学位論文要旨



No 215252
著者(漢字) 小山内,信智
著者(英字)
著者(カナ) オサナイ,ノブトモ
標題(和) 砂防事業区域における植生の機能とその保全・導入手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 215252
報告番号 乙15252
学位授与日 2002.02.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15252号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 要旨を表示する

 近年、砂防等の土砂災害防止事業を遂行するに際して、周辺生態環境への配慮を欠いているという指摘がなされてきた。これは、現行の技術指針等が不安定土砂を固定するという手法を最優先にしていることに由来している。そのため、生態環境を構成する重要な要素である植生を極力保全する手法、ならびに渓流環境に大きな負荷を与える砂防ダムや流路工等の構造物による渓流工事の負担を軽減するために、植生の持つ砂防上の効果を適正に評価し、積極的に砂防事業に導入する手法を検討した。

 本研究では、土砂が移動する場において植生を保全・導入する意義を明らかにし、植生の持つ土砂生産・流出抑制機能を如何に発揮させるべきかを示すことを目的とした。また、特に流路整備に当たって流路内に渓畔植生を導入できる設計手法を、全国的な実態調査結果の分析、および水理模型実験を行い、提示した。

 第1章では、山腹斜面における植生の存在が不安定土砂の発生量を軽減するという既往研究の論点を整理したうえで、砂防事業における植生導入手法を提示するための本研究のフローを示した。

 第2章では、これまで定量的な評価が行われてこなかった土砂が移動する場での植生の意義を明確にし、土砂災害を防止するための対策を行うべき区域を、土砂の生産・流出形態と、それを抑制する植生の機能の発現形態から、山腹、山麓、渓畔域の3つの場に分類した。

 第3章では、山腹・山麓での土砂の生産・移動と植生の関係を災害事例等から解析した。

 まず、豪雨時の表層崩壊の発生に関して、既往の広域に亘る2つの災害を事例として山腹斜面崩壊実態を数量化I類により解析し、森林の存在および樹林密度の高さが崩壊発生抑制効果をもたらすこと等を示した。また、20°〜30°の比較的緩い勾配の斜面での崩壊も対策上考慮すべきであることを明らかにした。

 次に、山林火災流域における土砂流出実態調査を行い、火災直後は主に表面侵食による土砂流出量は増加するが、数年以内での豪雨を免れた場合には植生の回復により、非焼失区域との差は明確でなくなることを、一定の規模を持つ流域単位で示した。

 さらに、斜面崩壊や土石流による移動土砂が樹林内に堆積した事例の分析から、樹林の土砂捕捉形態を、「ネット効果」、「ダム効果」、「縦杭効果」、「粗度効果」の4つに分類し、待受樹林帯の設計において考慮すべき条件を提示した。

 第4章では、これまで「再緑化のための工事」として行われてきた既往山腹工における斜面の安定性や植生の成長・遷移実態を分析・評価し、「土砂生産域となっている山腹斜面からの表面侵食および表層崩壊を低減させる」という砂防事業としての目標を「荒廃斜面を自然植生の成立している斜面と同等の土砂流出ポテンシャルに近づけて行く」という視点で捉え直して管理・モニタリングを行うべきことを示した。

 第5章では、渓流内で工事を行った場合に大きな影響を受ける渓畔林の保全手法を検討するために、その成立実態を全国的な植生調査結果から河道横断微地形毎に分類した。その結果、渓流保全工を実施するに際して環境上の要求を満足させるためにはある程度の河道の攪乱を許容しつつ高木を含む群落を流路内に維持することが重要であり、それには河道横断微地形上の安定帯を保持できるような渓流の安定化が必要であることを示した。

 また、出水時の渓岸侵食量と渓畔植生状況および周辺河道条件等を重判別分析し、渓岸侵食に与える影響の大きさが外力k=V2/gd(ここに、V:流速、g:重力加速度、d:砂礫の平均粒径)で表現できることを明らかにした。さらに渓畔植生の成立状況による渓岸侵食抑制効果を外力kと最大侵食比(侵食幅/流路幅)との関係から分析した結果、これまで砂防上の機能の議論が殆ど行われてこなかった渓畔植生に関して、その存在による渓岸侵食抑制効果はそれほど大きくはないものの、床固工や護岸根固め等の構造物との組み合わせや洪水流速を緩和する微地形的な場の条件によっては効果を発揮し得ることを明らかにした。

 第6章では、砂防工事による渓岸の固定化等が渓畔植生に与える影響を把握するために、低水護岸を設置している区間と設置していない区間が混在する鬼怒川右支大谷川流路工の施工に伴う昭和20年以降の河道周辺の植生遷移、および平成10年8月出水前後の地形変化を判読した。その結果、水通し断面に対して流路工幅が十分余裕のある場合には、漸変的に攪乱頻度の異なる場が形成され、流路工内に比較的多様性のある渓畔植生群落が成立することを明らかにした。また、河床整正や低水護岸設置等の工事による渓畔植生の消失やその後の遷移のパターンを示した。

 さらに、河道横断形状から読みとる河幅と径深で表される平面に実際の植生タイプ毎の分布をプロットし、その範囲とレジーム則、およびマニング式を変形して得られる補助線とを比較することで、植生状況に関する整備目標に応じた流路規模等の横断形状を設定する手法を新たに考案した。

 第7章では、第5、6章からもその有効性が示された、流路整備において低水路部分を護岸で固定せず、袖の長い床固工群によって自然に近い流路断面形状を造り出し、渓畔林の成立を可能にし、かつその側岸侵食抑制効果を評価する手法を実験的に検討した。その結果、側岸侵食は砂礫堆の形成と密接に関わるが、床固工間隔や初期河道形状等を適切に設定することで砂礫堆の成長と側岸侵食を抑制できることを明らかにした。また、側岸部の渓畔林は流水に対する粗度として侵食抑制効果を発現するが、その効果はフルード数が1程度以下の状態で大きくなることを明らかにした。

 一方、汎用性のある施設設計手法を提示するために、実験結果を再現する数値シミュレーションモデルの検討を行った。これまで、側岸侵食を再現する計算手法は湾曲部における横断面方向に発生する2次流を考慮するなどの方法が試みられてきたが、平面的に流路が拡幅する状況を再現することは困難であった。本研究では、側岸が切り立ったまま後退する状況を再現するために、側岸が崩落して土砂を供給することのできるメッシュ位置を限定する"侵食前縁メッシュ"を考案し、また、床固工前庭部の深掘れ規模を考慮することで良好な再現性を得た。渓畔林の粗度効果も考慮した本数値シミュレーション手法を用いて攪乱を許容すべき河道幅を定量的に示すことで、これまで手法が明確でなかった渓畔林を含んだ流路保全工の設計がより合理的に行えることになった。

 第8章では、特に渓流内の動植物への影響が大きいと考えられる流路整備において、渓畔林を成立させることが可能な流路保全工の設計フローを作成した。

 第9章では、第2章から第7章までに得られた知見を取りまとめ、植生が持つ砂防上の効果と砂防植生工の適用条件等を対比して提示した。

 これにより、主に不安定土砂の発生量との関係において意義を与えられてきた砂防事業区域内の植生に、新たに「土砂が移動する場」における移動抑制要素としての役割を与え、管理の対象としての扱い方を示すことで、これまで技術的な判断が不明瞭であった渓流域を含めた「砂防植生工」の導入手法が明示された。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、砂防等の土砂災害防止事業を遂行するに際して、周辺生態環境への配慮を欠いているという指摘がなされてきた。本研究では、土砂が移動する場において植生を保全・導入する意義を明らかにし、植生の持つ土砂生産・流出抑制機能を如何に発揮させるべきかを示すことを目的としている。

 本論文は9章からなり、以下概要を示せば,I章、II章では、砂防事業における植生導入手法を提示するための本研究のフローを示し、土砂が移動する場での植生の意義を明確にするとともに、土砂災害を防止するための対策を行うべき区域を、土砂の生産・流出形態とそれを抑制する植生の機能の発現形態から、山腹、山麓、渓畔域の3つの場に分類している。

 III章では、山腹・山麓での土砂の生産・移動と植生の関係を災害事例等から数量化I類などを用いて解析し、豪雨時の表層崩壊の発生に関して、森林の存在および樹林密度の高さが崩壊発生抑制効果をもたらすことなどを示した。また、斜面崩壊や土石流による移動土砂が樹林内に堆積した事例の分析から、樹林の土砂捕捉形態を、「ネット効果」、「ダム効果」、「縦杭効果」、「粗度効果」の4つに分類し、待受樹林帯の設計において考慮すべき条件を提示した。

 IV章では、既往山腹工における斜面の安定性や植生の成長・遷移実態を分析・評価し、「土砂生産域となっている山腹斜面からの表面侵食および表層崩壊を低減させる」という砂防事業としての目標を「荒廃斜面を自然植生の成立している斜面と同等の土砂流出ポテンシャルに近づけて行く」という視点で捉え直して管理・モニタリングを行うべきことを示している。

 V章では、渓畔林の成立実態を全国的な植生調査結果から河道横断微地形毎に分類し、渓流保全工が環境上の要求を満足させるための条件を求め、ある程度の河道の攪乱を許容しつつ高木を含む群落が流路内に維持されるように、河道横断微地形上の安定帯を保持できるような渓流の安定化が必要であることを示している。

 出水時の渓岸侵食量をもたらす渓畔植生状況および周辺河道条件として、渓岸侵食に与える影響の大きさが外力k=V2/gd(ここに、V:流速、g:重力加速度、d:砂礫の平均粒径)で表現できることを明らかにした。この外力kを用いて、これまで砂防上の機能の議論が殆ど行われてこなかった渓畔植生の存在による渓岸侵食抑制効果について、床固工や護岸根固め等の構造物との組み合わせや洪水流速を緩和する微地形的な場の条件によって効果を発揮し得ることを明らかにした。

 VI章では、砂防工事による渓岸の固定化等が渓畔植生に与える影響を把握するために、鬼怒川右支大谷川流路工の施工に伴う昭和20年以降の河道周辺の植生遷移を判読し、漸変的に攪乱頻度の異なる場が形成されることに対応して、流路工内に比較的多様性のある渓畔植生群落が成立することを明らかにしている。また、河道横断形状から読みとる河幅と径深で表される平面に実際の植生タイプ毎の分布をプロットし、植生状況に関する整備目標に応じた流路規模等の横断形状を設定する手法を新たに考案し、提示している。

 VII章では、渓畔林の成立が可能で、かつその側岸侵食抑制効果が評価できる条件を水路実験により検討し、側岸侵食は砂礫堆の形成と密接に関わること、床固工間隔や初期河道形状等を適切に設定することで砂礫堆の成長と側岸侵食を抑制できること、を明らかにしている。また、この実験結果を再現する数値シミュレーションモデルの検討を行ない、従来困難であった平面的に流路が拡幅する状況を再現することについて、"侵食前縁メッシュ"を考案し、側岸が崩落して土砂を供給することのできる条件設定を加えることにより良好な再現性を得ている。本数値シミュレーション手法を用いて攪乱を許容すべき河道幅を定量的に示すことで、これまで手法が明確でなかった渓畔林を含んだ流路保全工の設計がより合理的に行えることになった。

 第VIII章では、特に渓流内の動植物への影響が大きいと考えられる流路整備において、渓畔林を成立させることが可能な流路保全工の設計フローを作成し、第IX章では、第II章から第VII章までに得られた知見を取りまとめ、植生が持つ砂防上の効果と砂防植生工の適用条件等を対比して提示し結論としている。

 以上本研究では、砂防事業区域内の植生の評価に、新たに「土砂が移動する場」における移動抑制要素としての役割を与え、管理の対象としての扱い方を示すことで、これまで技術的な判断が不明瞭であった渓流域を含めた「砂防植生工」の導入手法が明示された。

以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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