学位論文要旨



No 215191
著者(漢字) 大森,雄治
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,ユウジ
標題(和) ヒマラヤ高山帯の極限環境へ適応した温室型植物Rheum nobile(タデ科)の苞葉の形態と機能
標題(洋) Structure and function of the translucent bracts of Rheum nobile Hook.f. & Thomson (Polygonaceae) : glasshouse plant as a growth form of the Himalayan alpine plants
報告番号 215191
報告番号 乙15191
学位授与日 2001.11.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15191号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大場,秀章
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 近藤,矩朗
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 助教授 舘野,正樹
内容要旨 要旨を表示する

 寒冷や積雪のため,年間の生育期間の短い高山や極地には,植物体が矮生化したクッション型植物あるいは多毛化したセーター型植物が知られ,気温の日較差が年較差より大きい熱帯高山には,ジャイアントロゼットなど特殊な生育型をした植物が知られている。ヒマラヤ東部の高山帯は,短い生育期間・低温・強風・強紫外線などに加え,夏季はモンスーンの影響により雨期となり,晴天が少なく,湿潤であるという特有の気象条件を有している。ここには,クッション型・セーター型・ロゼット型植物のほか,苞葉が半透明化してシュート頂や花序全体を覆った温室型植物が見られる。この温室型植物の典型がRheum nobileである。R. nobileは,4000mを越える高山帯ではもっとも大きな多年草で,高さは1-2mとなり,その上,本種を優占種とする大きな群落を形成することもある。半透明苞葉に覆われた大きな花序をつくる温室型植物は,ヒマラヤ高山帯の極限環境に特異な形態をつくって適応したと推測される植物のひとつである。本研究はヒマラヤ高山帯における温室型植物の適応現象を解明することを目的に,R. nobileを主な材料として,苞葉の形態学的・解剖学的特徴を明らかにし,光環境と温度環境の解析及び生殖器官を外気に曝す現地での苞葉除去実験によって苞葉の役割を考察した。

結果I.苞葉の形態 苞葉の形態学的特徴を明らかにするために,R. nobileのロゼット葉・半透明苞葉・中間葉をネパール東部Jaljale Himalの標高4200-4300mで採取し(以下の研究はすべて同調査地で行った。),FAAで固定し,パラフィン包埋後,ミクロトームにより厚さ5-10μmの切片を作成し,ヘマトキシリン・サフラニン・ファストグリーンによる三重染色をして葉の構造を比較した。R. nobileのロゼット葉は濃い緑色で,厚く革質であるが,花茎にできる苞葉は,半透明の淡黄色で,薄く,紙質である。ロゼット葉から苞葉までは連続的に変化し,花茎の下部では1枚の葉で緑色と黄色部分が混在する中間葉となり苞葉へ移行する。ロゼット葉は厚さが230-320μmで,上部は1-2層の柵状組織,下部は海綿状組織となり,葉肉組織の分化は明瞭であった(図1)。苞葉は厚さが110-170μmで,ロゼット葉のほぼ半分であった。その葉肉細胞は2,3細胞層のままで分化せず,細胞中に葉緑体はほとんどなく,細胞間隙も見られなかった。苞葉の下皮細胞は表皮細胞同様,染色剤でよく染色され,フラボノイド,タンニンなどを含む細胞であると推定される(図2)。中間葉のうち,半透明淡黄色で苞葉とほとんど変わらない厚さと形状を持った部分では,下皮は表皮と同じように色素をもち,海綿状組織だけが分化し(図3),やや厚く黄緑色となる部分では下皮がなく柵状組織が分化していた。いずれの場合も色素体を有していた。したがって,半透明苞葉は葉肉細胞が分化せずに成熟した葉であるといえる。R. nobile同様に,淡黄色の苞葉が花序を覆うRheum alexandrae(タデ科)及び半透明の苞葉をもつSaussurea uniflora(キク科)の苞葉についても同様の観察を行った。その結果,前者では海綿状組織だけか,または柵状組織と海綿状組織の双方が分化し,後者では海綿状組織だけが分化していた。両者とも,細胞間隙がよく発達し,葉肉細胞中には色素体を有し,R. nobileの苞葉の構造とは異なっていた。

II.光環境と苞葉の光選択的透過性 苞葉の機能を明らかにするため,R. nobileの生葉を調査地で採取し,10-15℃に保ちながら日本まで運び,採取後5日目に,分光光度計(Opto Research Corp. MSR-700)により320nm-800nmの範囲で光反射率及び透過率を測定した。紫外線域の320-400nmにおける苞葉の反射率は2-4%,可視光線域の400-780nmでは20%であった。ロゼット葉では紫外線域で5-7%,可視光線域では570nmに15%のピークをもち,700nmで急上昇し,750nmより長波長では40-45%であった(図4)。透過率は中間葉も加えて測定し,紫外線域ですべてほぼO%,可視光線域では苞葉で20%,ロゼット葉で1-3%,中間葉で5-10%であり,苞葉は可視光線をよく透過することがわかった(図5)。したがって,苞葉は花茎の成長や生殖器官の発生を阻害する紫外線をほとんど吸収し,昇温効果のある可視光線や赤外線を透過させていることが明らかとなった。また,苞葉の散乱光に対する透過率は直射光より常に20%高かった(図6)。これは雨天または曇天の多いネパール東部の気象条件下で有利な適応的特性であると推測される。

III.温度環境と苞葉の保温機能 シュート頂や花序を取り囲む苞葉全体の機能を明らかにするために,R. nobileの高さ及びロゼットの直径90cmの個体で,苞葉に覆われた花茎の上部・中部・下部,花茎中部の苞葉の裏側,外気温の5点の温度を2分間隔で,1996年8月8日から13日までの10日間調査地で測定した(図7)。花期のR. nobileの苞葉は隙間がないよう互いに重なり合い,花序をほぼ完全に覆い,外気とは遮断された空間を作っていた。その結果,10日間の測定期間を通じ,花茎中部では夜間は5-8℃,日中の9:00-15:00では10-25℃であった。また,花茎上部では,雨天または曇天でさえ日中には外気温に比べ7-8℃高く,晴天には15-16℃も高いことがわかった。夜間は花序のどの観測点でもほぼ同じ温度であり,外気温に比べ常にほぼ1.5℃高かった。これらの結果から,苞葉は風雨からシュート頂や生殖器官を保護するだけでなく,花序内の日中の温度を,雨天または曇天では10-15℃,晴天では15-25℃に確保し,昇温・保温効果を有していることが明らかとなった(図8-9)。花茎の伸長が止まり,果期になると苞葉の重なりが緩くなり,その昇温・保温効果がほとんどなくなるので,苞葉の生殖器官に対する役割は生殖器官発生の初期に限られると推定される。

IV.花粉形態・発生,胚発生と苞葉除去による影響 生殖器官形成に対する苞葉の役割を明らかにするため,調査地でR. nobileの苞葉を除去して生殖器官を外気温に曝す実験を行った。寒冷や乾燥などの厳しい極限的環境では,ときに無配偶生殖などの特殊な生殖を行っている植物種があるので,R. nobileでも胚発生と花粉形成を,葉の横断切片作成と同様の方法でプレパラートを作成して確認した。その結果,R. nobileは通常の融合生殖を行い,花粉形成も正常であり,胚嚢形成反び胚発生はPolygonum型であることが判明した(図10-16)。花粉の形態は,ほぼ球形で形がよく揃い,直径15-20μm,三溝孔粒,棍棒状紋であった(図17-20)。苞葉除去実験は1991年7月25日から8月3日に調査地で,8個体の開花個体を用いて行った。実験ではすべての苞葉を取り去り,外気温に生殖器官を9日間曝した後,花序の中央部の花と若い果実を採取して分析した。その結果,胚嚢や胚では異常は見られなかったが,花粉では異常なものが見つかった。異常な花粉は球形あるいは歪んだ球形など形が多様で,やや小型で直径は10-15μm,表面は大小の球形の顆粒物で覆われていた(図21-24)。異常花粉ではコットンブルーによる染色性はなく,不稔と推定した。形態の異常と,コットンブルーの染色性から花粉の稔性を判断し,苞葉除去個体と対照個体の花粉稔性を計測したところ,対照5個体では異常花粉の発生率は平均3%であるのに対し,苞葉除去個体8個体中4個体でほぼ100%,残りの4個体でもO-30%であった。これまで野外における実験的操作によって花粉に異常を引き起こした例は知られておらず,本報告が世界で最初の報告となった。花粉が異常になった原因としては苞葉を除去したことによる低温障害または紫外線による障害と推定される。

考察と結論:苞葉の役割−高山帯における温室型の適応−一般に,紫外線量は高度が1000m上昇すると10-20%増加するといわれ,4000mを越える高山帯における紫外線量は平地の2倍を越える。また,ヒマラヤの4000-4500mの高山では夏の最高気温は15℃を越えることはなく,最低気温は3℃を記録し,4500mでは年間の生育期間は積雪のため13週間と見積もられている。このような高山帯に生育する多くの植物では,特殊な器官は発達せず矮生化によって低温や強紫外線,短い生育期間に適応・馴化してきたと推測される。一方,温室型植物は大形のサイズを保ったまま高山帯に馴化していると考えられる。本研究により,1)温室型植物の温室をつくる半透明淡黄色の苞葉は解剖学的にも特異的であること,2)それは紫外線を吸収して可視光線や赤外線をよく透過し,しかも散乱光をよりよく透過し,雨天・曇天の多いネパール東部の気象条件にきわめて適応的であること,3)それらは互いに重なり合って外気から遮断された空間を生殖器官に提供し,それらを昇温・保温していることが明らかとなり,4)苞葉を除去した実験によって花粉形成に高頻度の異常が起きたことは,半透明苞葉が少なくとも生殖器官の正常な発生に不可欠な器官であることを明らかにした。温室型植物の苞葉は,細胞分裂の盛んなシュート頂や生殖器官を紫外線や低温による障害から保護するだけでなく,これらを保温・昇温して細胞分裂や組織分化を促進していると考えられる。また,この苞葉は,解剖学的には少なくとも3タイプあることがわかり(図25-27),半透明苞葉の起源は一様でなく収斂的進化の所産であることが判明した。このような半透明苞葉を獲得することで,温室型植物は高山における生殖器官の正常な発生を維持し,大型の花序を有しながらもヒマラヤ高山で生育できると推定される。

1-3.Rheum nobileの葉の横断面.

1:ロゼット葉,2:苞葉,3:中間葉.le:下面表皮,pa:柵状組織,sp:海綿状組織,ue:上面表皮,um:上部葉肉組織(下皮).Scale bars=100μm.

4-6.R. nobileの葉の光選択的透過性.

4:苞葉(■)とロゼット葉(◆)の光反射率,5:苞葉(◆)・中間葉(▲)・ロゼット葉(■)の光透過率,6:苞葉の直射光(■)・散乱光(◆)透過率.

7-9.R. nobileの花序内部の温度と外気温,7:花序の上部・中部・下部・苞葉の裏側・外気温の測定点と日中9:00-15:00の温度幅,8:曇天・雨天日,9:晴天日,縦軸:温度(℃),横軸:時刻.

10-15..R. nobileの胚嚢形成と胚発生.

10:珠心の縦断面,11:胚嚢の縦断面,12:一次内乳核と受精卵,13:2細胞期,14:8細胞期,15:遊離核内乳と球形の前胚.ac:反足細胞,ec:卵細胞,em:前胚,en:内乳核,fn:遊離核内乳,mc:大胞子母細胞,pn:極核,zy:受精卵.Scale bars=10μm.

16.R. nobileの胚発生.

A:2細胞期,B:8細胞期,C-E:前表皮の分化,F-J:球形の前胚,K-L:幼根の始原細胞(iec)の分化,M:子葉(cot)と幼根の形成.

17-20.R. nobileの正常花粉.

17:成熟花粉,18:同拡大図,19:未成熟花粉,20:同拡大図,Scale bars=5μm.

21-24.苞葉除去実験によって得られらたR. nobileの花粉.

21:異常花粉,22:同拡大図,23:小型の異常花粉,24:不完全な棍棒状紋をもつ異常花粉.Scale bars=5μm.

25-27..温室型植物の苞葉の3タイプ.

