学位論文要旨



No 215316
著者(漢字) 平井,利弘
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,トシヒロ
標題(和) 新規な強誘電性液晶の合成とその電気光学的応用
標題(洋) Synthesis of new ferroelectric liquid crystalline compounds and their application for the electro-optical devices
報告番号 215316
報告番号 乙15316
学位授与日 2002.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15316号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 石井,洋一
 東京大学 助教授 工藤,一秋
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 液晶ディスプレイ(LCD)はその優れた特徴から、パーソナルコンピュータや家庭電化製品などに広く普及している。小型軽量、低電圧駆動、低消費電力といった利点が普及の原動力となっている。通常のLCDではネマティック液晶を透明電極(ITO電極)付きのガラスセルに注入し、電気的に駆動する。駆動方式としては主に(1)スタティック駆動、(2)単純マトリックス駆動、(3)アクティブマトリックス駆動が用いられている。これらの内、情報量の多いディスプレイには(2)および(3)の両マトリックス駆動法が採用されている。単純マトリックス駆動のディスプレイにはSTN(Super twisted nematic)型を用いることが多い。この方式では非電界印加時に液晶分子がセル内で200°以上ねじれた配置をとることで、画面のコントラストを高めている。走査線数と応答時間に限界があるものの、比較的安価に製造することができる。アクティブマトリックス駆動では各画素ごとに薄膜トランジスター(TFT)などの素子を設け、主として非電界印加時に液晶分子がセル内で90°ねじれた配置をとるTN(Twisted nematic)型で液晶分子を駆動する。この方式ではCRTに匹敵する優れた画質が得られるが、製造時の工程数が多く、半導体製造と同等の品質管理が要求されるため、コスト高になることが避けられない。

 近年、新しいタイプの液晶として強誘電性液晶(FLC)が注目されている。高速応答、双安定性(メモリー性)などの特性を有することから、液晶ディスプレイを含めた電気光学機器への応用が期待されている。これらの特徴を利用すれば、単純マトリックス駆動法でも高精細なディスプレイが実現可能となる。しかしながらFLCディスプレイの製作に際しては、従来のネマティック液晶ディスプレイの製造技術をそのまま適用することはできず、より高度な制御技術、特に液晶分子の配向制御やセルギャプの制御などに高度な技術が要求される。

 さらに、反強誘電性相やフェリ誘電性相の発見、反強誘電性液晶ディスプレイ試作品の発表などが相次ぎ、スメクティック液晶に関する学術上、工学上の急速な進展が見られた。しかしながら、ネマティク液晶に比べて、強誘電性液晶を含めてスメクティク液晶についての研究、開発の歴史が浅く、化学構造と物性の関連や分子間の相互作用などについて不明な点が多く存在する。新規な液晶の開発とその物性の研究はさらなる進展に向けて大変有意義と言える。

 強誘電性液晶の開発に際しては、強誘電性の発現に必要な次の3つの条件を考慮しなければならない。即ち、(1)化合物(または組成物)がスメクティック相、好ましくはスメクティックC(SmC)相を示し、(2)化合物(組成物)を構成している分子の長軸に垂直な方向に双極子モーメントを持ち、(3)分子(または系)が不斉(キラル)である。

2.目的

 本論の主たる目的はFLCディスプレイを含む電気光学機器に適用可能な実用的強誘電性液晶組成物を開発することにある。この目的を達成するためには多くの要求を満たさなければならない。主な要求項目は、

 1.室温を含む広い温度範囲においてキラルスメクティックC(SmC*)相を有する。

 2.電気光学的応答が高速である。

 3.適当な傾き角を有する。(複屈折モードでは22.5°、ゲスト−ホストモードでは45°)

 4.セル内での良好な液晶分子の配向のための好ましい相系列を有する。即ち、液相(Iso)−コレステリック相(Ch)−スメクティックA相(SmA)−キラルスメクティックC相(SmC*)

 5.同じく良好な配向の実現のために、Ch相およびSmC*相での螺旋ピッチが長い。

 このような要求を1つの化合物で満足させることは不可能なため、複数の化合物からなる組成物を作成して、各要求を満足すべく調和させる方法が一般的に行われている。その場合、(1)複数の強誘電性液晶化合物を混合して組成物を調製する方法と、(2)スメクティックC(SmC)相をもつベース液晶組成物にキラル化合物をドーパントとして添加し、系に強誘電性を誘起する方法の2つのアプローチが考えられる。(2)のベース液晶組成物+ドーパント方式の方がより広範囲な化合物を用いることが可能であるため、より実際的であり、組成物開発方法の主流となっている。この方法で有用な組成物を作り上げるための主要な課題は次の2つに集約できる。

 1.大きな自発分極(Ps)を有するキラル化合物の開発

 2.分極以外のすべての要求を満たすSmC相ベース液晶組成物の開発

 大きな自発分極を有するキラル化合物は組成物に高速応答に必要な分極量を与えるための添加量が少量で済むため、大変有利となる。なぜなら、ドーパントであるキラル化合物の添加量を最小限に止めることにより、最適化されたSmC相ベース液晶組成物の諸性質を乱す可能性を最小限に抑えることができる。

3.キラル化合物の設計と合成

 大きな自発分極を持つキラル化合物の設計には、極性基(双極子モーメント)と不斉炭素周辺の構造が重要である。この両者をいかに配置すれば極性基の動きを制約でき、これをより有効に配向できるかという観点から多くの研究が行われてきた。

 我々のグループはカルボニル基と不斉炭素を隣接して配置する構造(図1)が大きな自発分極の発現に有効であることを既に報告している。この化合物について種々の物性を測定して、特異な性質を見いだした。

 また新たにフッ素またはトリフロロメチル基が直接不斉炭素に置換した構造を設計し、それらの構造を有する種々のキラル化合物を合成してその物性を測定した。

4.アルカノイル化合物の物性

 アルカノイル化合物の物性を詳細に調べた結果、SmC*相の高次相が反強誘電性相(SmCA*)であることを確認した。反強誘電性相は最近(1989年)発見された新たな液晶相であり、ごく少数の化合物においてこの相の発現が知られている。いくつかのアルカノイル化合物を検討したところ、不斉炭素に結合する置換基の大きさ、即ち、分子長軸に対する横方向の嵩高さがSmCA*相の安定性に寄与しており、また、螺旋ピッチが短いことも同相の発現に関与していると考えられた。

 またSmC*相での層構造を検討し、これが電界に敏感に反応して変形することを見い出した。これはシェブロン構造からうねったブックシェルフ構造への変形であり、偏光顕微鏡下ではストライプ模様の発生として観察される。SmA-SmC*相転移点付近のSmA相での、いわゆるエレクトロクリニックの状態でも同様の現象が観察される。

5.フッ化キラル化合物の性質

 種々のフッ化不斉炭素構造を持つ化合物を合成して、その物性とキラルドーパントとしての性能を測定した。2−フロロ−2−トリフロロメチルアルカノイルオキシ基(図2、構造4)は分子内で双極子モーメントがキャンセルし合い、大きな自発分極の発現に貢献しなかったが、他の化学構造(図2、構造1〜3、5)では大きな自発分極の発現に成功した。コア部分の化学構造も自発分極の大きさに多大な影響があり、ジフェニルピリミジン骨格が特に好ましい結果を与えた。コア部分の化学構造も分子間の相互作用に大きく寄与するためと考えられる。

 キラルドーパントとしての性能評価では、ジフェニルピリミジン骨格と2−フロロ−2−メチルアルカノイルオキシ基(図2、構造1)を組み合わせた化合物(図3)および同コア骨格と2−フロロアルカノイルオキシ基(図2、構造3)とを組み合わせた化合物がSmC*相の安定性、応答時間の速さなどの点で優れていた。

6.実用的FLC組成物の調製

 上記の知見を基にして、フェニルピリミジン誘導体からなるSmC相ベース液晶組成物に2−フロロ−2−メチルアルカノイルオキシ化合物(図3)をキラルドーパントとして添加した数種のFLC組成物を調製して、その性能を測定した。

 室温を含む広い温度範囲でSmC*相を示し、ビデオレートよりも速い高速応答、適当な傾き角、セル内での良好な配向などで特徴付けられる優れた試作品が得られた。試作品の一部についてのマルチプレックス駆動試験においては、良好なコントラストが得られ、FLCディスプレイへの適用の可能性も確認できた。

図1.カルボニル基−不斉炭素(アルカノイル化合物)の化学構造

図2.フッ化不斉炭素の化学構造

図3 2−フロロ−2−メチルアルカノイルオキシ化合物

表1 FLC組成物の性能(25℃)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は新規な強誘電性液晶の開発とその電気光学的応用について述べたものであり、6章より構成されている。

 第1章は序論であり、液晶の発見から最近の液晶ディスプレイ開発までの液晶の科学と応用技術についての歴史および液晶の種類と分子の配向秩序などについて述べている。更に近年発見された強誘電性液晶および反強誘電性液晶の特異な性質と今までの開発の経緯を説明している。

 第2章では本研究の目的を述べている。その主目的を強誘電性液晶ディスプレイを含む電気光学機器に適用可能な実用的強誘電性液晶組成物を開発することに定めている。また同組成物の開発に際して、印加される電界に対して高速応答するためには大きな自発分極を持つ強誘電性液晶化合物が有用であることを示し、これをドーパントとしてスメクティックC相を有するベース液晶組成物に添加する手法が実際的であることを説明している。

 第3章においては大きな自発分極を発現するための分子設計を述べ、その設計に従った強誘電性液晶化合物の合成法について述べている。自発分極の発現の原理に基づき、不斉中心付近およびコア部分の構造設計が大きな分極の実現に重要であることを強調している。また分子軌道計算も行って分子設計を補強している。

 既に報告のあるアルカノイル化合物に加えて、数種のフッ素化キラル構造を設計して、それらの構造を有する化合物の合成を行っている。

 第4章では実験結果を示し、その内容について議論している。最初にアルカノイル化合物での大きな自発分極の発現の理由と新たに見いだされた反強誘電性について解説し、更に電界印加による層構造の変化についてX線回折の結果を踏まえて議論して、この化合物の特異性を説明している。

 次に、フッ素化キラル化合物についてその性質を調べ、同キラル構造が大きな自発分極の発現に有効であることを実証している。またコア構造も自発分極の発現に多大な影響がある点についても言及し、液晶相において分子間相互作用を助長するフェニルピリミジン骨格の有用性を示している。

 実用的な強誘電性液晶組成物の開発に先立って、モデル化合物を用いてベース液晶とキラルドーパントとの係わりを検討している。両分子間の相互作用が優れた組成物の開発に際しての重要な因子であり、非キラルアルキル基の鎖長が分子間相互作用に重大な影響があることを明らかにしている。

 次いで、フェニルピリミジン系のベース液晶組成物に新たに開発した種々のフッ素化キラル化合物を添加して、キラルドーパントとしての性能を評価し、応答時間やセル内での配向などの点で2−フルオロ−2−メチルアルカノイルオキシ化合物、次いで2−フルオロアルカノイルオキシ化合物が優れているとの結論を得ている。また2−フルオロ−2−メチルアルキルオキシ化合物に関してはキラルネマティック相(コレステリック相)において螺旋の向きが他のフッ素化キラル化合物の場合とは逆になる特異な現象を確認し、セル内での配向に重要な因子となる螺旋ピッチの調節に有用な性質を見い出している。

 上記のキラル化合物の性質とキラルドーパントとしての性能を踏まえて、実用的な強誘電性液晶組成物を試作して、その性能を検討している。キラルドーパントには2−フルオロ−2−メチルアルカノイルオキシジフェニルピリミジン化合物を用いている。その結果、室温を含む広い温度範囲でキラルスメクティックC相を示し、ビデオレートよりも速い高速応答、適当な傾き角、セル内での良好な配向などで特徴付けられる優れた試作品を得ている。試作品の一部についてのマルチプレックス駆動試験においては良好なコントラストが得られ、強誘電性液晶ディスプレイへの適用の可能性も確認している。

 第5章では本論文の結論をまとめており、新たに開発した強誘電性液晶化合物の特徴とそれを用いた強誘電性液晶組成物の有用性を総括している。

 第6章は実験項であり、代表的なキラル化合物の合成方法とそのスペクトルデータ等を掲げている。

 以上のように、新規な強誘電性液晶化合物を設計、合成してその有用性を実用的な組成物を調製することにより実証している。その過程で化学構造と物性の関連や分子間の相互作用について、13C NMRなどの手法を導入して解析している。本論文の研究対象である強誘電性液晶はスメクティック液晶に属しているが、ネマティック液晶に比べてその開発の歴史が浅く、不明な点が多く存在している状況下において、本研究の成果は液晶の科学の進展に大いに寄与するものと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク