学位論文要旨



No 215209
著者(漢字) 古澤,浩
著者(英字)
著者(カナ) フルサワ,ヒロシ
標題(和) 複雑流体における密度汎関数積分法の開発
標題(洋)
報告番号 215209
報告番号 乙15209
学位授与日 2001.12.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15209号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早川,禮之助
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 講師 木村,康之
内容要旨 要旨を表示する

複雑流体とは、以下のような系の総称である:高分子、界面活性剤、コロイド、等を構成要素とする、溶液、ゲル、液晶、ミセル、等の集合体を指している。複雑流体の、本論文の議論に関連した特質として、下記の2点を挙げておく:

・密度場の大きな空間変調:ここで言う空間変調には、2種類ある。一つは、時間的揺らぎである。高分子や界面活性剤が形成する高次構造を思い起こせばわかるように、固体とは違って、集合体の骨格自体が、原子スケールよりもはるかに大きなスケールで熱揺らぎする。一方、時間平均してもなお、空間変調は残る。これが、もう一つの空間変調である。柔らかいが故に、固体系では見られないような、多彩な秩序化(ラメラ、ヘキサゴナル、ジャイロイド、等)を示すのである。忘れがちだが、ガラスの密度不均一性なども、その一例に含まれる。

・近距離相関の重要性:単純液体論が対象とした系では、その振舞いは、相互作用の詳細には依らなかった。これが、剛体球系を参照系とする、熱力学的摂動論が成功した所以である。一方複雑流体は、その正反対で、構成要素の性質をほんの少し変えるだけで、系全体の構造・振舞いがガラリと変化する。例えば、高分子のモノマー組成比を少し変えるだけで、得られる高次構造は全く異なってくる。従って、クーロンカのような長距離相互作用はもちろんのこと、近距離相互作用についても、今まで以上に詳細に取り扱う必要がある。その必要性を端的に示している例として、剛体球2成分系の枯渇効果による相分離がある。

 これらの特質を持つ"複雑流体"の記述に、従来形式は有効でない。具体的にどの点が不適切かを、次に指摘する。上述の特質に対応して、それぞれ、以下の問題点がある:

 ・sine-Gordon形式により、大きな空間変調を原理的には記述できるが、変数が、ポテンシャル場である。従って、密度場との対応が直截的でない。そのため、密度場に関して、"平均場解"と"揺らぎ"の空間変調が共に大きな系(複雑流体)の統一的記述には適してない。

 ・Hubbard-Schofield流のGinzburg-Landau形式により、近距離相関の精密な考慮が可能である。ただし、参照系(多くの場合、剛体球系)を設定しなくてはならない。従って、この枠組みからは、参照系自身の汎関数積分形式は作れない。言い換えれば、参照系の代表例である、剛体球系の揺らぎ効果を調べることはできないのである。

 本論文前半の目的は、このような問題点を解消した、複雑流体の記述に適した汎関数積分形式の開発を行うことにある。具体的には、位置座標積分表現の大分配関数から、下記の特徴を持つ汎関数積分形式を導出した:

・密度場;変数として、流体系にとって最も基本的な物理量の一つである密度を選んでいる。従って、密度場の揺らぎを顕に考慮できる。

・平均場;鞍点経路が、精確に平均場方程式を再現する。高分子系においてすら、それが可能である。すなわち、我々の形式から得られる鞍点方程式は、高分子系の高次構造の予測などで華々しい成果を収めている、Edwardsタイプの自己無撞着場方程式を完全に再現するのである。

・近距離相関;ハミルトニアンが、例えば、Lennard-Jonesポテンシャルを顕に含んでいるとしよう。さらに計算を遂行するには、計算機の助けが必要である。しかし、その種の短距離ポテンシャルの詳細な取り扱いは、単純液体論と呼ばれる分野で膨大に行われてきた事柄である。その結果、一様密度周りでの密度−密度相関がどうなるかは、非常に良くわかっている。従って、ハミルトニアンが相関関数で表されるのならば、短距離相関に関する過去の知見をインプットした状態で、揺らぎ効果を考慮できる。我々の形式は、それが可能である。しかも、熱力学的摂動論の精神を踏襲して、相互作用ポテンシャルを斥力部分と引力部分に手で分割する必要が無い。従って我々の形式は、(例えば、Lennard-Jones系の相関関数を)直接、インプット可能である。

・内部自由度;本論文では、内部自由度を持つ系の代表例として、高分子を取り上げ、従来法とは異なる手続きにより、密度汎関数積分形式を求めている。その結果、上述のように、平均場方程式を精確に包含した形式が得られている。

 さらに本論文の後半では、前半で得られた形式を具体的問題に適用することで、今回得られた汎関数積分形式の上記特徴の有用性を示すことを目指した。取り上げた系は、非対称性荷電溶液と剛体球ガラスである。この2系を取り上げた理由、および、得られた成果は、以下の通りである:

・非対称性荷電溶液:高分子イオンのような多電荷担体とそれから解離した低分子イオンの混合溶液系を考えよう。このときある条件下では、ほとんどの低分子イオンが、高分子イオン表面に吸着した状態が出現する。このような強結合状態を、揺らぎを含めて統一的に記述するのには、従来のポテンシャル場によるsine-Gordon形式は向いていない。むしろ、双対な密度場で記述した方が、強結合状態の特異性を抽出しやすい。すなわち、密度場形式ならではの成果が得られるのである。実際、密度場形式から出発することにより、強結合領域で有効な摂動展開法(強結合展開法)を開発することに成功している。この方法を用いることにより、最近提唱されている強結合描像の数式的記述が可能となった。

・剛体球ガラス:今回得られた密度汎関数積分形式の特色の一つとして、短距離相関を直接インプットできる点がある。そこで、本形式の最初の適用例として、引力の成分が無いため従来形式では取り扱いが不可能であった、剛体ポテンシャル系を取り上げた。その結果、従来の密度汎関数理論では得られなかった、圧力への密度−密度相関の寄与を見積もることができた。すなわち、我々の結果は、動的・静的に関わらず一様密度からのずれが生じているとき、系全体の圧力の増大がもたらされることを示しているその結果、ガラスのように密度不均一性が系全体に広がっているとき、圧力は発散するのである。実際、random close packingと呼ばれる、剛体球系でのそのような振舞いは、計算機実験により古くから確かめられている現象である。

審査要旨 要旨を表示する

 複雑流体とは、高分子・界面活性剤・コロイド等を構成要素とする、ゲル・液晶・ミセル・ガラス等の集合状態に対する総称である。複雑流体の、本論文の議論に関連した特質としては、以下の3点が挙げられる:"内部自由度の存在"、"近距離相互作用の重要性"、及び、"密度場の大きな空間変調"である。内部自由度が存在するため、構造形成しても柔らかい。そして柔らかいが故に、わずかな近距離相互作用(疎水性、等)の変化により、多彩な秩序化を示す。しかも、それらはメゾスケールで大きく熱揺らぎする。

これらの特質を持つ複雑流体の記述に、従来形式は適切でない。例えば以下の点が、問題である:変数が密度場ではなく双対なポテンシャル場である点や、密度場表現であっても大きな空間変調を記述できないという点、等である。

 そこで本論文では、まず、これらの問題点を解消した、複雑流体の記述に適した密度汎関数積分形式の開発を行なった。さらに、具体的諸問題(非対称性荷電溶液と剛体球ガラス系の課題)に適用することで、従来形式にはない本形式の有用性も示した。

 論文は、以下に述べるように、4部4章からで構成されている。

 本研究の背景を述べた"序論"部に引き続いて、第1部では、新しい密度汎関数積分法の開発を行った。ここでいう"開発"とは、具体的には、位置座標積分表現の大分配関数を種々の密度汎関数積分表現へと書き直すことを意味している。第1部は、さらに、2章に分けられている。第1章では、まず、低分子系の2種類の密度汎関数積分形式を導出した。第2章では、次に、内部自由度を有する系の代表例として、高分子系を取り上げ、第1章で得られた形式の拡張を行った。

 得られた形式は、複雑流体の記述にとって、下記の点で都合が良い。

(1)密度場;変数として、流体系にとって最も基本的な物理量の一つである密度を選んでいる。従って、密度場の揺らぎを顕に考慮できる。

(2)平均場;鞍点経路が、正確に平均場方程式を再現する。高分子系においてすら、それが可能である。すなわち、我々の形式から得られる鞍点方程式は、高分子系の高次構造の予測などで華々しい成果を収めている、Edwardsタイプの自己無撞着場方程式を完全に再現するのである。

(3)近距離相互作用;ハミルトニアンが直接相関関数で表されているので、短距離相関に関するこれまでの液体論の知見をインプットした状態で、揺らぎ効果を考慮できる。

(4)内部自由度;本論文では、内部自由度を持つ系の代表例として、高分子を取り上げ、従来法とは異なる手続きにより、密度汎関数積分形式を求めている。その結果、上述のように、平均場方程式を正確に包含した形式が得られている。

 第2部では、第1部で得られた形式を具体的問題に適用することで、今回得られた汎関数積分形式の上記特徴の有用性を示している。取り上げた系は、非対称性荷電溶液(第3章)と剛体球ガラス(第4章)である。この2系を取り上げた理由、および、得られた成果は、以下の通りである:

・非対称性荷電溶液:高分子イオンのような多電荷担体とそれから解離した低分子イオンの混合溶液系では、ある条件下で、ほとんどの低分子イオンが、高分子イオン表面に吸着した状態が出現する。このような強結合状態を、揺らぎを含めて統一的に記述するのには、従来のポテンシャル場によるsine-Gordon形式は向いていない。むしろ、双対な密度場で記述した方が、強結合状態の特異性を抽出しやすい。すなわち、密度場形式ならではの成果が得られるのである。実際、本形式から出発することにより、強結合領域で有効な摂動展開法(強結合展開法)を開発することに成功し、その結果、最近提唱されている強結合描像の数式的記述が可能となった。

・剛体球ガラス:短距離相関を直接インプットできる、本形式の最初の適用例として、剛体ポテンシャル系を取り上げ、従来の密度汎関数理論では得られなかった、圧力への密度−密度相関の寄与を見積もることができた。得られた結果は、ガラスのように密度不均一性が系全体に広がっているとき、圧力が発散することを示している。実際、random close packingと呼ばれる、剛体球系でのそのような振舞いは、計算機実験により古くから確かめられている現象である。

 最終部の"今後の展望"では、将来の課題について、形式的拡充と他の系への適用の2観点から述べている。

 以上のように本研究では、複雑流体の記述に適した、密度汎関数積分法を開発し、さらに、その有用性を示している。これらの成果は、複雑流体の基礎および応用研究の進展に、今後、大いに貢献するものと期待される。よって、本論文を博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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