学位論文要旨



No 215271
著者(漢字) 斉藤,知己
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,トモミ
標題(和) ドウケツエビ科の生態と系統分類(甲殻綱:オトヒメエビ下目)
標題(洋) Ecology and Phylogeny of the Family Spongicolidac (Crustacea : Stenopodidae)
報告番号 215271
報告番号 乙15271
学位授与日 2002.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15271号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,正倫
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 教授 太田,秀
 東京大学 講師 上島,励
 東京水産大学 教授 渡邊,精一
内容要旨 要旨を表示する

 ドウケツエビ科はオトヒメエビ科とともにオトヒメエビ下目に属し、全世界の温熱帯域を中心に5属28種2亜種を数える。このうちサンゴヒメエビ属Microprosthemaは例外的に赤道域の浅海の岩礁域で自由生活を営むが、Paraspongicola、ドウケツエビ属Spongicola、Spongiocaris、Spongicoloidesの4属(以下、ドウケツエビ類と呼ぶ)は、カイロウドウケツなどの深海性六放海綿類の胃腔内にペアで共生する。

 ドウケツエビ科は、記載された年代が古くて今日の基準を満たしていない種や、既知種でも厳密には属の定義に従わない種などを含み、若干の分類学的混乱状態を呈している。また、これまで本科について系統体系学的な研究は行われておらず、種間関係は明らかでなかった。

 十脚甲殻類における配偶様式の類型の中には、"交尾前ガード型"と"ペア制"というカテゴリーがあり、前者には自由生活種が多く知られ、成熟雌の分泌する性フェロモンをきっかけとして、雄が交尾の数時間〜10数日間前に配偶者選択してペアを形成し、その後にペアが解消される。一方、後者にはオトヒメエビやドウケツエビなどを含む多くの共生種が知られ、ペア形成が繁殖期以前に行われ、交尾後もペアが継続すると考えられている。中でもドウケツエビ類は、テッポウエビ科の数種と同様に、居住空間または宿主に閉じ込められて生活する特殊な例で、居住区間への出入りが物理的に可能な幼期にペア形成されると推定されているが、その実態はほとんど分かっていない。

 ドウケツエビ科の発生については、大西洋に広く分布するMicroprosthema semilaeveでゾエア4期までが、また、相模湾からフィリピン近海に分布するドウケツエビSpongicola venustaでも浮遊期を有するゾエアでふ化することが知られている。一方、バハマ産のSpongiocaris hexactinellicola、ジブラルタル海峡やビスケー湾に産するSpongicoloides koehleriは省略発生型とされている。このように、本科では各属の発生様式と分布に一定の対応が見られ、その種分化過程を推定することは、進化生物学的にも興味深い。

 以上の理由により、本研究では、まず、1)ヒメドウケツエビSpongicola japonicaの生態を調べ、2)ドウケツエビ科の分類学的再検討を行い、3)形態形質に基づき種レベルの分岐図を構築した。

1) ヒメドウケツエビの生態

 本研究に用いられた材料は、鹿児島県枕崎市沖合で操業される底引き漁で混獲されたもので、1993年4月〜2000年12月までの禁漁期(1〜3月)を除き、年に2回程度乗船して収集した。宿主カイメンは状態の良いものを選別し、1個体ごとに大きさに応じて、冷海水(10〜13℃)の入った1〜3リットルのサンプル瓶に入れ、クーラーボックス内に収容した。その後、約7時間の行程を水温保持しながら、活きた状態で研究室まで運搬した(飼育、標本作製・観察・解剖、切片作製などについては省略)。

発生

 ヒメドウケツエビは、抱卵雌1個体あたり卵径約1.8mmの卵を平均20個有する大卵少産型である。孵化幼体は平均1.6mm CL(頭胸甲長)で、眼は既に眼柄を有し、頭胸甲から分離して可動である。歩脚は全てが、腹肢は原基状である第1腹肢を除き、機能的に分化している。第3顎脚底節は痕跡的な外肢を有し、鰓は全て未分化の原基状で、第4歩脚は副肢を欠き、鰓式は成体と異なる。本種の発生様式は海産十脚甲殻類の中でも特殊な直接発生の例である。

