学位論文要旨



No 215248
著者(漢字) 三橋,敏
著者(英字)
著者(カナ) ミツハシ,サトシ
標題(和) Porphyridium purpureum由来ベータ型炭酸脱水酵素の構造と機能
標題(洋) Structure and function of β-type carbonic anhydrase from Porphyridium purpureum
報告番号 215248
報告番号 乙15248
学位授与日 2002.01.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15248号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 赤沼,宏史
 東京大学 教授 高橋,正征
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 小倉,尚志
内容要旨 要旨を表示する

 蛋白質は一般に形質の差異が大きくなっていく分岐進化により多様化してきた。一方で起源の全く異なる蛋白質が同一の反応を触媒するようになった収束進化の例がいくつか知られている。炭酸脱水酵素(carbonic anhydrase、以下CAと略す)は水溶液中において二酸化炭素と重炭酸イオンとの間の平衡反応を触媒する酵素である。CAは真核生物、原核生物、古細菌に広く分布し、イオン輸送、pH調節、光合成等の様々な生理機能において重要な役割を持っている。1989年にホウレンソウ葉緑体由来のCAのcDNAがクローニングされ、それまで知られていた哺乳類由来のCAとは一次構造上、ほとんど相同性を示さないことが明らかにされた。さらに、1994年に古細菌Methanosarcina thermophilaよりCAの遺伝子が単離され、どちらのCAとも有意な相同性がないことが示された。その後、様々な生物よりCAの遺伝子が単離され、それらは一次構造上お互いに相同性をほとんど示さない3タイプ(アルファ、ベータ、ガンマ型)に分けられること明らかになってきた。このことからCAは3つの異なる起源を持つ収束進化の酵素の例として知られるようになった。3つのタイプにおいては一次構造の違いからその立体構造も全く異なっているものと考えられ、実際1996年に明らかになったガンマ型CAの立体構造は、それまで知られていたアルファ型CAのものとは全く異なるものであった。ベータ型CAは高等植物、藻類、菌類、バクテリアに広く分布することが示されてきたが、その立体構造は一例も報告されていない。私はこの研究において単細胞性紅藻Porphyridium purpureumよりベータ型CAの酵素を精製した後cDNAを単離し、それを利用して結晶化を行いX線結晶構造解析によりベータ型CAの立体構造をはじめて明らかにした。

 はじめに、全長cDNAクローンを単離した。CA活性に対する阻害剤を利用したアフィニティークロマトグラフィーおよび陰イオン交換クロマトグラフィーにより藻体抽出液からCAを精製した(比活性1,147 units/mg protein)。引き続き、この精製CAをリジルエンドペプチダーゼにより消化し得られた断片のペプチド配列を決定し、それをもとにcDNA部分断片をPCRにより増幅した後、それをプローブとして全長cDNAクローンをライブラリーよりスクリーニングした。塩基配列決定の結果、このcDNAは571アミノ酸残基のポリペプチド(分子量62,094)をコードし、この酵素のモノマーは分子内にベータ型CAに保存されているアミノ酸配列の繰り返し構造があることが明らかとなった。モノマーの分子量は他のベータ型CAのほぼ2倍であるため、このモノマーは進化の過程でベータ型CA遺伝子が重複融合した結果、形成されたものであることが示唆された。さらに、このcDNAを用いて大腸菌内での大量発現系および大量精製系を確立した。

 次に大量発現させたCAを抗原としポリクローナル抗体を作製し、金コロイド免疫電顕法により細胞内局在を調べた。その結果CAは空気通気条件で培養したPorphyridium細胞の細胞膜の細胞質側表面に存在することがわかった。CAは植物の光合成反応において溶存無機炭素を効率よく固定するために重要な機能を持っていると考えられている。特に微細藻類では空気に飽和した条件下において、光合成反応の二酸化炭素に対する親和性を上げるように機能するとされている。Porphyridiumにおいては、細胞膜の内側に存在することにより細胞内に取り込まれた無機炭素が二酸化炭素の形で漏出することを防いでいるものと考えられた。

