学位論文要旨



No 215259
著者(漢字) 村上,心
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,シン
標題(和) 集合住宅再生の合意形成メカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 215259
報告番号 乙15259
学位授与日 2002.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15259号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 教授 野城,智也
内容要旨 要旨を表示する

 我が国において、マスハウジング期に大量に建設された集合住宅を今後とも住み続けるに相応しいストックとしいかに再生させるか、その手法を考えることは重要な課題であり、技術的側面では検討・研究が進められているが、「どのような条件が整えば再生が進行するのか。」「どのようなプロセスで再生に関する意思決定を進めればよいのか。」という点に関しては、未だ整理が行われていないことから、本研究は、欧・米・日における先進的な集合住宅再生事例の収集による再生手法の類型を基に、集合住宅再生における合意形成をより効率的に行う方法論・メカニズムを提示することを目的としている。

 本研究においては、集合住宅の再生における合意形成メカニズムを、合意に関わる主体が再生から得る効用(以下「再生効用」)と、主体の費用負担による非効用の関係に着目することにより記述している。即ち、合意という意思決定は、関連主体P1(住み手)・P2(所有主体)・P3(公共主体)の再生効用が、各々費用負担を上回ることによって成立するとした。更に、再生工事前にその成立を確認するプロセスが合意形成であるとする。再生効用の大きさを区分する為に「再生性能レベル(Rレベル)」という概念を用いている。又、集合住宅再生に関わる主体(プレイヤー)をP1(住み手)・P2(所有主体)・P3(公共主体)・P4(専門家)に区分し、合意形成に関わる主体の範囲により、「意思決定レベル(Dレベル)」という再生内容の区分概念を設定した。

 以下に本研究で得られた知見を示す。

(1) 再生内容の抽出とR-Dマトリクスによる整理

 欧米日8カ国における実地調査に基いて、マスハウジング期に建設された集合住宅に対する197項目の再生内容を抽出し、R(再生性能)レベル−D(意思決定)レベル・マトリクス上に整理を行った。又、同8ケ国の再生工事関連業者34主体に対するインタビュー調査・アンケート調査に基いて新築工事とは異なる再生工事の特殊性と課題を抽出した。再生工事上の課題としては、設計・計画面では調査・診断の技術・建築家の役割の明確化、施工面では住民対策・安全対策、組織面では職人のスキル・教育、資金面ではコスト管理、等が挙げられる。これらの各課題に対しては、各主体が種々の対応を行っているが、居住者間の合意形成・関係主体間の調整の難しさに関しては、現状の企業・組織レベルでは対応できない課題として残されていることが明らかとなった。

(2) 再生効用と費用負担による再生行為記述の妥当性の検証

 ほぼ同時期に建設され、集合住宅団地再生に対する異なる背景と動機を有する日蘭の2つのニュータウンにおける再生行為の内容と範囲を抽出した。日本の高蔵寺ニュータウンにおいては、RI(補修)・II(改良)レベルを中心とする再生が行われた。対してオランダのBijlmermeer団地においては、高い空室率と犯罪・バンダリズム・麻薬常用の増加を背景として、1983年にDI(住戸)レベルを中心とする第1次大規模再生が行われたが、問題は解決に至らずP2(所有主体)の倒産という失敗に終わった。1992年からは、再生性能レベルRI(補修)〜RIV(建替え)・意思決定レベルDI(住戸)〜DIV(社会)に跨る第2次大規模再生が行われた。高蔵寺ニュータウンの集合住宅再生及びBijlmermeer団地の第2次大規模再生という2つの再生行為は、再生後に高い入居率を示していることから成功した再生例であると言える。これらの再生の成立要因に関してP1(住み手)、P2(所有主体)、P3(公共主体)の再生効用と費用負担の関係に着目した記述を行った。

(3) P1(住み手)間の合意の成立条件に関する検討

 P1(住み手)の再生合意形成の成立条件として、複数のP1(住み手)の内どの程度の割合が再生に賛成すれば実行すべきであるとP1(住み手)が判断しているかをアンケート調査により明らかにした。賃貸においては、シェルターとしての外装部位についてはP2(所有者)に決定を委ね、建築物の安全・利便的性質に関わる部位及び団地(DII)レベルに関わる部位についてはなるべく住民の意思を反映したい、という住み手の意思決定に関する傾向を示唆する結果が得られた。分譲においては、DII(住棟)・DIII(団地)レベル共に、「51〜75%の合意が必要」「76〜99%の合意が必要」の2つの回答グループが大半を占める。これは、区分所有法17条1項による「共用部分の変更」に関する3/4以上の議決規定、及び、同法18条1項・39条1項による「共用部分の管理」に関する1/2以上の議決規定の認識に基くものであると考えられる。又、建替えに関しては、区分所有法62条1項における区分所有者及び議決権の4/5以上という規定に対して、「合意緩和」「合意厳格化」の両意見が存在していることが明らかとなった。

