学位論文要旨



No 215258
著者(漢字) 川田,忠樹
著者(英字)
著者(カナ) カワダ,タダキ
標題(和) 近代吊橋における二律背反相克の歴史 : 経済性と剛性
標題(洋)
報告番号 215258
報告番号 乙15258
学位授与日 2002.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15258号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 東原,紘道
 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 助教授 阿部,雅人
 東京大学 名誉教授 伊藤,学
内容要旨 要旨を表示する

 人類社会に古く文明以前の時代から存在した原始的な吊橋を母体として,近代吊橋は19世紀の初頭,新大陸アメリカにおいて誕生をみた.その後200年ばかりの間にこの近代吊橋が,いかにして巨大な明石海峡大橋や,グレートベルトイースト橋を竣工せしめるまでに発展することができたか.

 この間に人類が行ってきた果敢な技術的挑戦と,その過程で遭遇しなければならなかった幾多の失敗.こうした先人達の試行錯誤の跡をたどることによって,私達は多くのことを学ぶことができ,またそこから将来進むべき方向についての,貴重な示唆が得られることになる.本研究の目的とするところである.

 原始的吊橋を母体として誕生したものだけに,近代吊橋はその出発の当初から

 1)優れた経済性

 2)剛性不足(揺れやすさ)

という二つの特性を,遺伝子的に内在させていた.

 1)の経済性ゆえに,近代吊橋は登場と同時に速かなる普及をみせたのであるが,2)の特性である,剛性不足のゆえに事故が相い次ぎ,その展開は必ずしも順調ではなく,発展はしばしば中断を余儀なくされた.そこで必要な剛性を与えようとすると,今度は経済性が損われるという矛盾に直面するのである.まことに,近代吊橋長径間化への過ぐる200年の道程は,経済性と剛性という互いに相い反する理念の間を揺れ動く,二律背反相克の歴史であった.そしてこの両者がうまく折り合いをつけたところに,幾多の近代吊橋の傑作が建造されてきた.

 だが残念ながら,この近代吊橋の二律背反相克の歴史に対して,20世紀末までに人類の叡知ではついに結末をつけることができなかった.問題は21世紀へと先送りされざるをえなかったのである.このような視点に立つものとして,本論文の構成は以下のようになっている.

第1章 近代吊橋の登場

 ここでは最初にいわゆる原始的吊橋について述べる.不思議なことにこの段階での吊橋は,西欧世界には全く存在していなかった.西欧世界が吊橋を知るのは時代的にかなり遅く,ルネッサンスも後期に入ってからのことである.そこからやがて近代吊橋の誕生をみるに至るが,その最初のものが1801年,新大陸アメリカにおいてジェームス・フィンレイが特許工法として世に出した,ジェイコブズクリーク橋(スパン21m)であった.

 主ケーブルには動植物系の繊維を排して鉄の鎖(リンクチェーン)を採用し,その主ケーブルから吊材を介することによって橋床が分離されるなど,それまでの原始的吊橋とはっきりと一線が画されるものとなっていた.

第2章 ヨーロッパでの試行錯誤

 1801年にアメリカで孤々の声をあげた近代吊橋は,1810年代にはイギリスに,1820年代にはフランスにと伝えられて,更なる展開を遂げた.先ずイギリスではリンクチェーンケーブルの弱点を克服するものとして,バーチェーン(帯鉄)ケーブルが発明され,その結果近代吊橋への信頼性が高まり,スパン的には200m前後まで伸びた.

 フランスは当初イギリスから近代吊橋の技術を学ぶが,独自にワイヤー(鉄線)ケーブルを発明し,特色ある吊橋を架けた.スパン的にも200m代の後半にまで伸ばしている.なおこの時代のフランスでは,まだ無補剛吊橋の取扱いに終始したが,一応吊橋解析理論の萌芽が見られる.

