学位論文要旨



No 215221
著者(漢字) 菅澤,恵子
著者(英字)
著者(カナ) スガサワ,ケイコ
標題(和) ゲンタマイシン負荷モルモットの前庭誘発電位測定システム(electrovestibular brain stem responses; EVBRs)による外側半規管機能に関する研究 : 温度刺激反応との比較および前庭感覚細胞数の定量的評価
標題(洋)
報告番号 215221
報告番号 乙15221
学位授与日 2001.12.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15221号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
 東京大学 講師 室伏,利久
内容要旨 要旨を表示する

 はじめに

 近年前庭誘発電位の記録が盛んに行われ始め、新しい前庭機能の評価法として期待されるが、いまだ確立された方法はない。1989年より、Charlet de Sauvageらは慢性電極を植えたモルモットを使用し、電気刺激と回転刺激の両刺激による前庭誘発電位(electrovestibular brain-stem responses,EVBRs)の記録を行ってきた。我々は、これまでEVBRsによる前庭機能評価について以下のことを報告した。

 1.EVBRsは主に半規管の誘発電位である。

 2.EVBRsは半規管膨大部稜感覚細胞の中央部に限局した組織変化では反応を認めた。

 3.膨大部稜感覚細胞数と前庭機能には非直線的な関係が示唆された。

 目的

 前庭毒性の強いゲンタマイシンをモルモットに負荷し、末梢前庭障害を経時的にEVBRsと定量的組織評価を比較検討し、機能と形態の関係を数量化する。また、臨床前庭機能検査である温度刺激反応を同時に施行し、前庭機能検査としてのEVBRsと温度刺激反応の両検査の相違を検討する。

 方法

 プライエル反射正常、体重300g前後の有色モルモット14匹を使用し、対照正常群2匹と治療群12匹に分けた。治療群にはゲンタマイシン(GM)を90mg/kg使用し、モルモットの大腿四頭筋内に最長14日間の連続筋注投与を行った。前庭機能検査としてEVBRs及び温度刺激反応を薬物投与前(第0実験日)、薬物投与中(第7,10,14実験日)、薬物投与後(第21,24,28実験日)と経時的に測定した。また、それぞれの時期に2匹づつ断頭により前庭器官を摘出し、経時的(対照群、第7,10,14,21,24、28実験日)に組織学的評価を行った。

 測定方法

 EVBRs:電気刺激は70μA、167Hz、持続時間300μsec両極性の単相性矩形波で正円窓と頭頂部の電極間に与えた。誘発電位は頭頂部電極と同側乳突部の皮下針電極間でfar field potentialsを記録した。信号は250倍に増幅され、band-pass(6dB/octave)により100Hz-3Hzフィルタリングした。更に12ビット、100kHzのサンプリング率でデジタル化した。電気刺激がトリガーとなりwindow幅5.12msecで加算処理した。

 周期0.1Hzのsinusoidal rotationを回転刺激として負荷し、半時計回りと時計回りの誘発電位を加算している。加算記録は頭部の回転速度が半時計回りと時計回りとも0'となる時間から0.85秒後より4秒間とし、一秒間に167回、加算400回とした。電気刺激によるアーチファクトや周辺組織の影響を除去するため、反時計回りの反応から時計回りの反応を引き算しEVBRの波形が得られる。

 2.前庭機能評価法

 前庭機能は、EVBRsと温度刺激反応の両方法にて評価した。

 EVBRs:モルモットを回転台上の固定箱に左外側半規管を刺激するように鼻を約48'下方、右耳を15'回転させた位置で頭部を固定し、回転振幅90'周期0.1Hzの回転刺激を行った。

 温度刺激反応:モルモットを固定箱に入れ、左外側半規管を最も刺激するようにEVBRs測定時と同様に頭部を固定し、左耳を氷水5mlで10sec間刺激した。針電極を左眼の両眼角外側及び耳介の皮下に挿入し、温度刺激により生じた眼振をニスタグモグラフにて記録した。検査は防音室で暗所で行い、注水終了後15secより10秒間の眼振数をパラメータとして測定した。

