学位論文要旨



No 215269
著者(漢字) 佐藤,公泰
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,キミヤス
標題(和) 生体鉱化作用における無機・有機界面相互作用
標題(洋) Inorganic/Organic Interfacial Interactions in Biomineralization Processes
報告番号 215269
報告番号 乙15269
学位授与日 2002.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15269号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小暮,敏博
 東京大学 教授 村上,隆
 東京大学 教授 田賀井,篤平
 東京大学 教授 山岸,晧彦
 物質材料研究機構 センター長 田中,順三
内容要旨 要旨を表示する

生体硬組織中の無機物質は一般に生体鉱物と呼ばれ、その形成プロセスは生体鉱化作用として知られている。このプロセスは、生物が生きている穏和な常温・常圧環境下で、無機イオンを水溶液(体液)から固体として固定する過程である。生体鉱化作用の結果として得られた材料はナノ〜マイクロメートルの範囲で必要に応じてそのサイズが制御されている。またその形状・結晶相・結晶学的方位なども、生体内でうまく機能するように高度に制御されている。この生体鉱化作用には、タンパク質、多糖などの生体高分子と無機結晶の界面での相互作用が重要な役割を演じていると考えられている。一方で、生体内のメカニズムを解明し、それを利用して付加価値の高い人工材料を創成する技術へと発展させようとする分野(生体模倣)が存在する。生体鉱化作用を生体模倣技術の視点から捉え、わずかなエネルギーでナノスケールから構造の制御された高機能材料をつくるための知見を得ることを目的として、以下のような研究をおこなった。

水酸アパタイト界面の構造決定:硬組織の形成機構をナノレベルで理解する研究は、生体材料の開発指針を得るため、同時に生体模倣による材料合成のヒントを得るために必要不可欠である。骨、歯の主要構成鉱物である水酸アパタイト(以下HAp、組成式Ca5(PO4)3OH)はすでに医療分野などで広く利用されているが、HApの生体内における形成メカニズムは未だに明確でない。HApの結晶構造は通常六方晶系(P63/m)であり、Caには2種類のサイト(Ca1、Ca2)が存在する(図1)。OHはc軸方向に延びたチャンネル中に存在する。結晶表面の原子配列の決定は、結晶の安定性(特にナノ結晶においては結晶の全エネルギーにおける表面エネルギーの割合は飛躍的に増大する)や生体高分子との相互作用を論じるのに非常に重要である。高分解能TEMにより例えばHAp表面や結晶粒界の構造を原子分解能で解明していくことが可能であると考え、筆者はHAp焼結体の高分解能TEM観察をおこなった。図2aは電子線損傷によって形成されたHApの{100}面と電子線により非晶質化した領域の界面の高分解能TEM像である。高分解能TEM像のコントラストをコンピュータシミュレーション(図2b)との比較から解析し、HApの{100}面はOHチャンネル、Ca2サイト、PO4四面体上を通る平面で終端していることが明らかとなった(図2c)。HAp焼結体中の結晶粒界において、{100}を界面にもつ結晶粒を探しその終端構造を調べたところ、上記の電子線損傷によって形成される{100}界面と同様であることがわかった。HAp表面の原子分解能による観察は今までいかなる手法によっても他に報告例がなく、筆者の示した結晶/非晶質界面及び結晶粒界の原子配列に関する知見は、今後HApを利用したナノ構造の創製を考える上で非常に有用な情報となると考えられる。

有機単分子膜上でのHAp形成:生体内硬組織を構成する無機結晶はすべて常温常圧の環境で周囲の体液から形成される。生体は高分子からなる有機マトリックス上のある特定のサイトに選択的に無機結晶を析出させて硬組織をつくる。この無機・有機界面相互作用を理解するため、無機イオン濃度とpHがほぼ体液に等しい擬似体液(Simulated Body Flood,以下SBF)を用いてHApの形成実験をおこなった。無機イオン供給源としてのSBFに対し、有機基質を模倣するものとしてラングミュア・ブロジェット膜(以下LB膜)を用いてHAp形成機構を調べた。アラキジン酸を用いて表面にカルボキシル基が配列した単分子膜を用いると、膜上にHApが成長する。図3はLB膜上に形成されたHAp凝集体の高分解能SEM像である。板状の構造をもつ結晶が半球状に凝集している。図4に凝集体の高分解能TEM像を示す。HApナノ結晶は{100}面の一つが伸張した板状結晶になっており、これは図3の板状結晶を断面方向から見たものに対応している。骨などに含まれるHApは{100}面が大きく成長した結晶形態をとっており、本実験で得られたHApと同じである。通常体液やSBFはHApに対して過飽和な状態にあるが、緩衝効果のためHApの自発沈殿(均一核形成)が起きるほどには過飽和度は高くない。擬似生体環境下でのLB膜表面のカルボキシル基の状態を赤外分光測定によって調べた(図5)。SBF浸漬前のLB膜のスペクトルでは1702cm-1にカルボキシル基中のC=0結合による吸収帯が見られる(図5a)。SBF浸漬後では、C=0結合の吸収帯は完全に消失し、-CO2-の逆対称伸縮振動が1576cm-1と1543cm-1にダブレットとして現れた(図5b)。これは、配列したカルボキシル基にCa2+イオン、PO43-イオンが吸着し、膜構造の対称性が下がったことによる(固態効果)と考えられる。赤外分光の結果から、カルボキシル基にCa2+イオン、PO43-イオンが吸着することで不均一核形成が生じ、HApが形成していることがわかった。

