学位論文要旨



No 215282
著者(漢字) 勝亦,京子
著者(英字)
著者(カナ) カツマタ,キョウコ
標題(和) リグニン系土壌改良剤の開発
標題(洋)
報告番号 215282
報告番号 乙15282
学位授与日 2002.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15282号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 飯山,賢治
 東京大学 教授 谷田貝,光克
 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 助教授 小島,克巳
内容要旨 要旨を表示する

 酸性土壌は世界の農業利用可能陸地面積に対し42%に達し、特に強い酸性土壌だけでも31%である。酸性土壌の作物生育阻害原因は様々であるが、多くの土壌でアルミニウムの過剰害が最も深刻な問題であると考えられる。

 リグニンは、セルロース、ヘミセルロースと共に植物細胞壁を形成する主要成分であり、その含有量は木材で20〜35%に達する。天然有機物として、セルロースに次ぐ存在量を誇っているにも関わらず、資源としての利用は限られている。特にクラフト蒸解排液から得られるクラフトリグニンは、蒸解排液が燃焼・薬品回収に利用されているため、よほどの収益が期待できない限り分別精製・化学変成しリグニン製品として活用する意味が薄いと考えられている。

 本研究では、そのようなクラフトリグニンについて新規の有効利用法の開発を目的とした。すなわち、クラフトリグニンに親水性基を導入するためのアルカリ性酸素処理、ラジカルスルホン化処理を行い、化学改質リグニンを作出した。カルボキシル基、フェノール性水酸基などに富み土壌有機物と似た構造を持つ化学改質リグニンが、土壌有機物と同様に酸性土壌での植物の生育阻害の主要因子であるアルミニウムと効果的に結合し、無毒化する機能を有するか否か、その錯体形成能の面から検討・評価した。

 第2章では、未透析アルカリ性酸素処理リグニン、アルカリ性酸素処理リグニン、ラジカルスルホン化処理リグニンの三種の化学改質リグニンを調製した。クラフトリグニンのアルカリ性酸素処理で得られる前二者は、カルボキシル基やカテコール型構造に富む構造を有している。また、アルカリ性酸素処理条件に亜硫酸ナトリウムを添加して行うラジカルスルホン化処理では、スルホン酸基の導入と共に、芳香核の開裂に伴うカルボキシル基の増加が確認された。

 これら化学改質リグニンにアルミニウムイオンを加えると水素イオンが放出され、遊離のアルミニウムイオン量が減少することが明らかとなった。このことは、アルミニウムイオンとリグニン中の酸性基による錯体形成を意味する。また、その際に認められるアルミニウムイオンの重合物を介したリグニンの高分子化はpHの上昇と共に顕著となり、同時に、単位リグニン量あたりのアルミニウム結合量も増大することが明らかとなった。

 第3章では、化学改質リグニンの植物に対する作用を土壌系で検討するために、アルミニウムイオン過剰な土壌を調製し、その土壌中でのハツカダイコンの根の生育を中性子ラジオグラフィ法によって追跡した。その結果、中性子ラジオグラフィ法による評価は格子法と同等の結果を示し、植物を生育したまま経時的に根の生長を測定することができる極めて有効な方法であることが明らかとなった。アルミニウムイオンを添加した土壌に化学改質リグニンを加えると、ハツカダイコンの根の伸長生長がコントロール試料以上となることがわかった。化学改質リグニンの添加によるアルミニウムイオンに基因した根の伸長生長阻害の除去は、リグニンの添加により土壌pHが上昇し、アルミニウムイオンが重合、不溶化して毒性が抑えられたことによる可能性がある。今一つの可能性としては、化学改質リグニンのアルミニウムイオンとの錯体形成によることが考えられる。

