学位論文要旨



No 215324
著者(漢字) 曽我,史朗
著者(英字)
著者(カナ) ソガ,シロウ
標題(和) Radicicolならびにオキシム誘導体によるHsp90阻害作用と抗腫瘍効果
標題(洋)
報告番号 215324
報告番号 乙15324
学位授与日 2002.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15324号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾, 隆
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 夏苅,英昭
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

 正常細胞が癌化する過程では複数の遺伝子異常が蓄積され、活性制御や発現量が異常な蛋白の発現や正常蛋白の欠失を生じ、その結果として(正常)細胞は異常な増殖能を獲得し、老化から逸脱して不死化し、更にアポトーシスによる自殺をも回避し生存し続けるようになり、やがて癌化し更に悪性化すると考えられている。近年、癌分子標的療法のターゲットとして細胞の増殖および生存のシグナル伝達異常に関与する種々の分子が注目され、それらをターゲットとした新たな抗癌剤の開発が試みられている。Hsp90は分子量90kDaの分子シャペロンとして知られている蛋白であるが、他の分子シャペロンから際立って特徴づけられる点は細胞内シグナル伝達経路に関わる分子と特異的に複合体を形成しその安定性・局在・機能発現に関与していることである。これら一連のhsp90結合蛋白は "hsp90 client protein" と呼ばれており、癌細胞の増殖・生存維持に重要なキナーゼなどのシグナル伝達因子や転写因子など癌分子標的療法のターゲットと考えられている分子が数多く含まれている。よって、hsp90の機能を阻害すると間接的かつ多発的にこれら複数のclient protein 不安定化や機能阻害を引き起こす新規メカニズムを有する抗癌剤となりうる可能性が考えられる。

 Radicicol (RA) は微生物より単離された14員環マクロサイクリック構造を有する天然物で、その生物活性に関してはこれまで数多く報告があるが多様な生物活性を説明するRAの細胞内標的分子や作用メカニズムに関して明らかにされていなかった。本研究を通じて新たにRAが細胞内の特異的な蛋白depeltion作用を有することを見出し、その標的分子として分子シャペロンhsp90を見出すに至った。RA以外のhsp90作用薬としてこれまでにベンゾキノンアンサマイシン系低分子化合物であるgeldanamycin(GA)が報告されているが、動物モデルにおける抗癌活性や薬効メカニズムを報告した例はほとんど無かった。そこでRAの新規抗癌剤としての可能性を検証するとともに、hsp90を分子標的とした薬剤の観点からターゲット(=hsp90) 阻害が抗腫瘍効果発現に関わっている事を証明したいと考えた。RA自体の動物モデルにおける抗癌活性は、体内安定性等の問題点からあまり強くない。その点を克服する目的で誘導体化された化合物 (オキシム誘導体) を用いて、ヒト癌細胞に対するin vitroでの細胞増殖抑制やアポトーシス誘導活性とhsp90に対する作用の相関、さらにin vivo(ヌードマウス皮下移植モデル)での抗腫瘍効果と腫瘍内でのhsp90阻害効果の相関について解析を行った。本論文ではRAの新たな作用としてhsp90阻害活性を発見した経緯ならびにRA誘導体を用いた一連の研究に関して、(1) RAによるraf-1 depletion活性(hsp90 client depletion) を介したシグナル伝達阻害作用、(2) RA誘導体(KF25706)の in vitro, in vivoでの抗癌活性とhsp90阻害作用から見た活性相関、(3) RA誘導体KF58333のerbB2高発現乳癌に対する抗癌活性とオキシム側鎖の立体異性体(KF58332)との活性差に関する解析、の項目で研究の結果をまとめた。

 ヒト大腸癌、膵臓癌等で高頻度に活性化変異が見られるK-rasに着目し、その下流の細胞増殖シグナル伝達阻害剤を見出すために、出芽酵母と哺乳類のシグナル伝達経路の類似性を利用した活性化K-ras-MAPKカスケードシグナル伝達再構成系を構築し低分子阻害剤スクリーニングを行った結果、明らかなシグナル伝達阻害作用を有する化合物としてRAを再発見した。上記酵母系での活性は動物細胞系においても再現し、RAはヒト大腸癌由来の活性化変異K-ras遺伝子導入細胞において、K-ras下流のMAPKリン酸化亢進を抑制した。さらにRAの作用点を明らかにしていく過程において、rasのエフェクター分子であるraf-1蛋白がRA処理により細胞内で消失(depletion)し、それに伴ってraf-1以降のMAPKカスケードシグナルが遮断されることを見出した。このような、raf-1 depletion作用は当時報告されていたGAと類似の活性であった。GAは当初チロシンキナーゼ阻害剤として見出されたがチロシンキナーゼに対する直接阻害作用は弱く、その後の研究によりhsp90を阻害する化合物である事が明らかにされた経緯がある。Raf-1はhsp90 client proteinの一つであり、GAによるhsp90阻害の結果細胞内で不安定化されdepletionが引き起こされる。RAとGAは構造的に異なる化合物であるが、raf-1を選択的に消失させる共通の活性発現のターゲットとしてhsp90阻害の可能性が示唆された。その後、米国NCIのDr.Neckersらとの共同研究により、RAがGAと同じhsp90 N末端領域に直接結合しその機能を阻害する事を証明した。

 Hsp90阻害の観点からRAの抗癌剤としての応用を検討するにあたっては、親化合物RAの血中不安定性を克服する目的で合成されたオキシム誘導体radicicol 6-oxime (KF25706)を用いた。KF25706はin vitroで幅広い癌種のヒト癌細胞に対してRAと同等以上の強い抗細胞活性を示す。最も強い感受性を示したerbB2高発現ヒト乳癌細胞SK-BR-3を用いた解析により、KF25706がhsp90 client protein (erbB2、raf-1, cdk-4, 変異型p53) を選択的にdepletionさせる活性を有すること、またその活性と抗細胞活性との相関が見られることを明らかにした。また、GA affinity beads との競合反応系を用いてhsp90に対する直接結合を調べた結果、KF25706のhsp90結合活性はRAの約3倍増強されていた。一方、KF25706の1/10以下の抗細胞活性しか示さない不活性誘導体KF29163はhsp90結合活性においても1/10以下に減弱しており、細胞系におけるclient depletion活性を示さなかった。これら結果より、RA誘導体のin vitro抗腫瘍活性にはhsp90結合とそれに伴うclient protein depletionが関与する事が示唆された。さらに、KF25706はヌードマウス静脈内投与によって乳癌MX-1、MCF7、大腸癌DLD-1、類表皮癌A431など種々のヒト癌xenograft系に対して明らかな抗腫瘍効果を示した。Hsp90阻害が活性発現に関与することを確認する目的で化合物投与後に腫瘍を摘出して解析を行った結果、KF25706投与後の腫瘍内ではclient protein (raf-1, cdk-4) の明らかなdepletionが起こっていた。一方、抗腫瘍活性を示さない親化合物RAならびに不活性誘導体KF29163はともに腫瘍内cleint depeltion を起こさなかった。以上の結果より、KF25706は臨床上応用可能な静脈内投与によって、腫瘍内においても client proteinの消失を引き起こし、種々の癌細胞に対して抗癌活性を示すと考えられた。

 RAオキシム誘導体はオキシム側鎖立体異性の混合物(E/Z体)として合成されるが、KF55823(6-O-[2-(2-pyrrolidonyl)-ethyl] radicicol oxime) からのHPLC立体異性体分離によりKF58333(E体) と KF58332(Z体) を得る事ができる。ヒト乳癌細胞パネルを用いた抗細胞活性解析の結果、2つの立体異性体間には明らかな活性差が存在し、KF58333(E体)がすべてのヒト乳癌細胞に対してKF58332(Z体)を上回る活性を示した。またこの高活性体KF58333が乳癌の中でも悪性度が高いとされるホルモン非依存性erbB2高発現細胞に対して強い活性を示したことより、同特徴を有するKPL-4細胞を用いて難治性乳癌に対する抗癌剤としての可能性を検証するとともに、立体異性体(KF58332) との比較による作用メカニズム解析を行った。