(4) P1(住み手)の属性の違いによる再生効用傾向の抽出

 再生内容項目に対するP1(住み手)の居住者属性による再生希望割合の差異に着目して、居住者属性の違いによる再生効用に対する期待の大きさに関する傾向の抽出を行った。

 RI(修理・修繕)レベル及び部分的なRII(改良・改修)レベルの再生が行われてきた高蔵寺ニュータウンの集合住宅において、賃貸住戸のP1(住み手)は現行の修理・修繕の結果に対して特にRIレベルの再生については十分であるとは必ずしも思っていない可能性があり、分譲住戸のP1(住み手)はRIレベルの修理・修繕は行っているものの、更に現在の居住性能を更に向上する為のRIIレベルの再生希望を有していることが明らかとなった。駐車場の改善・拡大という再生に関しては、賃貸・分譲共に極めて高い希望割合を示した。

 賃貸住戸居住者の約7割、分譲住戸居住者の約9割が何らかの再生内容に対して再生希望を示しており、任意のR・Dレベルで再生希望回答数が多い居住者は、他のレベルにおいても同様の傾向を示していることがわかった。例外として、「DIレベルの再生を多く希望し、DII・IIIレベルの再生を殆ど希望しない」グループの存在が確認された。更に、間取り、居住階数、子供/老人の有無、世帯主年齢、世帯人数、世帯年収、居住年数/居住予定年数、2戸1改造の有無、等のP1(住み手)の属性と各再生項目に対する希望割合の関係についての傾向を抽出した。実際には、各P1(住み手)はこれらの各居住者属性の組み合わせによる属性を有していることから、P1(住み手)の再生項目毎の再生希望も、各居住者属性による正・負の再生インセンティブの組み合わせによって形成されている可能性が高いと考えられる。

(5) 合意形成の為に有効であると考えられる方法試論の提示

 集合住宅の合意形成の為に有効であると考えられる方法試論を提示した。

 第一に、P3(公共主体)の負担の論理と方法について述べた。そもそもP3(公共主体)の役割は、政策上の目的として公平で効率的な「市場の失敗」及び「政策の失敗」を相殺することにあり、この達成により効用を得ることになる。収集事例をP3(公共主体)の政策目標別に、(1)再配分:低所得者用住宅・家賃補助(Bijlmermeer)、家賃コントロール・再生効果ポイント(オランダ)(2)外部不経済の排除:スラム・麻薬・バンダリズム対策(Bijlmermeer、米・ベニングパーク)(3)最低限の居住レベル保証:失業対策・教育補助(Bijlmermeer)(4)政策失敗の相殺:高齢者対策(高蔵寺ニュータウン)、P2(所有主体)の経営安定確保(オランダ・デンマーク)(5)住宅政策の効率化:民間活用(米・ベニングパーク)、賃貸P1・2化(デンマーク)、Koophuur(オランダ)と整理した。これらの項目の内、(2)(外部不経済の排除)・(3)(最低限の居住レベル保証)については我が国では原因となる現象が生じていない為、将来において社会的に原因事象が問題となった場合の政策選択肢として位置付けられる。(1)(再配分)の家賃コントロールについては、日本の経済的政策方向性を含めてP3(公共主体)の役割範囲を議論する必要があるが、集合住宅再生の効果ポイント制度は、再生行為による居住環境向上の為のインセンティブ制度として参考となる。(4)(政策失敗の相殺)のP2(所有主体)の経営安定確保を目的とした保険制度は、特に区分所有制度によるP1(住み手)の共同所有という形式で運営している我が国の分譲集合住宅においては、経営上のリスクが住棟単位に集中しておりリスクの分散が図りにくい状況となっていることから制度導入による経営安定上のメリットが大きいと考えられる。又、(5)(住宅政策の効率化)は、我が国における住政策の硬直化や非効率の改善に寄与する可能性がある。

 第二に、P4(専門家)の役割について記述した。1992年以降のBijlmermeerにおける第2次大規模再生プログラムに関わる主体間の関係をみると、P4(MP Bureau)はP1(住み手)間の合意形成を、P4(Project Office)はP1(住み手)・P2(所有主体)・P3(公共主体)間の合意形成を取り纏める役割を担っている。1992年の第2次大規模再生開始前にはMP BureauやProject Officeのような合意形成を取り纏める役割を担うP4(専門家)主体は存在していなかった。その為に、再生を阻害する以下のような問題が存在していた。(1)P1(住み手)の再生希望が反映しない、(2)P2(所有主体)の資金調達の難しさ・不十分な市場調査、(3)P3(公共主体)が資金投資効果を把握できない、(4)P4(専門家・建築家)がP1(住み手)の意思を反映した再生計画を作成することができない、である。MP BureauやProject Officeのように、再生に対する他主体の意思を総合し、合意形成を補助する役割を担うP4(専門家)を「総合化主体」と呼ぶことにすると、この統合化主体の役割は、(1)P1(住み手)に対しては、再生に対する意見を吸い上げ、総合化し、再生メニューを提示すること、(2)P2(所有主体)に対しては、住宅市場の把握に基く再生計画資金計画を提示し、資金調達を行い、再生後に再生行為を評価すること、(3)P3(公共主体)に対しては、再生効果の社会性を提示し、公共投資の受け皿となること、(4)建築家・工事業者等の他のP4(専門家)に対しては、住み手の意思の吸い上げを担保し、再生メニュー・再生計画の事前事後の評価を行い、事業のスケジュールに責任を持つこと、と整理できる。