炭酸カルシウムの方位成長:構造を高度に制御した有機基質を用いることで、常温常圧下で通常得られない特異な微構造の無機結晶を合成するという、生体模倣の考え方に即した実験をおこなった。LB膜を構成する両親媒性分子間に重合を導入することで、LB膜表面のカルボキシル基の配列を制御し、その上に炭酸カルシウム結晶を析出させた(図6)。炭酸カルシウムの過飽和水溶液中から析出した結晶は、紡錘形の凝集体の形をとっている。凝集体はカルサイト微結晶からなっており、そのc軸が紡錘体の長軸方向に一致していた。また基板上には島状のドメイン構造が見られ、その内部に筋状のクラックが走っている。紡錘状の結晶は、その長軸方向がクラックに対して垂直であり、かつ基板に対して一定の角度で傾いている。図7は重合LB膜の原子間力顕微鏡像である。この基板上のクラックは、重合LB膜によるものであり、その方向は膜内の重合の方向に対応する。LB膜中の分子配列の異方性が、上に析出した炭酸カルシウムの結晶学的方位を規定していると推測される。この結果、核形成のマトリックスとなる重合LB膜の構造により、無機結晶の方位をコントロールすることが可能であることが明らかとなった。

図1 HApの原子配置(c軸投影)

図2 (a)結晶質/非晶質界面の高分解能TEM像(b)界面近傍のコントラストのシュミレーション(c)構造モデル

図3 SBFからLB膜上に析出したHApナノ結晶凝集体

図4 HAp凝集体の高分解能TEM像。

挿入された図は四角い枠で囲まれた領域のフーリエ変換像を示す。矢印は{100}面に対応した回折スポットを示す。

図5 アラキジン酸LB膜の赤外分光測定結果(a)SBF浸漬前(b)SBFに1時間浸漬後

図6 重合LB膜上に析出したカルサイト凝集体。

紡錘状の凝集体の長軸が全て揃っている。

図7 重合LB膜のAFM像。

クラックは膜の重合方向に対応する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、各章はそれぞれ下記の内容に関して述べている。

第1章 高分解能電子顕微鏡観察によるハイドロキシアパタイト(HAp){100}界面の構造決定

第2章 体内における有機マトリックスのモデル物質としてのラングミュア・ブロジェット膜(LB膜)の作製・評価

第3章 LB膜上でのHAp結晶形成

第4章 有機官能基によって誘導されたHAp核形成の初期過程

第5章 重合LB膜上での炭酸カルシウム結晶方位成長

第1章

結晶表面の原子配列の決定は、結晶の安定性や生体高分子との相互作用を論じるのに非常に重要である。筆者は骨、歯の主要構成鉱物であるハイドロキシアパタイト(以下HAp、組成式Ca5(PO4)3OH)焼結体の高分解能透過型電子顕微鏡観察をおこなった。電子線損傷によって形成された非晶質化領域とHApの{100}面との界面を原子分解能で解析し、HApの{100}面はOHチャンネルを通る平面で終端していることを明らかにした。またHAp焼結体中の結晶粒界において、{100}を界面にもつ結晶粒を探しその終端構造を調べたところ、電子線損傷によって形成される{100}界面と同様であることがわかった。これらの結果は再生医学や材料科学的に重要なHApの表面構造に対する新しい知見として非常に重要であり、また筆者の高度な研究能力によって達成されたものである。

第2章

生体は高分子からなる有機マトリックス上のある特定のサイトに選択的に無機結晶を析出させて硬組織をつくる。無機結晶の形成場となる有機マトリックスを、モデル実験で再現するためラングミュア・ブロジェット膜(以下LB膜)の作製・評価をおこなった。本章は実験技術の説明が中心であり、新しい成果はあまり見られないが、次章以下の研究成果を理解するためには不可欠なものである。

第3章

有機マトリックス上での無機結晶形成を誘導する無機・有機界面相互作用を理解するため、無機イオン濃度とpHがほぼ体液に等しい擬似体液(Simulated Body Flood、以下SBF)を用いてLB膜上へのHApの形成実験をおこなった。表面にカルボキシル基が配列したLB膜を用いると、膜上に板状のHApナノ結晶からなる半球状の凝集体が形成された。個々のHApナノ結晶は{100}面の一つが伸張した板状結晶になっており、骨に含まれるHApと同じ結晶形態をとっていた。これらの結果は生体内でのHAp形成における有機質上でのカルボキシル基の重要性などを明らかにしたことや、そこで形成されるHApの構造を明らかにした点など生体鉱化作用における重要な知見と言うことができる。

第4章

LB膜上へのHAp核形成の初期プロセスを赤外分光測定やX線光電子分光法によって調べた。LB膜上に配列したカルボキシル基にCa2+イオン、続いてPO43-イオンが吸着することで不均一核形成が生じ、そこからHApが形成するというモデルが提案されている。結晶化初期のイオン吸着過程のモデルを与えた結果として評価できる。

第5章

構造を制御した有機基質を用いることで、無機的な条件では通常得られない構造の結晶を合成するという、生体模倣の考え方に即した実験を行った。LB膜を構成する分子間に重合を導入することで膜表面のカルボキシル基の配列を制御し、その上に方位の揃った特定の炭酸カルシウム結晶相を析出させることができた。これらの結果は有機マトリックスの官能基の配列で、結晶相やその方位を制御できる実証例として学術的に見て貴重なものである。十分に世に問うべき成果と言うことができる。

本論分の各章は下記の通りの共同研究者との共著論文を基としているが、いずれも論文提出者が主体となって分析・検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

第1章 小暮敏博、生駒俊之、熊谷友里、田中順三

第3章 小暮敏博、熊谷友里、末次寧、菊池正紀、田中順三

第4章 熊谷友里、田中順三

第5章 熊谷友里、小暮敏博、田中順三

したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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