学位論文要旨



No 215224
著者(漢字) 北尾,光俊
著者(英字)
著者(カナ) キタオ,ミツトシ
標題(和) マンガン過剰害が落葉広葉樹5種苗木の光合成に及ぼす影響
標題(洋) Effects of manganese toxicity on photosynthesis in seedlings of five deciduous broad-leaved tree species
報告番号 215224
報告番号 乙15224
学位授与日 2002.01.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15224号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 小島,克己
 北海道大学 教授 小池,孝良
内容要旨 要旨を表示する

 欧米諸国に端を発した酸性降下物による環境酸性化の問題は,工業発展の著しいアジア地域へも広がりを見せ,今や地球規模の問題となりつつある。ヨーロッパをはじめとする大規模な森林衰退は酸性降下物による土壌の酸性化が一因であるといわれている。土壌酸性化が植物に与える影響としては,マグネシウムやカルシウムなどの植物に必要な元素が土壌から溶脱することによる欠乏害と,アルミニウムやマンガンなどの金属の溶解度が上昇することによる過剰害が知られている。

 マンガンはアルミニウムよりも高い土壌pHから溶出して植物に障害を引き起こすため,土壌酸性化の過程で,マンガン過剰害はアルミニウム過剰害に先行して問題になると予想される。また,マンガン過剰害に対する感受性は植物種によって大きく異なるため,土壌酸性化が森林生態系に及ぼす影響を予測するためには,森林を構成するそれぞれ生育特性の異なる樹種についてマンガン耐性−感受性を評価する必要がある。

 本研究では,マンガン耐性機構解明の基礎とするために,マンガン過剰害が植物に障害を与える機構を明らかにする事を目的とした。実験材料として用いたのは,シラカンバ,ダケカンバ,ケヤマハンノキ,ハルニレ,イタヤカエデの落葉広葉樹5樹種である。シラカンバ,ダケカンバ,ケヤマハンノキは森林遷移の初期に現れる先駆種に分類される。ハルニレは遷移の中期に現れる樹種であり,イタヤカエデは森林遷移の後期に現れる極相種に分類される。これら落葉広葉樹5種について,マンガンを過剰に供した水耕栽培をおこない,マンガン過剰害が与える影響を,主として成長と光合成機能の面から検討した。

 植物体への過剰なマンガンの集積は成長量の低下を引き起こす。植物の相対成長率(RGR)を決定する要因として,葉面積比(LAR)と純同化速度(NAR)の2つの要因が挙げられる。LARは植物体が光合成に必要な光を受け取るための同化器官の大きさを表す指標であり,NARは単位葉面積あたりの植物体重量の増加量を表している。マンガン過剰害による植物の成長低下の原因が成長ホルモンの変化などによるLARの低下にあるのか,それとも葉へのマンガン集積によるNARの低下によるものなのかは明らかにされていない。そこで,マンガンを過剰に与えた水耕栽培をおこない,LARおよびNARへの影響を調べた。ただし,本研究ではNARを算出する代わりに単位葉面積あたりのCO2固定量,すなわち光合成速度をマンガン処理による同化速度への影響の指標とした。

 マンガン処理は1mg L-1 Mnをコントロール区として10, 50, 100mg L-1 Mnの処理区を設けた。成長を評価する指標としてRGRを用いた。いずれの樹種でも,マンガン濃度の高い処理区ほどRGRが低くなる傾向が見られた。一方,LARへのマンガン処理の影響は小さいものであった。すべての樹種について,マンガン処理濃度が上昇すると光合成速度が低下する傾向が見られた。このことより,マンガン過剰害による成長量の低下は,同化器官である葉の減少ではなく,光合成速度の低下が主たる原因であることが示唆された。

 次に,マンガン過剰害が光合成に影響を及ぼす機構を明らかにするために,個葉の光合成反応に関してin vivoの測定法を用いて詳しい解析を行った。光合成は光のエネルギーを利用して水と二酸化炭素から糖と酸素を作り出す作用であるが,その反応は,気孔を介したCO2拡散,光化学反応,電子伝達,炭酸固定などのいくつもの複雑な過程によって成り立っている。また,それらの反応は相互に影響を及ぼし合うことで,光合成全体でのエネルギーの流れを調整している。これまで行われていたマンガン過剰への光合成反応に関する研究では,in vitroの実験でそれぞれの反応を切り離してマンガンの影響を調べたものが主であった。本研究では,ガス交換測定およびクロロフィル蛍光反応測定の手法を用いてin vivoで個葉レベルの光合成反応を調べることにより,相互作用も含めて光合成反応のどの過程にマンガン集積が影響を及ぼすかを明らかにした。