第3章 剛性付与に成功した北米の技術者

 イギリス,フランスでの展開を経た近代吊橋は,1840年代ともなると再度アメリカ合衆国に回帰してきた.この時はフランス風の主ケーブルにはワイヤーが採用されていたが,こと剛性の問題についてはほとんど進歩の跡は無く,それだけにこの時代の吊橋はいずれの国においても,よく揺れて,よく壊れた.

 こうした初期の近代吊橋の欠点をよく理解し,その特性を認識し,必要な剛性を与えることに成功したのが,ドイツから帰化したアメリカの技術者ジョン・ローブリングであった.彼は世界で初めて吊橋の上を鉄道が走り得ることを実証してみせた(ナイアガラ鉄道吊橋,スパン250m).現在もニューヨークに架かるブルックリン橋(スパン486m)も彼の設計であり,その遺子ワシントン・ローブリングが架けたものである.

第4章 撓み理論の登場とその展開

 ブルックリン橋あたりまで,近代吊橋の理論としては甚だ不備なものであった.部材断面の決定にあたって,ローブリングは模型実験により求めたと伝えられているほどである.それでも20世紀に入るとモイセイフらの手によって,合理的な吊橋解析理論としての「撓み理論」が確立されるにいたり,その結果アメリカでは,近代吊橋長径間化への動きが活発になった.

 フィンレイが最初の近代吊橋を世に出してから,100年をかけても500mを超えなかったスパンが,その後の30年間で簡単に1,000mを超えたのである.

第5章 伏兵−−風のダイナミズム

 20世紀に入って,一見順調に推移したかに見えた近代吊橋長径間化への歩みには,実は思い掛けぬ伏兵が待ち伏せていた.1940年の11月,当時世界第3位のスパン853mのタコマナローズ橋が,使用開始いらい僅か4ヶ月にして風で揺れに揺れて,吹き千切られるようにして崩壊するに至った.

 原因は明らかに経済性の追求にかまけて,構造的な剛性不足におちいったことにあった.事故が不可抗力であったか否かをめぐってアンマンとスタインマンの間に確執が生じ,以後北米の橋梁界を二分する二大潮流となった.両者の思想的な差異はマッキノー橋とヴェラザノナロウズ橋という,その後に二人の架けた当時としてはそれぞれに世界最大の吊橋において端的に示されている.

第6章 アメリカを離れての新展開

 久しくアメリカ合衆国の独り舞台であった長径間吊橋も,1960年代に入るとようやく終りを告げ,1,000mクラスの吊橋がヨーロッパでも架けられるようになった.

 こうした動きの中でヨーロッパの技術者達は,吊橋の耐風安定対策としてはアメリカ流のトラスにかえて,流線形箱桁で補剛するという別の方法があることに気が付き,しかもその方が遙かに経済的となることを見出した.かくしていわゆる翼形断面(エアフォイル)革命が起こり,1966年竣工のセバーン橋以降,世界の近代吊橋の方向は大きく変わることとなった.

 ただセバーン橋では,あまりにも経済性を追求しすぎたがゆえに,剛性の点で大きな問題のあることが次第に明らかとなり,以後吊橋の剛性に及ぼす質量の意義が再認識されるに至っている.

第7章 20世紀の最後を飾った吊橋

 近代吊橋が誕生をみてからの200年間の,その技術的な総決算とでもいうべき2つの巨大な吊橋,明石海峡大橋(スパン1,991m)とグレートベルトイースト橋(スパン1,624m)が,20世紀末の1998年にほとんど2ヶ月ばかりの差で相い次いで竣工をみた.

 この巨大な2つの吊橋は,アメリカ流の技術のオーソドックスな継承者と,それに対するヨーロッパ流の革新的挑戦者という,際立った対比をみせてすこぶる興味深いものであるが,それにもまして両者共に近代吊橋の宿命とされてきた経済性と剛性の問題を,それぞれに克服した見事な成果であった.近代吊橋は過去に存在した問題のほとんどを解決し尽して,技術的にはほぼ完成の域に達した工法と見倣されるまでになったのである.

