学位論文要旨



No 215202
著者(漢字) 志水,宏吉
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,コウキチ
標題(和) 日英学校文化の社会学的探求 : 中学校とコンプリヘンシブ・スクールの比較から
標題(洋)
報告番号 215202
報告番号 乙15202
学位授与日 2001.12.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第15202号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 藤田,英典
 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 近藤,邦夫
 東京大学 教授 浦野,東洋一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の課題は、「わが国の中学校とイギリスのコンプリヘンシブ・スクールという2つの中等教育機関で展開されている教育的活動とその背後にある教育の論理を、フィールドワークによって入手したファーストハンドなデータをもとにして、比較社会学的な観点から整理・記述すること」である。その作業を通じて、現代の学校文化の構造とその変化の様態を個別具体的なレベルで理解すること、そしてそこから、学校社会学という学問領域に対する理論的インプリケーションを導きだすことが、本論文の目標となる。

 まず、本論文の構成について述べておく。

 本論文は、7章構成をとっている。序章では、問題の設定、キーコンセプトの検討、および研究対象と方法の紹介を行う。つづく第1章では、中学校とコンプリヘンシブ・スクールの成立と制度的展開の過程をあとづける。これはいわば、「学校文化の起源」に相当する部分である。

 続く第2章・第3章では、中学校とコンプリヘンシブ・スクールの「学校文化の構造」を扱う。まず、第2章において、中学校の学校文化を考察する。その際の鍵となるのが、「指導」という概念である。第3章では、前章の作業をふまえ、比較の観点から、コンプリヘンシブ・スクールの学校文化に接近を図る。

 ここまでが、第I部「学校文化の構造」であるが、第II部「学校文化の変容」では、前半で検討した両国の学校文化の変化の方向性を探る。具体的には、変化をもたらす要因を「システム内的なもの」(4章)と「システム外的なもの」(5章)とに分け、それぞれの要因によって、いかなる変化が生じつつあるのかについて検討を加える。

 最後の終章では、それまでの分析をふまえて、わが国の中学校文化を理解するうえでの鍵となる「指導」概念の変容について、総括的な議論を展開する。

 次に、各章の内容を要約する。

 序章では、冒頭に掲げた本論文の課題・目標を述べたのちに、鍵概念となる「学校文化」について、活動レベルでの、日英の中等学校の教師たちに見られる「フォークウェイズ」から、そこから抽出される、目には見えないが彼らの行為を大きく規定する「教育のエートス」へといたるもの、と捉える視点を提示した。そして、先行研究を「文化的再生産論」「日本の学校社会学」「外国人による日本の学校研究」「新しい教育社会学」「政策社会学的研究」という5つの見出しのもとに整理したうえで、本研究のベースとなったフィールド調査の概略を述べ、さらに本論文の方法的特色をなす「解釈的アプローチ」と「比較」という2つのトピックについての解説を行った。

 第1章では、中学校とコンプリヘンシブ・スクールの歴史的展開の過程を跡づけた上で、両者の制度・組織的な共通性と相違点について考察を加えた。まず、両者の共通点については、(1)差別的な中等教育の撤廃と民主的・統一的な中等学校の創出という世界史の流れに即して誕生したものであること、(2)いちはやく単線型の学校システムを所有するにいたったアメリカ合衆国の「ハイスクール」をモデルとして形成されたものであること、の2点を抽出した。

 一方、両者の相違点として、以下の3点を指摘した。すなわち、(1)日本の中学校が敗戦にともなう「外圧」により一挙に成立したのに対して、イギリスのコンプリヘンシブ・スクールは数十年にわたる政治的かけひきのなかで段階的に整備されていったこと、(2) 3年制の前期中等教育機関である中学校に対して、コンプリヘンシブ・スクールは、通常6年ないしは7年の課程をもつ(義務教育部分は3年ないし4年)中等学校であること、(3)中学校の制度的な位置づけが半世紀以上にわたって不変であるのに対して、コンプリヘンシブ・スクールの制度的位置づけは、時代によってかなりの変化を示していること。

 第2章では、わが国の中学校の学校文化を、南中という特定の中学校におけるフィールドワークをもとに、「指導」という用語をキーワードとして描き出した。中学校教育の内実は、学習指導・生徒指導・進路指導という、3つの指導領域の複合体として把握することができる。

