学位論文要旨



No 215215
著者(漢字) 鈴木,一矢
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,カズヤ
標題(和) ニコチアナミン合成酵素に関する研究
標題(洋)
報告番号 215215
報告番号 乙15215
学位授与日 2001.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15215号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
内容要旨 要旨を表示する

 鉄をはじめとする遷移金属はその酸化状態が変化するという特性を生かして生体内でタンパク質と結合し、さまざまな電子伝達反応に関与している。中でもその存在量が豊富な鉄はミトコンドリアにおける呼吸鎖の電子伝達系などに大きく関与している。植物特有の器官である葉緑体においても光化学系における電子伝達成分として必要なことはもちろん、集光色素のひとつであるクロロフィルの合成にも必須である。植物はこの微量元素としての鉄を根から吸収するが、その方法は植物種によって異なっている。双子葉植物、イネ科以外の単子葉植物はStrategy Iと呼ばれる方法で鉄の吸収をおこなっている。この方法は土壌中の三価鉄を根に存在する還元酵素が二価鉄に還元し、これをトランスポーターで吸収するという方法である。一方、オオムギをはじめとするイネ科植物は根からファイトシデロフォアであるムギネ酸類を放出し、これらムギネ酸が土壌中の鉄を三価の状態でキレートし、植物体内に運び込む。この方法はStrategy IIと呼ばれている方法である。Strategy I植物における三価鉄還元酵素やStrategy IIにおけるムギネ酸の放出は鉄欠乏によって顕著に誘導される。ムギネ酸類の生合成経路はすでに決定されており、メチオニンを出発物質として、ニコチアナミンが前駆体となっている。このニコチアナミンはStrategy II植物だけでなく全ての植物に存在していることが知られており、ムギネ酸類の前駆体としてだけでなく、鉄や銅といった微量元素を植物体内で運搬する役割を担っていると考えられている。本研究では、このニコチアナミンに焦点を当て、まず、ニコチアナミンを合成する酵素、NAS、の精製を行い、その発現について解析を行った。

 まず、鉄欠乏条件で生育したオオムギの根とコントロール条件で生育したオオムギの根からそれぞれタンパク質を抽出し、二次元電気泳動によりその組成の比較を行った。NAS活性はオオムギでは鉄欠乏で顕著に誘導されるので、鉄欠乏によって誘導されるタンパク質の中にNASが含まれることが期待された。鉄欠乏によって誘導されたタンパク質のいくつかを回収し、ペプチドを断片化してそのアミノ酸配列を求めた。その結果、NASと予想されるタンパク質は同定できなかった。しかし、鉄欠乏特異的に誘導される遺伝子の一つであり、ムギネ酸合成酵素であることが明らかにされたIds3遺伝子の遺伝子産物が検出されたほか、鉄欠乏応答には直接関与しないと考えられるギ酸デヒドロゲナーゼ(FDH)や、アデニンホスホリボシルトランスフェラーゼ(APRT)のタンパク質のスポットの増加が確認された。これらのタンパク質の一つ、FDHについて鉄欠乏のオオムギの根から構築したcDNAライブラリーを用いてFDHをコードする遺伝子のクローニングをおこなった。さらにこの遺伝子を用いて詳細な解析を行ったところ、この酵素は本来の活動の場である嫌気条件下でだけでなく、鉄欠乏オオムギの根でもタンパク質の活性の上昇およびmRNAの発現が認められた。FDH遺伝子の鉄欠乏による誘導は鉄欠乏処理後1日目に確認されたのに対し、嫌気条件による誘導は嫌気処理後6時間後に確認された。鉄欠乏によってクロロフィル、ヘムの共通の前駆体であるプロトポルフィリンの生合成が抑えられ、酸素の運搬をおこなうヘムの量が減少するために嫌気条件が引き起こされるものと考えられた。また、FDHはムギネ酸合成に必要とされるメチオニンを再生する経路(Yang Cycle)で生じるギ酸の無毒化処理を行うために発現が促進されている可能性も考えられる。