 3.前庭器組織変化の定量的評価法

 最終の前庭機能検査後12時間以内に側頭骨を摘出した。末梢前庭器官をsurface preparationにより摘出し、エタノール系列で脱水後、プロピオンオキサイドで置換し、エポン樹脂に包埋した。エポン包埋した外側半規管膨大部稜をダイアモンドナイフにより長軸に対し横断し、1μmの連続切片をおこない、各11番目に2μmの切片を作成、それをトルイジンブルーで染色し光学顕微鏡にて生存感覚細胞数を数えた。各時期(対照群、第7、10、14、21、24、28実験日)の標本数はそれぞれ2個体であり、感覚細胞数はその平均値とし、正常対照群の感覚細胞数に対する比(%)で表示した。

 結果

 1.前庭誘発電位(EVBRs)と温度刺激反応の経時変化

 正常対照群:EVBRの相対振幅は63%から135%、温度刺激反応の相対眼振数は64%から137%の間で変動し、両反応とも明らかな変動傾向を認めなかった。

ゲンタマイシン投与群:ある時点より急激に反応が減少しており、温度刺激反応のほうがEVBRsよりも早期に減少し始めた。温度刺激反応は実験日第7日以降より急速に減少し始め、第10日に薬物投与前の約50%、第21日に10%以下、第28日には無反応となった。またEVBRsは、実験第14日に薬物投与前の約50%、第21日に約20%以下、第28日にほぼ無反応となった。温度刺激反応は薬物投与前に比べ、実験第10日より(p<0.001)、EVBRsは実験第14日より(p<0.01)有意に減少した。

 2.定量的組織の経時変化

 外側半規管膨大部の感覚細胞は、第7実験日に中央部での変性消失を認め、時間の経過とともに辺縁の感覚細胞も変性消失した。薬物投与後の残存外側半規管膨大部感覚細胞数は、正常対照群の感覚細胞数に比べ実験第7日85%、第10日74%、第14日71%、第21日53%、第24日48%、第28日33%と徐々に減少した。

 3.前庭機能変化と組織変化の定量的比較

 温度刺激反応は、感覚細胞数が約25%減少した時点で急速に反応が低下し、約50%でほぼ無反応となっている。一方EVBRsは、感覚細胞数が約30%減少した時点で温度刺激反応と同様に急速に反応が低下し、約70%減少でほぼ無反応となった。温度刺激反応およびEVBRsと外側半規管膨大部感覚細胞数との関係に対し回帰分析を行うと、両反応とも感覚細胞数に対しシグモイド曲線を描き、危険率1%以下で有意であった。

 考察

 1.前庭機能と組織変化の量的関係について

 Aranらは種々のアミノグリコシドをモルモットに負荷し、前庭機能検査として振り子様回転中の眼振数を測定し、末梢前庭器官の連続切片により感覚細胞を数え、定量的組織評価を行い、前庭機能と組織変化がよく相関していた報告している。しかし、彼らの報告では、感覚細胞の消失が約60%で眼振は消失し、約20%で眼振数は正常の約50%以下に減少しており、感覚細胞数の軽度の変化で機能がかなり減少することが伺える。前庭機能と前庭感覚細胞との関係が単なる直線的関係ではないことが示唆された。今回の実験により、前庭感覚細胞数と前庭機能が非直線的な関係にあることを強く裏付ける結果となった。前庭機能は感覚細胞が約20%傷害されると低下し始め、約50%傷害されるとほとんど機能は失われることが推察された。

