学位論文要旨



No 215254
著者(漢字) 山崎,準二
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,ジュンジ
標題(和) 教職意識の変容に関するライフコース研究 : 静岡県における戦後世代のコーホート比較
標題(洋)
報告番号 215254
報告番号 乙15254
学位授与日 2002.02.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第15254号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 近藤,邦夫
 東京大学 助教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 汐見,稔幸
 東京大学 教授 藤田,英典
内容要旨 要旨を表示する

 1.本研究の目的・対象・方法

 本研究の目的は、戦後日本の教育を担ってきた教師たちのライフコースを分析し、教職意識の変容のあり様を解明することにある。同時に、そのあり様を解明することは教師としての発達や力量のあり様を捉えることでもある、とのねらいを込めている。

 その目的のために、静岡大学教育学部を卒業し、静岡県下の小・中学校に赴任していった年齢・性の異なる総計1500名余りの教師たち(卒業年度をもとに約5年間隔で9つの卒業コーホートを編成し、年齢の高い順に第1〜9GCと呼称)を対象として、彼(女)らのライフコースを分析するための2種類の調査と考察を実施した。すなわち、上記の同一対象者に対する3回にわたる(1984年、1989年、1994年)継続的な質問紙調査と、各GC毎2〜3名を抽出した計22名(年齢の高い順にA〜V教師と呼称)に対する集中的なインタビュー調査を実施し、両調査結果からもたらされたデータ・資料に対して統計的及び事例的な考察を行った。考察の際には、対象者の個人史のみならず、それを戦後日本(特に今回の対象者たちが歩んだ舞台である静岡県という一地域)の社会及び教育の歴史とも重ね合わせることによって、一人ひとりの教師毎、また各GC毎の教職意識の変容を把握しようとした。

 本研究の特徴は、分析対象に教師のライフコースを据え、分析方法としてライフコース・アプローチを取り入れた点にある。一般に「人生の軌跡」とも訳されるライフコースは、未だ多義的な概念であるが、それを時間という視点でみるならば、その中には個人時間(加齢・成熟)と社会時間(家族や職業などの周期)と歴史時間(時代)という3つの時間が束ねられている。教師のライフコースやそこに含まれている教職意識も、そうした3つの時間の束の中で形成され、そうした複数の時間が互いに共鳴し合う結節点において変容が生み出されるのである。したがって、教師(職業人)としての職業生活上の時間のみならず、一個の人間、家庭人、そして戦後日本社会に生きる市民としての生活全体の中に流れる様々な時間までも視野に入れながら、ライフコース上にみられる教職意識の変容に着目し考察作業を行うという方法を重視した。

 2.論文の構成と内容

 上述のような研究的立場から考察作業を進めてきた本研究の成果を、序論部・本論部・結論部という3部構成にまとめ、そのなかに6つの章に分けて、収めた。

 まず最初の序論部に位置づけた「第一章:研究の対象と方法」においては、上述のような問題意識や研究目的のために、分析対象としての教師のライフコース自体が持つ複合的性格(変容性・多様性・コーホート性・歴史性という4つの特性を内包)とそこから導き出した分析枠組み・分析方法とを提起した。

 また、9つのGCは、その共有経験の点で、戦争体験と高度経済成長期以前の社会体験を共有しながら、第3回目(1994年)調査時点はその多くが指導的管理的地位に在る年輩教師層(第1〜3GC)、「団塊の世代」「学園紛争世代」とも呼ばれ、同上時点はその多くが学校内において研究・教育活動のリーダー的地位に在る中堅教師層(第4〜6GC)、そして校内暴力や管理主義の被教育体験を共有しながら、受験競争がエスカレートしてくる中で高校・大学受験を経てきた若手教師層(第7〜9GC)、という3つの教師層に括ることができる。教師一人ひとりのライフコースと教職意識の変容は多様でありながらも、その各GC及び各層内においては多くの点で共通の特徴を持ち、比較分析の主要な視点となりうることを提起した。

 本論部に収めた第二〜五章では、質問紙調査及びインタビュー調査の結果を、ライフコース上において直面する諸課題ごとに整理し提示することによって、教職意識の形成を含む変容とその変容に影響を与えた諸要因のあり様を、統計的及び事例的に考察した。

 「第二章:教職の形成」では、教職に就く以前の段階における被教育体験、大学における養成教育や様々な課外活動体験、それらの過程における教職の選択や教職イメージの形成、そして教職に就いて以降の新任期段階における教育実践や研修などの経験を経て、教師としての最初のアイデンティティが確立していくまでの具体的様相について論述した。

 教職選択の時期・要因という点では、年輩教師層は「親・身内の者の影響」による早期の教職選択(その典型例として例えばF教師)が、中堅教師層は大学入学後の「教育実習」経験によるやや遅れた教職選択(同上L教師)が、また若手教師層は自らの被教育体験で出会った「小・中・高校教師の影響」による教職選択の早期化傾向(同上U教師)が特徴であった。教職イメージを形成する要因としては、自らの「被教育体験」や接した「小説・ドラマ等」が大きく、特に新任期における実践のモデル(反面教師的な場合も含めて)として直接的に影響を与えていた(同上A・Q教師)。また新任期における教職活動を支え促す要因としては、「児童・生徒との日常の交流」「同じ新任教師や年齢が近い若手教師との交流」「経験豊かな先輩教師の日常のアドバイス」の3つの事柄が大きな意味を有していた(同上B・T教師)。いずれも日常の教育活動の中で展開されているインフォーマルな営みであり、それらの営みの質を規定する教師集団のあり様とも関係して、教職意識の変容の重要な影響要因となっていた。このことは他面では、制度化された研修諸制度や研究諸活動などのフォーマルな営みの形骸化をも意味していた。

 入職し、新任期を経た以降の教職生活の中で、いったん形成された教師としてのアイデンティティが、様々な要因を契機として再び修正・転換(あるいは強化)されることが起こる。「第三章:教職の遂行」では、そのような教職生活全体の中での転機に着目しながら、転機を生み出す諸契機と変容した具体的内容について論述した。

 教職生活上における転機を生み出す事柄としては、各GCに共通して「教育実践上での経験」と「学校内でのすぐれた先輩や指導者との出会い」という2つの事柄が大きな意味を有していた。前者の具体的内容は様々な問題を抱えた子どもとの出会いであり(同上C・E・O・V教師)、後者は先輩や指導者の示す実践や助言の獲得であり(同上H・I・K教師)、それらの出会いや獲得を契機としてそれまで自らが培ってきた指導方法や教育観そのものの問い直しに迫られたケースであった。また、各GC毎に重要さが変化する事柄として確認できたのが「個人及び家庭生活上の変化」と「職務上の役割の変化」という2つであった。「個人及び家庭生活上の変化」の具体的内容としては、主に中堅及び若手教師層の女性教師において、自らの出産・育児体験とそれを通して子ども観に変容が生じることであった(同上M・P教師)。「職務上の役割の変化」は、主に年輩及び中堅教師層の男性教師において、主任・指導主事・教頭・校長などの指導的管理的地位への就任とその職務経験を通して教職観に視野の拡がりが生じることであった(同上D・G・J・N教師)。しかし、前者は精神的身体的負担ゆえの離職の危機、後者は職務に就くことによる教育実践家からの離脱化、という問題を孕むものであった。

 「第四章:教職の危機」では、教職に就いて以降の段階で直面する「ゆきづまり」や「離職の危機」状況とそれらをもたらす直接的要因、背景にある生活実態などについて論述した。

 "荒れ"た中学校において同僚からの支えを得られないままに生徒に対する自由と管理の狭間で悩み傷つく若い教師(同上S教師)や、出産・育児・家事などの負担を抱え精神的にも身体的にも疲労の多い教職生活を送っている30歳代〜40歳代の女性教師たち(同上R教師)の実態を取り上げた。これらの教育実践上のゆきづまりや私生活上の育児体験などは、一面で教職遂行の危機をもたらす最大の要因であるが、他面ではライフコース上の大きな転機ともなりうるものであった。とりわけ、男性教師が学校内において校務分掌上の役割を経験しながら直線的に教師としての発達と教職意識の変容を遂げていくのに対して、女性教師は私生活上の育児体験などを通して迂回的ながらも確実に固有の発達と変容を遂げていく実態が確認された。

 本論部最後の「第五章:教職意識の構造」では、第二〜四章とは異なり、調査対象者たちの教職観・教職イメージ・教師教育観といった教職意識を、3回にわたる質問紙調査結果にもとづいて統計的に考察した。

 調査対象者たちが自らの人生や教職経験の中で形成してきた教職意識の構造とともに、加齢や職務遂行などに伴って生れてくる変容を、加齢効果・コーホート効果・時代効果といった分析視点から明らかにした。例えば、教職観においては教職の労働者的側面へ中堅教師層から多くの支持が寄せられコーホート効果が確認され、教職イメージにおいては入職後のほぼ10年間において「教師に対する世間の目」が「冷たく」、「学校の雰囲気」が「堅苦しく」感じられるようになるなど、いわばマイナス方向への変容が生れている実態が確認された。また教師教育観では、例えば養成教育に求めるものとして年輩教師層からは「教師としての心構え」に、若手教師層からは「教育実習」にそれぞれ支持率が高いなど、各GC間の違いがみられた。

 結論部では、「第六章:教職意識の変容」と題し、研究全体のまとめを論述した。まずライフコースにおけるコーホート性と歴史性という2つの特性に着目しながら各GCの示す特徴に即して、次にライフコースにおける変容性と多様性という2つの特性に着目しながら年齢に対応した教職生活上の諸段階の示す特徴に即して、日常の教職生活においてもたらされる教職意識の変容のあり様を総括的に論述した。そして最後には、ライフコース研究の持つ教師教育実践及び教育実践研究上の領域における可能性と、本研究自体に残された課題とを論じ、本研究の締め括りとした。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、教師のライフコースを継続的調査によって世代別に比較し、教師が専門家として成長する経験と職業意識を個人的、社会的、歴史的状況に照らして理解することを主題としている。この主題に接近するために、本研究は、静岡大学教育学部を卒業して静岡県下の小・中学校に赴任した教師を5年単位の9つのコーホートとして抽出し、この9つのコーホートの教師1506名を対象とする質問紙調査を3回実施して(1984年、1989年、1994年)、併せて、各コーホートごとに2-3名を抽出した計22名の教師を対象とする集約的なインタビュー調査により、世代別の教職意識の特徴とその変容を描き出している。

 教師の職業経験とその発達に関する研究は、これまで、職業的社会化の研究、職能発達のライフサイクル研究、およびライフヒストリー研究によって開拓されてきた。本研究は、それらの成果を継承しつつ、新たにライフコース研究の方法論を活用して世代別コーホートの比較を10年間にわたる継続的調査で実現したところに独創性がある。その方法を提示した序論(第一章)では、ライフコース研究の諸概念を先行研究に即して吟味し、教職生活の複合性を「変容性」「多様性」「コーホート性」「歴史性」の4つの側面において開示し、さらに、各コーホートの教職意識とその変容を「加齢効果」「コーホート効果」「時代効果」の三つの視点で叙述する方法を提示している。

 本論の各章では、教職選択の時期と要因、教職イメージの形成、教職アイデンティティの形成(第2章)、教職の遂行と転機(第3章)、教職の危機(第4章)、教職イメージの変容と教師教育の意味づけ(第5章)を、新任から退職までの各ステージにおける職業意識の変化に着目しつつ、9つのコーホートの比較によって特徴づけている。そして結論(第6章)では、9つのコーホートを「若手」「中堅」「年輩」の3世代に統合し、世代間、性別における教職生活の転機と危機の特徴、専門的成長を促進する要因の比較、専門的成長の様態と制度化された研修との齟齬の実態を描き出している。

 本研究は、9世代を比較して静岡県における戦後40年にわたる教師の職業意識の変貌を実証的に開示した点、および、各世代におけるキャリアステージごとの教職生活の危機の特徴と専門的成長の契機を明示した点など、教職生活の実態の探究と教師政策の立案に資する数多くの知見を提供している。特に、教職を選択した主たる契機が世代を追うにつれて親や身内の助言から担任教師からの影響へと変化し若年化している実態、若年層の教職イメージがテレビ・ドラマによって影響されている現実、専門的成長の最大の契機である同僚関係が希薄になっている実態、専門的成長において、学校内外のインフォーマルな学習経験が有効に機能しており、女性教師の場合は個人的経験が重要な意義を担っている点など、教職生活の複雑な展開を理解する上で貴重な知見を多数提供している。よって、本論文は博士の学位の水準を満たすものとして評価された。

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