学位論文要旨



No 215256
著者(漢字) 佐々木,純子
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ジュンコ
標題(和) サイトカインシグナリングにおけるCD45の機能解析
標題(洋)
報告番号 215256
報告番号 乙15256
学位授与日 2002.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15256号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

 タンパク質のリン酸化および脱リン酸化反応は、細胞内シグナル伝達において中心的な役割を果たしており、この両反応における新たな基質の同定およびそれらのシグナル伝達における生理機能の解明は、細胞や個体の生理応答あるいは病態の成立機構を分子レベルで理解することにつながる。

 CD45は赤血球と血小板以外の血球系細胞とそれらの前駆細胞に発現している膜貫通型タンパク質チロシンホスファターゼ(PTPase)である。CD45の基質としては、Srcファミリーのタンパク質チロシンキナーゼ(Src PTK)が同定されている。Src PTKには活性化または不活性化に関与する2カ所のチロシン残基が存在するが、CD45は両者を脱リン酸化することが可能で、細胞や刺激の種類に応じてどちらか一方または両方を脱リン酸化する。CD45欠損細胞やマウスの解析により、このPTPaseは、リンパ球の成熟や抗原受容体からのシグナル伝達を制御する重要な分子であることが明らかとなっている。この他にもCD45の関与が示唆される細胞応答やCD45のノックアウトマウスの表現型には、Src PTKの制御だけでは説明できないものもあり、CD45はSrc PTKのみならず、他の分子もをも脱リン酸化制御することが推察された。そこで本研究では、CD45の新規標的分子を探索し、その生理的意義について検討した。

 新たな基質同定への足がかりとして、CD45ノックアウトマウス骨髄由来マスト細胞(BMMC)を利用した。この細胞はIL-3依存的に増殖するが、cd45-/-BMMCでは増殖が亢進していた。IL-3受容体の下流では、JAK/STAT経路やPI3K/Akt経路、ERK経路のシグナリング分子がリン酸化(活性化)される。このうち、WT BMMCと比較してcd45-/-BMMCにおいてリン酸化が亢進していたのは、JAK/STAT分子のみであった(図1)。これと符号してcd45-/-BMMCでは、IL-3誘導性のJAK2キナーゼ活性の上昇、STAT3のDNA結合活性の促進、STATによって発現誘導されるcyclin D1 mRNAの発現上昇が確認された。以上の結果より、CD45はJAK/STAT経路を負に調節することが示唆された。

 cd45-/-BMMCで認められたJAK/STAT経路の活性化亢進と、CD45によるSrc PTK活性制御の関連を解析するために、Src PTKの阻害剤であるPP2を用いた。IL-3刺激によって誘導されるLyn(BMMCで発現の高いSrc PTK)のキナーゼ活性は、両genotypeともにPP2存在下でほぼ100%阻害されたのに対し、JAK2のキナーゼ活性やJAK1、JAK2、STAT3のチロシンリン酸化レベルは全く影響を受けなかった。その上PP2存在下でも、JAK/STAT分子のチロシンリン酸化レベルはcd45-/-BMMCの方が亢進していた。従って、cd45-/-BMMCにおけるJAK/STAT経路の活性化亢進は、CD45によるSrc PTK制御とは独立した事象であると考えられた。

 次に考えられる可能性は、CD45によるJAKもしくはSTATの直接の脱リン酸化である。そこでin vitroのCD45 PTPaseアッセイを行ったところ、CD45はJAKファミリー分子を直接脱リン酸化した(図2)。さらに、CD45のtrap-mutant(PTPase-dead)とリン酸化JAK2はin vitroにおいて直接結合した。一方、リン酸化STAT3は全く脱リン酸化されなかった(図2)。CD45によって脱リン酸化されたJAK2のキナーゼ活性は有意に低下したこと、およびJAKファミリー間で相同性が高いkinase activation loopのチロシン残基(JAK2のY1007/Y1008、JAK1のY1022/Y1023)の脱リン酸化が確認されたことから、少なくともCD45はJAKの活性調節部位の脱リン酸化を媒介し、JAKキナーゼ活性低下を導くと考察される。

 CD45欠損マウスから単離した胸腺細胞やB細胞およびマクロファージを、IFN-αやIL-4で刺激すると、JAKファミリー分子の高いリン酸化レベルが確認された。また、ヒトT細胞株であるJurkat細胞においても、IFN-α刺激によるJAK1のリン酸化がCD45のPTPase活性依存的に変化した。以上より、BMMCのみならず様々な細胞における種々のサイトカイン応答においても、CD45によるJAK/STAT経路の制御が確認された。

 サイトカインによって誘導されるJAK/STATシグナル伝達系の活性化は、増殖、分化、生存、病原体に対する抵抗性といった広範囲にわたる生理応答において重要である。本研究から、JAKはCD45の制御を受けることが明らかになったので、それらの生理応答にCD45が関与することが推察された。

 CD45欠損BMMCでは、IL-3やstem cell factorによる増殖が亢進し、骨髄細胞ではエリスロポエチンやIL-3依存的な血液系細胞への分化が、CD45欠損細胞で増大していた。

 IFN-αはJAK/STAT経路を介してウイルス感染の感受性を制御しており、picomavirusであるCoxsackievirus B3(CVB3)の感染を抑制する。そこでCVB3感染へのCD45の関与を解析した。まず種々のJurkat細胞株を用いたin vitroの感染実験では、図3に示すように、CD45が発現している細胞(WTおよびCD45-REC)では、IFN-αは約25%のCVB3増幅抑制活性を示したのに対し、CD45の発現が欠損した細胞(CD45-AS)やPTPase-dead CD45のみを発現した細胞(CD45-C828S)では、この活性は約75%にまで有意に増強した。さらに,Jurkat細胞で得られたin vitroでの知見が,マウス個体におけるCVB3感染時の病体改善効果として観察されるかどうか検討した。コントロールのcd45+/-マウスにおいて、接種7日後には脳脊髄炎、膵炎、心筋炎、肝炎により約50%のマウスが死亡する用量のCVB3を接種したところ、cd45-/-マウスでは全例生存しており(図4)、急性(7日後)や慢性(28日後)の炎症も認めなかった。以上の結果より,CD45はIFNの抗ウイルス活性を負に制御しており,CD45の欠損はマウス個体レベルにおいてもCVB3感染への抵抗性を賦与した。よってCD45によるJAK/STAT経路の制御は,マウス個体レベルにおいても重要な機能を有すると考えられる。

 これまでCD45は、Src PTK活性制御を媒介して、リンパ球の抗原受容体刺激を調節することが知られていたが、本研究により、CD45の新規機能、すなわち『JAKファミリーキナーゼの脱リン酸化を介して、サイトカインシグナルを負に調節する』ことが明らかになった。この作用は、CD45によるSrc PTKの制御とは独立した事象である。またJAK/STAT経路は細胞の増殖、分化、生存、感染への抵抗、癌化といった様々な細胞機能に関与することが知られているが、CD45がJAK/STAT経路の活性化を促進してBMMCの増殖、骨髄細胞から血球細胞への分化、Jurkat細胞やCD45欠損マウスのCVB3感染に対する抵抗性に関与していることを見いだした。ヒトの急性リンパ性白血病患者の10%以上で、ホジキンリンパ腫ではほとんどの患者でCD45の発現が欠損していること、またCD45に遺伝的変異が認められるヒトがBリンパ腫で死亡したことが報告されている。マウスにおいても、癌が誘発しない程度に活性型Lckを発現したトランスジェニックマウスをcd45-/-にすると胸腺腫になることが報告されている。今回発見したCD45の新たな機能は、病気のメカニズム解明の一助になる重要な知見を得たものと確信している。

図1 IL-3刺激によるマスト細胞内シグナル分子の活性化。

BMMCをIL-3(30ng/ml)にて種々の時間刺激した。リン酸化STAT3、STAT5およびERKは、リン酸化部位特異的抗STAT3抗体(Tyr705)、抗STAT5抗体(Tyr694)、抗ERK抗体(Thr202/Tyr204)にて検出した。JAK2のリン酸化は、cell lysatesから抗JAK2抗体により免疫沈降した沈降物を、抗リン酸化チロシン抗体で検出した。

図2 CD45によるJAKファミリーキナーゼの脱リン酸化

CD45のPTPaseアッセイ。JAKやSTATの免疫沈降物とCD45の細胞内ドメインのリコンビナントタンパク質をvanvadate存在下または非存在下で反応させた。活性は、各々の基質のリン酸化特異的抗体を用いたウエスタンブロッティングで検出した。

図3 CD45欠損による抗ウイルス活性の上昇

Jurkat細胞親株(WT)、CD45欠損Jurkat細胞(CD45-AS)、wild type CD45をCD45-ASに戻したJurkat細胞(CD45-REC)、PTPase-dead CD45をCD45-ASに戻したJurkat細胞(CD45-C828S)を未処理(none)またはIFN-α処理した(IFN-α)後にCVB3を添加し、各種細胞に感染したCVB3の力価をHeLa細胞を用いたプラーク形成能で検出した。**;p<0.01 vs WT。

図4 CVB3感染後のマウスの生存曲線

審査要旨 要旨を表示する

 赤血球と血小板を除く多くの血球系細胞とそれらの前駆細胞に発現している表面抗原のCD45は、細胞膜を貫通するチロシンホスファターゼをコードしており、T細胞の成熟や抗原受容体からのシグナル伝達に重要な役割を果している。CD45のもつチロシンホスファターゼの基質としては、これまでにSrcファミリーに属するチロシンキナーゼ(Src PTK)が同定されており、Src PTKを活性型または不活性型に導く2カ所のチロシン残基を脱リン酸化して、その酵素活性を制御すると考えられている。しかしながら、サイトカインシグナルにおけるCD45の他の役割や、Src PTK以外の基質については未同定である。「サイトカインシグナリングにおけるCD45の機能解析」と題する本論文においては、CD45がJanus kinase(JAK)を直接脱リン酸化することによって、サイトカインシグナル伝達を負に調節すること見出し、この制御の生理的意義について検討を加え、CD45の新たな機能およびサイトカインシグナリングにおけるCD45を介する負の制御機構を提唱している。

1.マスト細胞におけるJAK/STAT経路の活性化はCD45欠損で亢進する

 本論文では、先ずCD45の遺伝子破壊マウスの骨髄に由来するマスト細胞を利用して細胞レベルでのシグナル伝達を解析し、マスト細胞はサイトカインのIL-3に依存して増殖するが、CD45欠損マスト細胞は野生型の細胞よりその増殖が速いことを見出している。IL-3受容体の下流に存在するシグナリング分子を解析した結果、JAKや転写因子STATのリン酸化、JAKのキナーゼ活性、STATのDNA結合能、さらに標的遺伝子cyclin D1のmRNAがCD45欠損マスト細胞において著明に増大し、JAK/STAT経路の活性化はCD45の欠損によって亢進することを認めた。すなわち、CD45はJAK/STAT経路を負に制御することが見出された。さらに、Src PTK阻害剤を用いた解析により、CD45によるJAK/STAT経路の制御は、CD45によるSrc PTKの活性制御とは独立した、新規の事象であることを確認した。

2.CD45によるJAKの脱リン酸化を介したJAK/STAT経路の抑制

 CD45によるJAK/STAT経路の負の制御には、Src PTKが関与していなかったので、CD45によってJAKあるいはSTAT、もしくは両者が直接脱リン酸化される可能性が想定された。そこで、CD45の組換えタンパク質とリン酸化型JAKまたはリン酸化型STATを試験管内で反応させると、JAKファミリー分子(JAK1、JAK2、TYK2)のリン酸化レベルは著しく減少したのに対し、STAT分子は全く脱リン酸化されなかった。また、一塩基置換によりホスファターゼ活性を消失させたCD45変異体とリン酸化型JAK2はin vitroで結合した。さらに、CD45によって脱リン酸化されたJAKはそのキナーゼ活性が顕著に減少したことから、CD45はJAKのキナーゼ活性に重要なチロシン残基を脱リン酸化すると結論された。以上より、CD45はSTATではなくJAKを直接脱リン酸化してこれを不活性化し、JAK/STAT経路を負に制御することが証明された。

 こうしたCD45によるJAKの負の制御は、骨髄由来のマスト細胞だけではなく、マクロファージ、胸腺細胞、B細胞、Jurkat細胞における種々のサイトカイン応答においても認められた。

3.CD45によるJAK/STAT経路制御の生理的意義の解明

 サイトカインによって誘導されるJAK/STAT経路の活性化は、増殖、分化、生存、ウイルスに対する抵抗性など多岐にわたる生理応答において重要である。そこでCD45によるJAKの負の制御が、生理的にいかなる意義をもつかについて解析した。CD45の欠損は、IL-3依存的な骨髄由来マスト細胞の増殖亢進、およびエリスロポエチンやIL-3依存的な骨髄細胞の血球細胞への分化、増殖、生存の促進を引き起こした。またJurkat細胞を用いたウイルス感染実験では、インターフェロン−αによって誘導される抗ウイルス活性がCD45欠損により増大した。さらにマウス個体を用いた致死的なウイルス感染においても、CD45欠損マウスは抵抗性を示した。以上より、CD45によるJAK/STAT経路の負の制御は、サイトカインが司る生理応答の調節機構として重要な役割を担うものと考えられた。

 以上を要するに、本研究はチロシンホスファターゼCD45の新規標的分子としてJAKファミリー分子を同定し、CD45がJAKの脱リン酸化を介してサイトカインシグナル伝達を負に制御することを、遺伝学的、生化学的、細胞生物学的に初めて明らかにしている。さらにマウスの個体を用いた解析から、CD45によるJAK/STAT経路の制御は生理的にも重要な役割を果すことが示されている。以上の知見は、CD45の生理機能を解明する有益な情報を提供するだけでなく、サイトカインが関与する幅広い生命現象の理解に手掛かりを与えており、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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