 KF58333 はKPL-4細胞に高発現しているerbB2蛋白をはじめとする client proteinを 0.1μMの低濃度で消失させるとともに、この細胞で恒常的に活性化しているアポトーシス抑制シグナルに関与する Akt をdepletion させる事を新たに見出した。オキシム立体異性体KF58332では、これら活性も減弱しており細胞増殖抑制活性の差との相関が見られた。アポトーシス抑制に関与するAktの消失が起こる事からTUNEL法によるアポトーシス誘導能の解析を行った結果、KF58333処理による明らかなアポトーシス誘導が確認され、この活性に関してもKF58332との活性差が再現していた。以上の結果より、KF58333がhsp90阻害を介したerbB2 depletion等による増殖シグナルの阻害、ならびにAkt depletionによる生存シグナルの遮断によるアポトーシス誘導を引き起こし、抗癌活性を示す可能性が示唆された。さらに、KF58333はヌードマウス皮下移植KPL-4 xenograftに対する投与実験で優れた抗腫瘍効果を示した。興味深い事にオキシム異性体KF58332はKF58333と同量を投与しても腫瘍の増殖に影響を与えず明らかな活性差が見られた。両立体異性体間に静脈内投与後の血中濃度推移には大きな差は見られなかったが、KF58333を投与した腫瘍内でのみ erbB2, Aktの明らかなdepeltionが見られるとともにアポトーシスが明らかに促進されていた。以上の結果より両立体異性体のin vivoでの活性差には腫瘍内におけるhsp90阻害とそれに伴うアポトーシス誘導が関与している可能性が示唆された。

以上の研究により、以下の諸点が明らかになった。

1) RAは活性化K-rasシグナル伝達阻害活性を有しており、hsp90への結合とその結果生じる raf-1 depletion が作用メカニズムと考えられる。

2) RAの癌細胞増殖抑制効果にはhsp90阻害とそれに伴うclient protein選択的消失活性が重要であり、オキシム誘導体のin vivo抗腫瘍活性においても腫瘍内での hsp90阻害が抗腫瘍効果発現に関わっていると考えられる。

3) オキシム誘導体KF58333は悪性固形腫瘍であるホルモン非依存性erbB2高発現乳癌細胞に対して優れた抗腫瘍効果を示す。この時、erbB2、Akt等のclient depletionを介した増殖シグナルやアポトーシス抑制シグナルの遮断が重要であり、この活性にはオキシム側鎖の立体構造が影響する。

審査要旨 要旨を表示する

 Hsp90は分子量90kDaの分子シャペロンとして知られている蛋白であるが、他の分子シャペロンから際立って特徴づけられる点は細胞内シグナル伝達経路に関わる分子と特異的に複合体を形成しその安定性・局在・機能発現に関与していることである。これら一連のhsp90結合蛋白は "hsp90 client protein" と呼ばれており、癌細胞の増殖・生存維持に重要なキナーゼなどのシグナル伝達因子や転写因子など癌分子標的療法のターゲットと考えられている分子が数多く含まれている。よって、hsp90の機能を阻害すると間接的かつ多発的にこれら複数のclient protein 不安定化や機能阻害を引き起こす結果、癌細胞の増殖阻害やアポトーシス誘導へと導く新規メカニズムを有する抗癌剤となりうる可能性が考えられる。

 本研究では、がん細胞増殖シグナル伝達阻害活性を示す天然物Radicicol (RA)の細胞内標的分子を初めて明らかにすると共に、標的分子として明らかとなったhsp90の抗癌剤標的としての可能性に関してRAオキシム誘導体を用いて解析することによって以下の成果を得た。

1. RAによるraf-1 depletion活性(hsp90 client depletion) を介したシグナル伝達阻害作用

 ヒト大腸癌、膵臓癌等で高頻度に活性化変異が見られるK-rasに着目し、その下流の細胞増殖シグナル伝達阻害剤を見出すために、出芽酵母と哺乳類のシグナル伝達経路の類似性を利用した活性化K-ras-MAPKカスケードシグナル伝達再構成系を構築し低分子阻害剤スクリーニングを行った結果、明らかなシグナル伝達阻害作用を有する化合物としてRAを再発見した。上記酵母系での活性は動物細胞系においても再現し、RAはヒト大腸癌由来の活性化変異K-ras遺伝子導入細胞において、K-ras下流のMAPKリン酸化亢進を抑制した。さらにRAの作用点を明らかにしていく過程において、rasのエフェクター分子であるraf-1蛋白がRA処理により細胞内で消失(depletion)し、それに伴ってraf-1以降のMAPKカスケードシグナルが遮断されることを見出した。このような、raf-1 depletion作用は当時報告されていた天然物Geldanamycin(GA) と類似の活性であった。GAは当初チロシンキナーゼ阻害剤として見出されたがチロシンキナーゼに対する直接阻害作用は弱く、その後の研究によりhsp90を阻害する化合物である事が明らかにされた経緯がある。Raf-1はhsp90 client proteinの一つであり、GAによるhsp90阻害の結果細胞内で不安定化されdepletionが引き起こされる。RAとGAは構造的に異なる化合物であるが、両化合物ともに同じhsp90 N末端領域に直接結合しその機能を阻害する事を証明した。

