学位論文要旨



No 215319
著者(漢字) 上野,嘉之
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,ヨシユキ
標題(和) 嫌気性ミクロフローラによる水素発酵に関する研究
標題(洋)
報告番号 215319
報告番号 乙15319
学位授与日 2002.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15319号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 矢木,修身
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

 石油、石炭などの化石燃料の消費に起因する大気中の二酸化炭素濃度の増大は、地球温暖化の主原因と考えられている。二酸化炭素の排出を抑制するために、二酸化炭素の固定・吸収技術の開発をはじめ、省エネルギー技術の導入や石油代替エネルギーの技術開発が推進されている。水素は燃焼後に二酸化炭素を生じないクリーンなエネルギー源であり、燃料電池に直接供給することで、電力とすることもできることから次世代のエネルギーとしても注目されている。この水素を生物学的にバイオマス資源から生産することができれば、地球環境負荷の低減に大きく寄与することができるものと期待される。生物的水素生産のうち、有機物の嫌気的分解、すなわち発酵で生じる余剰電子を水素ガスとして回収する発酵様式が水素発酵である。

 発酵工業では単離された微生物単独、あるいはそれらの組み合わせによって物質生産が行われている。しかしながら、メタン発酵をはじめ廃水処理などの環境浄化技術では自然の微生物から構成された混合微生物系、いわゆるミクロフローラ系が用いられている。あらかじめ特定の微生物を培養して準備する必要もなく、雑多な廃水種にも適応でき、なによりもプロセスの滅菌の必要がないことが実用上最大のメリットになっている。有機性廃水やバイオマスを原料にその処理過程で水素発酵を行うことを考えれば、メタン発酵同様にミクロフローラの利用が考えられる。これまで単離された水素生産菌の生理生化学的研究がなされてきたが、ミクロフローラ系で水素を効率的に生産できた報告はない。本研究では、有機性廃棄物などのバイオマス資源を原料にした水素発酵技術の確立を目的に、自然界より集積した嫌気性ミクロフローラによる水素発酵を特徴づけた。

 本論第1章では、セルロースパウダーを基質とした人工培地を用いて、嫌気性ミクロフローラによる水素発酵能をバッチ培養により検討した。検討に用いたサンプルは、(1)好気性活性汚泥を強制通気によって堆肥化したコンポスト、および(2)高温消化汚泥のミクロフローラ、である。高温(60℃)で(1)から集積される嫌気性ミクロフローラは、セルロースを効率良く分解し、メタンを生成せず、120時間で2.4mol/mol-hexoseの水素を酢酸酪酸発酵により生成した。一方、(2)から集積されるミクロフローラはセルロース分解能が低く、メタンを生成し、水素生産収率も1.0mol/mol-hexoseにとどまった。好気性活性汚泥を原料に強制通気によって製造されている汚泥コンポストをミクロフローラ源に、発酵基質(セルロース)が存在する高温嫌気条件で微生物の集積を行うと、Clostridium属の微生物群が優先的に増殖し、酸生成によって著量の水素を蓄積することが明らかになった。一方、嫌気消化汚泥をミクロフローラ源として用いた場合は、バッチ培養では酸生成が優先化し水素を副成するものの、本来メタン発酵ミクロフローラとして安定しているために、水素はメタン生成のために消費され、全体として水素の収率が低下するものと推察できた。

 発酵生産および廃水処理の分野では工学的観点から連続反応により効率化が図られている。したがって連続培養条件での効率的で安定した水素発酵が求められる。水素発酵を解析し工学的にさらなる改変・改良を加えるためには、安定なメタン発酵を比較対照として併せて解析することが望ましい。そこで第2章では、嫌気条件における有機物分解反応として最も安定していると考えられるメタン発酵ミクロフローラを用いて、完全撹拌混合型バイオリアクター(CFSTR)での連続培養を行い、培地の希釈率と発酵様式の関係を検討した。セルロースあるいはグルコースをそれぞれ基質とした人工培地を用いて実験した結果、希釈率が0.2d-1より低い状態では、安定なメタン発酵が観察された。しかしながら、これより希釈率を高くすることによって、メタン発酵が不安定化し、水素や有機酸などの蓄積が認められるようになった。希釈率4.81d-1ではいずれの基質の場合もメタン生成収率が極端に減少し、セルロース培地で0.7mol/mol-hexose、グルコース培地0.1mol/mol-hexoseの収率で水素が蓄積した。基質の種類およびバイオリアクターに対する負荷の違いによって、発酵様式を制御することが可能であることが示された。

