学位論文要旨



No 215318
著者(漢字) 土井,修
著者(英字)
著者(カナ) ドイ,オサム
標題(和) 米国資本のラテンアメリカ進出(1897−1932年)
標題(洋)
報告番号 215318
報告番号 乙15318
学位授与日 2002.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15318号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣田,功
 東京大学 教授 小野塚,知二
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
 東京大学 教授 竹野内,真樹
 千葉大学 教授 秋元,英一
内容要旨 要旨を表示する

 周知の通り、現在米国資本の世界的対外進出には目を見張るものがあるが、この米国のいわゆる「多国籍企業」の世界的展開の基礎は既に第二次大戦前に形成された。現在の米国多国籍企業の動向を理解するためには、大戦前の米国企業の対外進出の実態分析が極めて重要かつ不可欠である。このため1897-1932年間の米国企業の対外進出の分析を次のような方法で行った。第一に、進出の背景を知るべく、その企業の当該米国産業に占める位置を明らかにする。特に、当該産業の再編成過程に占める位置を明らかにし、それによって具体的に進出の時期や進出規模の原因を究明する。第二に、進出の過程および現地での資本蓄積を分析する。特に、その場合、当該企業の資本調達方法に注目し、それを通した企業と米国金融機関との関係を明らかにする。第三に、進出後の企業の資本蓄積や貿易の変化、進出先国民経済に及ぼす影響等を明らかにする。第四に、進出先の政府の対外金融の実態を明らかにし、米国金融機関の果たした役割を確定する。この期多くの政府が国債や地方債を米国市場で発行したが、それらの多くは進出企業と密接な関係を持つ金融機関によって引受けられた。こうした分析方法を通じて、金融機関と一体となった米国企業の対外進出の状況を、構造的かつ立体的に解明することができるであろう。

 以上のような方法に基づいて、この期における米国の対外投資の実態分析を、投資額の多いものを対象として、国別、産業別、企業別に行った。すなわち、まず対チリ投資(銅および硝石)、対キューバ投資(砂糖)、対アルゼンチン投資(食肉加工)を取り上げ、分析を行った。以下、主に1920年代を中心にして分析結果の概要を述べよう。

 まず、対チリ投資であるが、最も重要なのは、第一次大戦前において新規参入し大戦期に成長した新興企業の統合が進められ、いわゆる「ビッグ・スリー」(アナコンダ、ケネコット、フェルプス・ドッジ)が確立した点である。この再編過程で最も重要な位置を占めたのは、アナコンダ(ナショナル・シティ集団)とケネコット(グッゲンハイム/モルガン集団)であり、特に1923年の前者によるチリ・コパー、後者によるユタ・コパーの統合であった。これは、フェルプス・ドッジを含めて、国内のみならず世界のビッグ・スリーの確立と同時に、利益集団別で見れば、既存集団(ナショナル・シティ)による新興集団(ヘイドン・ストーン/グッゲンハイム)の吸収を意味するものであった。この再編の結果、チリ銅生産の大部分をアナコンダが担うことになり、チリにおけるアナコンダの勢力は著しく強まった。同時に、この再編を契機に、グッゲンハイム−族は硝石生産分野へ進出したが、当時の合成窒素の生産増大によって重大な金融的困難に直面することになった。更に、この期チリ政府に対する多額の証券投資が展開されたが、米国資本市場でのそれら証券の発行引受活動を最も積極的に行なったのはやはりナショナル・シティであった。かくして、チリ経済は産業的にも金融的にも米国資本に大きく依存することになったが、具体的には、ナショナル・シティ集団への依存であった。

