学位論文要旨



No 215193
著者(漢字) 井村,進哉
著者(英字)
著者(カナ) イムラ,シンヤ
標題(和) 現代アメリカの住宅金融システム : 金融自由化・証券化とリーテイルバンキング・公的部門の再編
標題(洋)
報告番号 215193
報告番号 乙15193
学位授与日 2001.11.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15193号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渋谷,博史
 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 持田,信樹
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
内容要旨 要旨を表示する

1.本論文は、現代アメリカにおける住宅金融システムを、民間金融部門にとどまらず公的部門の金融支援・規制行動との絡み合いにおいて捉えるべきであるという立場から、金融論的アプローチと財政学的アプローチを意識しつつ、民間部門と公的部門双方の機能的な編成に着目しながら、歴史的、構造的に検討したものである.アメリカの住宅金融市場は、我が国でも金融の証券化や公的金融改革の先行例として注目されてきたが、一方で証券化については、もっぱら金利変動リスクの転嫁手段や資産圧縮・自己資本比率の改善、資産再構築の手段といったミクロ的な視点から検討され、マクロ的な市場構造の変化の意義が看過されるきらいがあった.他方で公的金融についても、アメリカのそれが民間との競合を回避し、財政負担を軽減する理想的な姿とする見方が支配的であった.このような見方に対して、本論文は、証券化や自由化に伴って変貌を遂げた住宅金融システムの全体像を通史的に取り上げることによって、次のような見地を対置している.すなわち第1に、証券化や自由化は一面ではリスク回避手段を提供するが、他面では同時に新たなリスクを増幅させる側面をもつこと.第2に、公的金融システムも保証やリファイナンスなどの間接的な形態にシフトし、その「民営化」が進展したにもかかわらず、むしろ逆説的に市場カバレッジが上昇し、財政負担の軽減にはならなかったというものである.その結果、本論文は、市場原理が圧倒的な力を持つとされるアメリカといえども、住宅金融のように何らかの形で福祉国家的な資源・所得の再分配が不可欠な領域においては、公的部門が形を変えつつ介入を続けざるを得ず、独自の問題を抱え込まざるを得ないことを明らかにしている.

2.本論文は、研究視角を設定する序章と終章を含む9つの章で構成されている.

 序章 住宅金融システムのアメリカ的特質と本書の視角

 第1章 ニューディール的住宅金融システムの成立と発展

 第2章 戦後のインフレ・高金利と証券化政策の導入

 第3章 証券化政策の発展と金融変革・リスクの増大

 第4章 歴史的高金利・規制緩和と貯蓄金融機関危機

 第5章 FIRREA体制と公的金融・規制システムの変化

 第6章 貯蓄金融機関の破綻処理と業界再編

 第7章 1990年代の住宅金融システム

 終章 むすびにかえて

3.第1章から第3章にかけての本書の前半部分では、まず第1に、コミュニティを基盤とする分散的な金融システムとそれに対応した連邦政府の重層的な支援・規制政策とで構成され、1960年代まで発展を見たアメリカ的な住宅金融の原型であるニューディール的なシステムの特質が示される.第2にこのシステムは、1960年代のインフレ・市場金利高騰を契機に根本的な動揺を開始するが、証券化政策の導入によって第1の転換局面を迎えるプロセスが分析される.とりわけ証券化政策は、連邦政府が預金金融機関内部の業態分離規制や預金金利規制の緩和に着手する機が熟しておらず、当面、貯蓄金融機関が保有する貸付資産の流動化によって金利変動リスクに対処しようとし、機関投資家を含む多様な資金を住宅金融市場に導入しようとするという文脈の中で位置付けられている.

 まず第1章では、独特の住宅金融方式であるモーゲッジ(抵当金融)と、専門金融機関としてイギリスから移植された建築貸付組合(後の貯蓄金融機関)とによって主に支えられるアメリカ的住宅金融システムの起源と原型が明らかにされる(第1節).その上で1930年代の大不況期・ニューディール期の連邦政府による福祉国家的色彩の強い重層的な支援・規制システムの導入過程とその内容が示される(第2節).そしてこのシステムが、戦後においてコミュニティを基盤とする分散的金融システムとそれに対応する重層的な公的金融、規制システムを内容として継続、拡張する過程が分析される(第3節).

