学位論文要旨



No 215228
著者(漢字) 佐藤,和喜
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,カズヨシ
標題(和) 景と心 : 平安前期和歌表現論
標題(洋)
報告番号 215228
報告番号 乙15228
学位授与日 2002.01.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15228号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 逸身,喜一郎
 東京大学 助教授 菅野,覚明
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、通時論・共時論・応用論の三部からなり、神と人、景と心といった観点から和歌の構造とその通時的変容および共時的差異を闡明にしようとするものである。

 第一部第一章は、拾遺集歌の表現の特質を万葉集歌や古今集歌からの史的変容という観点から明らかにしようとするものである。風巻景次郎は、三代集までの時代の和歌が神に関わる呪術性を持つのに対して、それ以降の和歌はより人の側のものとなることを指摘しているが、実際、三代集に続く後拾遺集は序文において、聞くことに対する見ることを、古に対する今を、つまりは向こう側に対するこちら側、神の側に対する人の側を重視することを宣言している。こうした後拾遺集の宣言は、実は既に三代集最後の拾遺集が準備していたものである。例えば、巻二十に神祇関係歌を置く古今集は、神歌が全巻を根拠づけるものとしてあると見ることができるが、拾遺集の巻二十は哀傷部であり、その配列は、死者を悲傷する歌群に、辞世歌群、無常感・浄土願生を表した歌群が続くという形になっている。これは拾遺集が自己の凝視・救済を重要な課題とし、和歌が自己救済の手立てであることが和歌詠作を根拠づけるという主張を孕んでいることを示すものである。哀傷部の歌自体、万葉歌や古今歌が死者を鎮魂することに重きがあるのに対して、残された者の悲哀感や無常感を表すものとなっている。離別歌も同様であり、万葉や古今の離別歌や羇旅歌は旅の安全を願うという呪術的心意の表現であるのに対して、呪術性の弱い、別れ故の悲哀を表すものとなっている。また、古今集の四季部は年内立春歌から始まり、神の定める自然の循行に添う節日を重視し、聞くことを重視しているのに対して、拾遺集の四季部は人の定める暦日を重視し、見ることを重視している。向こう側に対するこちら側が重視されているのであり、拾遺集四季部が朝を殊更強調するとともに、万葉集や古今集では神婚幻想をもって眼差される鳥獣と草花との対を極力避けようとしているのも、そのことに関わっている。拾遺集恋部も、恋歌を神の側のものとしてでなく、人の側のものとして位置づけようとする姿勢が顕著である。万葉集に多いイモ・セの呼称は男女の関係を神話的な兄妹婚に重ねるものであり、その呼称が少なくなっている古今集でもその枠組みから兄妹婚の幻想を指摘し得るのに対して、拾遺集では恋人関係を兄妹関係に重ねることを避けようとするのもその表れである。拾遺集恋部に多い万葉歌が、万葉集では恋愛のさ中の共寝の関係にある男女の人目ゆえに高まる思いの表現であるのに対して、共寝の関係前の求愛歌や恋の終りの歌になっていることが多いのも、そのことに関わっている。拾遺集の歌はそのようなものとして物語を孕むものとなっている。歌が人の側のものとして、時間的な経緯を踏まえたものとなり、人がこの世で生きる軌跡を語るものとなっているのである。

 第一部第二章では、「景+心」の形を持つ歌を中心に五七調の短歌体と七五調の短歌体の相違を論じている。前者の景の表現は神聖な景の表現として人の立場から神の世界を、神のヲトコと神のヲンナの関係を眼差す表現であり、心の表現は、景の表現で眼差されていた神の側に転位して、神のヲトコあるいは神のヲンナとなって表した激情表現である。一方、後者では景の表現は比喩等の意味を持つものとして、心の表現に意味的に連続するものとなっている。一首が論理的・時間的に展開するものとして、人の立場に終始する、激情性の低い表現となっているのである。このことはまた、前者では、景の表現は人が神のヲトコ・神のヲンナを眼差す表現としてそこに嫉妬・羨望がこもり、心の表現は神の側に転位したものとして嫉妬・羨望が払われた表現であるのに対して、後者では、景の表現の嫉妬・羨望の感情が心の表現に流れ込んでいるということでもある。拾遺集の万葉歌が、恋愛の初期や末期の表現となる所以である。

