学位論文要旨



No 215207
著者(漢字) 曽我,巌
著者(英字)
著者(カナ) ソガ,イワオ
標題(和) 有機−無機複合系からなる情報電子部材の研究開発
標題(洋)
報告番号 215207
報告番号 乙15207
学位授与日 2001.12.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15207号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は有機−無機複合系からなる情報電子部材の研究開発における界面科学・構造解析からの取り組みを総括したものである。具体的な開発対象としては、無機物としての機能性粉体が有機物である高分子バインダーに分散された有機−無機複合体を、分散塗料化・塗布の工程により形成する部材を主な検討対象としている。このような部材の機能・特性向上のためは有機−無機複合体を特徴づけるミクロ界面、マクロ構造の把握と制御が必要であり、それらの実現を通じて開発対象である部材の総合的な特性向上を達成することが本論文の目的の一つである。また、ミクロ界面、マクロ構造の測定法と制御法、及びそれらに基づいた有機−無機複合部材の開発手法は汎用化しうるものであり、手法の確立を通じて技術の向上を図るのが別の目的である。

 情報電子部材においても有機−無機複合体の存在には事欠かない。半導体デバイスにおいてもエポキシ樹脂に無機粉体を分散したパッケージ用封止剤が素子を密封することにより初めて実用製品となる。また液晶ディスプレイ、インクジェットプリンター用インク、レーザープリンター用トナー、コピードラム、ハードディスク、磁気記録テープ、電池などにおいても有機−無機界面が重要な役割を担っている。これらの中でインク、トナー、磁気記録テープ、電池などにおいては性能の発現素子としての無機粉体が高分子マトリックス中に分散された塗料、あるいはそれを乾燥した塗膜として利用される。これらの製品の性能は塗料の段階での粉体の分散性、塗膜の段階での粉体の高次構造、膜強度、接着性などによって大きく左右される。

 従って製品開発において有機−無機のミクロ界面、マクロ構造が重要であることは自明であり、その重要性はこれまでにも十分認識されていた。しかし高分子−固体界面の科学的研究に見るように膨大な基礎検討がなされている一方で、応用製品の開発手法は経験則に基づいた試行錯誤に依存した面が多分にある。また基礎検討の結果から予想される特性が製品レベルでは実現されないケースがしばしば出現する。これらの事実は界面・構造に対する検討が依然必要であるとともに、基礎研究の成果を実生産に適用する際には一層の工夫が必要であることを意味している。基礎と応用の乖離の一因は系の違いにある。実生産に使用される工業グレードの原料は、特に粉体、高分子の場合、その特性が極めて多分散である。粉体を例にとると粒径、比表面積、表面性は幅広い分布を持つとともに、原料Lotによる差異や保管中における水分の吸着など様々な変動因子を含む。そのため基礎研究に立脚した検討結果は正しい方向性を示しているが、組成の決定には不十分であるとともに再現性が問題になりやすい。さらに実際の製品においては様々な要求特性を満たすため、通常多数の成分を混入する。そのため一部の実原料に対して基礎検討を実施してもその結果は製品の特性に反映されない場合がしばしば生じる。

 このような状況下においては経験則による試行錯誤の方が結果として早く開発の目的を達成できる場合が多かった。しかし製品の高度化、開発期間の短縮化に伴い、開発に対する要求水準は年々高まっている。経験則による検討の範囲内に満足できる水準の解が存在せず、絞り込みが不十分であったり大幅に異なる系の採用が必要であったりする状況は今後ますます増加すると思われる。従って多分散・混合系である実用製品の状況をふまえた上で、界面科学等の基礎検討の知見を開発に適用していくことが必要である。

 本論文においては上記観点から有機−無機複合体におけるミクロ界面、マクロ構造の基礎検討を実施するとともに、製品開発へ適用できる形に展開させた。またその結果に基づき製品の特性向上、新規開発を実現した。中心となる技術は、塗料において粉体の分散性を支配する因子となる溶液中における粉体への高分子の吸着と、塗膜において特性の発現に直結する塗膜構造の評価、設計である。

 基礎検討としては高分子の固体表面に対する吸着挙動を中心に検討をおこなった。固体表面に対する高分子の吸着挙動は詳しく調べられているが、本論文ではこれまでの検討が少ない高分子が不足している系(starved系)の吸着層の構造、吸着層の構造変化のkinetics、せん断場が加わった場合の変化を主な検討対象としている。これらの因子は平衡系ではないが、実際の製造・製品においては存在し、基本挙動を把握しておく必要がある項目である。吸着の測定においてはFT-IRによる全反射吸収(ATR)法を主として使用した。これはATR結晶上に対する溶液中からの高分子吸着を測定する手法であり、赤外吸収法による官能基の分離測定、偏光測定による配向の評価などが可能であるとともに、in situの時間変化測定が可能であるという利点を持つ。特に配向測定は従来の高分子吸着検討がスカラー量を測定しているのに対し、ベクトル情報を与えるものであり吸着層の構造に対して別の視点からの解析を可能とする。これらの検討の結果、starved系においては吸着高分子鎖は表面に拡がった構造をとるが、広がりは完全ではなく局所化している可能性が測定された。これは吸着高分子層の緩和が極めて遅いことに由来する準安定状態であると考えられるが、配合、プロセスの工夫により表面構造を制御できる可能性があることを意味する。吸着層の時間変化においては、層内緩和が生じていることが示唆された。流れ場に対する挙動の評価においては、新規の測定系を構築し吸着層の流れの下における配向変化を評価した。吸着力が強く分子量が高い系では流れ方向への配向は観測されず、流れに対して高分子吸着層は安定であるとの結果を得た。別にμmオーダーの微小間隔を持つ平行基板間においてせん断応答、配向を測定するシステムを構築し液晶分子の挙動を評価した。

 製品開発としては塗布型磁気記録媒体とリチウムポリマー電池を対象としている。いずれの製品においても基本機能を担う無機物粉体が高分子バインダー中に分散、保持された構造をとっている。また製造過程においては一旦、粉体を高分子溶液中に分散、塗料化し、これを基材上に塗布、乾燥することにより塗膜を形成する点が共通している。従って製造工程や製品特性に対して、粉体の分散状態や塗膜構造が重要な要素となる。

 磁気記録媒体の開発検討においては磁性粉の分散性向上が大きな課題となる。これに対し粉体−高分子−溶剤3成分系の相互作用の観点から高分子吸着の検討をおこない粉体の表面処理、高分子への極性基導入等により吸着量を制御できることを示した。吸着量は基本的には向上させることが好ましいが、今後の展開としては目的とする量へ制御することが必要になると考えられる。更に実製品への適用性を高めるため、極性基入り高分子の多分散性が吸着に与える影響を検討した。また実際の製品が多成分の混合系であることに対応して、3成分系の相互作用を拡張した4成分系による競争・置換吸着の測定をおこなうとともに、磁性粉以外の粉体、潤滑剤などの吸着、塗膜中分配挙動に関して考察した。その結果、分散性向上に伴う耐久性低下の機構を明らかにし総合特性の向上を実現した。塗膜の構造に対しては配合量が与える影響を検討するとともに、ガス吸着、X線散乱など従来塗膜の構造解析では用いられなかった評価法を導入し、新規な視点から構造解析をおこなうことを可能とした。

 リチウムポリマー電池の開発検討においては、提案された電池構成の特性、生産性の低さが主な課題であった。これに対して界面・塗膜構造からの検討をおこない、主な問題は塗膜構造の脆弱さと集電体界面への接着性の低さにあることを明らかにした。これを解決するためにプロセスも含めた総合的観点から塗膜構造の検証をおこない、機能・プロセスを分離した含浸法リチウムポリマー電池を新規に開発することにより実用レベルのポリマー電池を完成させた。

 本論文で示すように、製品、生産レベルで生じうる現象を把握した上で界面・構造に対する基礎的な検討をおこない、これを個別の製品に合わせた形に展開して適用すれば、多分散、混合系においても基本特性の変化挙動がより正確に把握されるようになり、開発の方向性の検証と迅速化を図ることができる。さらにこれらを制御するという視点で開発をおこなうことにより、特性の向上や新機能の付与を実現することができる。また、これらの目的のために新たに開発された評価手法は粉体分散系の開発において幅広く適用できるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 現在の情報電子産業を支えているハードウェアの重要な部材の一つに、有機−無機複合部材がある。電池の電極は活物質粉体を高分子バインダーに分散した複合体からなり、半導体デバイスにおいてもエポキシ樹脂に無機粉体を分散した封止剤が使用されている。またプリンター用のトナーやインクは複合部材そのものである。これら複合体においては、ミクロな界面とマクロな構造がその機能・特性を決定する。本論文は、高分子バインダーに機能性粉体が分散された有機−無機複合体を分散塗料化・塗布の工程により形成する、「塗布型磁気記録媒体」と「リチウムゲルポリマー2次電池」の2種類の製品を検討対象とし、その実用開発をミクロ界面とマクロ構造の解明から系統的に行った成果をとりまとめたものであって、全5章よりなる。

 第1章は序論である。まず、情報電子部材において有機−無機複合体がいかに広範に用いられているかを概観し、その中で従来経験に頼って行われてきたさまざまなパラメータの決定や工程の制御が持つ限界について述べ、界面・コロイド科学的見地からの基礎検討および製品開発という系統的な手法の必要性を説いている。

 第2章は、「固体−液体界面の非平衡状態における分子挙動の研究」と題し、高分子バインダーに無機粉体を分散した系における微視的な界面挙動を理解するために行った一連の実験について述べている。固体−液体界面における溶液中からの高分子の吸着過程を調べるためにFTIR-ATR法を採用した。これは、固−液界面のスタンダードな研究法の一つであるが、著者はより実際の塗布工程に近い、強い剪断流下での吸着挙動を調べるために新たに装置を開発した。また、FTIR-ATR法が持つ特性を活かして、偏光測定、時間分解測定をあわせて行い、非平衡条件下でセグメント配向を含めた吸着の挙動を明らかにした。これにより、固体表面への吸着によって溶質が溶液中から失われてしまうstarved系では吸着高分子の局在化が示唆され、吸着高分子形態の時間依存性からは吸着層内緩和が観測された。また、吸着力が強く分子量も大きい高分子においては、剪断流による配向・脱着ともに少ないことが示された。これらは、攪拌、塗布などの製造工程について新しい知見を提供するものである。著者はこの研究をさらに推し進めて液晶パネルのようなミクロン単位の間隔における剪断流の影響を調べる装置も開発し、このような研究法の有用性を示した。

 第3章は塗布型の磁気記録媒体の性能向上、特に記録密度向上のための研究について述べている。この目的のためには、磁性粉の微細化(高比表面積化)と塗膜中での分率の向上が必要であるが、少ないバインダー量で分散性、強度、耐久性などを維持するために、粉体−高分子−溶媒からなる3成分系の相互作用の制御が必要となる。著者は、まず各成分間の基本測定により、いずれの成分も制御のパラメータとして可能であるが、特に高分子への極性基の導入が有効であることを見出した。また実工程において用いられる様々な成分の、工程に依存する成分間の競合、置換等を系統的に評価し、3成分の定常的な振舞いのみに基づいた設計では予想される性能が実際に得られない原因を明らかにした。ついで各成分の塗膜中におけるミクロ分配の評価から、目的とする機能を効率的に発揮できる構成を考察した。さらに、塗膜の特性解析に対して従来法である、光沢、体積分率、機械特性などの評価法のほかに、微視的な分散性の評価を製品としての塗膜においても行う必要があるという観点から、ガス吸着法や超小角X線法を導入し、新たな知見を得た。

 第4章では、現在多方面で利用され開発競争が加速化しているリチウムゲルポリマー2次電池を対象として行った研究開発について述べている。電池としての性能向上のためには、電極中における電子・イオンの伝導性と電極全体としての強度を維持しながら、できる限り大量の活物質粉体を保持できる構造体を作る必要がある。このため、ここでも前章と同様、活物質を少量の高分子バインダーで保持し、容量、伝導性、機械強度に優れる塗布により形成が可能な有機−無機複合分散系を設計した。さらに電池構造体の作製と電解液の含浸、ゲル化を分離工程とすることにより、生産性と製品としての安定性の向上を図ることに成功した。

 第5章は結論である。

 以上、要するに、本論文は2種類の製品の開発を通して、粉体−高分子混合分散系を塗布形成することによって情報電子部材として用いる場合に、目標とする機能を達成するために必要となるマクロ、ミクロ両面からの戦略を考案、実践したものであって、今後の製品開発、技術向上に資するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)として合格と認める。

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