 ところがそれから僅か2年後の2000年に,竣工直後のロンドンの歩道吊橋が揺れて大問題となった.キリスト降誕2000年を祝ってミレニアムブリッジと名づけられ,エリザベス女王も御臨席になって竣工が祝われた象徴的な橋が,供用開始後僅か3日にして全面交通停止となった.やはりこの場合も,問題の原因は剛性の不足であった.

終章 経済性と剛性−−二律背反相克の歴史は終らず

 最後の終章では,このような通史的研究の意義を明らかにするとともに,経済性と剛性という二律背反の相克がいまだに近代吊橋の根幹問題として残されていることを指摘した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,近代吊橋200年における発展の歴史を,剛性と経済性との二律背反相克という視点から考証したものである.

原始的吊橋を母体として誕生した近代吊橋はその出発の当初から,「優れた経済性」と「剛性不足(揺れやすさ)」という二つの特性を内在させている.経済性ゆえに,近代吊橋は登場と同時に速かに普及したが,剛性不足のゆえに事故が相次ぎ,その展開は必ずしも順調ではなく,発展はしばしば中断された.必要な剛性を与えることは必然的に経済性が損われる.近代吊橋長径間化への200年は,この経済性と剛性という互いに相反する理念の間を行き来する,二律背反の歴史であったという視点を設定したことは吊橋の技術史を論じる上で適切と言える.また,この両者がうまく折り合いをつけたところに,幾多の近代吊橋の傑作が建造されてきたという意味でも,重要な視点と判断される.

本論文は以下の9章から構成されている.

第1章では「近代吊橋の登場」と題して,原始的吊橋が西欧世界には全く存在しておらず,西欧世界が吊橋を知るのは時代的にかなり遅く,ルネッサンスも後期に入ってからのことであることを明らかにし,西欧世界近代吊橋の最初のものである1801年,新大陸アメリカにおいてジェームス・フィンレイが特許工法として世に出した,ジェイコブズクリーク橋(スパン21m)について詳述している.それは,主ケーブルには動植物系の繊維を排して鉄の鎖(リンクチェーン)を採用し,その主ケーブルから吊材を介することによって橋床が分離されるなど,それまでの原始的吊橋とはっきりと一線が画されるものであることを示している.

第2章ではヨーロッパでの試行錯誤の歴史を述べている.1801年にアメリカで孤々の声をあげた近代吊橋が,1810年代にはイギリスに,1820年代にはフランスにと伝えられて,更なる展開を遂げたことを数多くの例をひきながら記述している.イギリスではリンクチェーンケーブルの弱点を克服するものとして,バーチェーン(帯鉄)ケーブルが発明され,その結果,近代吊橋への信頼性が高まり,スパン的には200m前後まで伸びたこと,フランスでは当初イギリスから近代吊橋の技術を学ぶが,独自にワイヤー(鉄線)ケーブルを発明し,特色ある吊橋を架け,スパン的にも200m代の後半にまで伸ばしていることなどを明らかにしている.なおこの時代のフランスでは,まだ無補剛吊橋の取扱いに終始したが,一応吊橋解析理論の萌芽が見られることにも触れている.

第3章では,吊橋の流れが再び北米にわたったが,アメリカでの技術的展開を述べている.すなわち,イギリス,フランスでの展開を経た近代吊橋が1840年代に再度アメリカ合衆国に回帰し.当初はフランス風の主ケーブルにはワイヤーが採用され,剛性についてはほとんど進歩がしばらく無く,この時代の吊橋はいずれの国においても,よく揺れて,よく壊れたことを数多くの例をひきながら述べている.その後,初期の近代吊橋の欠点をよく理解し,その特性を認識し,必要な剛性を与えることに成功した,ドイツから帰化したアメリカの技術者ジョン・ローブリングが,世界で初めて吊橋の上を鉄道が走り得ることを実証してみせ(ナイアガラ鉄道吊橋,スパン250m).ニューヨーク・ブルックリン橋(スパン486m)の建設に苦労しながらも成功させるまでの歴史を詳しく述べている.

第4章では,吊橋に画期的変化をもたらす,撓み理論の登場を述べている.ブルックリン橋あたりまでは,吊橋理論としては甚だ不備なものであり,ローブリングは模型実験により部材断面を決定したと伝えられているほどである.20世紀に入り,モイセイフらの手によって,合理的な吊橋解析理論としての「撓み理論」が確立され,アメリカでは,近代吊橋長径間化への動きが活発になった経緯が述べられている.

第5章では,20世紀に入って,一見順調に推移したかに見えた近代吊橋長径間化への歩みの中で生じた1940年の11月,当時世界第3位のスパン853mのタコマナローズ橋の風による振動による落橋について述べている.この原因が,吊橋の設計が経済性の追求の中で構造的な剛性不足におちいったことを指摘した.また,この事故が不可抗力であったか否かをめぐってのアンマンとスタインマンの間の思想的な差異がマッキノー橋とヴェラザノナロウズ橋という,その後に二人の架けた当時としてはそれぞれに世界最大の吊橋において端的に示されていることを明らかにしている.

アメリカ合衆国の独り舞台であった長径間吊橋が1960年代に入ると終焉し,1,000mクラスの吊橋がヨーロッパでも架けられるようになった.第6章ではその時代に起きた大きな変化について述べている.すなわち,吊橋の耐風安定策として,アメリカ流のトラスに代わる,流線形箱桁で補剛するという遙かに経済的な新しい方法が開発された.この翼形断面(エアフォイル)革命により,1966年竣工のセバーン橋以降,世界の近代吊橋の方向は大きく変化したことが述べられている.その方法を始めて採用したセバーン橋が,あまりにも経済性を追求しすぎたがゆえに,剛性の点で大きな問題があり,そのために生じた損傷について詳しく述べている.この問題が以後の吊橋の剛性に及ぼす質量の意義の再認識を喚起したことも定量的に明らかにしている.

第7章では20世紀の最後を飾った吊橋として明石海峡大橋(スパン1,991m)とグレートベルトイースト橋(スパン1,624m)について言及している,この巨大な2つの吊橋は,アメリカ流の技術のオーソドックスな継承者と,それに対するヨーロッパ流の革新的挑戦者という,際立った対比をみせた極めて興味深いものであるが,両者共に近代吊橋の宿命とされてきた経済性と剛性の問題を,それぞれに克服した見事な成果であったことを述べている.また,近代吊橋は過去に存在した問題のほとんどを解決し尽して,技術的にはほぼ完成の域に達した工法と見倣されるまでに至ったことを明らかにしている.

8章では,明石海峡大橋の完成2年後に生じた歩道橋の人の歩行による横揺れについて述べている.キリスト降誕2000年を祝してミレニアムブリッジと名づけられ,エリザベス女王も御臨席になって開通式が祝われた象徴的な橋が,振動のために供用開始後僅か3日にして全面交通停止となり,1年半を経過した今でも閉鎖が続いている.振動の原因は横剛性の不足であり,依然として「剛性」の問題が完璧には片付いていないことを主張している.

最終章では,展開された通史的研究の意義を明らかにするとともに,経済性と剛性という二律背反の相克がいまだに近代吊橋の根幹問題として残されていることを指摘している.

文明以前の時代から存在した原始的な吊橋を母体として,近代吊橋は19世紀の初頭,新大陸アメリカにおいて誕生をみた.200年の間に北米,フランス,イギリス,日本,デンマークへと場を移しながら発展し,明石海峡大橋やグレートベルトイースト橋が完成するに至った.この間には数多く行われてきた技術的挑戦と,その過程で遭遇した数多くの失敗がある.これら先人達の試行錯誤の跡をつぶさに調べ,正確にそして体系的に記述した本論文は将来進むべき方向についての,貴重な教訓と示唆を与え,今後の工学上多大な知見を呈示していると判断される.よって,博士(工学)の学位請求論文として合格と認める.

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