 ガス交換測定により,炭酸固定系の指標であるルビスコ(ribulose-1, 5-bisphosphate carboxylase/oxygenase)活性,RuBP (ribulose-1, 5-bisphosphate)再生速度はともに葉へのマンガン集積の影響を受けることが明らかになった。一方,光−光合成曲線の初期勾配から算出した光量子収量の低下は相対的に小さいものであった。このことはマンガン集積による光合成の電子伝達系への影響は,炭酸固定系と比較して小さいことを示している。通常大気のCO2濃度の下で測定した光飽和の光合成速度は実際の生育環境での成長量と関係があると考えられるが,その値もマンガン集積によって低下する傾向が見られた。通常大気のCO2濃度での光合成速度は,主としてルビスコ活性によって律速されていたので,マンガン集積によるルビスコ活性の低下が光合成への影響としてもっとも重要な意味を持つと考えられる。

 弱光域でのガス交換測定から算出した電子伝達系の最大効率にはマンガンの影響はほとんど見られなかったが,炭酸固定系の活性の低下は,ある程度強い光を照射した際には`フィードバック制御'を通じて電子伝達系の効率にも影響を与えると予想される。そこで,クロロフィル蛍光反応を用いて,光照射時における光化学系IIへのマンガン集積の影響について詳細を調べた。

 クロロフィル蛍光反応測定によって,葉へのマンガン集積は,光照射(430μmol m-2 s-1)15分後の光合成の定常状態において,光化学系IIの電子伝達効率を低下させることが明らかとなった。電子伝達効率の低下には,電子を受け取ることができる光化学系II反応中心の割合の低下とアンテナクロロフィルでの熱としてのエネルギー放出の増加が関与していた。一方で,光化学系IIの最大効率は,低下傾向を示すものの,健全な植物で見られる値と同じレベルを示した。以上より,マンガンの葉への過剰集積は光化学系IIの活性を直接阻害するのではなく,炭酸固定系の活性低下による`フィードバック制御'により光化学系IIの効率低下が起きている可能性が考えられる。さらに,光照射後には,マンガン集積による`光阻害'が生じる可能性が示唆された。ルビスコ活性の低下にともない二次的に光化学系にも障害がおよぶことが考えられる。

 葉へのマンガン過剰集積によりルビスコ活性が低下する機構については,ルビスコを活性化する際にはたらくMg2+がMn2+に置換されることで,光合成に対する光呼吸の割合が増加し,結果として光合成速度が低下するという説が提唱されている。そこで,クロロフィル蛍光反応とガス交換の同時測定により,光呼吸速度の推定をおこなうことでこの仮説を検証した。しかし,測定をおこなったシラカンバ,イタヤカエデのどちらの樹種でも,マンガン集積による光呼吸の割合の増加を確認することはできなかった。このことより,マンガン集積による光合成の低下には,ルビスコの特性の変化ではなく,ルビスコの活性化阻害が関与している可能性が考えられる。

 以上のように,マンガン過剰害が光合成速度を低下させ,植物の成長に影響を及ぼすメカニズムが明らかとなった。次に,マンガンに対する樹種間の反応の違いを決定する要因に関して考察する。

 マンガン過剰害の典型的可視障害として,葉での褐色斑の発現が知られている。同位体マンガンを用いた実験により,褐色斑の発現が少ない栽培品種ほど液胞内へマンガンを隔離する能力が高く,マンガン耐性を持つことが報告されている。本研究において,シラカンバ,ダケカンバ,ケヤマハンノキの3樹種は,葉への顕著なマンガン集積があるにもかかわらず,ハルニレ,イタヤカエデと比較して褐色斑発現の程度は低いものであった。さらに,ハルニレ,イタヤカエデに比べると,シラカンバ,ダケカンバ,ケヤマハンノキは葉へのマンガン集積に対してルビスコ活性の低下の度合いが顕著に小さかった。これらのマンガン集積の影響が小さい樹種では,液胞など光合成機能に阻害を与えない部位へマンガンを隔離するような無毒化機構が発達していると考えられる。

 本研究によって,マンガン過剰害による植物の成長低下は,光合成速度の低下が第一の原因であることが示唆された。光合成活性を制限する機構として,マンガン過剰集積によるルビスコ活性の低下が示された。クロロフィル蛍光反応を用いた実験では,フィードバック制御による光化学系IIの効率の低下が明らかとなった。また,樹種によるマンガン感受性の違いに関しては,葉の内部でのマンガン無毒化機構が重要な役割を果たしていると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,北海道の主要落葉広葉樹5種を対象として,マンガンが植物体内に過剰に集積した場合の成長阻害要因について主に光合成機能の面から解析したものである。

 本論文は7章から成る。1章はマンガン過剰に関する総説に充て,2章では本研究の対象樹種であるダケカンバ,シラカンバ,ケヤマハンノキ,ハルニレ,イタヤカエデの5樹種について生態学的な面も含めて概説するとともに,本研究で用いた水耕栽培や測定・分析の手法を記述している。

 3章では,マンガンを過剰に供した場合の成長解析の結果を示している。1mg L-1 Mnを対照区として10, 50, 100mg L-1 Mnの処理区を設け,およそ50日間の処理をおこなった。いずれの樹種でもマンガン濃度の高い処理区ほど相対成長率が低くなる傾向が見られた。同化器官の大きさを表す指標である葉面積比へのマンガン処理の影響は小さかった。一方,マンガン処理濃度が高いほど光合成速度が低い傾向が見られた。マンガン処理に伴う成長量の低下は,同化器官の減少よりも,光合成速度の低下が主たる原因であることが示唆された。

 4章では,ガス交換測定およびクロロフィル蛍光反応測定の手法を用いてin vivoで個葉の光合成反応を調べ,光合成反応のどの過程にマンガン過剰が影響しているかを評価している。光飽和下でCO2濃度を変化させておこなったガス交換測定により,炭酸固定系の指標であるリブロース二リン酸カルボキシラーゼ/オキシゲナーゼ(Rubisco)活性,リブロース二リン酸再生速度はともに葉へのマンガン集積により低下する傾向が見られた。一方,飽和CO2条件下での光一光合成反応の初期勾配から算出した最大光量子収量の低下は小さく,マンガン集積による電子伝達系への影響は,炭酸固定系と比較して小さいことが示された。通常大気のCO2濃度の下で測定した光飽和の光合成速度もマンガン集積によって低下する傾向が見られた。通常大気のCO2濃度での光合成速度は,主としてRubisco活性によって律速されていたことから,マンガン集積によるRubisco活性の低下が光合成への影響としてもっとも重要な要因と考えた。さらに,樹種間の比較をおこなった結果,ダケカンバ,シラカンバ,ケヤマハンノキは,ハルニレ,イタヤカエデよりも葉へのマンガン集積によるRubisco活性の低下が小さいことが明らかになった。

 5章では,クロロフィル蛍光反応測定により光照射時における光化学系IIへのマンガン集積の影響を解析している。葉へのマンガン集積は,光照射15分後の光合成の定常状態において,光化学系IIの電子伝達効率を低下させることが明らかとなった。電子伝達効率の低下には,電子を受け取ることができる光化学系II反応中心の割合の低下とアンテナクロロフィルでの熱としてのエネルギー放出の増加が関与していた。これらのことから,Rubisco活性の低下がフィードバック制御を介して光化学系IIの電子伝達速度を低下させることが示唆された。さらに,光阻害とマンガン集積の関係を解析したところ,ハルニレ,イタヤカエデのようにマンガン集積によるRubisco活性の低下が著しい樹種においては,炭酸固定系で消費しきれない光エネルギーの増加によって光化学系にも障害が及ぶ可能性が示された。

 6章では,シラカンバ,イタヤカエデについて,クロロフィル蛍光反応とガス交換の同時測定により光呼吸速度を推定している。2樹種ともマンガン集積による光呼吸の割合の増加を確認することはできなかったことから,マンガン集積による光合成の低下にはRubiscoの特性の変化ではなく,Rubiscoの活性化阻害が関与している可能性を提示している。

 7章では,以上の結果を総括し,マンガン過剰に対する感受性が対象とした5樹種間で異なっていた要因について推察を加えている。

 本研究により,マンガン過剰に伴う植物の成長低下に関して,個体レベルの解析からはじめ,光合成速度の低下が第一の原因であること,マンガン集積によるRubisco活性の低下が光合成活性を制限すること,またマンガン集積による光阻害の可能性などを示す結果が得られており,マンガン過剰害の機作を総合的に知る上で学術的に重要な成果といえる。マンガン過剰害の発現には土壌中のマンガン含量だけでなく,土壌が還元状態になるか,あるいは土壌が酸性化することによる可溶性マンガンの増加が関与する。森林を構成するそれぞれ生育特性の異なる樹木の成長障害を扱った本研究は,地球規模の問題となっている森林衰退現象に対しても有用な知見を与えている。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると判断した。

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