 第二に、対キューバ投資であるが、第一次大戦の勃発によって、世界の砂糖需給は漸次逼迫し、糖価は急上昇した。こうした中で、米国資本は続々とキューバ糖業進出を展開した。最大は世界的糖商ツアルニコウ・リオンダ商会を中心とするグループであり、セリグマン商会等ニューヨークの大手金融機関との連携の下に次々とセントラルを買収し、世界最大企業キューバ・ケインを生み出した。他方、キューバン・アメリカンも米国資本市場に依拠しつつ資本蓄積を強化するとともに、ナショナル・シティ・バンクとの結合関係を強化した。だが、「戦後恐慌」を契機として、20年代半ば以降になると、ヨーロッパ諸国の自給率の向上・甜菜糖生産の増大、ジャワの増産、需要の伸び率の低下等によって世界の需給バランスは大きく崩れ、糖価はほぼ一貫して低下を辿った。このためキューバでは政府主導のカルテルの結成によって生産・輸出調整を余儀なくされ、また、米国の糖業投資もほとんど行われなくなった。こうした中で特に重要であったのは、証券引受や融資関係等を通してチェイス・グループがキューバ・ケインやプンタ・アレグレとの関係を強化し、従来のキューバン・アメリカンをはじめとするナショナル・シティ・グループに対抗する一大勢力を築くに至ったことであった。政府債投資では、政府債務の対外借換・雇用促進および道路建設等がその主目的であり、いずれも糖業不振と密接な関係を持っていたが、前者を目的とする政府債の引受はモルガン商会、後者の場合にはチェイス・ナショナルがそれぞれ独占的に行った。モルガン商会は直接あるいは一定の同盟関係にあるナショナル・シティを通して、チェイス・ナショナルは直接、いずれも糖業と強い利害関係を持った金融機関であり、そうした関係を通して政府債を引受けるに至ったのである。かくて、キューバ糖業のみならず他産業、更には政府財政をもまた米国金融資本、具体的にはモルガン/ナショナル・シティとチェイスの両グループの支配下に置かれることになった。

 第三に、対アルゼンチン投資であるが、米国資本は、アルゼンチンの中核的製造業である食肉加工業への進出を契機として、英国資本による支配体制を脅かすに至った。進出企業であるアーマー、スウイフト、ウイルソンはいずれもいわゆる「ビッグ・フォー」のメンバーであり、この期米国内での食肉加工業停滞の下で企業再建を余儀なくされた。特に、アーマーとウイルソンは大規模な再建策を展開したが、その過程でニューヨークの金融機関との関係を緊密化した。再建の過程で中心的な役割を担ったのがチェイス・ナショナルとブレアであった。他方、1920年代に入って、アルゼンチン国債を初めて引受けたのはこのグループであり、以前から引受けていたモルガンを中心とするグループによる独占的体制を打破することになった。その後、モルガン・グループも巻き返しを図り、巨額の国債引受を行ったが、20年代後半には再びチェイス/ブレア・グループが国債引受を積極化させた。こうしたチェイス/ブレア・グループの政府証券引受分野での活躍は、密接な金融的関係を有するアーマーやウイルソンの子会社を通したアルゼンチンでの活動と密接な関係を持つものであった。アルゼンチン経済への進出が、産業的にも、金融的にも、即ち金融資本的な進出として展開されたのであった。

 以上の分析を踏まえて、得られた結果のうち以下の二点を指摘しておこう。

 第一は、各産業は諸企業で構成されているが、産業構造の変化に促迫されてこの産業編成も変化せざるを得なくなる。新規参入が生じ、特に在来独占企業と新興企業との競争が激化する。この競争関係は当該産業が新興産業であればあるほど激しく、国内のみならず世界的規模で行われ、産業再編成が進行する。そうした結果、企業の対外進出、進出企業ないしその親企業の買収等が行われ、資本輸出の開始やその担い手の交代による資本輸出の本格的展開が生じる。一般的に言って、当該国内産業において劣位にある企業の早期進出が見られ、在来独占企業は優位であるが故に、対外進出のリスクを犯す必要がなく、従って進出は遅れがちである。しかし、進出企業が成長し、高度の資本蓄積の展開を見せるようになると、在来独占企業は自ら進出するか、あるいは進出企業ないしその国内親企業を買収するようになる。こうした産業再編成の結果、従来の一社独占体制から寡占体制へと移行することになる。

 第二に、これが最も重要であるが、企業の対外進出を取扱う場合、金融機関との関係を視野に入れなければならない点である(図参照)。既述の通り、大手企業の多くは金融機関との結合関係を有しているが、まず、進出企業は自らあるいは米国内親企業を通して証券発行による資本調達を行い、その証券を関係金融機関が引受ける。あるいは、その金融機関から直接融資(短期信用)を受ける場合もある。次に、進出企業が成長すると、貿易や雇用等を通して相手国経済に強い影響力を持ち始め、特に相手国の基幹産業に進出したような場合には関税や法人税を通して相手国政府との経済的関係が強まる。そうした結果、相手国政府の対外金融を進出企業の米国内関係金融機関が担うようになる。具体的には、相手国政府の国債や州・地方債の米国市場での発行および当該金融機関による引受、更には当該金融機関による融資である。更に、当該金融機関は相手国に支店を設置し、支店を通して相手国政府や相手国企業との間で銀行業務を展開するようになる。なお、こうした金融の目的が公共事業等インフラストラクチャー整備の場合には、進出企業の資本蓄積強化に繋がり、証券投資と直接投資との相互関連が見られる。