 学習指導に関しては、その実体をなす日々の「授業」が、「定期テスト」という装置を通して「成績」を生みだし、それが「学力」として流通していく過程をたどった。そこには、生徒たちの「能力」要因と「努力」要因とがかかわっているが、教師がより重視するのは後者の「努力」の方であった。生徒指導については、「取り締まり」としての「消極的な生徒指導」とホームルームや部活動、あるいは学校行事において追求される「積極的な生徒指導」の2つに分けて検討した。そして、両者を貫くように南中で展開されている特徴的な指導のあり方を、「つながる指導」と名づけた。これは、生徒との信頼関係の構築を、もっとも大事なものと考える指導のあり方である。そして、輪切りや進路の機械的振り分けと批判されることの多い進路指導に関しては、南中では「逆トーナメント型指導」と名づけられるような丹念な指導のプロセスが見られた。それは、「力がないとされた者をできるかぎり押し上げてやる」ことを目的とする指導である。こうした方針のもとでは、教師が個々の生徒に注ぐエネルギーの量は、彼の成績にほぼ反比例したものとなっていた。

 総括的に言うならば、南中では、生徒たちの人格的な成長が、集団内での切磋琢磨を通して達成されると考えられていた。そして、学力の形成といったものも、人間的成長と手を携えてこそ意味があるとされていた。そうしたなかで、教師の役割なるものも、単なる認知的発達の援助者ではなく、進路指導の局面に典型的に見られるように、生徒の全人格的な成長を助ける指導者としての側面が強調されていたのである。

 第3章では、イギリスのコンプリヘンシブ・スクールの学校文化を、リトルレイクというコンプリヘンシブ・スクールにおけるフィールドワークにもとづいて叙述した。イギリスでは、日本の中学校における「指導」といった、教師の教育活動を包括的に位置づけるような用語は存在しなかった。学習指導・生徒指導・進路指導に相当する活動領域は、それぞれ「ティーチング」・「パストラル・ケア」・「キャリア・ガイダンス」という言葉で表現され、それぞれが個別的に校内で展開されていた。

 ティーチングにおいては、個別化された作業中心の授業が多いことが目についた。また、混合能力編成を基本としつつも、学年が上がると能力別編成も適宜とられていた。さらに、中学校には見られない特徴として、各種のサポート教師の存在、および職業教育の重視といった側面が目をひいた。パストラル・ケアの局面では、教師生徒関係が、わが国のそれに比べると距離感のあるものであり、校内のルールとサンクション・システムにもとづく、ドライな生徒指導が展開されていたこと、また、日本では大きな教育的意味を付与されている学校行事はあまり数が多くなく、内容も娯楽的色彩の強いものであることが見出された。さらに、キャリア・ガイダンスの特徴としては、第一にそれが学級担任ではなく、キャリア担当教師と市から派遣されている職員という専門スタッフによって担われていること、第二に彼らの役割は、あくまでも進路意識の啓発や情報提供に限定されていること等が明らかになった。

 以上に見られるような教育活動の性質の違いを生み出すものとして、章末に両国の対照的な「教育のエートス」を4組の対として取り出しておいた。すなわち、「標準主義」(日)対「個性主義」(英、以下同様)、「努力主義」対「能力主義」、「競争主義」対「達成主義」、「全人主義」対「限定主義」の4つである。

 第4章では、学校文化に変化をもたらしうるシステム内的要因のひとつとして、「マイノリティー生徒の存在」を取り上げた。まず、マイノリティーヘの制度的対応については、イギリスのセクション11教師が、近年の教育改革の動向のもとで、その数が大幅に削減され、その任務も英語習得のサポートに限定されるようになってきているのに対して、日本の同和加配教員も、不登校加配やTT加配といった新しいタイプの加配教員が急増しているなかで、現象傾向にはあるが、校内ではイギリスとは対照的に、「うすめ」要員に使われるケースが多いことが判明した。

 次に、学校文化へのインパクトについて見ると、イギリスでは、60年代以降のエスニック・マイノリティーの増大は、「個人のニーズに合わせたサポート」を旨とするその学校文化に、順接されていったと見ることができるのに対して、南中における同和地区生徒の存在も、「しんどい子にほど手をかける」という公立中学の文化を強調させる役割を果たしてきたと見ることができる。ただしそれは、彼らを固有の社会集団として特別に処遇するというよりは、彼らの存在をテコとしながら生徒集団全体に対しての働きかけを改善していくという筋道を通してであった。そこに、マイノリティーの固有のニーズに限定的に応えていこうとするイギリス的なスタンスとの顕著な差異を見出すことができる。

 第5章では、学校文化に変化をもたらしうるシステム外的要因の代表的なものとして「教育改革」を取り上げ、近年の両国の改革動向を見たあと、カリキュラム面での改革に焦点をしぼって、それが学校現場に及ぼしつつあるインパクトについて考察を加えた。

 「教育の中央集権化」と「市場原理・競争原理の導入」を眼目とするイギリスのドラスティックな教育改革が志向しているのは、集権化された教育行政の、統一的な枠組みの中に納まった学校間や個人間を競い合わせることによって、システム全体のパフォーマンスをあげることに他ならない。それは、「教育の日本化」とでも呼びうる方向性である。それとは対照的に、わが国では、教育システムを分権的かつ多様性に富んだものに作りかえ、個々の学校が自主的に教育を組織・運営でき、生徒たちも自己の個性や創造性を十分に発揮できるような仕組みにしていこうというレトリックのもとに、改革が行われようとしている。

