学位論文要旨



No 215195
著者(漢字) 柴田,治郎
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,ジロウ
標題(和) 合成レチノイドの抗癌剤への開発 : TAC−101の抗癌作用の発見とその作用機序に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 215195
報告番号 乙15195
学位授与日 2001.11.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15195号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
 東京大学 助教授 影近,弘之
 東京大学 助教授 長澤,和夫
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 癌は日本人の死亡原因の最上位にあり、年々、罹患率・死亡率とも上昇している。2015年には死亡者数が40万人を超えると予想され、その制圧は日本人の健康上の最重要課題である。現在の癌の治療は外科的、放射線および内科的治療に分類され、何れも癌の完治を狙うものである。しかしながら、外科的な完全治癒切除は困難であり、数年後に転移あるいは再発を引き起こすことも多い。抗癌剤による内科的治療は外科切除後の補助療法としても使用され、一部の癌では転移の抑制効果等を示し、患者の予後を改善する。近年、血管新生阻害、転移抑制等の新たな内科的治療法が開発され、癌の完全な除去を目的とするのではなく、癌との共存を可能とする、いわゆる"Tumor dormancy"の概念が提唱され、癌患者の実質的な生存に寄与する事が期待されている。

 レチノイドとは生物の発生や分化の過程に必須なビタミンA酸、およびその類縁化合物もしくはその生理活性を有する化合物の総称である。1988年にall-trans-retinoic acid (ATRA)が急性前骨髄性白血病の患者に対して90%以上の奏効率を示すことが報告され、レチノイドの抗癌剤としての有用性が初めて示された。また、近年のレチノイド及びRARαに関する分子作用機構研究の急速な進歩は、合成レチノイドが抗癌剤として開発可能であることを示唆しており、基礎的にはレチノイドが効果を示す固形癌が認められている。

 こうした背景をふまえ、癌治療に貢献する有効なレチノイドを開発すべく研究を開始した。

【化合物の選択】

 ATRAを始めすべてのレチノイドはRAR (retinoic acid receptor)に結合して作用を発揮する。RARはリガンド依存的な転写調節因子であり、核内レセプタースーパーファミリーの一員である。RARは、同じく核内レセプタースーパーファミリーの一員であり9-cis-retinoic acidをリガンドとするRXR (retinoid X receptor)とヘテロダイマーを形成して機能するが、その転写調節能の発揮には、リガンド依存的なコリプレッサーの解離とそれに引き続くコアクチベーターの結合が必須であることがわかっている。

 以上のことを鑑み、多数知られている合成レチノイドの中から、脂溶性官能基部分が特徴的なレチノイドであるTAC-101、Am55S及びRe80を選択し、癌に対する抗転移効果ならびに安全性を評価し、RARαに選択的かつ高い親和性を有するレチノ安息香酸、TAC-101(4-[[[3,5-bis(trimethylsilyl)phenyl]carbonyl]amino]benzoic acid)をとりあげた。TAC-101は脂溶性官能基として2つのトリメチルシリル基を持つ点で構造が特異的であり、RARαから離脱するコリプレッサーならびに結合するコアクチベーターの選別においてATRAとは異なる特徴を発揮する可能性があると考えた。

【病態モデルの構築と活性評価】

 癌が悪性である理由は癌細胞の無秩序な増殖能とともにその転移能にある。なかでも肝臓は消化器癌、肺癌の転移先となり易い臓器である。加えて、肝臓はビタミンAの貯蔵臓器でありレチノイドが分布しやすいと考えられる。そこで、TAC-101の抗癌剤への開発戦略に当たり、TAC-101の消化器癌及び肺癌の肝転移癌に対する抗癌効果を検討すべきと考えた。まず標的とする活性を評価するための新たな実験的な肝転移モデルを作製した。この病態モデルは転移の過程を一部再現していることから、薬剤の臨床での効果を反映できるものと考えられた。本病態モデルでは、癌細胞を移植した動物の肝臓に無数の転移結節が認められ、動物は約40日で死亡した。

 ヒト肺癌細胞株A549の実験肝転移モデルにおいて、TAC-101は有意な延命効果を示した。一方ATRA及び肺癌の標準的な治療薬であるCDDP(シスプラチン)の延命効果は低いものであった。ヒト胃癌細胞株TMK-1を移植した実験肝転移モデルにおいては、TAC-101では有意な延命効果が認められたが、ATRA、胃癌の治療のために臨床で使用されている5−フルオロウラシル投与群は対照群に対して有意差を認めなかった(表)。

また、肺癌は古くからビタミンAの摂取量との関連が指摘されていた癌の1つで、レチノイドによる治療効果が期待されている。実際、TAC-101は肺癌細胞株A549の肝転移に効果を示した。そこで、TAC-101の肺癌原発巣に対する効果を検討するために肺癌モデルを作製し、検討した。本病態モデルにおいて、TAC-101は有意な延命効果を示した。一方、ATRA及びCDDPでは有意な効果は認められなかった。

 以上から、TAC-101は癌の肝転移に対して既存の抗癌剤では得られない優れた肝転移抑制効果を示し、肺癌原発に対しても延命効果を発揮し得ることが示唆された。

【作用機序に関する基礎的研究】

 TAC-101が実験肝転移モデルにおいて優れた抗転移効果を示したことから、in vitroでの癌細胞の浸潤抑制作用を検討した。実験に使用した濃度ではTAC-101及びATRAはヒト肺癌細胞のviabilityに無影響であった。しかし、TAC-101は1μM以上で有意にこれらの細胞の浸潤を抑制した。

 癌が転移巣を形成するためには転移先での増殖のために新生血管を誘導する必要がある。そこで、TAC-101の転移抑制における血管新生阻害の関与をDorsal Air Sac法を用いて検討した。TAC-101投与群で用量依存的な強力な血管新生抑制効果が認められた。また、皮下にAZ521を移植したヌードマウスに、TAC-101及びATRA 8mg/kgを連日投与した後、腫瘍内の血管数を計測したところ、TAC-101で明らかに血管数が抑制されていた。

癌細胞の転移浸潤にはuPA (urokinase type plasminogen activator)やuPAR (urokinase type plasminogen activator receptor)等、血管新生にはVEGF (Vascular Endothelial Growth Factor)やb-FGF (basic-Fibroblast Growth Factor)等の様々な因子の関与が考えられている。これらの因子の発現は転写因子であるAP-1に制御されるとの報告があることから、AP-1に対するTAC-101の作用を、ゲルシフトアッセイにより検討した。TAC-101はTMK-1の核抽出蛋白とAP-1結合配列を含むオリゴヌクレオチドとの複合体の形成を3〜30μMの範囲で濃度依存的に阻害した。即ち、TAC-101の浸潤抑制作用、血管新生阻害作用の一部は、AP-1を介した転写調節の阻害にあると考えられた。

また、レチノイドはin vitroにおいてアポトーシスを誘導することが知られている。そこでTAC-101のアポトーシス誘導能を検討した。TMK-1に対してTAC-101では10μMからすでにDNAの断片化が検出された。ATRAでは40μMでのみ、DNAの断片化が認められた。TAC-101の誘導するアポトーシスはカスパーゼ阻害剤によって阻害されたため、TAC-101によるアポトーシス誘導はカスパーゼの活性化に関与している可能性が示唆された。

 以上のin vitroで認められた現象がin vivoにおいても成立しうることを確認すべく、TAC-101の薬効用量における血中動態を検討した。TAC-101の8mg/kgをヌードマウスに単回投与し、経時的に採血して血中濃度をHPLCにて測定した。TAC-101の血中最高到達濃度は約20μMに達し、8時間以上にわたり3μM以上の濃度が維持された。この結果は、TAC-101はアポトーシス誘導に必要な10μM、浸潤阻害に必要な3μMの濃度をin vivoにおいても十分に達成できることを示唆する。

 以上の結果から、TAC-101の抗癌剤としての有効性が期待でき、現在、米国において臨床試験を進めている。第(I)相試験において肺癌の肺縦隔リンパ節転移の患者で完全寛解(CR)が1例認められた。肺癌の転移巣でCRが認められたことならびに基礎研究の結果から、肺癌及び肝転移癌を対象に第(II)相試験を計画している。

【総括】

 レチノイドを抗癌剤として開発すべく研究を遂行し、TAC-101の抗癌作用、特に転移癌に対する効果を見出すことに成功した。加えてその作用機序の一端を解明した。癌が転移するためには、原発巣からの癌細胞の離脱、組織間移動、血流への進入および脱出、浸潤、転移性癌の形成、その増殖に必要な栄養を供給するための血管新生が必要である。本研究で構築した実験肝転移モデルにおいては、転移過程の内、癌細胞の血流外への脱出、浸潤ならびに再増殖、腫瘍への血管誘導が再現されている。その過程の中で、TAC-101が浸潤および血管新生を抑制することを示した。浸潤にはuPA、uPAR等、血管新生にはVEGFやb-FGFなどの関与が示唆されている。これらの遺伝子のプロモーター領域にはTPA応答配列(TRE)が存在し、癌やその周辺組織での過剰発現も報告されている。TREにはAP-1が結合して遺伝子発現を調節しているが、TAC-101はAP-1のTREへの結合を阻害して遺伝子発現を抑制し、浸潤や血管新生を阻害していると考えられる。また、TAC-101は癌細胞に対しアポトーシスを誘導することを見いだした。故に、原発巣から離脱した癌細胞が血流中でTAC-101によりアポトーシスが誘導され、血流内での増殖や転移腫瘍の形成が抑制される可能性も考えられる(図)。

 癌は発生部位で増殖し、さらに多くの場合、転移して遠隔部位で再び癌を形成することにより患者を死に至らしめる。この転移の複数の段階にはAP-1に制御される遺伝子群の発現が関与するが、その発現をTAC-101はRARを介して特異的に抑制する。RARを介したシグナルを制御するTAC-101をはじめとするレチノイドに、ヒトの死亡原因として増加しつつある癌の新たな治療薬となる可能性がある。

 本研究成果は、TAC-101をはじめとするレチノイドをさらに改良することで、副作用の強い既存の抗癌剤とは異なる、患者の生活の質を低下させることなく癌を治療しうる抗癌剤の開発が可能であことを示唆するとともに、合成レチノイドの開発戦略に対して一つの解答例を与えたものであると考える。

実験肝転移に対するTAC-101の延命効果

癌転移のメカニズム(模式図)と合成レチノイド(TAC-101)の作用点

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、合成レチノイドTAC-101の抗癌剤としての応用開発に関するものである。TAC-101は、現在米国でレチノイドとしては初めて、固形癌に対する臨床第II相試験が準備されている。本論文の重要なポイントは、

(1)多数の合成レチノイドからの、開発に導入する候補化合物の選択、

(2)真に臨床を反映する、活性評価方法の確立、

(3)今後のレチノイド開発の指針となる、作用機序の解明に関する基礎的研究、の3点である。これらをクリアーすることにより、新しい作用様式を持つ抗癌レチノイド剤開発の成功例を見事に提示したものである。

 第(1)項については、集積した数々のレチノイドに関する分子生物学的知見の総合的考察から、分子内疎水性官能基として2つのトリメチルシリル基を有する、構造的にユニークな合成レチノイド、TAC-101、を選択することによって本研究を成功に導いている。

 第(2)項に関する部分は本研究において最も重要な位置を占める。そもそもレチノイドの制癌作用は、既存の抗癌剤とは異なる作用様式によるため、既存の制癌試験にて効力を確認できるものではない。従って、いかにTAC-101の臨床における有効性をデータとして引き出せたか、が重要である。柴田は、ヒトの臨床を反映する試験法の確立を目指し、未だ化学療法の適応がない肝癌及び増加しつつある肺癌に焦点を当て、「実験的肝転移モデル」及び「肺癌原発モデル」の2種の病態モデルを確立し、抗癌剤の一般的スクリーニング法としての有用性を実証した。

 実験的肝転移モデルは、マウス脾臓にヒト培養癌細胞を移植して肝転移を生じせしめるモデルであり、原発性腫瘍の影響を排除するために当該の脾臓を摘出する事によって完成する。肺癌原発モデルは、マウス尾静脈よりヒト培養肺癌細胞を移植し、同所である肺に癌を生じせしめることによって完成する。いずれのモデルも延命効果にて化合物の評価を実施する点がユニークかつ本質的であり、これらのモデル系の確立は、それ自体、学位に値する重要な研究成果である。

 TAC-101はこれらのモデルにおいて、シスプラチンや5−フルオロウラシル等の既存の抗癌剤に遙かに勝る延命効果を示し、抗癌剤としての有効性が強く期待された。本結果を基にTAC-101は米国にて臨床試験が進行し、第I相試験において肺癌の肺縦隔リンパ節転移の患者で完全寛解が1例認められ、第II相試験に入りつつある。

 第(3)項に関しては、複数の明確な作用を解析して今後のレチノイドもしくは関連する抗癌剤開発の指標となる知見を提示している。

 その第一は、TAC-101の強力な癌細胞浸潤阻害作用の発見であり、本作用は既知のレチノイドであるATRAと本剤の生物作用の違い、すなわち固形癌に対する有効性、中でも転移抑制活性を説明する主要な因子の一つである。

 第二は、TAC-101の強力な血管新生阻害作用である。本過程においては、TAC-101が核内レセプターRARを介して転写調節因子AP-1の当該応答配列TREへの結合を阻害して特異的な遺伝子の発現を制御する分子機構を提示している。

 そして第三に、TAC-101が癌細胞に対してアポトーシスを強力に誘導することを見いだしている。このことによって原発巣から離脱した癌細胞の血流中での増殖や転移腫瘍の形成が本剤により抑制される可能性を提示した。アポトーシスに関しては、各種阻害剤を用いた検討により、カスパーゼを介する経路をTAC-101が誘導することが示唆されている。

 以上の研究は、固形癌に有効な合成レチノイドの開発の成功例であるにとどまらず、新たな作用様式を有する抗癌剤の開発戦略におけるモデルケースを提示するものである。過程において確立された各種病態モデルは、ヒトの臨床を反映する評価方法として有用であり、今後の新規抗癌剤開発研究に貢献するものである。

 よって本研究は、医薬化学、創薬化学、薬理学、癌病理学の発展に大きく寄与するものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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