二次性徴

 5.0〜mm CLの雌で第3歩脚掌節の矮小化、腹節幅の増大、腹側板、および腹肢原節に羽状毛を生じることなどが認められた。一般に十脚甲殻類の二次性徴として、雄の鋏脚掌節が増大することが知られ、とくに交尾前ガード型に分類されるグループで著しい。しかし、ヒメドウケツエビでは雄の第3歩脚掌節長の成長が一定であるのに対し、雌のそれが低下する傾向が認められた。両者の違いは、雌を獲得する過程における雄間の闘争の有無によると考えられる。一方、腹節幅の増大、および腹側板と腹肢に生ずる羽状毛は抱卵を効果的にすると考えられる。同様の変化がMacrobrachium rosenbergii(テナガエビ科)などのコエビ類の雌に認められ、羽状毛は産卵期に限って生じる。ところが、本種の雌はほぼ年間を通じて抱卵し、また、幼体の孵化後も間もなくして産卵するので、テナガエビ類のように産卵期と産卵間期の区別が明確でなく、成熟サイズ到達後もその形態が永続する。

生殖腺成熟度

 雄の成熟度は精巣内の精子形成の状態から、未熟期(I)、精子形成前期(II)、精子形成後期(III)、成熟期(IV)の4期に分けられたが、ペアの最小サイズ(後述、雄:5.2mm CL)よりも小さい3.0〜3.5mm CLの精子形成(II〜III)個体及び3.5〜4.0mm CLの成熟期(IV)個体が認められた。

 一方、雌の成熟度は卵巣内の卵形成の状態から、未熟期(I)、油球期(II)、卵黄球前期(III)、卵黄球中期(IV)、卵黄球後期(V)の5期に分けられ、孵化後〜3.5mm CLの個体に未熟期(I)が、3.5〜6.0mm CLの個体に油球期(II)が相当した。二次性徴の認められた5.5mm CL以上の個体には卵黄球前〜後期(III〜V)が相当し、卵巣発達の開始は成長に依存していた(表1)。

 ムラサキヤドリエビArete dorsalis(テッポウエビ科)は雄から雌へ性転換することで知られ、雄と雌の中間的な形態をした個体が認められているが、ヒメドウケツエビではそのような間性個体は確認されていない。また、生殖腺の観察からも、本種の繁殖は性転換が介在したものではないと考えられた。

 成熟度をペア間で比較したところ、成熟度が異なる雌(III〜V)9個体に対し、8個体の成熟期(IV)ペア雄が確認され、雄はほぼ年間を通じて交尾が可能であると考えられた。オトヒメエビでは産卵期に雌の脱皮に伴い、交尾、続けて受精、産卵が行われるが、ヒメドウケツエビでは成熟度が異なる(III〜V)9個体中4個体の雌に、輸卵管内に貯留した精包が発見され、産卵間期の交尾、あるいは、1回の交尾で複数回受精する可能性が示された。

胚発生と繁殖サイクル・季節性

 ヒメドウケツエビの胚発生は、心拍開始期、卵黄の量、付属肢形状などにより12期に分けられ、孵化までに1年以上を要した。また、胚発生と同時に卵巣が成熟し、幼体の孵化後、間もなく脱皮し、再び産卵するという繁殖サイクルが可能になっている。

 同所的に採集されるヒゲナガエビHaliporoides sibogae(クダヒゲエビ科)では、繁殖の季節性が認められ、その要因として水温や光周期の変動が挙げられている。しかし、ヒメドウケツエビではそれが認められず、繁殖を促す要因には環境条件以外のものがあると考えられた。

社会構造とペア形成

 採集された宿主カイメンのうち、破損したものを除く73個体について、宿主内のエビの構成を調べたところ、ペアのみならず、1個体から最大10個体までのケースが認められた。これを、"ソロ"(1個体のみ、25例)、"ペア"(最小抱卵サイズ5.8mm CL以上の雌と雄から成るペア、27例)、"小集団"(ペアを除く複数個体、4例)、の3つのカテゴリーに分類した。

 小集団は主にペアと若齢個体から成立し、同一宿主内からペアのサイズの同性個体が複数得られた例はなかった。多くの海産無脊椎動物では浮遊幼生期を有し、プランクトンとして広範囲に分散するため、親子関係が成立するケースは稀である。しかし、本種では子供の何割かが親の元にとどまるので、小集団は基本的に血縁関係で成立していると考えられる。淡水産のザリガニ類やサワガニ類などで、親が卵のふ化後に子をしばらく腹肢に抱えて保護する行動が知られているが、本種ではカイメンの胃腔内に共生することで、既に外敵から身を守る必要がなく、保護行動が発達しなかったと考えられる。

 全期間に採集されたヒメドウケツエビ442個体(雄:216;雌:215, 不明:11)のうち、ペアのサイズ以前(雄:4.0〜5.0mm CL;雌:5.0〜6.0mm CL)の個体は、雌で1%、雄で4%と、著しく少なかった。ソロ雌の成熟度は油球期以降(II〜)に相当するが、とくに5.5〜6.0mm CLで、卵黄球前〜後期(III〜V)にあたる個体が全く得られなかった。従って、雌は卵細胞に卵黄を蓄積する段階(III〜V)で自由生活していると考えられる。ペアのうち、若齢雌のほとんどが抱卵個体であったことから、ペアの進入(あるいは成立)時期は初産直前と推定される。ペア形成過程には「(1)宿主外でペア形成し、しばらく自由生活した後、初産直前に宿主内に進入する」、「(2)自由生活雌が初産直前にソロ雄の居る宿主内に進入してペアが成立する」、の2通りが考えられる。