25:葉肉組織未分化:Rheum nobile,26:柵状組織・海綿状組織ともに分化:Rheum alexandrae,27:海綿状組織だけが分化:Saussurea uniflora.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、半透明苞葉が大型の花茎を覆う、ヒマラヤ高山帯に固有の温室型多年生植物Rheum nobile(タデ科ダイオウ属)の種生態学的研究であり、6章からなる。第1章は生育立地の解析、第2章は生殖成長期の生育地の気象と花序の温度環境の解析、第3章は胚発生と花粉形成の記載、第4章はロゼット葉と半透明苞葉の比較形態、第5章は苞葉の光に対する反応の解析と苞葉の機能、第6章は苞葉除去実験による異常花粉の形成と苞葉の役割、について述べられている。

 本研究により、1)Rheum nobileは基盤や傾斜などの異なる様々な立地に見られたが、北向き斜面に多く出現する傾向があることが明らかにされた。2)苞葉は物理的・機械的に風雨から生殖器官やシュート頂を守るだけでなく、外気温の最高気温が13.9℃、最低気温は3.2℃という温度環境にあって、花茎の温度を雨天または曇天で10-15℃、晴天で15-25℃に確保し、温度を上昇させる昇温効果・保温効果を有していることが明らかにされた。3)胚嚢形成、胚発生、花粉形成はいずれも正常で、通常の配偶子生殖を行っている可能性が高いことが確認された。4)ロゼット葉の向軸面は1-2層の柵状組織、背軸面は海綿状組織となり、葉肉組織の分化は明瞭であったが、苞葉では2,3細胞層の未分化な葉肉細胞があるだけで、細胞中には大型の色素体はほとんど見られず、細胞間隙も未発達であった。また、苞葉の向軸側の下皮細胞は表皮細胞同様、染色剤でよく染色され、フラボノイド、タンニンなどを含む細胞と推定された。そのため、Rheum nobileの半透明苞葉は形態的にかなり特殊化した葉であることが明らかにされた。一方、比較されたRheum alexandraeとぶSaussurea unifloraの苞葉は海綿状組織と細胞間隙がよく発達した葉肉組織をもち、半透明苞葉の形態的多様性が示唆された。5)苞葉の光透過率は、紫外線域ではほぼ0%、可視光線域の400nm以上ではロゼット葉が1-3%、苞葉が20%であり、苞葉は花茎の成長や生殖器官の発生を阻害する紫外線をほとんど吸収し、昇温効果のある可視光線や赤外線を透過させて花茎の成長及び生殖器官の発生を促進していると推定された。6)苞葉を除去して生殖器官を外気温に曝す実験により、不稔花粉と推定される異常花粉が高頻度で発生した。苞葉の除去により花粉形成に高頻度で異常が起きたことは、半透明苞葉が少なくとも生殖器官の正常な発生に不可欠な器官であることが明らかにされた。

 以上のことから、温室型植物Rheum nobileの苞葉は、細胞分裂の盛んなシュート頂や生殖器官を高山帯特有の環境である強い紫外線や低温による障害から保護するだけでなく、これらを昇温・保温して細胞分裂や組織分化を促進していると考えられた。また、このような半透明苞葉は、解剖学的には少なくとも3タイプあることがわかり、半透明苞葉の起源は一様でないことが示唆された。高山帯に生育する多くの植物では、特殊な器官は発達せず矮生化によって低温や強紫外線、短い生育期間に適応・馴化してきたと推測されているが、温室型植物は半透明苞葉を獲得することで、高山における生殖器官の正常な発生を維持し、大型の花序を有しながらヒマラヤ高山で生育できると推定された。温室型植物は、高山植物特有の生育形として知られている、クッション型、矮生低木型、ロゼット型、叢生型に加えられるべき生育形、特にヒマラヤ高山植物の典型的生育形、のひとつであることが提唱された。

 なお本論文の第1章は菊池多賀夫、マヘンドラ・スベジ(Mahendra Subedi)、大場秀章氏との、第2、第3、第4、第6章は大場秀章氏との、第5章は高山晴夫、大場秀章氏との共著であるが、第1章以外は論文提出者が主体となって解析し検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)を授与できると認める。

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