 最後に、P4(専門家)が提示すべき再生メニューにおける再生項目抽出方法の一つの試案として、III章において記述した居住者属性と再生希望傾向との関係に着目した成果を援用する可能性を提示した。即ち、III章で得た、(1)個別の再生項目に対する再生希望は、駐車場の拡大等の極く一部の項目を除けば50%にも満たない、(2)しかしながら、希望者が全く存在しない再生項目は殆ど存在しない、(3)再生項目によっては再生希望の割合が居住者属性と関係している、(4)再生項目毎に寄与する居住者属性の種類および寄与の度合いが異なる、という結果を踏まえて、居住者属性を説明変数とした再生希望に対する数量化II類によるカテゴリースコアを算出し、各P1(住み手)再生希望の推定判別を行った。P4(専門家)による再生メニュー策定時の1つの方法試論として提示した。

審査要旨 要旨を表示する

 提出された学位請求論文「集合住宅再生の合意形成メカニズムに関する研究」は、住み手、所有者、公共主体、生産者が関わって既存の集合住宅を再生する際の合意形成過程に着目し、既存の集合住宅の再生における合意形成の実態に関する詳細な調査分析に基づき、合意形成を効率的に行う方法を提示した論文であり、全5章からなっている。

 第1章「序」では、先ず研究の背景、目的、構成、既往の関連研究の成果等を明らかにしている。その中で、集合住宅の再生を分析する視点として、再生効用の大きさ、再生に関わる主体、合意形成に関わる主体の範囲の3つが重要であることを指摘し、それぞれの程度に応じた再生内容の分類の方法を分析の道具として提案している。次いでマスハウジング期に建設された集合住宅の再生事例に関する国際比較研究の成果に基づいて、集合住宅の再生における合意形成とそれに深く関わる費用負担の問題の重要性を指摘している。

 第2章「ニュータウンにおける集合住宅再生プロセス」では、高蔵寺ニュータウンとオランダのビルメルミア団地という二つの大規模な集合住宅団地における再生事例の内容と過程を比較分析することで、それぞれの再生行為がそれに関わる主体の費用負担に応じた再生効用の獲得によって成立していることを明らかにしている。具体的には、高蔵寺ニュータウンに関しては、ニュータウン内の6つの団地における再生行為を収集・整理し、それらを再生効用の大きさと合意形成に関わる主体の範囲との二つの視点から分析し、その傾向を明らかにしている。また、ビルメルミア団地に関しては、再生に至った経緯とそれに関わった主体を明らかにした上で、やはり再生行為の内容を、再生効用の大きさと合意形成に関わる主体の範囲とから分析している。そして、両事例ともに再生の費用負担の分析を加え、再生に関わる主体のそれぞれに費用負担に応じた再生効用を得たことを明らかにしている。

 第3章「集合住宅再生に対する住み手の意識」では、住棟内或いは団地内の住み手全員が合意形成に関わるような再生行為について、住み手がどのような意識を有しているか、特に再生効用に対してどの程度の期待を持っているかを、高蔵寺ニュータウンの住民に対するアンケート調査とその分析から明らかにしている。具体的には、先ず、様々な再生内容について実行に移るために必要と考える賛成票の比率を明らかにしている。ここでは、再生内容による住み手の意識の違いと、賃貸住宅と分譲住宅の別による住み手の意識の違いの双方を見極めている。次いで、居住者属性と再生希望割合の多寡の関係を分析し、再生内容毎に居住者属性による再生効用に対する期待の大きさの違いを明らかにしている。

 第4章「合意形成の為の方法論」では、既存集合住宅の再生における公共主体及び専門家の役割を論じた上で、専門家が住み手に対して提示すべき再生項目の抽出方法を提案している。具体的には、先ず、海外の各種の再生事例において公共主体の費用負担が必要とされた背景と費用負担の方法を明らかにし、公共主体の費用負担がその目標との関連から、(1)再配分、(2)外部不経済の排除、(3)最低限の居住レベル保証、(4)政策失敗の相殺、(5)住宅政策の効率化の5つに分類できることを示し、日本での適用可能性に言及している。次いで、ビルメルミア団地及び高蔵寺ニュータウンにおいて専門家が果たした役割の実態を分析し、再生に対する各主体の意思を統合し合意形成を補助する役割を担う専門家の存在が重要であることを見出している。そして、そうした専門家が住み手に対して提示すべき再生項目の抽出方法として、3章で明らかにした居住者属性と再生希望割合の関係についての知見に基づく方法を提案している。

 第5章「終章」では、前4章で明らかにした既存の集合住宅の再生における合意形成のメカニズムに関する実証的研究の成果と、それに基づく効率的な合意形成の方法とを確認、整理し、本論文の結論としている。

 以上、本論文は、これまで明らかにされていなかった既存の集合住宅の再生における合意形成のメカニズムを実証的に明らかにし、更にそれを円滑化する具体的な方法を応用可能な形で提案した論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51154