学位論文要旨



No 215298
著者(漢字) 大原,文裕
著者(英字)
著者(カナ) オオハラ,フミヒロ
標題(和) 再灌流障害に対する新たな心筋保護剤としての新規バイアリール型Na/H exchanger阻害薬の創出
標題(洋)
報告番号 215298
報告番号 乙15298
学位授与日 2002.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15298号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 津谷,喜一郎
 東京大学 助教授 夏苅,英昭
内容要旨 要旨を表示する

 虚血性心疾患は日本人死因の15%と癌についで2番目に多く、中でも急性心筋梗塞の症例数は年々増加している。一方で冠動脈の閉塞を再開通させる早期再灌流療法は著しく向上し普及してきている。しかし、再灌流は虚血心筋の壊死を救済する反面、細胞障害性に作用することが再灌流障害として問題視されている。したがって、虚血後再灌流障害を防止する心筋保護薬が開発されれば、再灌流療法の治療効果はさらに増大することが期待される。

 近年、心筋虚血再灌流障害においてNa/H exchangerを介するCa2+過負荷が重要な要因と考えられている。即ち心筋虚血時に乳酸蓄積によりアシドーシスが生じ細胞膜のNa/H exchangerが亢進し、H+が汲み出されてNa+が流入する。次にNa/Ca exchangerによるNa+とCa2+の交換によりCa2+過負荷が引き起こされ、心機能低下、心筋壊死、不整脈の発生が誘発される。

 これまでに再灌流障害における薬剤療法はいまだ確立されていない。そこで、著者は虚血性心疾患に対する新規治療薬の開発を目指して、新規Na/H exchanger阻害薬を創出し、臨床病態を反映した各種モデル構築及び治療効果の評価を行った。また再灌流性心筋壊死における炎症反応の関与に着目し、本剤の心筋保護効果における新たな作用機序の検討を行った。

1.新規Na/H exchanger阻害薬FR168888及びFR183998の創出

1-1) FR168888及びFR183998の創出

 ラットリンパ球を用いてNa/H exchanger阻害薬のスクリーニングを行った。これは、プロピオン酸ナトリウムにより細胞内が強制的に酸性化されて、Na/H exchangerの活性化、細胞内のH+と細胞外のNa+の交換が起こり、細胞内[Na+]上昇に伴う浸透圧変化によって細胞容積が増加するという原理であり、Na/H exchanger活性を特異的に測定することができる。この方法により新規骨格のNa/H exchanger阻害薬FR168888、さらにより薬効が強力で水溶性を向上させるための側鎖を付加した新規バイアリール誘導体FR183998を創出した。FR168888、FR183998のKi値は6.4、0.68nMであり、ヘキサメチレンアミロライド(Ki値:82nM)に比べ顕著に強力であった。

1-2) ラット虚血再灌流モデルにおけるNa/H exchanger阻害薬の有効性の証明

 心筋虚血再灌流障害におけるNa/H exchangerの有用性を調べるために、ラットにおいて臨床で使用されている薬剤との比較試験を行った。5分間心筋虚血後の再灌流による心室細動(VF)及び不整脈死の発生をFR168888(0.10、0.32mg/kg、i.v.)は有意に抑制し、VF発生に対するED50値は0.09mg/kgであった。また第1選択薬の抗不整脈薬であるリドカインのED50値は3.9mg/kgであり、FR168888の抗不整脈作用はリドカインよりも強力であることが示された(表1)。さらにラット心筋梗塞モデル(60分間虚血後60分間再灌流)において、Ca拮抗薬およびβ遮断薬と比較検討したところ、FR168888(32mg/kg、p.o.)のみが心筋梗塞サイズ縮小作用を示した(図1)。これより、心筋虚血再灌流による不整脈及び心筋梗塞発症に対して、新規Na/H exchanger阻害薬FR168888は他のメカニズムの循環器用薬剤に比べて著しく優れた保護効果を有することが明らかとなった。