 さらに立体構造を明らかにするためX線結晶構造解析を行った。結晶化条件の網羅的検索の結果、24%ポリエチレングリコール4000、300mM硫酸アンモニウム、50mMカコジル酸ナトリウム(pH 6.75)のリザーバー溶液とCA溶液(30mg/mL、pH 8.5)を用いたハンギングドロップ法により板状結晶を得ることに成功した。得られた結晶は実験室レベルのX線源を利用した検討で分解能2.5Aの反射が得られ、空間群P21の単結晶であることが判明した。構造決定に使用したX線回折データは放射光施設SPring-8ビームライン45XUで液体窒素により凍結させた結晶について3波長を用いて収集した。構造決定は、もともと活性部位に結合している亜鉛を用いた多波長波長異常散乱法により2.2Aの分解能で行い、R=0.208、Rfree=0.274まで精密化を行った。その結果、モノマーが2つ会合してダイマーを形成し、モノマー内の繰り返し配列を反映して、このダイマーは見かけ上テトラマー様分子として、疑似222対称をもつことがわかった。この結果は精製酵素についてSuperdex 200カラムを用いたゲルろ過法により分子量(137k)が得られたことと一致する。モノマー内に2回繰り返されるベータ型CAの最小単位の構造は、4本の平行ベータストランドと1本の逆平行ベータストランドによって形成されるコアとなるベータシートとその周囲をとりまくアルファヘリックスによって構成されることがわかった。全体的な立体構造上からも他の2タイプ(アルファ型CA,ガンマ型CA)とは全く異なっていることが判明し、起源の異なる酵素であることを裏付けることとなった。さらに、活性中心である亜鉛はCys149-Asp151-His205-Cys208およびCys403-Asp405-His459-Cys462の4アミノ酸残基によって結合されていた。亜鉛結合部位は、ベータ型CAグループにおいて高度に保存されているアミノ酸残基で構成される"くぼみ"に存在する。これらのアミノ酸残基は反応機構において重要な機能を持っていると考えられる。他の2タイプ(アルファ型CAおよびガンマ型CA)では亜鉛はHis-His-His-H2Oによって結合されており、活性部位付近の構造も全く異なることが明らかとなった。

 最後に、亜鉛を結合しているAsp残基およびCys残基の役割を調べるためこれらの残基をAsn、AlaおよびSerに置換した酵素を作製し単離精製した後、比活性と亜鉛結合量を測定した。その結果、Asp151あるいはAsp405のどちらかを置換すると酵素全体の活性が失われるが、亜鉛結合量は減少しなかった。一方、Cys149あるいはCys403のどちらかを置換した場合は一方の活性部位に由来する活性が失われ、それに伴う分だけ亜鉛結合量も減少した。このことはAsp残基が亜鉛を結合する役割だけをもつのではなく、より直接的に反応機構に関与することを示唆するものである。

 炭酸脱水酵素は古典的に研究されてきた酵素であり、ヒト由来アイソザイムll(CAll、アルファ型CA)は106S-1にも達する分子活性をもち、その反応機構について、動力学的構造学的両面から集中的な解析が行われている。最近、ガンマ型CAの反応機構がアルファ型CAに類似したものであることが報告された。今回明らかにした立体構造はベータ型CAの反応機構解明の基礎となるものである。これらは同じ反応を触媒する、進化的起源の異なる酵素であり、蛋白質の構造と反応機構の関係について重要な知見を与えるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 炭酸脱水酵素(carbonic anhydrase、以下CAと略す)は水溶液中において二酸化炭素と重炭酸イオンとの間の平衡反応を触媒する酵素である。CAは、真核生物、原核生物、古細菌に広く分布し、イオン輸送、pH調節、光合成などの様々な生理機能において重要な役割を持っている。近年、多くの生物よりCA遺伝子が単離され、それらは一次構造上お互いに相同性を殆ど示さない3タイプ(α,β,γ型)に分けられることが明らかになってきた。このことからCAは3つの異なる起源を持つ収束進化の酵素の例として知られるようになった。3つのタイプは一次構造上の違いから立体構造も全く異なっていると考えられ、実際1996年に明らかになったγ型CAの立体構造はそれまで知られていたα型のものとは全く異なるものであった。β型CAは高等植物、藻類、菌類、バクテリアに広く分布することが示されてきたが、その立体構造は一例も報告されていない。本研究は単細胞性紅藻Porphyridium purpureumよりβ型CAを精製した後、cDNAを単離し、それを利用して結晶化を行い、X線結晶構造解析により立体構造をはじめて明らかにした点で注目される。論文の内容は以下のようにまとめられる。

 まず。全長cDNAクローンを単離した。CA活性に対する阻害剤を利用したアフィニティークロマトグラフィーおよび陰イオン交換クロマトグラフィーにより藻体抽出液からCAを精製した。引き続き、この精製CAをリジルエンドペプチダーゼにより消化し得られた断片のペプチド配列を決定し、それをもとにcDNA部分断片をPCRにより増幅した後、それをプローブとして全長cDNAクローンをライブラリーよりスクリーニングした。塩基配列決定の結果、このcDNAは571アミノ酸残基のポリペプチド(分子量62,094)をコードし、この酵素のモノマーは分子内にβ型CAに保存されているアミノ酸配列の繰り返し構造があることが明らかとなった。モノマーの分子量は他のβ型CAのほぼ2倍であるため、このモノマーは進化の過程でβ型CA遺伝子が重複融合した結果、形成されたものであることが示唆された。さらに、このcDNAを用いて大腸菌内での大量発現系および大量精製系を確立した。

 つぎに大量発現させたCAを抗原としポリクローナル抗体を作製し、金コロイド免疫電顕法により細胞内局在を調べた結果、CAは空気通気条件で培養したPorphyridium細胞の細胞膜の細胞質側表面に存在することが分かった。CAは植物の光合成反応において溶存無機炭素を効率よく固定するために重要な機能を持っていると考えられている。Porphyridiumにおいては、細胞膜の内側に存在することにより細胞内に取り込まれた無機炭素が二酸化炭素の形で漏出することを防いでいるものと考えられた。

 さらに立体構造解明のためX線結晶構造解析を行った。24%ポリエチレングリコール4000、300mM硫酸アンモニウム、50mMカコジル酸ナトリウム(pH 6.75)のリザーバー溶液とCA溶液(30mg/mL、pH 8.5)を用いたハンギングドロップ法により板状結晶を得ることに成功した。得られた結晶は実験室レベルのX線源を利用した検討で分解能2.5Aの反射が得られ、空間群P21の単結晶であることが判明した。構造決定に使用したX線回折データは放射光施設SPring-8ビームライン45XUで液体窒素により凍結させた結晶について3波長を用いて収集した。構造決定は、もともと活性部位に結合している亜鉛を用いた多波長波長異常散乱法により2.2Aの分解能で行い、R=0.208、Rfree=0.274まで精密化を行った。その結果、モノマーが2つ会合してダイマーを形成し、モノマー内の繰り返し配列を反映して、このダイマーは見かけ上テトラマー様分子として、疑似222対称を持つことが分かった。この結果は精製酵素についてSuperdex 200カラムを用いたゲルろ過法により分子量(137k)が得られたことと一致する。モノマー内に2回繰り返されるβ型CAの最小単位の構造は、4本の平行β−ストランドと1本の逆平行β−ストランドによって形成されるコアとなるβ−シートと、その周囲を取り巻くα−へリックスによって構成されることが分かった。全体的な立体構造上からもα型CA、γ型CAとは全く異なっていることが判明し、起源の異なる酵素であることを裏付けることとなった。さらに、活性中心である亜鉛はCys149-Asp151-His205-Cys208およびCys403-Asp405-His459-Cys462の4アミノ酸残基によって結合されていた。亜鉛結合部位は、β型CAグループにおいて高度に保存されているアミノ酸残基で構成される"くぼみ"に存在する。これらのアミノ酸残基は反応機構において重要な機能を持っていると考えられる。α型CAおよびγ型CAでは亜鉛はHis-His-His-H2Oによって結合されており、活性部位付近の構造も全く異なることが明らかとなった。

 最後に、亜鉛を結合しているAsp残基およびCys残基の役割を調べるためこれらの残基をAsn、AlaおよびSerに置換した酵素を作製し単離精製した後、比活性と亜鉛結合量を測定した。その結果、Asp151あるいはAsp405のどちらかを置換すると酵素全体の活性が失われるが、亜鉛結合量は減少しなかった。一方、Cys149あるいはCys403のどちらかを置換した場合は一方の活性部位に由来する活性が失われ、それに伴う分だけ亜鉛結合量も減少した。このことはAsp残基が亜鉛を結合する役割だけを持つのではなく、より直接的に反応機構に関与することを示唆するものである。

 炭酸脱水酵素は古典的に研究されてきた酵素であり、その反応機構について動力学的・構造学的両面から集中的な解析が行われている。最近、γ型CAの反応機構がα型CAに類似したものであることが報告されたが、β型CAについては未だ解明されていない。本論文ではβ型CAの立体構造がはじめて明らかにされたが、これはβ型CAの反応機構解明の基礎となるものとして高く評価される。進化的起源が異なるがゆえに構造的にも異なり、しかも同一の反応を触媒する酵素の、構造と反応機構の関係について本論文は重要な知見を与えるものであり、極めて意義深いと考えられる。

 なお、本論文の内容は申請者がファーストオーサーの論文として公表されているが、いずれも申請者の貢献度が最も高い。これらの内容について審査委員会で評価した結果、審査委員全員一致して、申請者に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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