 つづく第2章では、第2次大戦後に、コミュニティを基盤とする住宅金融専門機関たる貯蓄金融機関の変質がはじまり、それへの対応として連邦政府による住宅モーゲッジの証券化政策が採用されるに至る過程が示される.すなわち1950年代以降、貯蓄金融機関は、地域的・業際的業務拡大や株式会社転換・持ち株会社設立を通じて商業銀行との同質化の道を歩み始め、商業銀行と同様の持株会社規制や預金金利上限規制が採用されるようになったが、1966年、69年の2度にわたる激しいインフレ・市場金利高騰下で預金流出を契機とする貯蓄金融機関の危機がはじめて顕在化し、それが「豊かな社会」のただ中における住宅産業不況をもたらしたことが示される(第1節).そしてこれへの対応策として、住宅モーゲッジを多様な投資家が購入しうる証券(モーゲッジ担保証券、MBS)に組み込んで流動化=売却する証券化政策が採用された.すなわち連邦政府は、預金金利や業務範囲の規制緩和の推進の機が熟していない1960年代において、住宅金融市場への多様な資金の導入を目的として連邦政府主導の重層的な証券化政策を推進するが、それは民間金融機関への流動性資金供給やモーゲッジオペレーション機能を拡大させるための連邦政府機関の「民営化」や業務範囲の拡大を伴ったものであったとしている(第2節).

 さらに第3章では、以上のような証券化が1980年代に公的金融プログラムや従来の証券発行規制緩和や信託制度をめぐる税制上の制約の撤廃に主導されて一層高度に展開されるプロセスが明らかにされる.すなわち、歴史的高金利下のモーゲッジ・スワップの導入(第1節)、マルチクラス債券を生み出したCMO(第2節)、あるいは税制上の制約を撤廃したREMICやストリップ型MBSなどの金融革新の内容が示される.またこれらの金融技術が同時に市場全体の投機性を強める側面をも併せ持つことが強調される(第3節).

4.以上のような証券化の進展と相前後して、1980年代に現れた貯蓄金融機関の本格的な危機、それへの対応としての規制緩和、貯蓄金融機関のリスキーな行動、更にその結果としての大規模破綻は、連邦政府による巨額の財政資金の投入と住宅金融支援・規制システムの転換を促したが、これらの専門金融機関の経営破綻と再編過程を住宅金融システムの第2の転換局面として取り上げていたのが第4章から第6章にかけての3つの章である.

 まず第4章では、まず1980年代の初頭の歴史的高金利状態によってもたらされた本格的な貯蓄金融機関危機への対処として規制緩和政策が採用された経緯が明らかにされる(第1節).またそれを契機に貯蓄金融機関が預金・資金運用両市場で商業銀行との競争を激化させてリスキーな経営行動をとるようになり(第2節)、ついには1980年代中盤以降の地域的経済不振を契機に大規模倒産が現れて預金保険機関である連邦貯蓄貸付保険公社(FSLIC)が財政破綻に陥るに至る経緯が示されている(第3節).

 また第5章では、以上のような貯蓄金融機関危機に直面して実施された1989年金融機関法(FIRREA)による公的金融・規制システムの改革内容が明らかにされる.すなわち連邦政府は、財政資金を投入して破綻処理に乗り出すとともに、一方では貯蓄金融機関免許の基準を厳格化し、リスク資産規制や自己資本規制を強めるなど健全性維持規制を強め、他方では貯蓄金融機関と商業銀行との合併を全面的に認可する形で業界統合・再編を推進するという貯蓄金融機関規制の変化が示される(第1節).また公的金融システムの商業銀行への開放を伴う連邦政府の規制機関と公的金融機関の改組の内容が明らかにされる(第2節).

 さらに第6章では、整理信託公社(RTC)による破綻処理が、一方では87%にも達する回収率を達成しながら、他方では最終的には、4,000億ドルを超える財政負担を伴いながら遂行されたこと(第1節)、そして新規制システムとRTCの破綻処理活動に主導された広範な貯蓄金融業界の再編が進展し、商業銀行のリーテイル・ネットワークに組み込まれていくプロセスが示される(第2節).

