学位論文要旨



No 215257
著者(漢字) 岩屋,隆夫
著者(英字)
著者(カナ) イワヤ,タカオ
標題(和) 放水路の開発実態と成立条件に関する実証的研究
標題(洋)
報告番号 215257
報告番号 乙15257
学位授与日 2002.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15257号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 助教授 沖,大幹
 新潟大学 教授 大熊,孝
内容要旨 要旨を表示する

 わが国では,仁徳朝11年の難波堀江の開削以来,各地で放水路が開発されて来た.現存する放水路は,筆者の現地調査の結果から275が判明している.

 さて放水路は,現川から分岐して,現川の洪水の全量あるいは一部を湖海や他の河道に放流する水路である.従って,放水路は,正確には「洪水分派水路」と呼ぶべき水路であると判断している.ところが,扇状地や三角州地帯などにおいて分合流を繰り返してきた河川は,近世から現代に至る間に,その分派河道の多くが締め切られ,河道が一筋になるように改修されてきた.これが一川改修である.しかし放水路開発では,現川と放水路が分岐して,河道が二筋となった.放水路開発と一川改修の決定的な違いは,河川の平面計画における現川と新川との分岐の有無にあるけれども,26,000余を数えるわが国の河川の多くは一筋の河道で,放水路のような分岐河道をもたないのである.

 では,放水路開発では,何故,現川と放水路を分岐させ,河道を二筋と成す必要があったのであろうか.これを考えると,新川が現川の洪水全量を負担できない場合,当該河川の洪水量は新川と現川で分ける必要があるから,この結果として新川と現川は必ず分岐することになる.他方,新川が洪水全量を負担する場合,新川と現川は洪水を処理するうえで分岐させる必要がないから,この場合には多くの場所で一川改修がおこなわれた.しかし,放水路の実態を調査すると,新川が洪水全量を負担する場合であっても,現川が存置され,現川と新川が分岐するような事例が幾つか存在するのである.つまり,新川を放水路と位置付け,新川と現川を二股にして分岐させざるを得ない何等かの必然性があったからに他ならない.これまで顧みられることがなかった課題である.

 本論は,新川開発の範疇において一川改修の対極に位置する放水路開発の実態を明らかにする.すなわち放水路は,どのような場所で,どのように開削されてきたか,また放水路は何故,現川と分岐することになったのか,さらに放水路は土木史の上でどのように評価できるかを系統だって明示することにする.

 以上の課題を明らかにするには,何よりも放水路の開発実態を悉皆調査して分析し,それを体系的に正鵠を得た方法論で分類することが必要である.特に,放水路の開発実態は,いまだに悉皆調査がおこなわれたことがないから,本研究では,河川管理者などが発行する河川図や地形図などから放水路と呼ばれる水路,あるいは放水路と呼ばれないけれども二川が分岐する水路を判別し,これらの水路の開発経歴などを治水にかかわる文献などから調査したうえで,二川の分岐の有無や分岐点における分流構造物などを現地で確認した.

 以下に本研究で得られた結論を列挙する.

1.放水路に関する既往の研究成果の問題点と課題

 放水路に関する既往の研究成果は,国会図書館や土木学会図書館などで既刊の河川工学の関係図書を悉皆調査した.各図書の成果を分析すると,幾つかの図書は,記述内容に間違いがあった.たとえば放水路を捷水路や河道付替,河川分離という一川改修と同一視するような間違いである.本章の考察によって,放水路の役割や機能とその特徴などの明示という具体的な課題が明確になった.

2.放水路の研究をおこなうに必要な放水路の分類

 本研究では,放水路を幾つかの視点で分類した.その理由は,本研究で措定する放水路の数が余りにも多く,放水路の役割や機能,特徴などを一括して論じるのが難しいからである.分類項目は,洪水の放流先,また洪水と平水分流を担う分流構造物の建設場所とその種類,そして放水路の建設場所の地形条件などである.なかでも放水路の建設場所の地形条件は,河川が置かれた治水上の課題と密接に関係していると判断しているので,放水路の個別検証は,以下,海岸砂丘地帯,沖積地,山地・丘陵台地の三つに区分して論じた.