 第二部は第一部で見た通時的な変容と通じることが共時的な差異として見られることを論じるものである。第一章では古事記と日本書紀の共通歌謡の差異を論じている。古事記の、景の表現と心の表現との間に転位が見られ、心の表現が激情的である歌謡が、日本書紀では景と心が連続的で、心の表現の感情度が低くなっている例が多く見られる。この転位の有無、感情度の高低の差はまた、歌が鎮魂の機能を果たすか否かの相違でもある。古事記歌謡は死者や生者の魂をその場で鎮める働きをするのに対して、日本書紀歌謡は寧ろ鎮魂を先送りし、物語を先へと展開させる機能を果たしているのである。

 第二章は古今集と伊勢物語の差異を論じたものである。平安和歌には掛詞・縁語を用いて景と心とが同時に並行的に表される場合が多く見られるが、古今集の歌がその景と心に転位が見られるのに対して、伊勢物語の共通歌では景と心が意味的に連続している場合が少なくない。そのことはまた、古今集歌が幻視ということを重要な要素とするのに対して、伊勢物語ではその幻視の要素が低くなっているということでもある。神の側に転位して激情を表すということは、見聞きできないものを幻視・幻聴するということであるのに対して、比較的穏やかな人の側の表現ではその幻視・幻聴の体験も低いものとなるのである。

 第三章は、後撰集と大和物語の差異を論じたものである。藤原兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」が、後撰集では貴人数人の宴会の席で参会者が酔っ払って口々に子供の話をした時に詠まれた歌と語られる(後1102)のに対して、大和物語四十五段では兼輔が天皇の妻の一人となった娘のことを心配して天皇に詠み贈った歌と語られるのが、両者の差異をよく示している。後撰集では酒の場で子供のことを話して酔い泣きをする、人としては逸脱した心の表現として歌はあるのに対して、大和物語では娘の将来を心配する父親が天皇に自分を謙譲しながら娘をよろしくと願う歌となっているのである。後撰集歌は身から逸脱する心を歌おうとし、大和物語歌は身に従う心を歌おうとしているということであるが、後撰集と大和物語の共通歌において、後撰集が恋愛のさ中の歌であるのに対して、大和物語では恋愛初期や末期、あるいは恋愛とは直接関係しない歌となっているのが幾組も見られるのも、そのことに関わっている。その相違はまた、後撰集歌が鎮魂の機能を持つのに対して、大和物語歌はその鎮魂の機能が弱いということでもある。後撰集歌がその場その場で完結する感情度の高い歌として死者や生者を鎮魂するのに対して、大和物語歌は身に従う、感情度の低い表現として鎮魂の機能が弱く、それ故にその後の物語を展開させるものとなっているのである。

 第三部は第一部・第二部の方法を応用して、紫式部集と更級日記の表現の特質を明らかにしようとしたものである。第一章は紫式部集と勅撰集の共通歌を比較して、紫式部集の歌の視点が内部的で感情度が高いのに対して、勅撰集ではその視点が外部的で感情度が低くなっていることを論じている。紫式部集では男が求愛の意を込めて贈ってきた歌絵に書きつけて返したと語られている「四方の海に塩焼く海人の心から焼くとはかかるなげきをや積む」が続千載集では紫式部が用意した歌絵に書き記して人に贈ったものとなっているのが、両者の相違をよく示している(続千1864:二句「潮汲む海人)。紫式部集では男を多情な男として嘲笑している歌が、続千載集では自分を見つめる歌となっているのである。こうした紫式部集と勅撰集の差異に注目する時、これまで紫式部の知的で自省的な在り方が見られることの多かった紫式部集歌には、愛恋の声や嘲笑の声等々を響かせた、感情度の高いものが少なくないことが鮮明になってくるのである。