 二次元電気泳動による検出ではNASを特定することができなかったため、鉄欠乏オオムギの根から生化学的方法を用いることによってNASの精製を試みた。イオン交換クロマトグラフィー、疎水性クロマトグラフィーなどをおこなうことにより、SDS-PAGE上でNAS活性を持つバンドを含む画分を得ることができた。NAS活性を含むバンドを回収し、このバンドを酵素的、化学的に切断して断片化し、アミノ酸配列を求めた。このアミノ酸配列とデータベースの検索によって得られたイネのESTの配列をもとに、鉄欠乏オオムギの根から作成したcDNAライブラリーからスクリーニングをおこない、オオムギでNASをコードする遺伝子、HvNAS1、をクローニングすることに成功した。この遺伝子を発現ベクターに挿入し、大腸菌内で発現させたところ、NASとしての活性を示した。さらにこの遺伝子の解析を行ったところ、鉄欠乏の根で特異的かつ非常に強く誘導され、さらにオオムギゲノム中に複数コピー存在することが明らかになった。他のNAS遺伝子についてもクローニングをおこなった。

 オオムギから得られたNASの遺伝子の配列とArabidopsisのゲノムの配列をもとにStrategy I植物であるArabidopsisからもNASをコードする遺伝子のクローニングをおこなったところ、3種類のNASをコードする遺伝子、AtNAS1〜3、をクローニングすることができた。これらの遺伝子を発現ベクターによって大腸菌内で発現させたところ、3種のAtNAS遺伝子全てがNASとしての活性を示した。すでに得られている複数のオオムギのNAS遺伝子との配列の比較をおこなったところ、Strategy I植物のNASとStrategy II植物のNASで保存性の高い領域が見つかった。これらの遺伝子についてRT-PCRによる発現解析を行ったところ、それぞれが異なる発現のパターンを示すことが明らかになった。AtNAS1遺伝子は植物体の地上部、地下部でともに発現しており、AtNAS3遺伝子は地上部でのみ発現が確認された。また、AtNAS2遺伝子は地上部、地下部ともに発現が確認されなかった。

 これら3種のAtNAS遺伝子の発現について詳細に調べるために、これらの遺伝子の上流配列をクローニングし、5'側からのデリーションを行い、β−グルクロニダーゼ(GUS)をレポーター遺伝子とするデリーションシリーズを作成した。これらのデリーションシリーズをパーティクルガン法によりタバコ培養細胞BY-2に導入した。細胞にさまざまな環境変化(鉄、銅、亜鉛、マンガンの過剰、欠乏、塩ストレス、浸透圧ストレス、各種植物ホルモンの添加)を与えて培養し、GUSの一過性発現によって各NAS遺伝子の環境応答性シスエレメントについて検索をおこなった。その結果、AtNAS1遺伝子のORFから−323の位置まで上流域をデリーションすることによって鉄、銅、亜鉛の欠乏状態でGUSの活性が上昇したが、マンガンの欠乏ではGUS活性の上昇は認められず、また、各金属の過剰状態ではこれらの変化は見られなかった。さらに解析を進めたところ、AtNAS1遺伝子の上流域ではAtNAS1遺伝子のORFから−403から−363塩基上流の位置に金属欠乏によって発現を促進するエレメントが存在する可能性が示唆された。この結果は、AtNAS1遺伝子の上流を3'側からデリーションをおこなった場合とも一致した。AtNAS2遺伝子は植物体内で発現が認められなかったものの、その上流域約1.5kbのみの配列ではBY-2細胞内で発現が認められた。この結果により、AtNAS2遺伝子は発現する可能性があることが示唆された。また、この遺伝子の上流域は今回おこなった各種条件下ではGUS活性に変化は認められなかった。AtNAS3遺伝子の上流配列は培養液中の金属の含量に応答はしなかったが、各種ホルモンの添加をおこなったところ、エチレンによるGUS活性の誘導が認められた。AtNAS3遺伝子の上流には代表的なエチレン応答エレメントであるGCCボックスは認められなかったが、カーネーションのGST-1遺伝子やマメのキチナーゼ遺伝子の上流に存在する、別種のエチレン応答エレメントが存在することがわかった。この配列を破壊すると、エチレンによる誘導は失われ、この配列を複数繰り返したプロモーターで、エチレンによる誘導はさらに促進した。オリジナルのAtNAS3遺伝子上流においても、このエレメントのみをとりだしてCaMV35Sプロモーターの上流に組み込んだ場合でも同様の結果が得られた。また、この配列に方向性はなかった。これらのエレメントについてさらに詳しく解析を進めるために、トランスジェニック植物の作成を行っている。