 アカザエビ科やテナガエビ科で交尾前ガード型に分類される種では、雌の成熟期がペア形成期にあたり、産卵脱皮に伴って分泌される性フェロモンによって雄が誘引される。ヒメドウケツエビの雌でも成熟過程の最終段階で、抱卵を容易にするための形態変化を伴う脱皮を繰り返しており、同様の要因でペア形成が行われている可能性が高い。その場合、ペア形成の時期や過程は"交尾前ガード型"と変わらないことになる。

宿主の成長とエビによる宿主選択

 オウエンカイロウドウケツの骨格構造は、成長に応じ、柔軟なものから固い構造へと変化する。ソロ個体および若齢のペア個体は柔軟な宿主カイメンに多く、一方、老齢のペア個体は固い宿主カイメンに多かった。また、死んだ宿主カイメンからはヒメドウケツエビの共生は確認されなかった。

 ヒメドウケツエビの配偶様式は、浅海のオトヒメエビと同じ"ペア制"に類型化されるものの、繁殖の実態はこれまでの認識と様々な点で異なった。とくに、本種で産卵間期の交尾、あるいは、1回の交尾で複数回受精する可能性が示されたことは、本来、配偶者確保が困難と考えられる種にふさわしく、大変興味深い。

 ヒメドウケツエビはその生活史のうちに1度以上の自由生活を経験し、幼期には宿主カイメンの小孔を通じて、成熟期には体壁を破って、宿主間を移動していると考えられる。とくに、成熟期の自由生活は、配偶者選択と同時に宿主選択も求められている。さらに、本種の発生様式が直接発生で、近親間の配偶が起こる可能性が高いことを考慮すると、自由生活はそれを避けるためにも重要な生態ステージと考えられる。

2) 分類学的再検討

 ドウケツエビ科の主要な分類形質としては、頭胸甲の棘、口部付属肢の鰓・副肢・外肢、触角掃除器官、および第3歩脚などがあげられる。ちなみにこれらは、アサリなどに共生するカクレガニ科でも、同様に退化傾向が認められている形質である。検討の結果、Spongicola japonica KuboはSpongicolaおよび他の属の定義に従わず、SpongiocarisとSpongicoloidesの中間的な形態を呈した。そこで、新属Neospongicolaを創設した。Spongicola inflata de Saint Laurent & ClevaはParaspongicolaに、Spongicola cubanica Ortiz, Gomez & LalanaはSpongiocarisに所属を移した。S. henshawi henshawi Rathbun、S. h. spinigera de Saint Laurent & Cleva、S. holthuisi de Saint Laurent & Clevaの姉妹群、およびSpongicola andamanica Alcockは種間関係を明らかにするため、さらに詳細な分析が必要である。

3) 各種の系統関係

 ドウケツエビ科の現生種28種2亜種について(7種以外は標本観察から)、42形質を選び、オトヒメエビ科のStenopusとOdontozonaを外群として系統類縁関係を推定した。その結果、樹長145ステップ(CI=0.4000, RC=0.3077)の最節約樹が8本得られ、これらの多数決合意樹を作成し図1に示した。

 この仮説はドウケツエビ類の単系統性を支持するものの、Spongiocaris、Spongicoloidesはそれぞれ非単系統群となることが示唆され、未検鏡のSpongicoloides数種の形質状態を確認することなど、検討の余地が残された。

 得られた系統仮説とドウケツエビ科の形態、生態、分布などから検討した結果、ドウケツエビ類は宿主カイメンと共生関係を築いたことから、ゾエア発生型から省略型へ進化して地理的に隔離された種群をうみだし、同時に体各部の棘、口部付属肢の鰓、掃除器官の退化などの形態適応を起こし、種分化につながっていったと推定された。

表1.ヒメドウケツエビの成熟度とCLの関係

図1.ドウケツエビ科全種の多数決合意樹.