5.第7章では、以上のような証券化、自由化に伴う構造転換を経た1990年代における住宅金融システムの特質が明らかにされる.すなわち住宅金融市場では伝統的な貯蓄金融機関の地位が急低下する一方で、種々の金融機関や機関投資家が参入するとともに、公的金融機関の市場カバレッジが大幅に上昇するという構造転換が示される(第1節).また商業銀行は、住宅金融、消費者金融領域で持株会社を通じた集中・統合を急速に進展させ、全米規模のリーテイルバンキング網を形成するプロセスが明らかにされる(第2節).そしてこの再編過程で金融サービス水準が低下したため、これへの対応としてHMDA/CRA規制、1990年住宅法による民間非営利機関の利用、さらには多様な財政金融支援措置が現れたが、これらは公的金融プログラムにとどまらず民間金融機関に対する直接規制をも利用しながら住宅金融システムを維持しようとする公的部門の動きであると規定している(第3節).

 そして終章では、本論文の基本的な視点と知見の要約を通じて、このような現局面におけるシステムのあり方そのものに、現代アメリカの住宅金融領域における福祉国家的ニーズとそれを抑制しようとする動きのせめぎ合いの姿があらわれているとしている.

審査要旨 要旨を表示する

 井村進哉「現代アメリカの住宅金融システム:金融自由化・証券化とリーテイルバンキング・公的部門の再編」

 本論文は、現代アメリカにおける住宅金融システムを、民間金融部門と公的部門の金融支援・規制行動の絡み合いにおいて捉えるという視点から、そのシステムの歴史的な構造変化を、議会及び行政当局の豊富な資料や聞取り調査に裏打ちされた本格的な実証研究の手法により解明しようとするものである。それは、1930年代の大不況とニューディールの時期から1990年代までの長期にわたる時期を対象とし、アメリカ的な特徴を有する住宅金融システムの領域を丹念に検討・分析して、通常日本でもたれるそのイメージとは異なるアメリカの金融市場構造及び福祉国家システムの実態を明らかにしている。

 本論文は、序章と終章を含む、次の9つの章から構成されている。

 序章 住宅金融システムのアメリカ的特質と本書の視角

 第1章 ニューディール的住宅金融システムの成立と発展

 第2章 戦後のインフレ・高金利と証券化政策の導入

 第3章 証券化政策の発展と金融変革・リスクの増大

 第4章 歴史的高金利・規制緩和と貯蓄金融機関危機

 第5章 FIRREA体制と公的金融・規制システムの変化

 第6章 貯蓄金融機関の破綻処理と業界再編

 第7章 1990年代の住宅金融システム

 終章 むすびにかえて

 本論文の内容はおよそ以下のように要約されうる。

 まず序章では、分散的で業態分離規制によって隔離された民間住宅金融機関を前提として、それに対して連邦政府が間接的かつ重層的に信用補強措置を展開し、規制を加えるという「ニューディール的住宅金融システム」が、1960年代末以降のインフレと市場変動の激化の中で、証券化、自由化をいう方向で構造変化する過程を、アメリカ的な福祉国家システムの一環として捉えて分析するという視角が設定される。

 第1章から第3章にかけての前半部分では、第1に、1960年代まで発展をみたアメリカ住宅金融におけるニューディール的なシステムの特質として、コミュニティを基盤とする分散的な金融システムと、それに対応した連邦政府の重層的な金融支援・規制政策によって構成されたことが示される。そして第2に、このニューディール的なシステムは1960年代のインフレ・市場金利高騰を契機に動揺し始めるが、証券化政策の導入によって第1の転換局面を迎えるプロセスが分析される。とりわけ証券化政策は、連邦政府が預金金融機関内部の業態分離規制や預金金利規制の緩和に着手する機が熟しておらず、当面、貯蓄金融機関が保有する貸付資産の流動化によって金利変動リスクに対処しようとし、機関投資家を含む多様な資金を住宅金融市場に導入しようとするという文脈の中で位置付けられている。

 第1章では、モーゲッジ(抵当金融)を金融手段とし、貯蓄金融機関に支えられる分散的な構造を有する住宅金融システムに対して、1930年代の大不況期・ニューディール期に連邦政府がアメリカ的な福祉国家システムの一環として導入した、連邦住宅貸付銀行(FHLBank)制度、連邦住宅庁(FHA)、連邦抵当金庫(FNMA)、連邦貯蓄貸付保険会社(FSLIC)等による重層的な金融支援・規制システムの内容が分析される。そしてこのニューディール的なシステムが、戦後においても1960年代までは順調な経済成長の中で継続、拡張されたことが示される。

