学位論文要旨



No 215189
著者(漢字) 高石,武久
著者(英字)
著者(カナ) タカイシ,タケヒサ
標題(和) 高速車両下部空力音の発生機構の研究
標題(洋)
報告番号 215189
報告番号 乙15189
学位授与日 2001.11.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15189号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保田,弘敏
 東京大学 教授 梶,昭次郎
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 助教授 李家,賢一
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
 東京大学 助教授 加藤,千幸
内容要旨 要旨を表示する

 近年の新幹線の高速化に伴い,沿線騒音に及ぼす空力音の寄与が大きくなってきている。従来は,パンタグラフ系やケーブルヘッド,給排気用ルーバ構造など,屋根上機器の空力音が大きかったが,平滑化したりカバーをすることにより,これらの騒音レベルを下げることができた。それに伴い,相対的に,車両下部からの空力音の寄与が大きくなり始めている。騒音低減対策として,防音壁の設置は有効であるが,音の周波数が低い,つまり波長が長い場合には,直進性よりも波動性が大きくなり,回折によって防音壁を乗り越えて音波が伝播するため,遮音効果が小さくなってしまう。一般に,レールと車輪の接触によって発生する転動音に比べて,空力音の周波数は低い。したがって,新幹線高架内のレール近傍騒音での寄与は小さくても,伝播する過程で高周波数の音が防音壁によって遮音されると,実際に問題となる地上近くでは,低周波数の空力音の寄与が相対的に大きくなりうる。このため,300km/hを超えるさらなる高速化をめざすには,車両下部からの空力音の低減対策を立てる必要がある。そこで,本論文は,車両下部空力音について,鏡像法模型を用いた風洞実験,流体音響学に基づく理論解析,車両周りの3次元数値計算を行うことにより,その発生機構を明らかにし,今後の低減対策の策定に役立てることを目的としている。

 走行中の車両と地面は相対運動をしており,風洞実験において車両下部空力音を評価するためには,地面の相対運動を考慮した床下流れを再現する必要がある。風洞実験で移動地面板を用いてこれらの現象を再現する場合,移動地面板の稼動音の影響が無視できない。また300km/hを超える高速性を,移動地面板を用いて再現することは,困難である。そこで,対向した1対の模型を用いることによって鏡像流れを作り,模型対称面を地面に模することで,車両床下流れを再現し,その上で,車両下部空力音の現象把握を行うことにする。

 熱線流速計を用いて,車両下部の流速分布と,乱れの発達の様子を調べた結果,先頭部のごく一部を除いて,鏡像法模型の周りには,乱流境界層が発達している。また,編成後方になるほど,乱流境界層の厚さが大きくなり,流速が遅くて乱れが大きい領域が広がっている。台車部が実車を再現した模型条件の場合には,台車の収納スペース形状の前縁で剥離したと思われるせん断層によって,車両下面近くに乱れ度が大きい領域が広がっている。また,台車部で流れが3次元的になり,車両側面に床下流れが流出している形跡があり,次第に床下断面を通過する流量が小さくなっている。乱れ度の周波数分析を行なうと,400Hz以下の周波数は,せん断層の平均速度分布によって直接励起される大きなスケールの渦の成分と考えられ,400Hzから20kHzにかけては,乱れのエネルギーが,周波数のほぼ−5/3乗に比例してながら減衰している。

 指向性が強いパラボラ式収音装置を用いて,模型からの放射音の測定を行い,車両下部空力音の主音源がどこにあるかを調べた。格子状に測定し,音圧レベルのコンターを作成してみると,台車部,特に先頭車前台車からの空力音が大きい。さらに,台車部の模型条件を数種類変えて測定を行うことで,放射音の発生機構についての検討を行った。その結果,台車部から発生する空力音は,台車を収納するスペース全体から発生する500Hz以上の音と,台車自身,特に車輪による2kHz以上の風切音に分けられ,エネルギー的には前者の方が大きいことがわかった。熱線流速計による測定結果とあわせて考えると,台車を収納するスペースから発生する音には,上流端で剥がれたせん断流れが影響していると思われる。

 放射音が大きかった台車部における空力音の発生メカニズムを,より詳細に調べるために,小型圧力センサを車体の台車収納スペース表面に取り付け,表面圧力変動と,パラボラ式収音装置による放射音を,同時に測定した。台車収納スペース底面上で,中央よりも下流側の測定点では,変動成分の大きさを表す音圧換算レベルが大きくなっている。先頭車前台車では,2号車前台車,4号車前台車に比べて,台車部下流端付近の音圧換算レベルが大きくなっている。台車内の測定点では,周波数が主流速度に依存しない,狭帯域の圧力変動が観測される。これは,鏡像法模型が向かいあうことによってできた空間で,台車収納スペースの深さ方向に生じた共鳴音であると考えられる。そのため,鏡像法模型のうち,片側の模型を撤去して測定を行なった場合には,狭帯域の圧力変動は表れない。また共鳴音の放射方向が,台車部の深さ方向であるため,車両の側方から測定したパラボラ式収音装置の結果には,狭帯域の音が表れない。