 これら二つの可能性について一層詳細な知見を得るために、土壌のpHを調整し、植物生育試験を行った。その結果、pH4〜6の範囲でpHの低下とともに成長が抑制されることが判った。しかし、pH4.8付近ではpH低下による生長抑制以上にアルミニウムの添加による生長阻害の影響が現れており、このpH領域でアルミニウム添加によるハツカダイコンの根の生長阻害が、アルカリ性酸素処理リグニンの添加によって改善されることが認められた。このことは、アルミニウム毒性の抑制がpH上昇によるものだけでなく、アルミニウムイオンとリグニンによる錯体の形成によりアルミニウム毒性が抑制されたことを示している。しかし、土壌を用いた実験では、土壌pHを厳密にコントロールすることが出来なかった。さらに、低pHでの実験では用いた土壌からのアルミニウムイオンの溶出が観察され、正確な条件での設定が非常に困難であることが明らかとなった。

 このため第4章では水耕試験を行い、実験条件のより厳密なコントロールを目指した。水耕栽培でのアルミニウムイオンによる根の伸長阻害は、種々の化学改質リグニンの添加により改善された。アルカリ性酸素処理リグニンを充分量添加した場合には、水可溶区分中に高濃度のアルミニウムイオンが検出されたが、ハツカダイコンの根の伸長阻害は認められなかった。この状態では、アルミニウムイオンはリグニン中の酸性基と錯体形成しているものの、アルミニウムと結合していない過剰の酸性基の存在のために、アルミニウムーリグニン結合体自身は水可溶の状態にあると考えられ、アルミニウムイオンが錯体を形成していることが根の伸長阻害を生じない主要な理由であると考えられる。

 アルミニウムイオンを含む溶液で育成したハツカダイコンの根端表面へのアルミニウムイオンの吸着の有無をヘマトキシリン染色により観察した結果、充分な量のアルカリ性酸素処理リグニンの添加によって、吸着がほとんど生じないことを確認した。このことから処理リグニンの添加によりアルミニウムイオンの根端への吸着が妨げられ、これにより根の生長阻害が抑制されたと結論づけることができる。

 第5章では、アルミニウムと化学改質リグニンの間の錯体形成についてpH滴定および27Al NMRにより検討した。アルミニウムの添加による化学改質リグニンの滴定曲線の変化から、アルミニウムとの錯体形成にともない水素イオンが放出されたことが認められた。また、アルミニウムイオンを含む水溶液に化学改質リグニンを添加した際に認められた27Al NMRシグナルの消失も錯体形成によるものと考えられる。

 化学改質リグニンと各種金属イオンとの間の錯体の安定性の順序は、3価の金属イオン(Al3+, Fe3+)が最も大きく、2価の金属イオンの中ではCu2+が最も大きく、Ca2+が最も小さいという結果であった。このことは、アルミニウムイオンがFe3+を除いて、種々の金属イオンの中で最も安定に錯体を形成することを示している。このことは、化学改質リグニンが実際の土壌内のアルミニウムイオンを選択的に捕捉し、無毒化する上で非常に有利なものであることを示唆している。

 以上の結果より、アルカリ性酸素処理、ラジカルスルホン化処理により化学改質したリグニンは酸性土壌における植物へのアルミニウム毒性を抑制するうえで有効であることが明らかとなった。毒性除去の機構は、リグニンに導入されたカルボキシル基、カテコール基といった親水性基とアルミニウムイオンとの錯体形成によると考えられ、錯体形成したアルミニウムイオンは植物の根に作用出来ないことが明らかとなった。

 また、クラフトリグニン、リグノスルホン酸そのものも有効性を示したが、アルカリ性酸素処理したものが特に優れており、親水性基の導入法としてアルカリ性酸素処理に伴う環開裂によるカルボキシル基の導入が最も有効な方法であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 酸性土壌は世界の農業利用可能陸地面積の42%に達しており、特に強い酸性土壌に限ってみても31%に及ぶことが報告されている。酸性土壌の作物生育阻害要因は様々であるが、土壌中のアルミニウムの過剰によるものが最も多く、かつ深刻であると考えられる。

 一方、セルロース、ヘミセルロースとともに植物細胞壁の主要構成成分であるリグニンは、豊富な資源量にもかかわらず有効な利用がなされているとはいえない。本研究では、製紙用パルプの製造工程で副成するクラフトリグニンに各種の化学的処理を加え、アルミニウムによる生育阻害を抑制する機能を有するリグニン系土壌改良剤を開発することを目的とした。第1章では本研究の社会的位置づけについて述べるとともに、関連する既往の知見について概観している。

 第2章においては、本研究で採用したクラフトリグニンの化学的処理法であるアルカリ性酸素酸化法およびラジカルスルフォン化法によって各種の処理リグニンを調製し、それらの化学構造について詳細に検討している。後者はアルカリ性酸素酸化法の条件に亜硫酸塩共存させて処理するものである。アルカリ性酸素酸化法では、カルボキシル基やカテコール構造に富む構造を有する処理リグニンが得られており、処理過程にリグニン芳香核の開裂反応や脱メチル反応が進行していることを示している。また、相当量の低分子有機酸類が副成していることも明らかとなった。ラジカルスルフォン化法では、リグニン芳香核の開裂に伴うと考えられるカルボキシル基の増加とともに、スルフォン酸基の導入が特徴的に認められた。

 第3章ではアルミニウムによる植物の生育阻害に対する化学的処理リグニンの影響について、土壌系での検討を行っている。植物としてハツカダイコン(Raphanus sativa var. radicula Pers.)を、土壌として豊浦標準砂を使用し、アルミニウムとして硫酸アルミニウムを添加した系での生育が、各種化学改質リグニンの添加によってどのように影響を受けるかを、中性子ラジオフラフィー法および格子法により求めた根の生長量から評価した。その結果、アルミニウム添加によって対照試料の半分程度にまで低下した根の伸長生長が、化学改質リグニンの添加によって回復するのみでなく、対照試料以上の生長を示す場合が多いことを見出した。このような化学改質リグニンの効果には、アルミニウムイオンの化学改質リグニンとの錯体形成による無毒化、および化学改質リグニンの添加による土壌pHの上昇に伴うアルミニウムイオンの重合、不溶化による無毒化の両者が考えられる。この点について慎重にpH調整した土壌による検討を重ねた結果、pH4-6の範囲でpH低下による生長抑制が認められるが、pH4.8付近ではpH低下による生長抑制以上の生長阻害が、アルミニウムイオンの存在によって現れること、その生長阻害が化学改質リグニンの添加によって軽減できることを確認した。このことは化学改質リグニンの添加によるアルミニウム毒性の軽減が、pH上昇によるのみではなく、アルミニウムイオンと化学改質リグニンとの錯体形成によることを示している。

 第4章ではこれらの点について一層詳細な知見を得ることを目的として、水耕試験による検討を行っている。その結果、一定のpH条件におけるハツカダイコンの根の生長が、アルカリ性酸素酸化処理リグニンの添加によって明瞭に改善されること、および充分な量の化学改質リグニンの存在する条件では高濃度のアルミニウムイオンが溶存している場合においても、根の伸長阻害が認められないことから、リグニンとの錯体形成によってアルミニウムイオンが無毒化されていると結論した。ヘマトキシリン染色を用いた根端へのアルミニウムの吸着状況の検討の結果、充分量の化学改質リグニンの存在によって、アルミニウムの吸着が著しく低減されており、このことにより化学改質リグニンによるアルミニウム毒性が抑制されたものとしている。

 第5章では化学改質リグニンとアルミニウムイオンとの間の錯体形成によって放出される各種水素イオンのpH滴定法による定量から、化学改質リグニン中の各種酸性基量について検討している。また、27Al-NMRによって認められる遊離のアルミニウムイオンに由来するシグナルが、化学改質リグニンの添加によって消失することも、錯体形成を裏付けているとしている。各種金属イオンと化学改質リグニンとの錯体の安定性は、3価の金属イオン(Al3+, Fe3+)で最も大きく、2価金属イオンではCu2+で最も大きくCa2+で最も小さいとの結果を得ている。このことは土壌改良剤としての化学改質リグニンがアルミニウムイオンをほぼ選択的に土壌水中から除去できることをしめしている。

 以上要するに本論文は、化学改質リグニンの土壌改良剤としての機能と利用の可能性について基礎的視点から詳細に検討したものであり、学術上また応用上価値あるものと認められた。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)に相応しいものであると認めた。

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