 第2章では、コミュニティを基盤とする住宅金融専門機関たる貯蓄金融機関の変質と、それへの対応として連邦政府が採用する住宅モーゲッジの証券化政策が取り上げられる。すなわち1950年代以降、貯蓄金融機関は、地域的・業際的業務拡大や株式会社転換・持ち株会社設立を通じて商業銀行との同質化の道を歩み始め、商業銀行と同様の持株会社規制や預金金利上限規制が採用されるようになったが、1966年、69年の2度にわたる激しいインフレと市場金利高騰の下で預金流出を契機とする貯蓄金融機関の危機が初めて顕在化し、それが「豊かな社会」のただ中における住宅産業不況をもたらした。そして1970年代にその対応策として、住宅モーゲッジを多様な投資家が購入しうる証券(モーゲッジ担保証券、MBS)に組み込んで流動化=売却する証券化政策が採用されたことが示される。

 第3章では1980年代に公的金融プログラム、証券発行の規制緩和、税制上の制約の撤廃等に主導されて、以上のような証券化が一層高度に展開される過程が明らかにされる。すなわち、歴史的高金利下のモーゲッジ・スワップの導入、マルチクラス債券を生み出したモーゲッジ抵当債券(CMO)、あるいは税制上の制約を撤廃した不動産モーゲッジ投資導管(REMIC)やストリップ型モーゲッジ担保証券(MBS)などについて高度の専門的な説明が加えられることで、「金融革新」とか「金融革命」と呼ばれていた当時の過程が解明されている。

 このような証券化の進展と相前後して、1980年代に現れた貯蓄金融機関の本格的な危機、それへの対応としての規制緩和によって貯蓄金融機関のなかにリスキーな行動が起こり、そして大規模破綻が発生した。その結果、従来の住宅金融支援・規制システムの転換が促され、また連邦政府による巨額の財政資金の投入が要請された。これらの貯蓄金融機関の経営破綻と再編過程を住宅金融システムの第2の転換局面として取り上げたのが第4章から第6章にかけての3つの章である。

 第4章では、まず1980年代初頭の歴史的高金利状態によってもたらされた本格的な貯蓄金融機関危機への対処として規制緩和政策が採用され、それを契機に貯蓄金融機関が預金・資金運用両市場で商業銀行との競争を激化させてリスキーな経営行動をとるようになり、ついには1980年代中盤以降の地域的経済不振を契機に大規模倒産が現れて、預金保険機関である連邦貯蓄貸付保険公社(FSLIC)が財政破綻に陥るに至る過程が明らかにされる。

 第5章では、貯蓄金融機関危機に直面して実施された1989年金融機関法(FIRREA)による公的金融・規制システムの改革内容が明らかにされる。すなわち連邦政府は、財政資金を投入して破綻処理に乗り出したが、一方では貯蓄金融機関免許の基準を厳格化し、リスク資産規制や自己資本規制を強めるなど健全性維持規制を強め、他方では貯蓄金融機関と商業銀行との合併を全面的に認可する形で業界統合・再編を推進した。

 第6章では、整理信託公社(RTC)による破綻処理が4,000億ドルを超える巨額の財政負担を伴いながら実施され、さらにその破綻処理活動と新規制システムに主導されて貯蓄金融業界の広汎な再編が進展して、貯蓄金融機関の多くが商業銀行のリーテイル・ネットワークに組み込まれていく過程が分析される。

 第7章では、以上のような証券化、自由化に伴う構造転換を経た1990年代における住宅金融システムの特質が明らかにされる。第1に住宅金融市場では伝統的な貯蓄金融機関の地位が急低下する一方で、種々の金融機関や機関投資家が参入するとともに、公的金融機関の市場カバレッジが大幅に上昇するという構造転換が示され、第2に商業銀行が、住宅金融、消費者金融領域で持株会社を通じた集中・統合を急速に進展させ、全米規模のリーテイルバンキング網を形成する過程が分析される。そして第3にこの再編過程で金融サービス水準が低下したため、これへの対応として住宅モーゲッジ開示法(HMDA)や地域再投資法(CRA)による規制、1990年住宅法による民間非営利機関の利用、さらには多様な財政金融支援措置が現れたが、これらは公的金融プログラムにとどまらず民間金融機関に対する直接規制をも利用しながら住宅金融システムを維持しようとする公的部門の動きであると規定している。