2.臨床における再灌流療法施行を反映したラット心筋梗塞モデルにおける評価

 第1章によりNa/H exchanger阻害薬の心筋虚血再灌流障害に対する有効性が証明されたことに基づき、Na/H exchanger阻害薬の臨床での有用性を推察するために、再開通療法施行時の投与形態を反映したモデルを作製し、FR183998の有効性を検証した。

 急性心筋梗塞の場合、血管が閉塞して心筋梗塞が発症した後に救急医療施設に搬送されて再灌流療法が施される。その際の虚血性不整脈の発生による突然死の予防及び再灌流後の心筋予後(梗塞サイズ等)の改善は救命率を向上させる上で重要な意義を持つ。この場合薬物は虚血後に投与されることになるが、現在常用されている薬剤療法は確立していない。そこで、ラット心筋梗塞モデル(30分虚血後60分再灌流)においてFR183998の虚血前及び虚血後投与による保護効果を比較検討した。その結果、FR183998の虚血5分前投与(0.1、0.32mg/kg, i.v.)及び虚血後投与(0.3、1.0mg/kg, i.v.)によって心筋梗塞サイズは有意に縮小した(図2)。また、虚血後5〜15分に不整脈が発生するが、この不整脈発生をFR183998は虚血前投与及び虚血後投与ともに、心筋梗塞サイズを縮小した用量と同用量において抑制した。

以上より、FR183998は虚血後投与でも十分に薬効を示すことから、再灌流療法における薬剤療法としての有効性が明らかとなった。さらに虚血中不整脈の発生を防止する条件でNa/H exchanger阻害薬を処置することにより再灌流後の心筋梗塞の発症を抑制できることが明らかとなり、本剤の投与タイミングを検証する上で重要な知見が得られた。

3.心臓外科手術を反映したモデルにおける心筋保護効果の検討

 冠動脈バイパス術のような心臓外科手術における心筋保護に対しては様々な検討がなされてきたが、いまだ十分な成績には到っていない。よく用いられる方法は心筋細胞のエネルギー消費と代謝活性を抑制するために低温虚血及び心筋保護液の使用であるが、救命率をより向上させるために付加的な薬剤療法の開発が求められている。そこで、本実験では心臓外科手術を反映したモデルを作製し、FR183998の心筋保護効果について検証した。

 ラット摘出灌流心において、常温(37℃)または低温(17℃)虚血を施した後の再灌流後の心機能低下に対してFR183998(0.03-0.3μM)は有意な改善効果を示した(図3)。さらに心筋保護液中で25℃、3時間虚血において、FR183998は心筋保護液のみに対して心筋障害の指標であるクレアチンキナーゼの再灌流後の逸脱量を有意に抑制した(図4)。これよりFR183998は常温だけでなく低温虚血に対しても心筋保護効果を示すこと、および心筋保護液との併用においてもさらに有効な保護効果を有することが示され、本剤の心臓外科手術における新規心筋保護薬としての有用性が明らかとなった。

4.Na/H exchanger阻害薬の新たな心筋梗塞抑制機序の検討

 心筋虚血再灌流障害は、再灌流後の白血球や好中球の浸潤により心筋障害が進展することが知られている。この白血球の強力な遊走因子としてIL-8があるが、IL-8を介する炎症反応誘導とNa/H exchangerの関連については明らかでない。そこで、著者はこのIL-8を介する再灌流障害の進展にNa/H exchangerが関与する可能性を考えた。ラット心筋梗塞モデルにおいて、IL-8は再灌流3時間後の心筋内で顕著に増加していた。この増加はFR183998(1.0、3.2mg/kg, i.v.)により有意に低下し、再灌流3時間後の心筋内Myeloperoxidase活性もFR183998により有意に低下した(図5)。さらに再灌流24時間後の心筋梗塞サイズも同用量のFR183998で抑制された。以上より、Na/H exchanger阻害薬が虚血再灌流に伴うIL-8量の低下を介して炎症反応の亢進を抑制することにより心筋梗塞の進展を抑制するという新しい作用機序を有する可能性が示唆された。