 こうして、企業と金融機関が一体となった進出、換言すれば、金融資本すなわち「利益集団」の進出が展開される。そして、この「利益集団」は一つとは限らず、いくつかの「利益集団」が相互に競争ないしは協調しつつ展開されていくのである。チリの場合は、モルガン・グループとナショナル・シティ・グループ、キューバとアルゼンチンでは、モルガン/ナショナル・シティ・グループとチェイス・グループがそれぞれ競争ないし協調関係を築き、チリでは、ナショナル・シティ・グループが、キューバおよびアルゼンチンではチェイス・グループがそれぞれ主導権を握るに至ったのである。。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、チリ、キューバ、アルゼンチンの事例に即して、1897-1932年間における米国企業のラテンアメリカ進出の実態を、進出の背景、過程、進出後の相手国経済および世界経済に及ぼした影響の観点から分析したものである。本論文の構成と概要を示せば、以下の通りである。

 序章(課題と方法)では、第二次大戦前の米国の対外投資に関する内外の代表的研究を批判的に整理した上で、本論文の分析方法の特徴として、とくに次の三点が指摘される。第一に、進出企業が当該米国産業の編成ないし再編成の中で占める位置を明らかにすることを通じて、進出の時期や原因を究明することである。第二に、進出企業の資本調達方法を明らかにすることを通じて、当該企業と米国金融機関との関係を解明し、進出を企業のみにとどまらず、金融機関と一体となった金融資本の進出として捉え、直接投資と証券投資の相互関連を問うことである。第三に、進出企業の現地での資本蓄積活動や貿易の変化を明らかにすることによって、進出先の国民経済に対して及ぼす影響を検討することである。

 第1章(米国の対外投資とラテンアメリカ)では、第一次大戦前、第一次大戦期、1920年代の三つの時期について、米国対外投資に占めるラテンアメリカ投資の位置ならびに国別分布、証券投資と直接投資の推移および特徴、米国のラテンアメリカ投資が世界経済においてもつ意義が概観される。

 第2章〜第4章は、実態分析の部分にあたる。まず第2章(米国銅産業とチリ進出)は、上記の三つの時期に即して、電力・電機産業の発展に伴う銅需要増大を背景とする、低品位鉱床開発(ポーフィリー開発)を目的としたチリ進出の過程・結果、米国銅産業の再編、この進出・再編への金融機関の関与などを詳細に跡づけ、以下の重要な事実を確認する。米国企業のチリ進出は、1909年以降、モルガン=ファースト・ナショナル集団との提携の下に、新興のグッゲンハイム一族によって大規模に展開されるに至ったが、それはグ一族が国内鉱床開発において技術的・資本的に劣位であったためである。一方、既存の最大の独占企業であるアマルガメイテッド=アナコンダは、当初ポーフィリー開発を危険視していたが、その有望性が明らかとなり、新興勢力が台頭すると、1913年以後、同社もその開発のためにチリ進出に乗り出すことを余儀なくされた。1920年代には、ポーフィリー開発企業と海外企業の統合・吸収を軸に、アナコンダ(ナショナル・シティ集団)とケネコット(グッゲンハイム・モルガン集団)のイニシャティブの下に、産銅企業の大規模な再編成が進行し、世界および国内における、いわゆる「ビッグ・スリー」(アナコンダ、ケネコット、フェルプス・ドッジ)体制の確立が見られた。この再編の結果、チリの銅生産の大半はアナコンダに掌握され、チリにおけるアナコンダの勢力は著しく強化された。またこの時期にチリ政府に対する多額の証券投資が行われたが、米国資本市場でそれらの発行引受活動を積極的に担ったのはナショナル・シティ集団であった。かくしてチリ経済は産業的にも、金融的にも、米国資本、なかんずくナショナル・シティ集団に大きく依存することになった。

