学位論文要旨



No 215274
著者(漢字) 江原,由美子
著者(英字)
著者(カナ) エハラ,ユミコ
標題(和) ジェンダー秩序
標題(洋)
報告番号 215274
報告番号 乙15274
学位授与日 2002.02.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第15274号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 教授 大沢,真理
 お茶の水女子大 教授 天野,正子
内容要旨 要旨を表示する

 0、本論文の目的

 本論文では、「男らしさ」「女らしさ」などの性別や性差に関する観念・知識・意識などを含意するジェンダーと、男女間の社会関係の特定のありかたである性支配が、同時的に社会的に構築されるということを論じる。従来ラディカル・フェミニズムなどのフェミニズム理論においては、男女間の権力関係を論じる際に、男女が固有の特性を持つことを前提としがちであった。このような性別観に対しては、それが生物学的属性を絶対視するものであり、なおかつそうした固有の特性とおかれたものの多くは人種的階級的に特定の層の文化や社会構造に基づくものに過ぎないなどの理由から、現在強い批判が寄せられている。このような本質主義的性別観への批判は、性別を文化や社会構造の中で人々が社会的実践を通じて「構築」していくものとして見る、社会構築主義的な見方を生み出した。しかしこの性別に対する社会構築主義的な見方は同時に、ラディカル・フェミニズム以来フェミニズム理論が理論化の焦点としてきた性支配(家父長制)などの男女間の権力関係の記述そのものをも困難にしている。本論文の目的は、このような現在のフェミニズム理論状況をふまえ、本質主義的性別観に陥ることなく性支配を理論化することにある。

 1、予備的考察

 現代の社会学やジェンダー研究では、観察可能な男女の行動などの差があったとしても、それを固定的に見ることへの抵抗感が強く、「性差などない」と言わなければならないような雰囲気が生まれている。しかしそうした議論は実のところ、性差を、観察可能な行動や実践の水準ではなく、「心の奥」など別の水準に見出だすという、「本質主義」的な性差観を前提としている。「心」を「心にかかわる私たちの活動」とは独立の、本人しか近づきえない個人の内部におきている現象と考えるならば、「心」は神秘化されざるをえない。同様に性差を、観察可能な行動や実践とは独立の「心の奥」に求めるならば、当然性差も神秘化されざるをえない。こうした神秘化された性差観ではなく、観察可能な行動差、や社会的実践の差を性差として把握するような性差観に移行するべきである。このような「心」に関する探求の方向は、社会的行為能力を主観的意味の付与など行為者の「心」に帰属させる行為観・権力観ではなく、他者がその行為者に適用する「心にかかわるふるまい」によって把握するような行為観・権力観がありうることをも示唆している。

 2、ジェンダーの社会的構築

 「ジェンダーの社会的構築」に関するこれまでの議論は、大きく二つの系列に分類できる。すなわち、(1)構造主義・ポスト構造主義などの影響のもとで、広く流布し多くの人々にとって利用可能になっている諸言説に焦点をあてる系列、(2)言語行為理論・会話分析・エスノメソドロジーなどの影響のもとで、具体的な社会的場面における相互行為に焦点をあてる系列の二つである。この二つの系列の分析はいずれも、言説が「女」「男」に関わるアイデンティティを作り出すとともに、言説内において「女」「男」に異なる「権利と義務」を課すことを明らかにし、そこに「ジェンダーの社会的構築」を見出だしている。近代においては、対面的相互行為状況においてのみ社会関係の組織化が行われているわけではなく、空間的時間的にへだたった成員間に社会関係を構築する社会的技術が生み出されている。二つの言説分析の流れはそれぞれ、この二つの社会関係組織化に関する社会的技術に焦点をあてていると考えられる。

 3、構造と実践

 二つの言説分析はそれぞれ、アンソニー・ギデンズの「構造化の理論」とピエール・ブルデューの「文化的再生産論」と関わりを持つ。両者の、構造と実践(言説実践を含む)との関連性の議論を参照しつつ、ジェンダーの社会的構築と性支配との関わりを考察する。この考察から、相互行為水準における権力(自己が目的とする事態に向けて、他者の実践を積極的契機として動員しうる力)と、社会的地位水準における権力(権限;一定の社会的地位にある人々が行うことができることについての予めの規定)を定義し、それぞれの水準における支配(権力行使の度合いあるいは権限において著しい非対称性が成立している場合その両者の社会関係)を定義する。ここから、ジェンダーと性支配の関わりに関して、相互行為水準における性支配/社会的地位達成競争/社会的地位水準における性支配/象徴闘争と言う4つの局面を区別する。

 4、ジェンダー秩序

 構造と実践をともに産出する規則的な社会的諸実践のパターン及びそうした規則的な社会的諸実践によって産みだされるハビトゥスを、性支配に関して特定することを試みる。ロバート・W・コンネルの分析を参照しつつ、特定の社会領域におけるジェンダー関係の制度化(ジェンダー体制)と、全ての制度を貫通し諸制度や制度間の関係をも構築する秩序(ジェンダー秩序)とを区別し、本章の課題がジェンダー秩序を記述するという課題であることを確認する。そしてジェンダー秩序を、性別分業(「男」は活動の主体、「女」は他者の活動を手助けする存在)と、異性愛(「男」は性的欲望の主体、「女」は性的欲望の対象)という二つのパターンからなるものと仮定し、この仮定をおくと、相互行為水準においても社会的地位水準においても、性支配と呼びうるような社会関係が男女間に成立することをモデル上確認する。その上で、全ての社会領域を貫通して使用される社会的規則である言語的諸規則の中に、ジェンダー秩序と一致する規則があることを確認する。