3.海岸砂丘地帯で開発された放水路の特徴

 海岸砂丘地帯における河川の治水経歴を調べると,ここでは特徴的な治水上の課題と放水路開発の特徴が明らかになる.たとえば,砂丘の内陸平野を流れる河川の多くは,海岸線に形成された砂丘それ自体が地形上の障害物となり,海に至る最短箇所を流れることができなかった.この結果,多くの河川は砂丘に平行に流れて緩流となり,洪水の海への排出が困難となって,洪水が砂丘の内陸平野で幾度か氾濫した.海岸砂丘地帯では,こうした治水上の課題を解決し,現川の洪水を早く海へと放流するため,現川より河床勾配が急で,海に至る河道延長が短い新川が砂丘の上で開削されたのである.海岸砂丘地帯で開発された新川のうち,放水路に判別できる水路は30で,放流先は1事例を除き全て海である.

4.沖積地の上で開発された放水路の特徴

 沖積地の上を湖海へと流れる河川の治水経歴を調べると,ここでは海岸砂丘地帯とは異なる治水上の課題と放水路開発の特徴が明らかになる.沖積地を流れる河川の多くは,これまで分合流を繰り返してきたが,各分派川は主に明治以降の一川改修によって締め切られた.ところが一部の分派川は締め切られずに存置され,これが放水路として利用された.その理由は,派川側における環境問題や主流側で発生した大洪水の出現などである.一方,現川の沿川に市街地が形成されて,その改修が容易にできないような場合には,現川の洪水を処理する新川が現川から分派するかたちで開削されて,現川の洪水が湖海や他の河川に放流された.沖積地の上で開発された放水路の多くは,現川に比べて河床勾配が急で,かつ現川に比べ湖海や他の河川に至る河道延長が短縮され,現川の洪水を早く排出するという役割を担った.しかし,逆に現川に比べて河床勾配が小さく,あるいは現川に比べ湖海や放流先の河道に至る河道延長が長くなる放水路も存在した.これらの放水路では,河積の拡大や河道線形の平滑化がおこなわれるなどして,現川に比べ洪水の疏通能力が拡大された.なかには現川に比べ洪水の疏通能力が劣るけれども,現川で呑み込めない洪水の一部を負担させるために開発された放水路がある.沖積地の上で開発された新川,また存置された自然分派川のうち,放水路に判別できる水路はその数が166と多く,うち湖海放流の放水路が42で,河道放流の放水路が124である.

5.山地や丘陵,台地の上で開発された放水路の特徴

 山地や丘陵,台地と河川堤防などで回りを囲まれた沖積地を流れる河川の治水経歴を調べると,ここでは前記の地形条件下の河川とは異なる治水上の課題と放水路開発の特徴が明らかになる.かかる沖積地の上を流れる河川は,合流先河川の外水位が高いと内水の排除は困難となり,それが沖積地の上で幾度か氾濫した.また谷底平野に市街地が形成され,流域内の都市化が進行した河川では,洪水のピーク流量の増大に現川の改修が対応できずに,洪水が谷底平野に幾度か氾濫した.こうした場合,内水や現川の洪水を早く湖海や他の河川へと放流するため,山地や丘陵,台地の上で新川が開削された.これらの新川は,山地や丘陵,台地の最高点と新川の計画高との標高差が大きいと隧道となり,標高差が小さいと開水路の構造で開削された.隧道と開水路を分ける標高差は概ね20mである.放水路の多くは,現川に比べ河床勾配が急でかつ河道延長が短いけれども,この逆の事例もまた存在し,これらの放水路では,前記の地形条件における放水路と同じように措置された.開削された新川のうち放水路に判別できる水路は79で,うち湖海放流の放水路が17,河道放流が62である.