 第3章(米国糖業とキューバ進出)は、19世紀末以後の砂糖需要の拡大を基礎とする米国糖業の再編を背景に、大量かつ安価な原糖の安定的確保を求めて展開されるキューバ進出の過程・結果、この過程と金融機関との関係等を三つの時期に即して詳細に跡づけ、以下の重要な事実を指摘する。米国企業のキューバ進出は、19世紀末に始まるが、この時期にはハウエル商会とリオンダ・グループなど、精糖業界の新興企業ないしその関連糖商が最も進出に積極的であった。これに対して、アメリカン・シュガーを典型とする既存大企業は、独占的地位があったために原糖確保が比較的容易であり、第一次大戦後までキューバ進出に関心を示さなかった。第一次大戦勃発による世界の砂糖需要の逼迫と糖価の急騰を機に、米国資本のキューバ糖業進出は加速されたが、この時期に最も積極的に進出を試みたのはリオンダ・グループであり、それはセリグマン商会、モルガン商会等のニューヨーク大手金融機関との連携の下に拡大し、1915年、世界最大企業キューバ・ケイン・シュガーを設立するに至った。一方、リオンダ・グループに先を越されたハウエル・グループのキューバン・アメリカンも、ナショナル・シティ・バンクとの結合関係を通じて米国資本市場に依拠して資本蓄積を強化した。1920年代半ばまで、糖価の高水準を背景に米国資本のキューバ糖業投資は拡大を続け、証券発行や貨幣市場での資金調達を通して米国系企業と金融機関との関係は更に強化されたが、1920年代後半には、ヨーロッパ諸国の自給率の上昇・甜菜糖生産の増加、ジャワ糖の増産、需要の伸び率の鈍化等に起因する世界の需給バランスの崩壊と糖価の低落傾向の下で、米国精糖業界は精糖能力過剰に悩み再編成を余儀なくされ、糖業投資も大幅に減少した。こうした状況の中で、証券引受け・融資関係等を通してチェイス・グループがキューバ・ケインとの関係を強化し、キューバン・アメリカン等のナショナル・シティ・グループに対抗する勢力を築いた。また糖業不振を受けて、モルガン商会やチェイス・グループは、政府債務の対外借換や道路建設などを目的とする政府債の引き受けを積極的に行い、糖業のみならず、他の産業、更に政府財政までもが、モルガン/ナショナル・シティとチェイスの両グループの支配下に置かれるに至った。

 第4章(米国食肉加工業とアルゼンチン進出)は、1880年代に至る米国食肉加工業の寡占体制の確立を概観した後、世紀初頭以後の牛肉需給の逼迫の下で、米国の牛肉供給能力の低下に伴う輸出能力の低下を受けて、英国市場における独占的地位の回復・維持をめざして展開されたアルゼンチン進出の過程・結果、進出企業と金融機関との関係、アルゼンチンにおける英国資本との対抗等を詳細に描写し、以下の重要な事実を明らかにしている。アメリカ企業の進出はイギリス企業よりはるかに遅れて1907年から始まるが、それは既存独占企業のスウィフト、アーマー等によってリードされたものであった。第一次大戦期には、アーマー社が増産に最も積極的となり、同社は政府融資・政府債引受を積極的に展開したナショナル・シティ・バンクとの間で密接な関係を形成した。1920年代、米国国内での食肉加工業停滞の下での企業再建を余儀なくされる中で、アーマー、スウィフト、ウイルソンなどいわゆる「ビッグ・フォー」企業は、英国資本の支配体制を脅かしつつアルゼンチン食肉加工業への進出を強めた。またこれら企業の再建過程において、ニューヨークの金融機関が積極的役割を演じ、両者の関係は緊密となった。とくにチェイス・ナショナルとブレアは中心的な役割を担い、このグループは初めてアルゼンチン国債を引受け、従来から引き受けていたモルガンによる独占的体制を打破した。チェイス・ブレア・グループによる政府証券引受分野での活躍は、このグループと結びつくアーマーやウイルソンの子会社を通じたアルゼンチンにおける活動と密接な関係を有しており、ここに米国資本のアルゼンチン進出が産業的かつ金融的な進出として展開されたことが示されている。

 最後に、「むすび」の部分では、以上の実態分析を踏まえて、資本輸出の分析方法に関する問題提起と結びつけながら、以下の二点が強調される。第一の点は、企業の資本輸出の要因に関わる。一般に、産業構造と産業編成の変化に伴い、新規参入によって既存独占企業と新興企業との競争が激化するが、この競争関係は当該産業が新興産業であればあるほど激しく、産業再編成が進行する。その結果、企業の対外進出、進出企業ないしその親企業の買収等が行われ、資本輸出の開始やその担い手の交代による資本輸出の本格的展開が生じる。この場合、当該国内産業において劣位にある企業が早期に進出し、既存独占企業の場合、優位であるために対外進出のリスクを最初に冒す必要がなく、進出は遅れる傾向にある。しかし先に進出した企業が成長すると、既存独占企業は自ら進出するか、進出企業ないしその親企業を買収する。第二の点は、進出企業と金融機関の関係に関わる。進出企業は、自らあるいは米国内親企業を通して証券発行による資本調達を行い、その証券を関係金融機関が引き受ける。進出企業は成長につれて相手国経済に強い影響力を持ち始め、とくに相手国の基幹産業に進出した場合には、関税・法人税などを介して相手国政府との経済的関係を強め、相手国政府の対外金融を進出企業の米国内関係金融機関が担うようになる。更に、これらの金融機関は相手国に支店を設置し、支店を通じて相手国政府や相手国企業との間で銀行業務を展開する。この金融の目的が公共事業等インフラ整備の場合には、進出企業の資本蓄積の強化に寄与し、証券投資と直接投資との相互関連が見られる。こうして進出は、企業と金融機関が一体となった進出、換言すれば金融資本すなわち「利益集団」の進出として展開される。

 本論文の貢献は、以下の点にあると言えよう。

 第一のメリットは、きわめて水準の高い実証に基づいて、米国資本のラテンアメリカ進出に関連して、とりわけ進出企業が属する産業の状況、生産物の市況、進出の動機、進出企業の資本蓄積と経営、進出先の経済に対する影響等について、第一級のファクト・ファインディングを豊富に提供していることである。この成果は、従来の内外の研究でほとんど利用されていない資史料を含む膨大な一次資史料、政府機関報告、業界団体資料、未公刊学位論文、各種年鑑、統計、さらには幅広い二次文献の渉猟を行うことによって初めて可能となったが、気の遠くなるような作業に営々と取り組んだ著者の課題追求に対する強靭な意思は特筆に値する。

 もとより本論文のメリットは、ファクト・ファインディングに尽きるものではない。第二のメリットとして、先行研究では欠落していた国内産業編成・再編成における進出企業の位置という新たな視点を導入することにより、米国企業のラテンアメリカ進出の背景を詳細かつ具体的に解明したことが指摘できよう。更に、第三のメリットとして、企業の対外進出の過程を単に企業にとどまらない、金融機関と一体化した金融資本の進出として捉え、更にこうした分析方法を通じて、先行研究で十分に究明されていない証券投資と直接投資の関連の実態把握を大きく進めたことが評価されよう。最後に、こうした新しい視角と方法を用いることによって、これまで研究が手薄であったチリ・アルゼンチンを含めて米国資本のラテンアメリカ投資の全体像の把握について、研究水準を一挙に引き上げたものと評価できよう。

 とはいえ、本論文もいくつかの問題点をかかえていることを指摘しておかなければならない。第一に、実証分析の結果を踏まえて、著者がどのような結論を導き、その結論が先行研究では十分明らかにされてこなかった点をどこまで解明しえたか、たとえば資本輸出の理由をどう理解するか、あるいは証券投資と直接投資の関連をどう把握するか等について、明確な総括がなされていない点が惜しまれる。これは実証に徹しようとした著者の真摯で控えめな態度として理解できなくもないが、末尾でより明確な結論を展開して欲しかったという不満を消し去ることは出来ない。またこの点とも関連するが、提示される事実が豊富なだけに、かえって全体として著者が描こうとしている歴史像の大筋が不鮮明になっていることが指摘されよう。この点は、「序章」と「むすび」、各章末の「総括」と所々に置かれている「小括」の叙述の仕方を工夫することによって、改善することができたかもしれない。

 第二に、本論文は1897-1932年を分析の対象としているが、いかなる理由でこの時期区分が選択されたかについて、明示的な説明がないことが問題として指摘されよう。著者にすれば、理由は自明のことであるかもしれないが、歴史研究としては時期設定の根拠についての説明は不可欠であろう。

 第三に、本論文の全体を通じて、著者が企業行動のレベルまで踏み込んだ分析を試みていることからすれば、企業の意思決定に関わるプロセスが十分描かれていないことは、物足りなさを感じさせる。対外進出の動機をめぐる意思決定のプロセスがおのおのの経営者のレベルまで踏み込んでより具体的に明らかにされていれば、歴史研究としての深みが増したであろう。また、国際比較の視点を意識的に取り入れ、イギリス等の資本輸出との比較をすることによって、米国資本の進出の特徴がより鮮明に描かれた可能性もある。

 もとよりこれらの問題点はいずれも本論文をより完璧なものに近づけるために必要と思われる論点であり、米国資本のラテンアメリカ進出に関する研究水準を飛躍的に引き上げた本論文の価値をいささかも損なうものではない。以上の理由により、審査委員会は全員一致で土井修氏が博士(経済学)の学位を授与されるに相応しいとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク