学位論文要旨



No 215214
著者(漢字) 最相,大輔
著者(英字)
著者(カナ) サイショウ,ダイスケ
標題(和) シロイヌナズナのシアン耐性呼吸末端酸化酵素遺伝子の構造及び発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 215214
報告番号 乙15214
学位授与日 2001.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15214号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 坂,齊
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 吉田,薫
 東京大学 助教授 堤,伸浩
内容要旨 要旨を表示する

 広く真核生物に存在するミトコンドリアは,生物にとって必要不可欠なエネルギーの源であるATPを合成することから,エネルギーを作る重要な細胞内小器官として知られている.しかしながら植物は,光合成によってATPのもととなる糖を合成し,エネルギーが必要なときに,その糖を分解しミトコンドリアにおける呼吸でATPを合成することから,植物のミトコンドリアはエネルギーを消費するときに働く細胞内小器官ともいえる.さらに植物は,光合成に伴い生物にとって有害な酸素を生成し,また一定の場所に根ざして生きる生活様式から,様々な外的環境ストレスに耐えなければならない.植物特有の生活様式への適応進化の結果生まれたと考えられる植物ミトコンドリア特異的な特徴について理解を深める目的で,植物ミトコンドリアに特異的に存在するATP合成と脱共役した呼吸経路シアン耐性呼吸に注目し,高等植物のモデルであるシロイヌナズナを材料に,シアン耐性呼吸の末端酸化酵素遺伝子であるAOXの構造及び発現制御に関して様々な調査を行い,シアン耐性呼吸の持つ機能の解明の糸口を得ることを目的に研究を行った.さらに,核ゲノムにコードされたAOXの発現を指標に,植物における核とミトコンドリアの協調的遺伝子発現制御に関わる知見を得ることを目指した.

I.シロイヌナズナalternative oxidase (AOX)遺伝子の構造と発現

 種々のストレスに対する発現応答を調査するためには,シロイヌナズナAOX遺伝子がマルチジューンファミリーを形成している場合には個々の遺伝子の発現を区別して検出する必要がある.そこで,シロイヌナズナAOX遺伝子のゲノム中における遺伝子数を明らかにする目的で,全ての遺伝子のゲノミッククローン及びcDNAクローンを単離し,これらの塩基配列の決定を行い構造を明らかにした.その結果,既にKumar and Soll (1992)によって単一遺伝子であると報告されていたシロイヌナズナAOX遺伝子は,ゲノム中に4つ(AOX1a, AOX1b, AOX1c, AOX2)存在していることが明らかとなった.中でも,AOX1aは同一染色体上のAOX1bの約1.5kb下流にタンデムに座上していること,AOX2は,他の3つの遺伝子や,他の植物種で報告されているAOX遺伝子が3つのイントロンによって分割されているのとは異なり,5つのエキソン,4つのイントロンによって構成されていることが明らかとなった.また,塩基配列から推定されるアミノ酸配列は,相互に比較した場合およそ60-80%の類似性を持つことが明らかとなり,既に報告されている他植物及び他生物のAOXタンパク質の推定アミノ酸配列とも高い相同性を示した.さらに,塩基配列をもとに個々の遺伝子を特異的に検出するプローブを作製し,器官特異的な発現を調べた結果,AOX1a遺伝子の解析したすべての組織での発現及び,AOX1bの花芽特異的発現が示唆された.AOX1c, AOX2についても発現を検出した.これらのことから,シロイヌナズナAOX遺伝子においても既に報告されているような器官特異的な発現様式が示唆された.

II.ストレス条件下でのAOX遺伝子の発現誘導とそのシグナル伝達

 いくつかの植物種において,シアン耐性呼吸が低温・傷害・病原生物の感染などの様々な外的ストレスにより活性化されることが報告されていたので,これらのストレスに対するシロイヌナズナAOX遺伝子の発現応答についての知見を得るために,ノーザンブロット法を用いて網羅的に解析した.その結果,本研究で行った低温(4℃)および傷害による発現応答は検出されなかった.一方,病原生物の感染時のSAR獲得の際重要な機能を担っていることが知られているサリチル酸や,植物に多様な害を及ぼすことが知られているUV照射(UV-C)に対して,4つのシロイヌナズナAOX遺伝子のうちAOX1aが特異的に発現応答を示すことが明らかとなった.さらに,80Sリボソームを標的としたタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミドによってもAOX1aの転写誘導を検出した.本研究で得られた結果を既報の知見と比較すると,シロイヌナズナAOX1aの発現応答は,サリチル酸に対する発現誘導は光強度依存的であること,また,シクロヘキシミドによる転写誘導は,シクロヘキシミドによるAOXの発現抑制が検出されたvoodoo lilyとは異なる発現応答であることが明らかになった.

 さらに,ミトコンドリアにおけるATP合成を担うシトクロム呼吸の複数の特異的阻害剤に対するシロイヌナズナAOX遺伝子の発現応答について理解を深め,AOXの発現誘導に関わるミトコンドリアから核へのシグナル伝達因子に関する知見を得ることを目的に解析を行った.解析の結果,作用部位の異なる呼吸阻害剤(アンチマイシンA, NaN3,ミキソチアゾール)および作用機構の異なるATP合成阻害剤(オリゴマイシン,2,4-DNP)に対して,AOX1aが特異的に発現誘導することが明らかとなった.

III.AOX2遺伝子の構造と発芽時におけるシアン耐性呼吸の発現

 植物の発芽の過程では,吸水の開始と共に呼吸活性が劇的に高まることが知られている.そして,ATP合成を担うシトクロム呼吸と共に,シアン耐性呼吸も活性化されることが知られているが,その生理的な意義については明らかにされていない.そこで,2つの呼吸経路の末端酸化酵素遺伝子の発現及び呼吸量を比較して,2つの呼吸経路が担う働きについて新たな知見を得ることを目的に解析を行った.シロイヌナズナの乾燥種子及び吸水後96時間までの発芽種子における4つのAOX遺伝子および核コードCOX遺伝子(COX5b, COX6b)の発現様式をノーザンブロット法により解析したところ,AOXでは,乾燥種子及び吸水後48時間までの発芽初期にAOX2が特異的に発現しており,AOX2 mRNAが検出できなくなる72時間以降ではAOX1aの発現が増大することが明らかとなった.一方,2つのCOX遺伝子は乾燥種子では転写産物はほとんど検出できず,吸水後6-96時間にかけて徐々に発現が増加することが明らかとなった.さらに,この時期の酸素吸収速度を測定した結果,いずれも吸水時間に応じて呼吸量は増加しており,検出したmRNAが実際の呼吸に寄与していることが明らかとなった.発芽時のAOX遺伝子の発現におけるアンチマイシンAの及ぼす影響について解析したところ,AOX1aでは発現誘導が検出されたのに対し,AOX2はアンチマイシンAの影響を受けないことが明らかとなった.発芽初期のmRNAを用いた5'RACE解析から,AOX遺伝子で初めて5つのエキソンに別れてコードされていることが明らかとなったAOX2遺伝子の細胞内局在について,GFPを用いたタバコ培養細胞の一過的発現系を用いて解析した結果,本研究で新たに見出された第1エキソンはミトコンドリアヘ移送されるためのプレシークエンスをコードしていることが示された.

審査要旨 要旨を表示する

 広く真核生物に存在するミトコンドリアは、生物にとって必要不可欠なATPを合成する重要な細胞内小器官である。しかしながら、植物のミトコンドリアは、ゲノム構造や機能の面で様々な特徴を持つ。植物特有の生活様式への適応進化の結果生まれたと考えられる植物ミトコンドリア特異的な機能について理解を深める目的で、その一つであるATP合成と脱共役した呼吸経路シアン耐性呼吸に注目して研究が行われた。研究はシロイヌナズナを材料に、シアン耐性呼吸の末端酸化酵素遺伝子AOXの構造及び転写レベルの発現制御に関して様々な調査を行い、シアン耐性呼吸の持つ機能解明の糸口が得られたと考えられる。

I.シロイヌナズナalternative oxidase (AOX)遺伝子の構造と発現

 種々のストレスに対する発現応答の調査では、AOX遺伝子が多重遺伝子の場合、個々の遺伝子の発現を区別して検出する必要がある。そこで、シロイヌナズナAOX遺伝子のゲノム中における遺伝子数を明らかにする目的で、全ての遺伝子のゲノミッククローン・cDNAクローンの塩基配列を決定し構造を明らかにした。その結果、既に単一遺伝子であると報告されていたシロイヌナズナAOX遺伝子は、ゲノム中に4つ(AOX1a, AOX1b, AOX1c, AOX2)存在することが判明した。中でも、AOX1aは同一染色体上のAOX1bの約1.5kb下流にタンデムに座上していること、AOX2は、他の3つの遺伝子や他の植物種で報告されているのとは異なり5つのエキソンによって構成されていることが判明した。さらに、個々の遺伝子を特異的に検出するプローブを作製し、器官特異的な発現を調べた結果、AOX1a遺伝子の植物体全体での発現、AOX1bの花芽特異的発現等、シロイヌナズナAOX遺伝子ファミリーの個々の器官特異的な発現をしていることが認められた。

II.ストレス条件下でのAOX遺伝子の発現誘導とそのシグナル伝達

 幾つかの植物種において、シアン耐性呼吸の低温・傷害・病原生物の感染等の様々な外的ストレスによる活性化が報告されている。種々のストレスに対するシロイヌナズナAOX遺伝子ファミリーの発現応答について知見を得るためにノーザンブロット法を用いて網羅的に解析した結果、本研究で行った低温(4℃)および傷害による発現応答は検出できず、一方、病原生物に対する抵抗性の誘導に深く関っていることが知られるサリチル酸や、植物に多様な害を及ぼすことが知られるUV-C照射に対し、4つのシロイヌナズナAOX遺伝子のうちAOX1aが特異的に発現応答を示すことが判明した。さらに、80Sリボソームを標的としたタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミドによるAOX1aの転写誘導を検出した。また、シロイヌナズナAOX1a特異的なサリチル酸に対する発現応答は光強度依存的であること、またシクロヘキシミドによる転写誘導はシクロヘキシミドによるAOXの発現抑制が検出されていたvoodoo lilyとは異なる発現応答であること等が明らかになった。

 さらに、ATP合成を担うシトクロム呼吸の複数の特異的阻害剤を用いて、AOX遺伝子の発現応答について解析を行った。その結果、作用部位の異なる呼吸阻害剤(アンチマイシンA, NaN3, ミキソチアゾール)および作用機構の異なるATP合成阻害剤(オリゴマイシン,2,4-DNP)に対し、AOX1aが特異的に発現応答することが明らかとなった。

III.AOX2遺伝子の構造と発芽時におけるシアン耐性呼吸の発現

 植物の発芽の過程では、吸水の開始と共に呼吸活性が劇的に高まり、ATP合成を担うシトクロム経路が迅速に構築される。同時にシアン耐性呼吸も活性化されることが報告されているが、その機能については明らかでない。そこで、2つの呼吸鎖の末端酸化酵素遺伝子の発現及び呼吸量を比較し、2つの呼吸鎖が担う働きについて調査した。乾燥種子及び吸水後96時間までの発芽種子における4つのAOX遺伝子および核コードCOX遺伝子(COX5b, COX6b)の転写様式を解析したところ、AOXでは乾燥種子及び吸水後48時間までAOX2が特異的に発現し、72時間以降ではAOX1aの発現が特異的に増大することが見出された。一方、2つのCOX遺伝子は乾燥種子では転写産物は殆ど検出できず、吸水が進むにつれて徐々に発現が増加していた。発芽期の呼吸量を測定した結果、何れも吸水時間に応じて呼吸量は増加しており、検出したmRNAが実際の呼吸に寄与することが示された。発芽初期の特異的に発現しているAOX2遺伝子の細胞内局在について、GFPを用いたタバコ培養細胞の一過的発現系を用いて解析した結果、AOX2で新たに見出された第1エキソンはミトコンドリアヘ移送されるためのプレシークエンスをコードしていることが示された。

以上要するに、本研究ではシアン耐性呼吸を司る末端酸化酵素の4遺伝子をアラビドプシスから単離し、その構造を決定した。さらにそれらの遺伝子の生育過程とストレス環境下での転写レベルでの発現を調べ、シアン耐性呼吸の役割に関する新しい知見を得た。

これらの結果は独創的であり、学術上、応用上の価値も高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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