 第二章では物語や古歌等の引用や勅撰集の共通歌との差異から更級日記の表現の特質を論じている。更級日記の冒頭は源氏物語の浮舟を意識するとともに、竹取物語のかぐや姫を意識している。更級日記が十三歳の時の都への三か月の旅から始まるのも、月の世界からやって来たかぐや姫が三か月で十三歳前後に成長したことに重なっている。作者が上京して住んだ「三条の西なる所」が足柄山と重ねられる「ひろびろと荒れたる所」であるのも、かぐや姫が都の郊外の山もとに住んだのと通じている。また、作者が結婚をしたのが三十三歳であると見られるのも、十三歳のかぐや姫がこの世で二十余年を過ごしたことに重なっている。その作者の結婚後の在り方は、かぐや姫に対する翁・媼に重ねることができる。物詣に励んで豊かになり、宮仕えをして貴人の乳母となることを期待していたのである。その夢が叶わなかった作者は、夫の死による孤独の中で、阿弥陀来迎夢を頼み、物思いのない世界に憧れるが、それはかぐや姫が物思いのない月の世界へと昇天し、浮舟が出家して尼となったことへの憧れでもある。実人生が物語への眼差しをもって語られているのである。更級日記ではまた、しばしば風景に物語が眼差されている。景がそのままに見られているのではなく、寧ろ古歌や歌言葉を通してそこに男と女の恋愛の物語が眼差されているのである。例えば、作者が上洛して一年後に「三条の西なる所」で詠んだ「いづこにも劣らじものをわが宿の世をあきはつるけしきばかりは」は、自宅の紅葉に、山里の女の物語を思い浮かべ、その女となって歌ったものである。これが続千載集では厭世感を歌った述懐の歌として採歌されている(続千1776)。更級日記においても、勅撰集の共通歌との比較がその本質を明らかにするのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、古代和歌の歴史を主として表現史的な観点から細密に考察し、『拾遺集』がその大きな変容を準備する役割を果たしていたことを、前後の時代の和歌との丹念な比較を通じて明らかにしようと試みたものである。従来は、『古今集』『後撰集』『拾遺集』の三代集に続く『後拾遺集』をもって一つの画期とする理解が一般的であったが、本論文は『拾遺集』がすでに『後拾遺集』の変化を先取りしていたことを具体的に明らかにする。古代和歌史の研究にとって大きな意味をもつ指摘であり、この点は高く評価することができる。佐藤氏はまた『拾遺集』の研究を通じて獲得した読みの方法を、他作品についても応用し、これまでとは違った作品理解の可能性があることを指摘している。この点もまた本論文の大きな成果といえる。

 本論文の全体の構成は「第一部 通時論」「第二部 共時論」「第三部 応用論」の三部からなる。「第一部 通時論」は『拾遺集』論で、本論文の中心をなす。佐藤氏の二十年余に及ぶ研究の蓄積が見事に発揮されている。『拾遺集』と『万葉集』『古今集』の重出歌を比較し、詞書をも含む表現の微妙な差異に着目することで、『拾遺集』が前代の和歌に見られた古代性を希薄化させ、新たな表現の可能性を生み出していることを明らかにする。『拾遺集』が対象との呪術的な共感性を喪っていることを、向こう側に対するこちら側重視の姿勢と見て、これを「此界性」と名づけ、さらに五七調から七五調への転換が、多声的な歌体から単声的な歌体への変化と見合う現象であることを指摘する。景と心の複合からなる和歌の基本構造が、その内実において次第に詠み手の「転位(外側から景に向き合っていた詠み手が、内側に身を転じその位置から心を表現するようになること)」を含まぬものに変化していくことを、豊富な具体例によって示す。単声化された一首は、一句から五句までが直線的につながるが、それによって時間が歌に孕まれ、物語性がそこに生み出されることになると論ずる。きわめて斬新かつ刺激的な指摘といえる。

 「第二部 共時論」は、第一部で試みた『拾遺集』と『万葉集』『古今集』の比較の方法を、同時代作品である『古事記』と『日本書紀』、『古今集』と『伊勢物語』、『後撰集』と『大和物語』との間に適用して、それぞれの差異を明らかにしたもの。ここでも、同一の歌(歌謡)が、微妙な表現の差異、あるいはそれが置かれた文脈の違いによって、表現の質を大きく異にしていることが明らかにされている。

 「第三部 応用論」は、第一部の方法を応用して、『紫式部集』『更級日記』の表現の特質を見極めようとしたもの。『紫式部集』と勅撰集の共通歌の比較を通じて、『紫式部集』では歌の視点が内部的で感情度が高く、勅撰集では外部的で感情度が低いことが指摘される。また『更級日記』においても、古歌等の引用の検討から、この日記が表現の深層において、『竹取物語』のかぐや姫を意識していることが明らかにされている。いずれも意欲的な内容をもち、今後の研究に際して絶えず参看される必要のある高度な論になっている。

 佐藤氏の方法の基本は、二つの作品中における同一の歌の表現の差異を丹念に探ることで、それぞれの特質を明らかにするところにあるが、一方で、その相異が微妙であるだけに、その認定に疑義が生じるような場合もなしとしない。また比較の際の判断基準がしばしば二項対立的な思考の枠組みに規制されるという不自由さも見受けられる。しかしながら、精緻な読みの積み重ねによって、古代和歌の表現史的展開を動的に跡づけた点は大いに評価されるべきであり、ややもすると表面的で平板な内容に陥りがちな古代和歌史研究の現伏に一石を投じた意味はまことに大きいといえる。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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