 以上の研究により、鉄欠乏ストレスにさらされた植物が鉄欠乏応答をおこなうだけでなく、さらに擬似的に嫌気条件を引き起こすことが示された。また、イネ科植物、双子葉植物の両方からNASをクローニングし、これまで鉄欠乏にはNASは応答しないと考えられてきた双子葉植物も、金属の欠乏に対して応答するNASが存在する可能性があること、さらに、植物ホルモンであるエチレンもNASの発現に関係していることが明らかになった。これらの遺伝子レベルの研究から、NASおよびその反応産物であるニコチアナミンがこれまでの生理学的な研究から予想されていた以上に植物の代謝系に大きな役割を担っていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、多くの試行錯誤の末に、高等植物におけるニコチアナミンを合成する酵素(NAS)の精製を行い、その遺伝子をクローニングし、その発現について解析を行ったものである。

 第1章では、高等植物における必須元素である鉄の役割と、高等植物の2種類の鉄獲得機構Strategy-IとStrategy-IIについて概説している。ニコチアナミンはすべての高等植物に存在している化合物で、ムギネ酸合成経路の中間産物であるばかりで無く、微量重金属元素(Fe、Cu、Zn、Mn)のホメオスタシスに関係する。

 第2章では、ギ酸脱水素酵素(FDH)の遺伝子のクローニングについて述べている。NAS活性はオオムギでは鉄欠乏で顕著に誘導されるので、鉄欠乏によって誘導されるタンパク質の中にNASが含まれることを期待して鉄欠乏によって誘導されたタンパク質を二次元電気泳動上で数種類を回収したところ、NASと予想されるタンパク質のアミノ酸配列は得られなかった。しかしFDHが同定され、この遺伝子のクローニングをおこなった。この酵素は本来の活動の場である嫌気条件下でだけでなく、鉄欠乏オオムギの根でも活性の上昇およびmRNAの発現が認められた。鉄欠乏によってクロロフィル、ヘムの共通の前駆体であるプロトポルフィリンの生合成が抑えられ、酸素の運搬をおこなうヘムの量が減少するために嫌気条件が引き起こされるものと考えられた。

 第3章はNAS遺伝子のクローニングについて述べている。二次元電気泳動による検出ではNASタンパク質を特定することができなかったため、鉄欠乏オオムギ根タンパク質を数種のカラム操作の後SDS-PAGE上で分離しNAS活性を持つバンドを検出することができた。このバンドを酵素的、化学的に切断して断片化し、アミノ酸配列を求めた。このアミノ酸配列とデータベースの検索によって得られたイネの機能未知のESTの配列を参考にプローブを作成し、鉄欠乏オオムギの根から作成したcDNAライブラリーからスクリーニングをおこない、オオムギでNASをコードする遺伝子(HvNAS1)を初めてクローニングした。HvNAS1は鉄欠乏の根に特異的かつ強く誘導された。オオムギの他のNAS遺伝子7種もクローニングした。

 オオムギのNAS遺伝子の配列をもとにArabidopsisのゲノムの塩基配列からNASをコードする遺伝子を3種類クローニングした。これらの遺伝子を発現ベクターによって大腸菌内で発現させたところ、3種のAtNAS遺伝子全てがNASとしての活性を示した。栄養生長期のアラビドプシスではAtNAS1遺伝子は地上部と地下部でともに発現しており、AtNAS3遺伝子は地上部でのみ発現が確認された。また、AtNAS2遺伝子は地上部、地下部ともに発現が確認されなかった。

 第4章では3種のAtNAS遺伝子の発現に及ぼす環境因子について、タバコBY-2細胞にパーテイクルガンで遺伝子導入して詳細に調べている。AtNAS1遺伝子のORFの始めから数えて-403から-363塩基上流の位置に金属欠乏によって発現を促進するエレメントが存在する可能性が示唆された。AtNAS2遺伝子は植物体内で発現が認められなかったものの、その上流域約1.5kbのみの配列では発現が認められた。この結果により、AtNAS2遺伝子はインタクトのアラビドプシスでも発現する可能性があることが示唆された。AtNAS3遺伝子の上流には代表的なエチレン応答エレメントであるGCCボックスは認められなかったが、別種のエチレン応答エレメントに類似のTTTGAAAATが存在することがわかった。この配列を破壊すると、エチレンによる誘導は失われ、この配列を4回繰り返したプロモーターの場合、エチレンによる誘導はさらに促進された。また、この配列に方向性はなかった。

 第5章では総合考察を行っている。

以上、本研究は永年懸案であった生物界で全く新規な酵素である、高等植物のニコチアナミン合成酵素遺伝子のクローニングに成功したものであり、今後の高等植物における微量重金属代謝に関する研究や農業上の応用に寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク