学位論文要旨



No 215265
著者(漢字) 阿部,正英
著者(英字)
著者(カナ) アベ,マサヒデ
標題(和) ハイビジョンMUSE受信機LSIの実現に関する研究
標題(洋)
報告番号 215265
報告番号 乙15265
学位授与日 2002.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15265号
研究科 工学系研究科
専攻 電子情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂内,正夫
 東京大学 教授 櫻井,貴康
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 助教授 平本,俊郎
内容要旨 要旨を表示する

 ハイビジョンクラスの高速画像信号処理へのCMOS LSIの適用に糸口をつけるディジタルフィルタLSIと、放送衛星を用いたハイビジョン放送に先鞭をつけるMUSE方式受信機用LSIの実現に関する研究を行った。

 第1章では、本研究の背景について述べる。

 1980年代半ばに入ると、画像信号処理用ディジタルLSIの必要性が、国際的なHDTV開発競争の流れの中で大いに高まってきた。しかし、画像信号処理では特に高速性が求められるため、一般にはバイポーラトランジスタLSIが適用されることが多く、集積度は高いが動作速度ではバイポーラトランジスタLSIに劣っているCMOS LSIでは難しいとされていた。

 そこで筆者は、将来家庭用機器に導入するLSIには高集積化、低消費電力化、低廉化の点で有利なCMOSをとるべきと考え、高速画像信号処理用CMOS LSIの研究に着手した。

 第2章では、MUSE(Multiple Sub-Nyquist Sampling Encoding)システムの概要について、サブサンプリングを中心とした帯域圧縮の考え方を中心に述べるとともに、2段階に分けて進めた研究開発の各段階における課題と当時のCMOS LSI技術の状況を概観する。

 この中で、第1フェーズではCMOS LSIによる画像信号処理用ディジタルフィルタLSI、第2フェーズではMUSEデコーダ用LSIの実現が課題であった。

 第1フェーズのディジタルフィルタLSIの研究開発段階(1985〜1986年)では、システム検証用LSIの試作ということもあり、設計は筆者等が行い、製造は外部半導体メーカをファウンドリとして活用した。

 第2フェーズのMUSE受信機用LSIの実現に向けた研究開発段階では、対象とする高速・大規模システムのLSI化が、最先端のLSI設計・製造技術を必要としたうえに、開発品種が多数に及んだことなどから、1社単独でのLSI開発は極めて困難な状況であった。このため筆者らは1986年、国内家電・半導体メーカ各社にMUSEデコーダ用LSIの共同開発を呼びかけ、これに応えた3社とNHKが協力して、1987年1月からLSI開発に取りくんだ。

 第3章では、画像用2次元フィルタに適したCMOSディジタルフィルタLSIのアーキテクチャや、高速化のための回路技術について述べる。

 1980年代前半ディジタル信号処理技術のTV映像信号への応用が進んだ。帯域圧縮技術やTV方式変換技術などがその例である。衛星によるHDTVの伝送システムとして開発された帯域圧縮方式がMUSEシステムである。

 このような帯域圧縮方式では、2次元あるいは3次元周波数領域で映像信号の間引きあるいは補間を行っている。その場合、前処理あるいは後処理で、ディジタルフィルタが不可欠となる。しかし、当時、ハイビジョンクラスの画像信号処理に使えるフレキシビリティに富んだLSIはなかった。

 そこで、フィルタのタップ数や入力信号の語長に関する拡張性に富んだディジタルフィルタの構成法を検討した。フィルタの基本構造については、映像信号処理に用いるフィルタは一般に定係数の演算をとることから、テーブル参照型(Look Up Table:以下LUT)メモリをコアとし、これと転置型およびビットスライス型を組み合わせたものとした。この構造をとることにより、ハードウエア規模が大幅に抑制されるとともに、入力語長およびタップ数が容易に拡張できるようになった。

 また、LUTを用いる類似のフィルタ構成技術であるDistributed Arithmetic方式との比較を行った。その結果、本研究で提案するビットスライス型フィルタが、ハード規模と処理速度に関しバランスがとれた、優れた方式であることが明らかとなった。

 このコンセプトに基づいて2次元ディジタルフィルタを1次元ディジタルフィルタLSIと遅延線LSIとの組み合わせで構成することにし、これに適したアーキテクチャのCMOSディジタルフィルタLSIの設計と試作を行った。

 さらに、このLSIを実験用MUSE受信機に搭載し、2次元フィルタ用LSIとして有用性を確認した。また、小型化されたこの受信機の活用により、帯域圧縮方式に関する研究の進展が図られた。本LSIは帯域圧縮以外に、TV方式変換のような技術に広範に応用できる。

 以上述べたように、ここにおける研究成果は、HDTV級高速画像処理へのCMOS LSIの適用に糸口をつける画期的なものであった。

 第4章では、LSI化MUSEデコーダのシステム分割について述べる。

 MUSE方式のような帯域圧縮方式では、時空間3次元周波数領域における線形信号処理が主体となっている。このようなシステムのLSI化を図るうえで、最適なシステム分割、およびこれと整合をとった画像メモリの構成法について検討した。

 その結果、システム分割については、フィールド間内挿の逐次処理方式が、メモリは増えるものの論理LSIの個数を削減できることから、最適であることを見出した。また、メモリ構成においては、このシステム分割との親和性からマルチプレックス型4Mbメモリが適していることを明らかにした。

 これらを基にして、システム分割を行い、全体で20品種のMUSEデコーダ用LSIの開発を行った。

 以上述べたように、メモリをコアとした画像信号処理アルゴリズムの最適化構成に関する本研究の成果は、これ以降のHDTV級大型高速画像信号処理システムのLSI化研究に先鞭をつけるものであった。

 第5章では、MUSE信号をデコードする映像本線系(入力処理、フレーム間内挿、静止画処理、動画処理、低域置換、色信号処理、出力処理の各ブロック)における特徴的なLSIの主要機能の実現に向けた技術について述べる。

 対称型ディジタルフィルタは、第3章で述べたディジタルフィルタLSIの技術をベースにして設計した。高速4Mb画像メモリは、動き補正機能など4つの機能を付加したApplication Specific Memoryとした。動き検出LSIは、デコーダの中でハードウエア規模が一番大きく、かつ、画質を左右する重要なブロックである。このため、機能を落とすことなく、ハード規模の適正化を図って、システム分割を行った。この他、LSI機能の外部コントロールのために、LSI間通信用シリアルバスを考案した。

 ここで開発したMUSEデコーダ用LSIは、補完のため開発した5品種のLSIを含め、合計で25品種である。これらのLSI46個と市販の汎用LSIおよびICを組み合わせ、合計約100個のLSIでMUSEデコーダを構成した。このLSI化デコーダは従来の市販IC類で構成した実験装置と比較して、大きさ・消費電力ともに約1/30に低減され、ようやく家庭用と呼べる水準に達した。また、LSI化による安定性の向上と部品数の削減、調整個所の低減などは、ハイビジョンMUSE受信機の大幅な低廉化を進める上で極めて効果的であった。

 開発したMUSE LSIを用いて構成したMUSEデコーダは、1989年のNHK技研公開を皮切りに各種の展示に供された。また、1989年6月から開始されたハイビジョン定時実験放送においても、ハイビジョン放送の普及促進のために、大きく貢献した。

 MUSE LSIの開発に続いて、1990年秋には、本LSI搭載のデコーダを内蔵したMUSE受信機が商品化された。これらの受信機は各種展示などで活躍するとともに、ハイビジョン普及促進のための中心的役割を担った。

 第6章では、次世代放送サービスに向けた本研究の貢献と、LSI技術に代表されるデバイス技術の課題や役割について述べる。

 本研究の成果をまとめると次の2点になる。第一は、画像用2次元フィルタLSIの実現がCMOS LSIのHDTV級高速画像信号処理への応用に道をつけたこと、第二は、MUSE LSIの実現がハイビジョン受信機の低廉化と普及促進に加え、ディジタルハイビジョン放送のハードとソフト両面にまたがるインフラを構築したことである。このような成果を産み出した原動力は、システム技術からデバイス技術にまたがる広範な融合技術である。

 次に次世代放送サービスの実現に向けて、重要な役割を果たす各種デバイス技術について考察する。課題は、システムオンチップ化、多機能化、超低消費電力化などである。本研究の経験を踏まえ、次章では、このような課題を解決するための方策について論ずる。

 第7章では、研究全体のまとめを行うとともに、次世代のLSIやデバイス技術に関する課題について述べる。

 本研究の経験を踏まえ、次世代放送サービスなど、情報化社会を支える半導体デバイスやLSI技術のあり方について考察する。産業発展の鍵を握るのは、異分野技術の融合による新技術の創生と、技術的側面とは別に、新しいデバイス技術者・半導体技術者像の構築である。

 特に、次世代のような技術融合の時代には、システム・ソフトウエア・ハードウエアにまたがる広範な知識をもった半導体技術者の養成が急務となる。このためには、産学官の協力でこれを成し遂げ、半導体・デバイス産業を、メモリなど従来のコンポーネント開発型から、真のシステムデバイス開発型へと脱皮させる必要がある。これが日本の半導体・デバイス産業再生への近道といえる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「ハイビジョンMUSE受信機LSIの実現に関する研究」と題して、高精細テレビジョン(MUSE)受信機のLSI実現に向けてのシステムアーキテクチャ、回路方式、およびLSI化回路技術などに関する研究をまとめたものであって、以下の7章から構成されている。

 第1章は「序論」と題し、研究の背景として、国際的な高精細テレビジョン(HDTV)開発競争が激化し、高性能な画像信号処理用ディジタルLSIの必要性が高まるなか、家庭用機器に導入するには、高集積化、低消費電力化、低廉化の面でCMOS LSI技術が不可欠であったことを明確にしたうえで、本論文の目的および構成を示している。

 第2章は「MUSEシステムの概要とLSI化研究の課題」と題し、HDTV衛星放送システムであるMUSE(Multiple Sub-Nyquist Sampling Encoding)システムのような大規模・高速システムの実現を図るうえで、キーデバイスである画像信号処理用ディジタルフィルタやMUSEデコーダのLSI化に適したシステム分割やアーキテクチャ、回路方式の実現が重要であることを明らかにしている。

 第3章は「2次元画像信号処理用ディジタルフィルタLSI」と題し、MUSEシステムに代表される帯域圧縮方式で不可欠となる、画像用2次元フィルタに適したCMOSディジタルフィルタLSIの実現に向けて、フィルタのタップ数や入力信号の語長に関する拡張性に富んだ構成法の検討を行い、最適な構成は、テーブル参照型メモリと転置型、ビットスライス型の組み合わせであることを明確にしている。さらに、このコンセプトに基づいて設計・試作を行ったCMOSディジタルフィルタLSIを実験用MUSE受信機に搭載し、その有用性を確認するとともに、この受信機を活用して帯域圧縮方式に関する研究を進展させたことを示している。

 第4章は「LSI化MUSEデコーダのシステム分割」と題し、時空間3次元周波数領域における線形信号処理を主体とするMUSE方式デコーダのLSI化手法について検討を加え、システム分割については、フィールド間内挿の逐次処理方式、また、メモリ構成については、システム分割との親和性からマルチプレックス型4Mbメモリが、ハード規模の面などで、最適であることを明らかにしている。さらに、これに基づいて設計・開発した20品種のLSIは、HDTV級の大型・高速画像信号処理システムに関するLSI研究に先鞭をつけるものであったことも示している。

 第5章は「MUSE LSIにおける主要機能の実現」と題し、主要なLSI機能の実現に向けた検討を行い、対称型ディジタルフィルタについては、第3章で述べたディジタルフィルタLSI技術の活用、Application Specific Memoryである高速4Mb画像メモリについては、動き補正機能など4機能の付加、さらに画質を左右する重要なブロックである動き検出LSIについては、機能とハード規模の両立を可能とする構成法、さらに複数LSIの制御方式については、LSI間通信用3線式シリアルバスの構成法、など効果的な提案を行っている。さらに、これに基づいて設計・製作したLSIで構成したMUSEデコーダは、目標とする小型化・低消費電力化(ともに約1/30)に成功するとともに、ハイビジョン放送の普及促進に向け大きく貢献したことを示している。

 第6章は「次世代放送サービスに向けた本研究の貢献とLSI技術の役割」と題し、本研究の貢献が、画像用2次元フィルタLSIの実現によるHDTV級高速画像信号処理へのCMOS LSIの適用範囲拡大、MUSE LSIの実現によるハイビジョン受信機の低廉化と普及促進、さらに、ディジタルハイビジョン放送のハードとソフト両面にまたがるインフラ構築などであることを示している。さらに、次世代放送サービスの実現に向けて、デバイス技術と半導体技術が果たすべき役割を展望している。

 第7章「結論」では、研究全体のまとめを行い、本研究の成果を要約するとともに、今後の課題を述べている。

 以上これを要約するに、本論文では、ハイビジョン級画像処理へ適用可能なディジタルフィルタLSIとハイビジョン衛星放送を可能とするMUSE方式受信機LSIの実現に向け、システム分割、アーキテクチャ、回路方式などの提案とともに、これに基づくLSIの設計・製作、並びにシステムへの実装による有効性の確認など、高速画像信号処理システムへのCMOS LSIの適用に道を拓く基礎技術を確立しており、電子情報工学上貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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