 そして終章では、本論文の基本的な視点と知見の要約を行った上で、歴史的な住宅金融市場の構造変化の中で、その分野の公的金融システムによるリスク・プール機能は市場全体を対象とするものに拡張する形で福祉国家の内容の希薄が進むが、他方でそのような希薄に対して、HMDAやCRAによる規制の強化や、包括補助金制度と公的金融プログラムの追加によって福祉国家システムとしての性格を維持しようとする動きもあることが指摘され、今後も継続されるこの分野の研究の視角が提示されるのである。

 以上要約したように、本論文は、住宅金融システムという現代アメリカの金融と財政の両方の分野にわたる重要な領域について、地道な実証研究を通して、その歴史的、構造的な変化の過程の全体像を説得的に構築することに成功しており、また、その分析の中で従来日本では見落とされていた側面を浮かび上がらせている。

 第1に、アメリカの金融証券市場は、ウォール・ストリートに代表されるような国際的にも開放されて流動性と効率性が十分に発揮される統一的な市場だけではなく、その外側に各地域の内部における資金循環を維持する貯蓄金融機関を中心とする市場が住宅金融を軸として存在していたことを示し、「住宅金融のニューディール型システム」がそのような分散的市場構造を維持するものであったことも明らかにし、さらに1990年代にその「ニューディール型システム」が崩壊して貯蓄金融機関が商業銀行のネットワークに組み込まれるという歴史的なダイナミクスを描き出している。

 第2に、1960年末以降に経済環境が変化する中でそのような市場構造が行き詰まって構造変化する過程を、住宅金融を支えていた公的メカニズムの再編を絡めて解明し、また、そのような公的メカニズムにアメリカ型福祉国家の特質を見出している。通常の日本のおける理解では、金融自由化や金融革新として市場に任せる度合いが強まる方向で理解される「証券化」の傾向が、実際には、連邦政府の関係諸機関による重層的な保証や流動性付与のメカニズムに支えられるというように、金融自由化はその背後における公的部門によるリスク・プール機能の拡大と平行して進められるという側面も存在したのである。

 第3に、長年にわたるこの分野に関する実証研究の成果であることが随所に現れており、丹念な議会資料・一次資料の処理、現地でのインタビューなどに裏打ちされた網羅的な実証は極めて信頼性が高く、この分野についての日本における実証研究の水準を大きく引上げたと評価しうる。

 最後に、近年日本においても日本型の福祉国家の重要な一環であった住宅関連の公的メカニズムの廃止・縮小・再編が議論され、その際の一つの有力なモデルとしてアメリカにおける公的メカニズムの再編が取り上げられるが、本論文はまさにその分野についての初めての本格的学問研究である。ともすれば、イメージ的なアメリカ・モデルの紹介に依拠する議論・提案がありがちな状況に対して、地道な実証研究をベースとする学問的分析の成果が示されることになり、その社会的な貢献度も大きいといえよう。

 しかしながら、本論文にもいくつかの問題点があることは指摘しておかなければならない。

 第1に、前半の3つの章における住宅金融システムの再編の問題と、後半の3つの章における貯蓄金融機関が衰退する過程の論理的なつながりの説明が不明確である。文中のいくつかの記述に見られるように、住宅金融システムの再編が進む根本的な要因が、1960年代後半以降のインフレの激化と、それに伴って金融証券市場におけるボラティリティの高まりによって、従来の地域的な資金循環をベースとする貯蓄金融機関が対応できなくなったことであったという認識があったのであるから、その根本的な要因を明示的に活かす論理構成にすれば、より明確な筋道を示すことができたであろうと惜しまれる。

 第2に、公的扶助や年金という所得再配分効果の見えやすい分野とは異なって、住宅を購入する階層のための金融的リスク・プールの仕組みを公的に支えるというメカニズムを福祉国家の一環と位置付けて考察するのであるから、福祉国家の定義をめぐるさらに掘り下げた議論が必要であったといえよう。

 第3に、「金融革新」、「金融革命」の過程で登場する金融商品・技術の仕組みの説明において難解なところがあり、註などのスペースを活用して補足的に平易な説明があると全体の理解のためにも有効であろう。

 以上のような問題点は残すものの、それらはいずれも、本論文に対する先の高い評価を否定しうるものではなく、また、これらの問題点は井村氏自身によって克服されることは十分に期待されうる。また、本論文はアメリカ住宅金融システム分野についての日本における初めての本格的な研究と評価されうる。

 以上により、審査員は全員一致で本論文を経済学博士の学位を授与するにふさわしい水準にあると認定した。

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