学位論文要旨



No 215285
著者(漢字) 松木,直章
著者(英字)
著者(カナ) マツキ,ナオアキ
標題(和) 運動負荷時の馬の骨格筋細胞におけるリン脂質過酸化反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 215285
報告番号 乙15285
学位授与日 2002.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15285号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 稲葉,睦
 北海道大学大学院獣医学研究科 教授 桑原,幹典
内容要旨 要旨を表示する

 激しい運動によって骨格筋融解やミオグロビン尿症が生じることは従来から広く知られており、スポーツ医学や競走馬臨床の分野で大きな問題と認識されてきた。この骨格筋障害の発生機序について、フリーラジカルの関与が指摘されるようになった。運動により骨格筋で発生するフリーラジカルはおもにミトコンドリア電子伝達系に由来し、さらに細胞質に存在するキサンチン酸化酵素や浸潤する貪食細胞なども関与しうると考えられているが、その詳細は明らかにされていない。また、膜リン脂質の構成成分である不飽和脂肪酸はフリーラジカルに対する感受性が高く、その過酸化が膜障害の一因であると考えられてきた。しかしながら、生体あるいは生細胞におけるリン脂質過酸化反応は解析されていない。そこで、運動負荷により発生するフリーラジカルならびに、それに伴うリン脂質過酸化反応を解析することを目的として、ウマに対する最大運動負荷あるいは培養骨格筋細胞モデルを用い、以下の実験を行った。

1.運動負荷時の馬の骨格筋におけるリン脂質過酸化反応

 臨床的に健康な4頭の馬(サラブレッド種、5-7歳、牡馬1頭、せん馬2頭、牝馬1頭、体重483-500kg)について、トレッドミルを用いて最大運動負荷し、運動前、運動5分後ならびに運動24時間後に中殿筋を生検し、リン脂質過酸化反応産物を検討した。高速液体クロマトグラフィー(HPLC)によるリン脂質過酸化物の測定ではホスファチジルエタノールアミンヒドロペルオキシド(PE-OOH)ならびにホスファチジルコリンヒドロペルオキシド(PC-OOH)が検出可能で、前者は運動24時間後まで増加傾向を示し、後者は有意な変動を示さなかった。脂肪酸過酸化物の主な分解産物であるマロンジアルデヒド(MDA)は運動5分後あるいは24時間後に増加し、とくに蛋白に結合した状態で観察された。また、いずれの実験馬についても運動による臨床的な骨格筋障害は認められなかった。これらの結果から、骨格筋障害を伴わない生理的な運動においても、骨格筋内ではリン脂質過酸化反応が生じることが明らかになった。

2.外因性フリーラジカルによる培養骨格筋細胞(L6細胞)のリン脂質過酸化反応

 既知のフリーラジカルが骨格筋細胞のリン脂質に与える影響を観察するため、in vitroモデルを作成した。すなわち、ラット由来L6細胞に、ヒポキサンチン(1mM)およびキサンチン酸化酵素(0.0008-0.05U/ml)に由来するスーパーオキシドラジカル(O2-)を負荷し、リン脂質過酸化物を定量し、さらに膜構成リン脂質分子種の変動を観察した。L6細胞のリン脂質過酸化物のうちPE-OOHならびにPC-OOHが定量可能で、前者は後者と比較して約10倍の濃度で検出された。一方、O2−を負荷すると生細胞率の低下が観察されたものの、PE-OOHあるいはPC-OOH量の変動は認められなかった。そこで、リン脂質過酸化物の分解の可能性を確認するためにリン脂質分画の変動を観察したところ、PE分画中のエタノールアミンプラズマローゲン(EtPL)が選択的に減少していた。馬でのin vivo実験ならびにL6細胞を用いたin vitro実験の結果を併せて考えると、骨格筋細胞が酸化的状況に陥ると、PEが優先的に酸化され、PE分画の一部であるEtPLが分解されることにより、他のリン脂質分子種の過酸化と分解を抑制すると考えられた。

3.エネルギー代謝を阻害した培養骨格筋細胞(C2C12細胞)のリン脂質過酸化反応

 運動時に骨格筋で生じるエネルギー状態の変動ならびに内因性フリーラジカル産生をin vitroで再現するため、マウス骨格筋由来C2C12細胞をミトコンドリア呼吸鎖を阻害する2mMシアン化ナトリウム(CN)および解糖系を阻害する1mMヨード酢酸(IAA)で処理し、アデニンヌクレオチド、内因性フリーラジカルならびにリン脂質過酸化反応について検討した。

1)アデニンヌクレオチドの変動

 運動時の骨格筋では高エネルギーリン酸化合物であるクレアチンリン酸ならびにアデノシン3リン酸(ATP)が減少あるいは枯渇し、細胞内にイノシン1リン酸(IMP)が蓄積する。そこでCNあるいはIAA処理したC2C12細胞について、細胞内ならびに培養上清中のアデニンヌクレオチド、ヌクレオシド、プリン体ならびにアラントインの変動を観察した。CNとIAA両者で処理したC2C12細胞では、細胞内ATPが急激に減少し、アデノシン1リン酸(AMP)ならびにIMPが蓄積した。一方、IAAのみで処理した細胞ではATPが減少したもののIMPは蓄積せず、細胞内アデニンヌクレオチドの大部分はアラントインとして細胞外に遊離した。また、CNのみで処理した細胞では一過性にATPが減少した以外、アデニンヌクレオチドの変動は観察されなかった。これらの結果から、CNとIAAの両者で処理した細胞ではATP減少ならびにIMP蓄積を再現することができ、内因性フリーラジカルの産生ならびに脂質過酸化反応の解析に応用可能であると考えられた。

2)内因性フリーラジカルの産生とリン脂質過酸化反応

 CNならびにIAA処理によりエネルギー代謝阻害したC2C12細胞について、5'5−ジメチル−1−ピロリン−N−オキシド(DMPO)をスピントラップ剤として、電子スピン共鳴法により内因性フリーラジカルを検出した。その結果、CNとIAA両者で処理した細胞ではヒドロキシラジカルならびに炭素中心ラジカルが検出された。また、MDAが遊離し、細胞障害も観察された。一方、CNあるいはIAA単独で処理するとフリーラジカル、MDAあるいは細胞障害のいずれも観察されなかった。CNとIAA両者で処理する実験系に、遊離鉄をキレートするデフェロキサミン(DFO)を添加するとヒドロキシラジカルならびに炭素中心ラジカルの両者が消失し、さらにMDA産生ならびに細胞障害が有意に抑制された。したがって、CNとIAA両者で処理した細胞では、遊離鉄によるフェントン反応によりヒドロキシラジカルが生じ、炭素中心ラジカルを産生するとともにリン脂質過酸化反応を進行させ、細胞障害をもたらすことが明らかとなった。また、アデニンヌクレオチドの変動から、フェントン反応の基質である過酸化水素はミトコンドリア由来であると考えられた。しかしながら、馬中殿筋やL6細胞で検出可能であったPE-OOHならびにPC-OOHはいずれも約20 fmol/106nuclei未満と、著しい低値を示した。

3)リン脂質過酸化反応とホスホリパーゼA2

 ホスホリパーゼA2(PLA2)は過酸化など構造上欠陥を生じた不飽和脂肪酸を切り出すことにより、リン脂質膜の恒常性の維持に関与していると考えられている。そこで、リン脂質過酸化反応を間接的に検証するため、PLA2阻害剤を用いて検討した。すなわち、非特異的なPLA2阻害剤キナクリン(0-200μM)あるいは分泌型PLA2(sPLA2)特異的な阻害剤p-bromophenacyl bromide(BPB : 0-20μM)の存在下でC2C12骨格筋細胞をCNとIAA両者で処理し、生細胞率の変動ならびにMDAの放出を観察した。キナクリンとBPBはともに、単独では細胞障害性を有さなかったが、CNおよびIAAによる膜障害を用量依存的に増悪し、とくにBPBでは顕著であった。一方、培養上清中に放出されるMDAを経時的に観察したところ、キナクリンとBPBはともにMDA放出を抑制した。さらにDFO、あるいは水溶性ビタミンE誘導体であり脂質過酸化反応を終止させるTroloxを添加したところ、いずれもキナクリンおよびBPBによって増悪した細胞障害を軽減した。これらの結果からPLA2を阻害したC2C12細胞ではリン脂質ヒドロペルオキシドが酵素的分解をうけることなく膜に蓄積し、膜障害をもたらすと考えられた。

 すなわち、CNとIAA両者でエネルギー代謝を阻害したC2C12細胞では、運動時のin vivo骨格筋と同様にATPの分解ならびにIMPの蓄積を生じ、ミトコンドリアを発生源とするヒドロキシラジカルが生じることが明らかとなった。また、ヒドロキシラジカルは炭素中心ラジカルを派生しながらリン脂質の過酸化連鎖反応ならびにMDAの放出を惹起し、細胞障害をもたらしたと考えられた。

 以上の結果から、骨格筋障害に至らない生理的な運動によっても、ミトコンドリアにおけるフリーラジカルの生成とそれに伴う膜リン脂質過酸化反応が生じることが明らかになり、さらに運動による骨格筋障害の機序にフリーラジカルが主要な役割を担っていることが明らかになった。フリーラジカルに曝露された骨格筋細胞の膜では、産成されたPE-OOHやMDAが膜の不安定化や蛋白への結合を介して細胞を障害するが、その一方でEtPLが優先的に過酸化されて分解し他種リン脂質への過酸化を防止すること、あるいはsPLA2がリン脂質ヒドロペルオキシドを酵素的に分解することにより、細胞の構造や機能を動的に保護していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 激しい運動に伴って生じる骨格筋障害は、スポーツ医学や競走馬臨床の分野で大きな課題とされている。この骨格筋障害の発生機序について、フリーラジカルの関与が指摘されるようになった。膜リン脂質の構成成分である不飽和脂肪酸はフリーラジカルに対する感受性が高く、その過酸化が膜障害、ひいては骨格筋細胞障害の一因であると考えられている。一方、生体骨格筋あるいは骨格筋細胞におけるリン脂質過酸化反応の詳細は解析されていない。本論文はウマに対する最大運動負荷あるいは培養骨格筋細胞モデルを用いて骨格筋細胞におけるリン脂質過酸化反応を検討したもので、以下の3章から構成されている。

 第1章では運動負荷時の馬の骨格筋におけるリン脂質過酸化反応について検討した。すなわち、臨床的に健康な馬4頭にトレッドミルを用いて最大運動負荷し、リン脂質過酸化反応産物の変動を観察した。高速液体クロマトグラフィー(HPLC)によるリン脂質過酸化物測定ではホスファチジルエタノールアミンヒドロペルオキシド(PE-OOH)ならびにホスファチジルコリンヒドロペルオキシド(PC-OOH)が検出可能で、前者は運動後に増加し、後者は有意な変動を示さなかった。脂肪酸過酸化物の主な分解産物であるマロンジアルデヒド(MDA)も運動後に増加し、とくに蛋白に結合した状態で観察された。また、いずれの実験馬についても運動による臨床的な骨格筋障害は認められなかった。これらの結果から、骨格筋障害を伴わない生理的な運動においても、骨格筋内ではリン脂質過酸化反応が生じることが明らかになった。

 第2章では外因性フリーラジカルによる培養骨格筋細胞(L6細胞)のリン脂質過酸化反応について検討した。すなわち外因性フリーラジカルによる骨格筋細胞のリン脂質過酸化反応について検討するため、ラット骨格筋由来L6筋芽細胞をヒポキサンチン(1mM)およびキサンチン酸化酵素(0.0008-0.05U/ml)に由来するスーパーオキシドラジカルに曝露した。HPLCによるリン脂質過酸化物測定では細胞内PE-OOHならびにPC-OOH量は変動しなかったが、リン脂質組成の測定ではPE分画中のエタノールアミンプラズマローゲン(EtPL)が選択的に減少した。これらの結果から骨格筋細胞が酸化的状況に陥ると、PEが優先的に酸化され、PE分画の一部であるEtPLが分解されることにより、他のリン脂質分子種の過酸化と分解を抑制したと考えられた。

 第3章ではエネルギー代謝を阻害した培養骨格筋細胞(C2C12細胞)のリン脂質過酸化反応について検討した。すなわち内因性フリーラジカルによる骨格筋細胞のリン脂質過酸化反応について検討するため、マウス骨格筋由来C2C12細胞をミトコンドリア呼吸鎖を阻害する2mMシアン化ナトリウム(CN)および解糖系を阻害する1mMヨード酢酸(IAA)で処理した。運動時の生体骨格筋と同様に、アデノシン3リン酸の減少ならびにイノシン1リン酸の細胞内蓄積が観察された。また、5'5−ジメチル−1−ピロリン−N−オキシド(DMPO)をスピントラップ剤とした電子スピン共鳴法により内因性のヒドロキシラジカルおよび炭素中心ラジカルが検出された。これらの内因性フリーラジカルは鉄キレート剤であるデフェロキサミンの添加により消失したことから、鉄触媒フェントン反応による内因性フリーラジカル生成が確かめられた。さらに、培養上清中にMDAがされたことから、C2C12細胞においてリン脂質過酸化反応が存在したことが確認された。一方、ホスホリパーゼA2阻害剤はCNならびにIAAによる酸化的な膜障害を増悪した。このことから、PLA2を阻害したC2C12細胞ではリン脂質ヒドロペルオキシドが酵素的分解をうけることなく膜に蓄積し、膜障害をもたらすと考えられた。

 このように本論文は、運動に伴って馬の骨格筋で生じるリン脂質過酸化反応を明らかにし、さらにリン脂質過酸化に対する防御機構の一端を解明したもので、獣医学の学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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