学位論文要旨



No 215286
著者(漢字) 加納,聖
著者(英字)
著者(カナ) カノウ,キヨシ
標題(和) 細胞内シグナル伝達因子Smad2およびSmad3の生体、特に精巣における発現と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 215286
報告番号 乙15286
学位授与日 2002.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15286号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

 Transforming growth factor-beta(TGF-β)、アクチビン、インヒビン,BMPなどの共通の構造を持つ分泌タンパクから構成されるTGF-βファミリータンパク質の作用は細胞の増殖、分化、細胞死、細胞外マトリックスの産生、個体発生、炎症作用、発がん、ホメオスタシスなど多岐にわたり、生体には欠かすことのできない因子群である。これまでTGF-βファミリーは、TGF-β、BMP、アクチビン、インヒビンなどのリガンドならびにそのレセプターの構造や機能を中心に解析が行われてきた。近年、細胞外からのリガンドによる刺激が細胞内シグナル伝達因子であるSmadを介して直接核へと伝達されていることが明らかにされた。特に、細胞の増殖、細胞周期因子の制御、免疫、細胞外マトリックスの産生など、その作用が多岐にわたるTGF-βや、生殖系と密接に関連し、精子や卵胞の発達に欠かすことのできないアクチビンは、Smadファミリーの中でもSmad2、Smad3とSmad4の連携によってシグナルを伝達することがわかっている。しかし、これらのSmadに関する研究の多くが、in vitro中心の解析で、生体における発現や局在などの解析はほとんど行われていない。以上の経緯を背景として、本研究ではSmadファミリーの中でもTGF-βとアクチビンのシグナルを伝達するSmad2とSmad3の生体における機能を分子生物学的アプローチと細胞組織化学的アプローチを用いて解明することを試みた。

 第1章では、まずdegenerate PCR法を用いて新規Smadファミリーの探索を行い、新しい構造や機能を持つSmadファミリーがあるかどうかを調べた。しかし、得られたSmadファミリーの断片はすべて既知のSmadファミリーの一部であり、新規のSmadのクローニングを行うことはできなかった。そこで、Smadファミリーの中でも塩基配列ならびに推定アミノ酸配列の相同性が特に高い、Smad2とSmad3のマウスにおける構造や機能の違いを推測するために、degenerate PCRによって得られたクローンのうちSmad3 cDNAのオープンリーディングフレームの塩基配列を5'/3'RACE法を用いて決定し、マウスの様々な組織でその発現を調べた。その結果、マウスSmad3推定アミノ酸配列は、他の動物種のSmad3と高い相同性を持ち、異なる種間で保存されているSmadである可能性が示唆された。また、マウスSmad2推定アミノ酸配列との比較により、Smad3はSmad2と比較してN末端側のMH-lドメインの2つの領域を欠いていることがわかった。ヒトSmad2では、このSmad2特異的な領域がDNA結合能を阻害している可能性が示唆されているが、マウスでも同様に、構造上の比較からSmad2とSmad3ではDNA結合に差があり、この構造上の相違は異なる動物種間でも保存されている可能性が示唆された。

 さらに、マウスでのSmad3の発現や局在をノーザンブロット法とin situハイブリダイゼーション法を用いて調べ、Smadの生体におけるTGF-βファミリーシグナル伝達との関連について調べた。マウスの組織においてSmad3 mRNAの発現がみられ、Smad3を介したシグナル伝達経路は生体において一般的な経路である可能性が考えられた。また、他のSmad同様、マウスSmad3 mRNAは複数の転写産物を持つことがわかったが、これらに機能的な差異があるかどうか、また組織によって異なる転写産物の発現量がなぜ違うかなど今後の検討課題である。ノーザンブロットによってSmad3 mRNAの強い発現がみられた脳と卵巣において、in situハイブリダイゼーションを行ったところ、Smad3 mRNAは、アクチビンやTGF-βなどリガンドのレセプターが局在する脳の海馬歯状回の錐体細胞や顆粒細胞、大脳皮質の顆粒細胞、卵巣においては卵胞上皮細胞において局在がみられた。この結果により、これらの部位においてSmad3がTGF-βやアクチビンなどのリガンドのシグナルを伝達している可能性が示唆された。

 第2章では、飼育室の点灯条件によってその精巣の機能や大きさを人為的に操作できるゴールデンハムスター(Mesocricetus auratus)を用いた。実験室内のゴールデンハムスターの精子発生を維持するためには最低一日12.5時間以上の点灯時間が必要であり、12.5時間以下の点灯時間であると精子発生は行われなくなり、精巣は萎縮する。ゴールデンハムスターの長日点灯条件ならびに短日点灯条件における精子発生の変化をモデルとして、TGF-βとアクチビンのシグナルを細胞質から核へと伝達するSmad2ならびにSmad3の発現や局在の変化を調べ、Smadの生体におけるシグナル伝達の機能について考察した。長日点灯条件で生後8週目まで飼育し、十分に性成熟した雄ゴールデンハムスターを、さらに長日点灯条件と短日点灯条件でそれぞれ13週間飼育を行い、基本的な精巣の形態的特徴を観察したところ、長日点灯条件13週後の精巣では、活発に精子発生が行われていたが、短日点灯条件13週後の精巣は萎縮し、精細管の直径も細くなり、精子発生が停止していた。また、精巣重量も短日点灯条件では著しく減少していた。次にin situハイブリダイゼーションにより、長日点灯条件と短日点灯条件においた両方のゴールデンハムスター精巣において、Smad2 mRNAとSmad3 mRNAは基底膜に近い精祖細胞ならびに精母細胞に局在していることが観察された。マウス精巣において、Smad2 mRNAがプレレプトテン期からパキテン期までの減数分裂前の精母細胞で局在がみられた結果と一部合致する。また、TGF-βのI型、II型レセプターとアクチビンII型レセプターが精祖細胞と精母細胞において発現していることから、Smad2あるいはSmad3は、初期の精子発生と減数分裂においてTGF-βファミリーのシグナル伝達に関与している可能性が示唆された。ノーザンブロットでは長日点灯条件と短日点灯条件においたゴールデンハムスター精巣におけるSmad2 mRNAとSmad3 mRNAの発現量の推移を調べた。その結果、Smad2 mRNAとSmad3 mRNAでは短日点灯条件の精巣と長日点灯条件の精巣で発現パターンが異なることがわかった。Smad2とSmad3は推定アミノ酸配列の相同性が高く、機能の類似が予想されているが、点灯条件の変化によるゴールデンハムスターの精子発生の制御においてはSmad2とSmad3は異なる機能を有する可能性が示唆された。多くの季節繁殖動物の精巣において分泌されるインヒビンが変化することを考えると、本研究においても、飼育室内の点灯条件変化によるインヒビン・アクチビンならびにTGF-βなどのリガンドによるシグナルの変化があると考えられるが、Smad2とSmad3の発現量のバランス変化によってこれらに対する調節が行われている可能性も考えられた。培養細胞においてSmad3とSmad4を同時に強制発現させた系では、Smad2とSmad4を同時に強制発現させた系よりも高いPAI-1遺伝子のプロモーター活性があり、また構造上Smad3はSmad2と比較してDNA結合力が強く、強力な転写因子として機能する可能性があるため、短日点灯条件のゴールデンハムスター精巣においてSmad2 mRNAとSmad3 mRNAのバランスが変化し、発現量が増加したSmad3によってより強い細胞内シグナル伝達が行われている可能性が考えられる。

 第3章では、第2章に引き続き雄ゴールデンハムスターの長日点灯条件ならびに短日点灯条件によって実験室内で機能を人為的に変化させた精巣を用いた。長日点灯条件と短日点灯条件でそれぞれ13週飼育を行い、Smad2タンパクならびにSmad3タンパクに対する特異的抗体を用いた免疫組織化学染色法を用いて、TGF-βとアクチビンのシグナルを細胞質から核へと伝達するSmad2とSmad3タンパクの精巣内における局在の、点灯条件による相違について調べ、生体におけるSmad2とSmad3のシグナル伝達について考察した。その結果、長日点灯条件の精巣では、Smad2、Smad3ともライディッヒ細胞、精母細胞の細胞質に局在がみられたが、短日点灯条件の精巣ではライディッヒ細胞、精母細胞の核内に局在がみられた。点灯条件の変化により精母細胞内のSmadの局在が変化し、短日点灯条件のゴールデンハムスター精巣の精母細胞においてSmadが細胞質から核へ移動し、TGF-βファミリーのシグナル伝達が行われている可能性が示唆された。また、TGF-βやSmadのシグナル伝達の指標となるPAI-遺伝子発現の長日点灯条件と短日点灯条件による相違を調べ、生体におけるSmad2ならびにSmad3によるTGF-βファミリーのシグナル伝達との関連を考察した。短日点灯条件のゴールデンハムスター精巣においてTGF-βとSmadの核内へのシグナル伝達の指標となるPAI-1 mRNAの発現パターンがSmad3 mRNAの発現パターンとほぼ一致することが示された。飼育室の点灯条件変化によって退縮した精巣におけるPAI-1遺伝子の発現量の増加が精子発生の制御にどのような働きを持つかどうかは不明であるが、短日点灯条件によって萎縮した精巣においてSmad2ならびにSmad3は細胞質から核へ、例えば細胞増殖を押さえるような核内の標的遺伝子の活性化するようなシグナル伝達を行っている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 Transforming growth factor-beta(TGF-β)ファミリータンパク質の作用は細胞の増殖、分化、細胞死、細胞外マトリックスの産生、個体発生、炎症作用、発がん、ホメオスタシスなど多岐にわたり、生体には欠かすことのできない因子群であり、細胞外からのリガンドによる刺激が細胞内シグナル伝達因子Smadを介して直接核へと伝達される。特に、細胞の増殖、細胞周期因子の制御、免疫、細胞外マトリックスの産生など、その作用が多岐にわたるTGF-βや、生殖系と密接に関連し、精子や卵胞の発達に欠かすことのできないアクチビンは、Smad2、Smad3とSmad4の協調によってシグナルを伝達することがわかっているが、研究の多くがin vitro中心の解析で、生体における発現や局在などの解析はほとんど行われていない。本研究ではSmadファミリーの中でもTGF-βとアクチビンのシグナルを伝達するSmad2とSmad3の生体における機能を分子生物学的アプローチと細胞組織化学的アプローチを用いて解明を試みた。