 両者の改革の学校現場へのインパクトは対照的なものであった。まずイギリスでは、新しく導入されたナショナル・カリキュラムは、大きなインパクトをコンプリヘンシブ・スクールに及ぼしていた。すなわち、1970年代末に完成をみた「制度としてのコンプリヘンシブ・スクールと校内組織としての混合能力編成」というイギリスの中等教育の基本形が大きな崩れを見せはじめ、日本の高校階層にも似た、競争的な序列構造が形成されようとしていたのである。他方、日本の中学校に導入されようとしている選択授業に対する教師たちの評価は、一部の推進派教員を除けば、概してネガティブなものにとどまっていた。そうした声は、伝統的な学校文化のなかにドップリと浸かった中学校教師たちの保守性を物語る「本音」を表していると見ることができよう。

 終章では、指導という語が、戦後改革期にわが国の教育現場に急速に根を下ろしていった事情をたどったのちに、近年の改革動向が、果たして中学校における指導のありように根本的な修正を迫ることになるのかという点について、仮説的な考察を展開した。

 近年の改革のイデオロギーは、例えば「指導から支援へ」というスローガンに典型的に示されている。中学校における進路指導が、教師主導の振り分け的な色彩の強いものから、生徒や親たちの希望を最大限に取り入れたものに様変わりを見せつつあるように、生徒数の減少という人口動態的な要因とあいまって、そうしたイデオロギーレベルでの重点のシフトは、従来の「指導」のあり方に少なからぬ影響を及ぼしはじめている。ここで「逆トーナメント型指導」と名づけたものが、実質的な変容を遂げるかどうかを確定するためには、さらなるエスノグラフィックな研究の蓄積が必要となるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、イギリスのコンプリヘンシブ・スクールと日本の中学校における教育活動とその教育活動を構成する原理を、エスノグラフィーの手法による集約的かつ継続的な観察と記述によって分析し、イギリスと日本の学校文化の比較社会学的な考察を行っている。

 第一部「学校文化の構造」においては、日本の中学校とイギリスのコンプリヘンシブ・スクールの歴史的経緯を比較した上で(第1章)、兵庫県尼崎市の公立中学校における参与観察(1987年−1989年)による考察(第2章)とコヴェントリー市のコンプリヘンシブ・スクールにおける参与観察(1991年−1992年)による考察(第3章)が展開され、日本とイギリスの前期中等教育における学校文化が教師の教育活動の構造と機能に焦点化して比較検討されている。この第一部では、中学校の学習指導、生徒指導、進路指導とコンプリヘンシブ・スクールにおけるティーチング、パストラル・ケア、キャリア・ガイダンスの三つの教育機能を相互に比較検討することによって、「標準主義」対「個性主義」、「努力主義」対「能力主義」、「競争主義」対「達成主義」、「全人主義」対「限定主義」という教師の教育活動を支えるエートスの差異とその葛藤の様態を抽出している。さらに、日本の中学校においては、学習指導と生徒指導と進路指導という三つの教育活動が「指導」という特有の概念によって統合されている点、および、成績の劣る生徒ほど教師が多大なエネルギーを注ぐ「逆トーナメント型」の教育活動が行われている点が日本の学校文化の特徴として提示されている。

 第2部「学校文化の変容」では、1990年代半ば以降におけるイギリスと日本における学校文化の変容が、システム内的要因としてのマイノリティー・グループによる変容(第4章)、システム外的要因としての教育改革の政策による変容(第5章)に焦点化して比較されている。マイノリティーヘの対応においては、生徒集団全体への指導を展開する日本の中学校と、マイノリティー固有のニーズに限定的に応えるイギリスのコンプリヘンシブ・スクールの差異が指摘され、教育改革のインパクトにおいては、コンプリヘンシブ・スクールにおける脱総合化と競争原理の導入、中学校における選択授業の導入に対する教師の戸惑いが描出されて、両国の学校文化の構造が揺らぎ変動する様態が叙述されている。そして日本の中学校教師のエートスが「指導から支援へ」と推移することによって(第6章)、学校文化における教育機能と選抜機能における構造的変化が叙述されている。

 以上のように、本研究は、イギリスと日本の前期中等教育の静態と動態を集約的で精緻な調査と継続的で包括的な調査を統合して描出し、両国の学校文化の比較社会学的考察による多くの知見を提示するとともに、中等教育の実態の認識と改革の政策に貴重な示唆を提供している。よって、本論文は博士(教育学)の学位を授与するにふさわしいものと判断された。

UTokyo Repositoryリンク