 このCFSTRを用いて集積したメタン発酵ミクロフローラの微生物群集構造を真正細菌の16S rDNAのV3領域をターゲットとしたPCR-DGGE法を用いて解析し、発酵様式と関連づけて評価した。セルロース培地、グルコース培地ともに優先種と考えられる微生物の多くは、Bacillus/Clostridium属に近縁な菌群であった。希釈率の上昇によって集積される微生物群は基質によって異なり、グルコース培地ではヘテロ乳酸発酵をおこなうBacillus属に近縁な菌群が集積され、セルロース培地ではClostridium属に近縁な菌群が集積された。各希釈率で検出された微生物の生理学的性質からその希釈率におけるミクロフローラの発酵様式を説明することができた。また、CFSTRにおける連続培養定常状態では培養条件を変化させない限り、菌叢は変化しないことが明らかになった。

 第3章では、汚泥コンポストから嫌気性ミクロフローラをセルロースを含む人工培地のバッチ培養および連続培養で集積し、そのミクロフローラの微生物群集構造をPCR-DGGE法で解析するとともに、実際にミクロフローラより微生物の分離を行い、PCR-DGGE法の結果とあわせて解析、評価した。

 集積したミクロフローラからは総計68株を分離した。これら分離菌は16S rDNAの部分配列解析とPCR-DGGEおよびRAPDでのフィンガープリンティングパターンにより9つのグループに分類した後、同定を行った。分離菌の多くはClostridium属に近縁であった。分離菌の多くは水素生成能を有し、その発酵様式はその分離源のミクロフローラの発酵様式と類似していた。PCR-DGGE法では分離されなかった高温性セルロース分解菌Clostridium thermocellumおよびClostridium cellulosiを高強度に検出することができた。この他、Thermoanaerobacterium thermosaccharolyticumなどセルロース分解能を持たない酸発酵菌群も検出され、セルロースの水素発酵ではこれら複数種の微生物の共同作業によって水素が生産されているものと考えられた。全体としては、PCR-DGGE法によりリアクターの機能とその反応を行うミクロフローラの微生物群集を関連づけて評価することができた。ただし、平板希釈法によって分離される微生物の出現頻度は必ずしもPCR-DGGE法の結果を反映しておらず、微生物分離法では分離培地や培養条件によるバイアスが大きく、正確にミクロフローラの群集構造と発酵様式を解析するためにはPCR-DGGE法との併用が望ましいものと判断された。

 第4章では前章までの結果をもとに、汚泥コンポストより嫌気性ミクロフローラを集積し、製糖工場廃水を原料にベンチスケールで連続水素発酵実験を行った。CFSTRの水理学的滞留時間(HRT)を0.5dから3dに変化させ発酵様式を観察した結果、非滅菌系での連続水素発酵が200日間以上にわたり確認され、自然界から集積した嫌気性ミクロフローラによる実廃水からの連続水素発酵を実証することができた。本実験における最高水素生成速度はHRT0.5dにおいて200mmol/l-reactor/dayで、その水素生産収率は2.6mol/mol-glucoseであった。この水素生産収率は、これまで報告されているミクロフローラ系での水素生産収率で最も高く、水素生産収率の高い単離菌と比較しても同等であった。水素生成は基本的には酢酸酪酸発酵によるものであったが、HRTを長くとることによって、炭水化物以外の有機物由来の酢酸生成、およびホモ酢酸発酵が観察され、水素の収率が低下するだけでなく解析を困難なものとした。このミクロフローラから分離したT. thermosaccharolyticum KU001株は水素生成性の酢酸酪酸発酵を行い、この発酵様式および水素生産収率はミクロフローラのものと類似していた。また、本株の16S rDNAシーケンスは、汚泥コンポストをグルコースを炭素源とした人工培地で集積したミクロフローラの優先種と考えられるDGGEバンドのシーケンスと完全に一致した。これらの結果から、本株がこのミクロフローラで中心的に水素発酵を触媒しているものと推察できた。

 第5章では、本研究で得られた結果を総括するとともに総合的な考察を加え、今後の展望を述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 水素は燃焼後に二酸化炭素を生じないクリーンなエネルギー源である。生物的水素生産のうち、有機物の嫌気的分解、すなわち発酵で生じる余剰電子を水素ガスとして回収する発酵様式が水素発酵である。本研究は、有機性廃棄物などのバイオマス資源を原料にした水素発酵技術の確立を目的に、自然界より集積した嫌気性ミクロフローラによる水素発酵を、微生物学的および工学的に特徴づけたもので、序論およびそれに続く本論5章から成る。

 まず序論では、水素と水素生産の意義、発酵生産、嫌気性消化法および菌叢解析技術の概要を述べ、水素発酵技術の理論的背景とミクロフローラによる水素発酵技術を確立するための基本的な方策と考え方を述べている。

 本論第1章では、水素発酵ミクロフローラの選定を行い、好気性活性汚泥を原料に強制通気によって製造されている汚泥コンポストをミクロフローラ源に、発酵基質(セルロース)が存在する高温(60℃)嫌気条件で微生物のバッチ培養を行うと、酸生成菌が優先的に増殖し、著量の水素を蓄積することを見出した。

 第2章では、メタン発酵ミクロフローラを完全撹拌混合型バイオリアクター(CFSTR)で連続培養し、培地の希釈率と発酵様式の検討を行なった。希釈率が低い状態(0.2d-1以下)では、安定なメタン発酵が観察されたが、希釈率を高くすることによって、メタン発酵が不安定化し、水素や有機酸などの蓄積が認められるようになった。このCFSTRを用いて集積したメタン発酵ミクロフローラの微生物群集構造を真正細菌の16S rDNAのV3領域をターゲットとしたPCR-DGGE法を用いて解析し、発酵様式と関連づけて評価した。セルロース基質、グルコース基質ともに優先種と考えられる微生物の多くは、Bacillus/Clostridium属に近縁な菌群であった。希釈率の上昇によって集積される微生物群は基質によって異なり、グルコースではヘテロ乳酸発酵をおこなうBacillus属に近縁な菌群が集積され、セルロースではClostridium属に近縁な菌群が集積された。

 第3章では、水素発酵ミクロフローラより微生物の分離を行い、その生理学的性質を検討し、PCR-DGGE法の結果とあわせて解析、評価した。分離菌の多くはClostridium属に近縁であり、多くは水素生成能を有していた。PCR-DGGE法では、平板法で分離されなかった高温性セルロース分解菌が高強度に検出され、セルロースの水素発酵では複数種の微生物によって水素が生産されているものと考えられた。平板希釈法による微生物分離法では分離培地や培養条件によるバイアスが大きく、正確にミクロフローラの群集構造と発酵様式を解析するためにはPCR-DGGE法との併用が望ましいものと判断された。

 第4章では前章までの結果をもとに、汚泥コンポストよりミクロフローラを集積し、製糖工場廃水を原料にベンチスケールで連続水素発酵実験を行った。非殺菌系での連続水素発酵を約200日間以上にわたり観察し、HRT(水理学的滞留時間)0.5dにおいて、最高水素生成速度:約200mmol/l-reactor/day、水素生産収率:2.6mol/mol-glucoseを得た。この水素生産収率は、水素生産収率の高い単離菌と比較しても同等であった。このミクロフローラからの分離株(T. thermosaccharolyticum KU001)による発酵様式および水素生産収率はミクロフローラのものと類似していた。また、本株の16S rDNAシーケンスは、汚泥コンポストを人工培地で集積したミクロフローラのDGGEで優先種と考えられるバンドのシーケンスと完全に一致していた。これら実廃水での実験結果は、人工培地での実験結果から解釈可能であり、基礎的検討の妥当性が示された。

 第5章では、本研究で得られた結果を総括するとともに総合的な考察を加えた。

 以上、本研究は、自然界に存在する嫌気性ミクロフローラをコントロールすることにより廃水からの水素生産が可能なことを世界に先駆けて示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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