 第1章では、Smadファミリーの中で相同性が特に高いSmad2とSmad3の構造や機能の相違を考察するために、degenerate PCRによって得られたクローンのうちSmad3 cDNAの塩基配列をRACE法を用いて決定し、マウスの様々な組織でその発現を調べた。その結果、マウスSmad3推定アミノ酸配列は、他の動物種のSmad3と高い相同性を持ち、異なる種間で保存されている可能性が示唆された。さらに、マウスでのSmad3の発現や局在をノーザンブロット法とin situハイブリダイゼーション法を用いて調べた。ノーザンブロットによって強い発現がみられた脳と卵巣においてin situハイブリダイゼーションを行ったところ、Smad3 mRNAは、アクチビンやTGF-βなどリガンドのレセプターが局在する脳の海馬歯状回の錐体細胞や顆粒細胞、大脳皮質の顆粒細胞、卵巣においては卵胞上皮細胞において局在がみられた。この結果により、これらの部位においてSmad3がTGF-βやアクチビンなどのリガンドのシグナルを伝達している可能性が示唆された。

 第2章では、飼育室の点灯条件によってその精巣の機能や大きさを操作できるゴールデンハムスターの長日点灯条件ならびに短日点灯条件における精子発生の変化をモデルとして、TGF-βとアクチビンのシグナルを伝達するSmad2ならびにSmad3の発現や局在の変化を調べ、Smadの生体におけるシグナル伝達の機能について考察した。in situハイブリダイゼーションにより、長日条件と短日条件両方において、Smad2とSmad3 mRNAは精祖細胞ならびに精母細胞での局在が観察された。TGF-βI型、II型レセプターとアクチビンII型レセプターが精祖細胞と精母細胞において発現していることから、Smad2、Smad3は、初期の精子発生と減数分裂においてTGF-βファミリーのシグナル伝達に関与している可能性が示唆された。また、ノーザンブロットによってSmad2とSmad3 mRNAの発現量の推移を調べた結果、Smad2とSmad3では短日条件と長日条件で発現パターンが異なることがわかった。Smad2とSmad3は推定アミノ酸配列の相同性が高く、機能の類似が予想されているが、点灯条件の変化による精子発生の制御においてSmad2とSmad3は異なる機能を有する可能性が示唆された。構造上Smad3はSmad2と比較して強力な転写因子として機能する可能性があるため、短日点灯条件の精巣においてSmad2 mRNAとSmad3 mRNAのバランスが変化し、発現量が増加したSmad3によってより強い細胞内シグナル伝達が行われている可能性が考えられる。

 第3章では、引き続き雄ゴールデンハムスターの長日点灯条件ならびに短日点灯条件の精巣を用いた。免疫組織化学染色法を用いて、Smad2とSmad3タンパクの精巣内における局在の点灯条件による相違について調べ、生体におけるSmad2とSmad3のシグナル伝達について考察した。その結果、長日条件の精巣では、Smad2、Smad3ともライディッヒ細胞、精母細胞の細胞質に局在がみられたが、短日条件の精巣ではライディッヒ細胞、精母細胞の核内に局在がみられた。点灯条件の変化により精母細胞内のSmadの局在が変化し、短日条件の精巣の精母細胞においてSmadが細胞質から核へ移動し、シグナル伝達が行われている可能性が示唆された。また、TGF-βやSmadのシグナル伝達の指標となるPAI-1遺伝子の長日条件と短日条件による発現の相違を調べ、生体におけるSmad2ならびにSmad3によるTGF-βファミリーのシグナル伝達との関連を考察した。短日条件のゴールデンハムスター精巣においてTGF-βとSmadの核内へのシグナル伝達の指標となるPAI-1 mRNAの発現パターンがSmad3 mRNAの発現パターンとほぼ一致することから、点灯条件によって萎縮した精巣においてSmad2ならびにSmad3は細胞質から核へのシグナル伝達を行っている可能性が示唆された。

 以上、本研究は生体、特に精巣におけるSmad2ならびにSmad3の発現と局在およびその機能的意義を検索したものである。今回得られた結果は、多くの新規の分子生物学的、細胞組織化学的知見を含み、獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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