各分岐点において、上部の数字はブーツ・ストラップ確率を、下部の数字は共有派生形質を、かっこ内の数字は形質状態を示す.M : Microprosthema, N : Neospongicola, O : Odontozona, S : Spongicola, Sa : Spongicocaris, So : Spongicoloides, St : Stenopus.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文において研究対象とされているドウケツエビ科エビ類は、節足動物門甲殻綱十脚目オトヒメエビ下目に属している。世界の温熱帯海域を中心に5属28種2亜種からなり、サンゴ礁に生息するサンゴヒメエビ属Microprosthema以外の4属Paraspongicola、Spongicola(ドウケツエビ属)、Spongiocaris、Spongicoloidesは深海泥底に生息する六放海綿類(カイロウドウケツ類)の胃腔内に共生している。

 ヒメドウケツエビの生態を扱った第1章においては、1)発生、2)二次性徴、3)生殖腺成熟度、4)胚発生と繁殖サイクル・季節性、5)社会構造とペア形成、6)宿主の性徴とエビによる宿主選択という6パートに分けて、それぞれの特性を具体的に明らかにしている。

 抱卵雌は卵径約1.8mmの卵を平均20粒を有する(大卵少産型)。孵化幼体の頭胸甲長は平均1.6mmで、眼はすでに有柄で、歩脚は機能的に分化している。このような発生様式は海産十脚甲殻類としては特殊な直接発生型である。頭胸甲長5.0mmの雌で第3歩脚掌部の矮小化、腹節幅の増大、腹側板および腹肢原節における羽状毛の発生などが二次性徴として認められた。一般に十脚甲殻類の二次性徴は、雄の鋏脚掌部の伸長が注目されるが、これは交尾前ガードという繁殖戦略と関係がある。この点ヒメドウケツエビでは、雌を獲得する過程において雄間で闘争が行われないためであると考えられる。

 生殖腺成熟度を調べて、雄の成熟度は精巣内の精子形成の状態から、未熟期(I)、精子形成前期(II)、精子形成後期(III)、成熟期(IV)の4期に分類された。頭胸甲長3.5〜4.0mmで成熟期の個体が認められた。一方、雌の成熟度は卵巣内の卵形成の状態から、未熟期(I)、油球期(II)、卵黄球前期(III)、卵黄球中期(IV)、卵黄球後期(V)の5期に分けられた。孵化後から頭胸甲長3.5mmまでの個体は未熟期、3.5〜6.0mmの個体は油球期であった。ペア間の成熟度の比較によって、雄は年間を通じて交尾が可能であること、産卵間期の交尾あるいは1回の交尾で複数回受精する可能性が示された。

 胚発生は心搏開始期、卵黄の量、付属肢の形状などから12期に分類され、外卵から孵化までに1年以上を要する。また、胚発生と同時に卵巣が成熟し、幼体が孵化すると間もなく脱皮し、再び産卵する。

 宿主内のエビはペアだけでなく、1個体から最大10個体まで多様であった。1個体のみをソロ、雌雄1個体ずつをペア、複数個体を小集団と定義し、それらの成因を考察した。雌は卵細胞が卵黄に蓄積する段階(III〜V)で自由生活をするため、ペア形成過程は、1)宿主外でペア形成は、しばらく自由生活をした後、初産直前に宿主内に入る、2)自由生活雌が初産直前にソロ雄のいる宿主内に入ってペアが形成される、のいずれかと推察された。

 オウエンカイロウドウケツの骨格構造は成長とともに固くなる。ソロ個体や若齢のペア個体は柔軟なカイメンに、大型個体は固いカイメンに多いが、死んだカイメンにはヒメカイロウドウケツエビは共生していなかった。

 第2章では標本を精査し、種の定義を明らかにした。ドウケツエビ科の主要な分類形質としては頭胸甲の棘、口部付属肢の鰓・副肢・外肢、触角掃除器、第3歩脚などが挙げられる。検討の結果、本研究で扱ったヒメカイロウドウケツエビはSpongiocarisとSpongicoloidesの中間的な特徴をもっていることから、新属の設定を提唱した。その他、数種の所属を変更した。

 第3章においては、28種2亜種について、42形質を選び出し、系統類縁関係を明らかにするために、オトヒメエビ科のStenopusとOdontozonaを外群として比較した。樹長145ステップの最節約樹が8本得られた。この仮説はドウケツエビ類の単系統性は支持するものの、Spongiocaris、Spongicoloidesは非単系統群となることを示した。得られた系統仮説と形態、生態、分布などを比較検討した結果、ドウケツエビ類は宿主カイメンと共生関係を築いたことから直接発生という繁殖戦略をとるようになり、その結果として地理的に隔離された種群が生み出されたことが種分化につながったものと推定された。

 なお、すでに学術雑誌に印刷公表された論文7編は中嶋清徳、小西光一、古屋康則、内田 至、武田正倫のいずれかと共著であるが、論文提出者が第1著者として主体的に研究を進め、論文としてまとめたことから、論文提出者の寄与が十分であると判断することができる。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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