 次に,流体音響の基礎方程式を用いて,鏡像法模型を用いた風洞実験結果に考察を加える。Howeの渦音の式を,固体境界面で法線方向の勾配0となる,物体形状に適合したグリーン関数Gを用いて展開すると,遠方の観測点における圧力は,次式で求められる。

この式は,境界面の影響がグリーン関数の中に含まれ,体積分で表されており,さらに被積分項が渦の運動で記述されているため,流れ場と放射音の関係が直接的に捉えやすい。風洞実験の結果から,台車から発生する低周波数の音は,台車を収納するスペースの上流端で剥れたせん断流れが影響していると思われる。そこで,まず,台車部を,自由空間に置かれたshallow cavityとして,モデル化する。音源の広がりが放射音の波長に比べて十分小さい,コンパクトな条件が成り立つと仮定し,式(1)中のGとして,物体形状に適合したコンパクトグリーン関数〓を用いて,物体形状による音響的な放射効率を陽的に表し,遠方場における放射音の解を求める。その結果,台車部音は,台車部後縁付近における,渦と車体との干渉による圧力変動から生じるdipole音であることを示すことができる。この結果を,実際の台車と地面の関係に応用する。地面を無限平面壁とみなして,境界面で法線方向の勾配が0となるグリーン関数を用いると,実車のように,地面近くに台車部がある場合の放射音の式は,鏡像法模型を用いた場合の放射音の式と近似的に一致する。このことから,渦列が互いに干渉しないと仮定すれば,鏡像法は,車両下部空力音を再現していることが,解析的に示された。2,4号車のように,台車部に流入する流れが乱流の場合には,層流の場合に比べて放射音が小さくなる。これは,不安定性の減少・対流速度の減少・せん断層の渦度の減少などが原因として考えられる。

 理論解析の過程においては,流れ場を離散的な渦列で表すなど,実際の現象を十分に表現していない仮定を行っている。また,風洞実験結果について,十分な説明を与えたとは言えない。そこで,車両周り,特に台車部キャビティ流れの3次元数値解析を行う。

 まず,乱流モデルとしてk-ε法を用いて,定常計算を行う。この手法を用いると,乱れの時間平均量を,比較的短い計算時間で求めることができる。このため,厳密さを求めない工学的評価に有効である。計算結果から,台車収納スペースでは,下流に行くほどせん断層が発達して,乱れ度が大きい領域が広がっている。また,台車部下流端付近で,車両の側面に向かう流れが生じていて,車両下部の流量が減っている。台車部への流入境界をCouette流れとした場合,車両下部流れと台車部内部の流れの間のせん断層の発達が抑えられており,渦と物体の干渉による二重極音の発生も小さくなると考えられる。

 k-ε法は,比較的短い計算時間で解が得られる反面,時間平均的な統計量を求めているに過ぎず,空力音を評価するために必要な,流れ場の瞬時値を求めることができない。そこで,乱流モデルとしてLES法を用いて,非定常計算を行った。その結果,図1に示すように,台車収納スペース上流端から剥がれたせん断層が,次第に不安定になり,渦を周期的に放出している様子が明らかになった。放出された渦は,発達しながら下流に伝播し,台車収納スペース下流端に衝突する。そして,一部はそのまま下流に流されていき,一部は台車収納スペース内に巻き上げられ,台車収納スペース底面付近を,上流方向に伝播していく。台車収納スペース内の圧力変動の大きさは,小型圧力センサを用いて測定した風洞実験結果とよく一致した。

 さらに,LES法によって得られた流れ場の瞬時値と,物体形状に適合したコンパクトグリーン関数を組み合わせ,式(1)を用いて,二重極音の音源分布を調べた。図2は,その結果である。流れ場の時間変動が大きく,かつ,形状変化が急な台車部後縁付近が強い音源となる。逆に,前縁付近や壁面に沿った境界層など,時間変動が小さい箇所や,台車収納スペース底面のように,時間変化は大きいが形状変化が緩やかな箇所は,強い二重極音源とならない。

 以上の知見から,高速車両下部空力音の主音源が,台車部であると特定された。また,その発生機構について,台車収納スペース上流から剥がれたせん断層は,次第に不安定になり,周期的に渦を放出する。また,台車収納スペース側面に沿って縦渦が形成される。これらの渦が,台車収納スペースの側面や後縁など,形状の変化が急な箇所で時間的に変動することによって,二重極音が放射される。風洞実験の結果から,せん断層に伴う渦は数百Hzであり,実車スケールでは,数10Hzである。このように周波数が低いため,防音壁を乗り越えて地上に伝播すると考えられる。また,低減方法としては,せん断層の渦の発達を抑えること,台車収納スペース後縁などの形状変化を緩やかにすることなどが有効と思われる。

 本論文は,その発生機構が明らかにしたということで,高速鉄道の車両下部空力音を下げるという工学的な目的の達成に貢献すると思われる。また,その過程で,空力音一般について,実験的,理論的,数値解析的に検討する手法を提示した。特に,LES法とコンパクトグリーン関数を組み合わせる方法は,今後様々な形状に対して適用し,二重極音源を明らかにしていく可能性を持っている。したがって,本論文で得られた知見は,直接的・間接的に,高速鉄道を始めとした空力音の現象理解と騒音低減対策の策定に役立つものと思われる。

図1 渦度の分布

図2 二重極音源の分布

審査要旨 要旨を表示する

 修士(工学)高石武久提出の論文は「高速車両下部空力音の発生機構の研究」と題し、本文5章及び付録4項から成っている。

 近年の鉄道の高速化に伴い、沿線騒音のうちで、空力音(空気力学的に発生する音)の割合が大きくなっている。従来、鉄道車両から発生する空力音はパンタグラフ系やケーブルヘッド、給排気用ルーバ構造など屋根上機器によるものが大きかったが、これらは機器形状を平滑化することやカバーを設けることによって、その騒音レベルを下げることができるようになった。それに伴い、相対的に車両下部から出る空力音の寄与が大きくなりつつある。鉄道の騒音低減対策として防音壁の設置が有効であるが、周波数の低い音は回折によって防音壁を乗り越えて伝播するので、その対策が必要である。一般にレールと車輪の接触によって発生する転動音に比べて空力音の周波数は低い。鉄道車両が時速300kmを越える高速化を目指すためにはこのような低周波数の空力音の発生機構を明らかにし、その低減化を図ることが必要である。

 このような観点から、著者は、車両下部空力音について鏡像法模型を用いた風洞実験、流体音響学に基づく理論解析および車両まわりの流れの三次元数値解析を行うことにより、その発生機構を明らかにし、今後の騒音低減の策定に役立たせることを目的としている。

 第1章は序論で、本研究の背景、特に車両下部空力音の低減の必要性を強調し、従来の研究動向との関連を述べ、本研究の目的と意義を明確にしている。

 第2章では、鏡像法模型を用いた風洞実験について述べている。走行中の車両と地面は相対運動をしているので、風洞実験で車両下部空力音を評価するためには、地面の相対運動を考慮した床下流れを再現する必要がある。移動地面と同様にその現象を再現しようとすると移動地面板の稼動音の影響が大きく、この方法は有効でない。著者は、対向した一対の模型を用いることによって鏡像流れを作ることにより模型対称面を地面に模して車両下部空力音の測定を可能とした。この方法により、熱線流速計による非定常流速分布測定、台車部の表面圧力測定およびパラボラ式収音装置による模型からの放射音測定を行った。この結果から、車両下部空力音は主として台車部で発生しており、台車部の台車収納スペース上流端で剥離したせん断層に伴う数百Hzの渦が影響していることが知られた。

 第3章では、流体音響の基礎方程式を用いて、前章の風洞実験結果に考察を加えている。流体音響の基礎方程式であるLighthillの式に対応し、低マッハ数で粘性の影響が無視できるという条件を課したHoweの式を導き、渦の運動が主たる音源になることを強調している。次に、台車部流れについてせん断層を離散的な渦列を用いてあらわし、物体形状に適合したサブコンパクトグリーン関数を組み合わせることにより、遠方場における放射音を解析的に求めている。このことから、台車部音はせん断層の渦が台車部後縁領域と干渉することによって放射されることが知られた。この結果を地面がある場合に応用し、その放射音の予測値と鏡像法実験による放射音の関係が近似的に等しくなることを示している。また、放射音に対する境界層とレイノルズ数の影響も考察している。

 第4章ではk-ε法を用いた乱流解析により、車両まわり、特に台車部キャビティ流れの三次元定常流数値解析を行い、乱れの時間平均量を得ることによって風洞実験の現象を説明するとともに、理論解析で得られた流れの因子の影響について比較・検証を行っている。次いで、LES(Large Eddy Simulation)法を用いた非定常計算を行い、コンパクトグリーン関数を三次元に拡張し、二重極音源の三次元的分布を求め、第3章の理論解析結果を合わせて考察することにより、三次元的に伝播する音源の評価を行っている。このことから、台車収納スペース上流端で剥離したせん断層から放出された渦の非定常な動きによって、台車部後縁や台車収納スペース側面付近のような物体形状の変化が急な領域で二重極音源が生成されることが知られた。本論文で得た結果は、車体軸方向の放射音に関してCurleの式で求めた結果と数値的に一致し、解析の妥当性を示している。

 第5章は結論で、上記各章における考察の総括を行い、車両下部空力音の発生機構についての知見をまとめている。

 付録Aでは音響的取り扱いに関する用語の定義、付録Bではスペクトル解析の手法、付録Cでは流体音響の基礎方程式としてのLighthill-Curleの式の解説、付録Dでは非圧縮性流体に働く力と運動量の関係を収録し、本文の記述を補足している。

 以上要するに、本論文は高速車両下部から発生する空力音の発生機構を、鏡像法模型を用いた風洞実験、流体音響学に基づく理論解析および車両まわりの流れの三次元数値解析によって明らかにしたものであり、その手法の有効性を示すとともに騒音低減方策に示唆を与え、その成果は鉄道車両のみならず、キャビティを有する高速移動体からの空力音発生に関して重要な知見を与えるものであり、航空宇宙工学に貢献するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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