6.放水路開発史と時代ごとの放水路の特徴

 放水路の開発史を分析すると,3回を数える放水路の開発ピークと時代毎の放水路の特徴が明らかになる.1回目のピークは,関ヶ原の戦乱後の1600年から1629年の間に出現し,ここでは水害の防止と地域開発を目標にして各地で放水路が開発されたと考える.2回目のピークは,幕末に相当する1840年から1869年の間に出現し,ここでは各地の新田開発や市街地建設が各河川の遊水域に達して水害が頻発し,これを解決するために放水路が開発された.1920年代には,内務省や農商務省が地方府県などに河川改修費の国庫補助を開始し,これが放水路開発を加速させ,そして1960年から1989年の間には放水路の開発史上で最大のピークが出現した.3回目のピークで,この時期には建設機械の大型化と近代化がすすめられ,また治水事業の法令整備にともなう治水事業のメニュー化が図られて都道府県施工の放水路の開発を促し,この結果として計画年から短期間で多数の放水路が開削されて完成するに至った.

7.まとめ−わが国の放水路の成立条件

 わが国の河川では,新川と現川を分岐させ,新川を放水路として開発せざるを得ない必然性,つまり以下に示す5つの放水路の成立条件が個々に存在する.すなわち,(1)新川が現川の洪水の全量を呑めないという条件である.また新川が現川の全洪水を呑める場合であっても,(2)現川の下流河道の水利用を維持する必要がある場合,(3)新川への波浪の遡上を防ぐために建設された潮止堰を閉鎖する必要がある場合,(4)隧道構造の新川の負圧対策をおこなう必要がある場合,(5)現川の下流河道の河川環境を維持する必要がある場合には,これらが条件となって新川と現川は分岐して,新川は放水路となるのである.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「放水路の開発実態と成立条件に関する実証的研究」と題し、日本で古代から現在までに建設された河川の放水路らしき水路377を文献と地形図等から抽出し、資料・文献調査に現地踏査を併せた悉皆調査を行うことにより275の放水路を判別して、実証的な放水路論を展開した研究であり、7章で構成されている。

 第1章では、まず、既刊の河川工学関連図書(28)、土木関係用語辞典(8)および著名な日本語大辞典(5)における放水路に関する記述を調べ上げ比較・吟味することにより、放水路の定義に明らかな誤りや大きな混乱があることを指摘している。そうした混乱を整理する視点として、河道改修における一川主義と放水路の関係、捷水路、河道付替、河川分離と放水路の相違、および洪水放水機能をもつ利水施設と放水路の相違それぞれについて論ずることにより、河川計画における放水路の位置付けを明らかにしている。その上で、放水路の開発形態、役割、機能などの特徴を悉皆調査によって実証的に明らかにしようという研究の目的と調査研究の具体的な方法論が述べられている。

 第2章では、放水路の特徴を明らかにするための4つの観点、すなわち、地形地質条件、洪水の放流先、洪水と平水の分派率、および分派構造物の有無と設置位置が挙げられ、それぞれの観点からの分類の意義と方法が提示されている。具体的には、放水路が立地する地形地質条件の観点からは、海岸砂丘、沖積地、および山地と丘陵・台地に3大分類すること、放流先の観点からは、湖海放流方式と他河川放流方式に大別し、他河川放流方式はさらに上流側合流点変更方式、下流側合流点変更方式、他支川分流方式、バイパス方式および他流域放流方式に細分類されること、分派率の観点からは、主流型と派川型に2大分類できること、分派構造物の観点からは、その有無、構造物のタイプおよび設置位置の組み合わせによって8つの基本型に分類できることが、示されている。

 本論文の以下の第3、4,5章においては、海岸砂丘、沖積地、山地と丘陵・台地という地形地質上の大区分を大枠として放水路を分類し、放流先、放流率および分派構造物それぞれの観点から吟味することにより、放水路開発の特徴が議論されている。

 第3章は、「海岸砂丘地帯における放水路開発の特徴」と題し、日本の砂丘地帯の分布とその付近での河川流路や洪水流の形態の自然的特性、治水上の課題などを整理した上で、日本の砂丘上に開削されたすべての水路52(うち45が現存)を対象にして、それらの開発の動機と経緯ならびに開発の阻害となった要因、水路の緒元等が整理され、放水路の成立要件と特徴が纏められている。また、現存する45の開削水路のうち、30が放水路と判別されることが指摘されている。

 第4章は、「沖積地の上で開発された放水路とその特徴」と題し、下流沖積地において分派川や放水路が存在するか、あるいは分派川締切の経歴をもつ54河川を対象として、まず、地形地質条件や土砂の堆積環境などの自然的特性が整理される。そして、分派川が締め切られた事例を対象にして、締切の動機(水害軽減、用地造成、築港計画等)と経緯を吟味した上で、分派川が存続する水系を対象として、洪水分派上の条件を明らかにするために、それらの存続の理由を考察している。次いで、湖海へ放流する分派開削水路と他河道へ放流する分派開削水路に分けて検討される。湖海への開削水路は、39件抽出され、開発の直接の動機、阻害要因としての港湾計画との関係、開発の経緯などが論考・整理される。いっぽう、他河道への開削水路として合計151件が判別され、これらは、放流先別、すなわち他流域放流方式、バイパス方式、上流側あるいは下流側合流点変更方式および他支川放流方式それぞれの範疇ごとに分けて、開削の動機と経緯が議論され、放水路の緒元が整理された後、沖積地上に開発された放水路の地域分布特性と成立要件が纏めて提示されている。

 第5章は、「山地や丘陵・台地の上で開発された放水路の特徴」と題し、まず、自然条件や土地利用状況が異なるいくつかの事例を対象に、谷底平野の治水上の課題と分派開削水路との関係が議論される。この範疇に入る開削水路は合計103にのぼり、前章同様、湖海へ放流する開削水路(28)と他河道へ放流する開削水路(75)に分け、後者についてはさらに他流域放流方式(14)、バイパス方式(11)、合流点変更方式(33)および他支川放流方式(17)に分けて、開削の動機、経緯、阻害要因、この範疇における放水路の成立要件などが論考・整理されている。また、水路開削の難易度が地形地質の観点から考察されるとともに、これまでの開発事例から隧道と開水路を分ける比高差が約20mになっていることを見出している。

 第6章は、「放水路開発史と時代ごとの放水路の特徴」と題し、時代を明治前、明治期、大正期から戦中まで、戦後から現在まで、に区分して、それぞれの時代区分ごとの治水思想と治水技術レベルとの関係で放水路開発の特徴を論じるとともに、放水路開発のピークが過去に3回、すなわち、1600年代前半、1840〜70年頃、1960〜90年頃、があることを見出し、その時代背景を考察している。

 第7章は、結論であり、本研究に基づく放水路の定義、全章を通じての要点と放水路の成立要件を纏めるとともに、最近問題となっている吉野川の第十堰と庄内川の新川(放水路)に対して本研究の立場から論評を加えることにより、この研究の現代的意義の一端を示している。

 以上、本研究は、膨大な文献・資料の調査と日本全国にわたる広範かつ綿密な現地踏査に基づき、日本における放水路の開発実態とその特徴を実証的に論考・整理して提示した、本邦で初めての本格的な「放水路論」である。この調査研究で新たに発掘され集積・整理された情報とそれらに基づいて提示された見解は、今後の放水路の研究の貴重な礎になるとともに、河川の地域比較研究においても有用であり、河川工学ならびに土木史の研究の発展に資するところが極めて大きい。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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