 前庭感覚細胞はその形態学的な違いにより、I型細胞とII型細胞に区別される。アミノグリコシドによる半規管膨大部稜感覚細胞の障害は、組織学的にはまず中央部に始まり次第に辺縁に及ぶこと、またI型細胞がII型細胞より障害されやすいことはよく知られている。今回の実験では,感覚細胞数が時間に対し直線的に減少していた。今回の感覚細胞数の減少は膨大部稜中央部I型細胞に始まり、次第に辺縁部に及んだことは類推され、光学顕微鏡写真による定性的観察からも支持される。I型細胞、II型細胞、さらに膨大部稜中央部、辺縁部細胞の機能分化についてはまだ不明な点が多く解明されていないが、前庭機能に関し膨大部稜中央部I型細胞の関与の重要性を示唆した報告は多い。最近の報告では、半規管膨大部稜のI型細胞、II型細胞の分布はほぼ均一であるといわれており、膨大部稜中央部、辺縁部のアミノグリコシドに対する非受傷性の違いは単なる分布の問題ではないと思われる。今回の実験結果からも膨大部稜中央部と辺縁部感覚細胞に大きな機能の違いが存在することが推定された。

 2.前庭誘発電位(EVBRs)と温度刺激反応の感受性について

 温度刺激検査では、温度眼振の持続時間や緩徐相速度を前庭機能判定のパラメーターとして用い、その左右差をもって一側機能低下(canal paresis, CP)や眼振方向優位性(direction prepondance, DP)を評価している。

 今回の実験結果を一側機能低下と仮定し、正常側を100としてCPを求め、感覚細胞数との関係をグラフにすると、CP20%では感覚細胞障害は約20%であり、確実に病的状態を捕らえていると思われる。しかし、感覚細胞障害が20%から30%に変化するだけでCPは20%から80%へと急速に変化するため、定量的評価としての信頼性にかける可能性が有ることがわかった。一方、EVBRsは温度刺激反応に比べ反応の低下の出現は遅くよりゆっくり進行し、組織障害に対する感受性は温度刺激反応に比べ低いが、経時的な組織変化より反映していると思われた。

 EVBRsに関するpreliminaryな実験では、ゲンタマイシン負荷後のモルモットEVBRsの変化は、回転振幅が小さいほど早期に反応が消失することがわかっている。今回は回転振幅90°に設定したが、回転振幅を変化させることにより組織の軽度障害から高度障害までを評価することが可能であり、動物実験のおける前庭機能の計量的測定法として優れた検査法となりえると思われた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はいまだ確立された方法のない前庭誘発電位に関し、新しい前庭誘発電位測定システム(EVBR)による前庭機能評価を動物実験により試みたものである。従来法の温度刺激反応と比較検討し、同時に定量的組織評価も行い新しい前庭機能検査としての有用性について検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.ゲンタマイシンをモルモットに負荷し、末梢前庭障害を前庭機能と組織障害の両面から経時的に定量化して観察し、機能と形態の量的関係について検討した。前庭機能検査は、回転刺激と電気刺激によって誘発される前庭誘発電位(electrovestibular brain-stem responses; EVB Rs)と日常臨床で最も行われる温度刺激反応(caloric response)を施行した。両反応ともある時点より急激に反応が減少したが、温度刺激反応はEVBRsより早期に減少し、反応に違いを認めた。

2.EVBRs、温度刺激反応とも外側半規管膨大部稜感覚細胞数の減少とともに反応が低下したが、その関係は非直線的関係(シグモイド)が強くし示唆された。

3.機能と形態の非直線的関係は、半規管膨大部稜感覚細胞の中央部と辺縁部との機能分化の存在が強く推測された。

4.臨床においては、温度刺激検査による一側前庭機能低下の判定基準はCP20%以上であるが、この場合組織障害も20%に及んでおり組織学的にも妥当と思われた。

5.温度刺激反応(caloric response)は軽度の組織変化に鋭敏な検査であるが反応が急速に低下するため、計量的前庭機能検査としては問題があると思われた。一方、EVBRsは温度刺激反応に比べ反応の低下の出現は遅くよりゆっくり進行し、組織障害に対する感受性は温度刺激反応に比べ低いが、経時的な組織変化より反映していると思われた。

 以上、本論文は動物実験により、新しい前庭誘発電位測定システム(EVBR)の前庭機能検査としての有用性を従来の機能検査である温度刺激反応と比較検討することにより明らかにし、また組織学的にも証明した。さらに末梢前庭機能と形態のシグモイド関係を初めて示したものであり、今後の前庭機能検査および前庭誘発電位の研究に大きな貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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