,共に,多層板構造のリソゾームであることが明らかとなった。次に,顆粒の検出を,6種類の固定液と7種類の染色法で比較した。その結果,顆粒の検出には,アルデヒド系固定液が有効なこと,カルノア液やブアン液は不適であること,過ヨウ素酸メセナミン銀染色でも検出可能なことが確認された。更に,レクチン組織化学的および細胞化学的検索を行った結果,近位直尿細管上皮のリソゾームには,mannose, N-acetylglucosamine, N-acetylgalactosamine, galactoseおよびgalactosyl(β1,4)N-acetylglucosamineが多く含まれていることも明らかとなった。以上の結果から,雌マウスで見られるPAS陽性顆粒は,糖蛋白質代謝に関与する大型のリソゾームであることが示唆された。

 第1章での観察の結果,雄の近位曲尿細管上皮には空胞構造が観察され(パラフィン切片上),これはDBA/2Cr系統で著明であった。第3章では,その細胞学的および機能的意義について検索を行った。電子顕微鏡観察およびAcPase反応の結果,この構造は多層板構造を有する大型のリソゾームであることが明らかとなった。また,脂質染色,および低密度リポ蛋白質(LDL)レセプターのリガンドであるapolipoprotein-Bに対する免疫染色に陽性反応を示した。以上の結果から,本構造物が,LDLの代謝に関与する大型のリソゾームであることが示唆された。

 最後に第4章では,第1章で認められた雌雄差の発現に対する性ホルモンの影響を明らかにするために,精巣・卵巣摘出,および性ホルモン(テストステロンおよびエストラジオール)投与試験を行った。まず,ICRで検索した結果,テストステロンの影響で,糸球体包外壁細胞の立方化,腎小体および近位直尿細管上皮細胞の肥大,近位直尿細管上皮における刷子縁のPAS反応性の減弱とPAS陽性顆粒の消失−が生じることが明らかとなった。なお,上記にはエストラジオールの影響は認められなかった。また,雌のPAS陽性顆粒と雄の空胞構造が著明なDBA/2Crでも,ICRと同じ実験群を設定して検索を行った。その結果,近位直尿細管上皮のPAS陽性顆粒の数はテストステロンの影響で減少し,エストラジオールの影響で増加した。また,DBA/2Crで顕著な巨大顆粒は,エストラジオールの影響で出現したが,雄では精巣摘出後でも観察されなかった。なお,発情周期の影響についても検索を行ったが,小型および巨大顆粒の数に変動は見られなかった。一方,雄の近位曲尿細管上皮の空胞構造は,テストステロンの影響で出現したが,エストラジオールによる影響は認められなかった。以上の結果から,マウス腎臓の形態に認められる雌雄差は,性ホルモン,特にテストステロンの影響により発現することが明らかとなった。

 本研究は,マウスの腎臓の組織構造における系統と雌雄の特性およびその機能的意義を検索したものである。今回得られた結果は,多くの新規の形態学的知見を含み,獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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