 5、ジェンダー体制

 ジェンダー体制を、「特定の状況や社会的場面において、性別カテゴリーと、活動・行動を結び付ける、成文化されたあるいは社会慣習上の規定と定義し、現代日本社会において家族・職場・学校・諸制度・儀礼・メディア・社会的活動という7つの社会的場面を区別し、それぞれの社会的場面におけるジェンダー体制を記述する。家族においては男女のアンペイド・ワーク分担時間等、職場においてはコース別人事制度等、学校においては進学率や専攻分野の性差等を挙げ、それぞれにおいてジェンダー秩序と一致したパターンの存在が指摘しうることを提示する。

 6、諸制度・儀礼・メディア・社会的活動

 5と同様の検討を上記の社会的場面に関して行い、これらにおいても、ジェンダー体制が成立していることを提示する。最後に、こうした議論における統計資料等のデータ使用の意味を、社会構築主義の批判などをふまえて検討し、狭義の社会構築主義と広義の社会構築主義を区別した上で、本書が広義の社会構築主義の立場にたっていることを確認する。

 7、ジェンダー知の産出と流通

 ジェンダー秩序とジェンダー知との関連性について考察する。まず社会調査等をもとに、現代日本社会における日常知としてのジェンダー知の現状を記述し、それとジェンダー秩序との関連性を検討する。次に、この社会成員のジェンダー知が、ジェンダー秩序に沿った社会的諸実践の持続によって構造化されるジェンダー・ハビトゥスとして、解釈しうることを示す。さらにこうした日常知としてのジェンダー知が、科学や学問における性差や性別に関する知識(科学・学問としてのジェンダー知)にも影響を与えていることを、19世紀の性差の科学を事例として論じる。最後に、こうした様々なジェンダー知が、それ自体ジェンダー体制であるところのメディアや諸制度を通じて広く流布されるようになり、社会成員の社会的諸実践に影響を与えていることを論じる。

 8、ジェンダーと性支配

 ジェンダー知・ジェンダー秩序・ジェンダー体制の関連性を、フラクタル図形に例えて、論じる。ほとんど全ての社会成員は、あらゆる社会的場面において、ジェンダー知を参照しジェンダー体制を条件として、社会的実践を行う。したがってジェンダーに関わる社会現象は相互行為場面から制度まで、あらゆる水準に出現する。その結果、ジェンダー秩序に沿った社会的諸実践が持続し、性支配という社会関係が産出される。

 9、再生産・変動・フェミニズム

 変動の契機として、他のカテゴリー化装置との関わりを、代替性・意識覚醒可能性という二つの観点から考察する。最後に1980年代以降の日本社会におけるフェミニズム言説の効果を、再生産と変動という二つの観点から論じ、現在のフェミニズムの課題を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は社会的文化的性別を意味するジェンダーが、いかに社会的秩序のうちに構造化され、個々人の慣習的な日常的実践(ハビトゥス)をつうじて再生産されているかをモデルとして提示する理論的な研究である。「ジェンダー秩序」とは「ジェンダー化された主体に適用される相互行為上の規則や慣習の違い」をさし、「性支配」とはその結果、異なる社会的行為能力を付与されたジェンダー化された主体相互のあいだに生じる権力の格差をさす。本論は「性支配」をめぐって、(1)たんなる法規範上の平等に還元されず、(2)個人がジェンダー化される過程を説明し、(3)ジェンダー化された主体の選択肢の範囲の違いを論じ、(4)そのうえでジェンダー化された主体の選択能力を否定しないが、(5)にもかかわらずジェンダー化された主体の合理的な選択が性支配を再生産するような、(6)歴史的な起源ではなく構造的な再生産を説明できるジェンダー秩序のモデルをつくるという課題に挑戦し、それを一定程度達成したと言える。

 本論の構成は以下のようになっている。第1部で社会的行為および権力、ジェンダー、性支配等の概念について理論的な考察をしたうえで、ブルデューに依拠して、構造と実践の関係をジェンダー・ハビトゥスの概念によって循環的につなぐ。第2部ではコンネルのジェンダー秩序の概念を批判的に再構成し、ジェンダー秩序の主要構造を性別分業、異性愛規範からなるとしたうえで、それを支えるジェンダー体制を家族、職場、学校、諸制度、儀式、メディア、社会的活動の各分野に分かつ。そのうえで実証的なデータを示しながら、ジェンダー秩序がジェンダー体制のもとでの「事実」と循環的な関係にあることを論理的に示す。第3部ではジェンダーの再生産と変動について、日常知および科学的な専門知がともにジェンダー知を産出していることを論じ、性支配がミクロな実践からマクロな構造にいたるまでフラクタル的に一貫していることを示す。おなじことは裏返して、どのようなジェンダー秩序の再生産の現場においても、もとの秩序とは異なる意味が生産される可能性があることを意味する。

 従来のジェンダー理論は意識か実践か、行為か制度か、構造の再生産か変革かのいずれかの水準にかたよりがちであり、そのどちらをも通底して一貫性のある理論枠組みで説明することが困難であった。本論はその限界を破り、行為の意味を個人の内部にではなく個人の間の相互行為におくことによって、行為の水準から構造の水準まで、ミクロとマクロのレベルを貫通するジェンダー秩序の再生産と変動のモデルを示すことに一定程度成功した。一貫性のある理論のつねとして、本論にもジェンダー秩序を閉鎖系として循環論法で説明する傾向があり、その結果として変動についてはかならずしも十分に説明できていないうらみはあるが、その限界は他の論者によっても共有されており、本論に固有の弱点とはいえない。

 本論が現象学的社会学から出発した著者のジェンダー理論の集大成であり、日本におけるフェミニズム理論のひとつの到達点と言えるものである。以上のことから本論文を博士(社会学)の学位にふさわしいものと判断する。

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