結論

1.新規Na/H exchanger阻害薬FR168888及びFR183998の創出

 Na/H exchanger阻害薬のスクリーニングを行い、新規バイアリール誘導体FR168888及びFR183998を創出した。FR168888のラット虚血再灌流モデルにおける抗不整脈効果はリドカインより強力で、さらにCa拮抗薬およびβ遮断薬に比べ顕著に心筋梗塞サイズを縮小する作用を有することを明らかにした。

2.臨床における再灌流療法施行を反映したラット心筋梗塞モデルにおける評価

 ラット心筋梗塞モデルにおいてFR183998は虚血後投与においても不整脈の発生及び心筋梗塞の発症を抑制したことから、再灌流療法における有効な薬物療法となることが示された。さらに虚血中不整脈を抑制すれば再灌流後の心筋梗塞発症を抑制できるという新しい知見が得られた。

3.心臓外科手術における心筋保護効果の検討

 低温虚血及び心筋保護液の併用においてFR183998はさらに上回る心筋保護効果を示したことから、心臓外科手術における新規心筋保護薬としての有用性が明らかとなった。

4.Na/H exchanger阻害薬の新たな心筋梗塞抑制機序の検討

 FR183998は再灌流後のIL-8産生及びMPO活性を低下させたことから、炎症反応の抑制という新たな作用機序を介して再灌流障害の進展を抑制する可能性が示唆された。

 本研究において、新規バイアリール型Na/H exchanger阻害薬は心筋虚血再灌流障害に対して優れた保護効果を有し、臨床病態を反映したモデルにおいても十分効果を発揮することが明らかとなった。また、本剤が再灌流後の炎症反応の抑制を介して心筋梗塞進展を抑制する可能性を有するという新たな知見を得た。

 以上より、本研究は虚血性心疾患領域における創薬科学と新規治療法の開発に対して極めて有用な貢献をすることが期待される。

表1 再灌流不整脈と不整脈死に対するFR168888およびLidocaineの作用

図1 ラット心筋梗塞モデルにおける梗塞サイズ縮小効果の比較(p.o.投与)

各値は6〜8例の平均値±標準誤差を示す。各値はcontrolの梗塞サイズに対する割合で表示。**;p<0.01 control群に対する有意差を示す。

図2 ラット心筋梗塞モデルにおけるFR183998の(a)虚血前投与および(b)虚血後投与の作用各値は平均値±標準誤差を示す。

*;p<0.05、**;p<0.01 control群に対する有意差を示す。

図3 ラット摘出心における17℃、6時間虚血後の心機能低下に対するFR183998の作用

各値は平均値±標準誤差を示す。*;p<0.05、**;p<0.01 control群に対する有意差を示す。

図4 ラット摘出心における心筋保護液による25℃、3時間虚血後の再灌流中のクレアチンキナーゼ流出に対するFR183998の作用各値は平均値±標準誤差を示す。

*;p<0.05 control群に対する有意差を示す。

図5 再灌流3時間後の心筋内IL-8量および心筋内myeloperoxidase(MPO)活性に対するFR183998の作用

各値は平均値±標準誤差を示す。*;p<0.05、**;p<0.01 saline群、##;p<0.01偽手術群に対する有意差を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 虚血性心疾患は日本人死因の15%と癌についで2番目に多く,中でも急性心筋梗塞の症例数は年々増加している.一方で冠動脈の閉塞を再開通させる早期再灌流療法は著しく向上し普及してきている.しかし,再還流は虚血心筋の壊死を救済する反面,細胞障害性に作用することが,再灌流障害として問題視されている.したがって,虚血後再灌流障害を防止する心筋保護薬が開発されれば,再灌流療法の治療効果は更に増大することが期待される.

 近年,心筋虚血再灌流障害においてNa/H exchangerを介するCa2+過負荷が重要な要因と考えられるようになってきている.すなわち,心筋虚血時に乳酸蓄積によりアシドーシスが生じ,細胞膜のNa/H exchangerが亢進し,H+がくみ出されてNa+が流入する.次に,Na/Ca exchangerによるNa+とCa2+の交換によりCa2+過負荷が引き起こされ,心機能低下,心筋壊死,不整脈の発生が誘発されると考えられている.これまでに再灌流障害の薬剤療法は未だ確立されていない.そこで大原は虚血性心疾患に対する新規治療薬の開発を目指して,新規Na/H exchanger阻害薬を創出し,臨床病態を反映した各種モデル構築及び治療効果の評価を行った.

1.新規Na/H exchanger阻害薬FR168888及びFR183998の創出

 ラットリンパ球をもちいたスクリーニング系で新規骨格を有するバイアリール誘導体FR168888,及びそれより強力で水溶性も向上させたFR183998を創出した.Na/H exchangerに対するKi値はそれぞれ6.4, 0.68nMであり,既存の代表的阻害薬のヘキサメチレンアミロライド(Ki値82nM)に比べ,遙かに強力で,かつ特異性も高いものであった.これら薬物は,ラット虚血再還流モデルにおける心室細動及び不整脈死の発生を有意に抑制し,またラット心筋梗塞モデルにおいても梗塞サイズ縮小作用を示した.またこれらの効果は,既存薬物であるリドカイン,ジルチアゼム,プロプラノロールに比べて優れており,Na/H exchanger阻害薬の有用性を示唆するものであった.

2.臨床における有用性を推察するためのモデル実験

 前項でNa/H exchanger阻害薬の虚血再灌流障害に対する有効性が示唆されたことをうけて,まず,再開通療法施行時の投与形態を反映したモデルを作成し,FR183998の有効性を検証した.30分虚血,60分再灌流のラット心筋梗塞モデルにたいしFR183998は虚血前投与の場合ばかりか,虚血直後投与においても心筋梗塞サイズと不整脈の発生を有意に抑制した.虚血直後投与においても有効な心臓保護薬は殆ど報告されておらず,本薬物の有用性は際だっていた.

 次に,心臓外科手術を反映したモデルにおける心筋保護効果を検討した.心臓外科手術においては心筋細胞のエネルギー消費を抑制するため,低温虚血及び心筋保護液が使用されている.より高い救命率を求めて,FR183998の使用可能性を検討した.ラット摘出灌流心において,17℃という低温下においても,また心筋保護液においても心筋保護効果が見られ,本薬物のこの面における応用性が示唆された.

3.Na/H exchange阻害薬の心筋梗塞抑制機序の新側面

 心筋虚血再灌流障害は,再灌流後の白血球や好中球の浸潤により心筋障害が進展することが知られている.白血球の遊走因子としてIL-8があるが,大原はIL-8を介する炎症反応誘導とNa/H exchangerの関連に注目した.ラット心筋梗塞モデルにおいて,再灌流3時間後の心筋内でIL-8が増加していたが,この増加はFR183998により有意に低下し,再灌流24時間後の梗塞サイズも抑制されていた.このことから,Na/H exchanger抑制がIL-8の低下を介して炎症反応の進展を抑制するという,新しい作用機所の可能性を提出した.

以上申請者大原は,新規バイアリール型Na/H exchanger阻害薬を創出し,これが心筋虚血再灌流障害に対してすぐれた保護効果を有すること,臨床病態を反映したモデルにおいても十分効果を発揮することを明らかとし,臨床開発への道筋をつけた.本研究は虚血性心疾患領域における創薬科学と新規治療法の開発に対して高い貢献をなしたものであり,博士(薬学)に値すると判断した。

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