2. RA誘導体(KF25706)の in vitro, in vivoでの抗癌活性とhsp90阻害作用から見た活性相関

 Hsp90阻害作用が抗腫瘍効果発現に繋がることは、GAを用いた実験からも十分な証明がなされていなかったことから、RAの血中不安定性を改善したオキシム誘導体radicicol 6-oxime (KF25706)を用いてhsp90阻害と抗腫瘍活性の関係を明らかにすることを試みた。KF25706はヒトがん細胞を用いたin vitro抗細胞活性実験において幅広い癌種に対してRAと同等以上の強い抗細胞活性を示す。最も強い感受性を示したerbB2高発現ヒト乳癌細胞SK-BR-3を用いた解析により、KF25706がhsp90 client protein (erbB2、raf-1, cdk-4, 変異型p53) を選択的にdepletionさせる活性を有すること、またその活性と抗細胞活性との相関が見られることを明らかにした。また、GA affinity beads との競合反応系を用いてhsp90に対する直接結合を調べた結果、KF25706のhsp90結合活性はRAの約3倍増強されていた。一方、KF25706の1/10以下の抗細胞活性しか示さない不活性誘導体KF29163はhsp90結合活性においても1/10以下に減弱しており、細胞系におけるclient depletion活性を示さなかった。これら結果より、RA誘導体のin vitro抗細胞活性にはhsp90結合とそれに伴うclient protein depletionが関与する事が示唆された。さらに、KF25706はヌードマウス皮下に移植した乳癌MX-1、MCF7、大腸癌DLD-1、類表皮癌A431など種々のヒト癌xenograft系に対して静脈内投与により明らかな抗腫瘍効果を示した。また、KF25706投与後の腫瘍を摘出して解析を行った結果、腫瘍内においてclient protein (raf-1, cdk-4) の明らかなdepletionが起こっていた。一方、血中不安定性のためマウスモデルでは活性を示さない親化合物RAならびに不活性誘導体KF29163はともに腫瘍内cleint depeltion を起こさなかった。以上の結果より、KF25706は臨床上応用可能な静脈内投与によって腫瘍内においても hsp90の阻害ならびにclient proteinの消失を引き起こし、そのことが抗癌活性に重要であると考えられた。

3. RA誘導体KF58333のerbB2高発現乳癌に対する抗癌活性とオキシム側鎖の立体異性体(KF58332)との活性差に関する解析

 RAオキシム誘導体はオキシム側鎖立体異性の混合物(E/Z体)として合成されるが、KF55823(6-O-[2-(2-pyrrolidonyl)-ethyl] radicicol oxime) からのHPLC立体異性体分離によりKF58333(E体) と KF58332(Z体) を得る事ができる。ヒト乳癌細胞パネルを用いた抗細胞活性解析の結果、2つの立体異性体間には明らかな活性差が存在し、KF58333(E体)がすべてのヒト乳癌細胞に対してKF58332(Z体)を上回る活性を示した。またこの高活性体KF58333が乳癌の中でも悪性度が高いとされるホルモン非依存性erbB2高発現細胞に対して強い活性を示したことより、同特徴を有するKPL-4細胞を用いて難治性乳癌に対する抗癌剤としての可能性を検証するとともに、立体異性体(KF58332) との比較による作用メカニズム解析を行った。

 KF58333 はKPL-4細胞に高発現しているerbB2蛋白をはじめとする client proteinを 0.1μMの低濃度で消失させるとともに、この細胞で恒常的に活性化しており、アポトーシス抑制シグナルに関与する Akt を消失させる活性を有する事を新たに見出した。オキシム立体異性体KF58332では、これら活性も減弱しており細胞増殖抑制活性差との相関が見られた。アポトーシス抑制に関与するAktの消失が起こる事からTUNEL法によるアポトーシス誘導能の解析を行った結果、KF58333処理による明らかなアポトーシス誘導が確認され、この活性に関してもKF58332との活性差が再現していた。以上の結果より、KF58333がhsp90阻害を介したerbB2 depletion等による増殖シグナルの阻害、ならびにAkt depletionによる生存シグナルの遮断によるアポトーシス誘導を引き起こし、抗癌活性を示す可能性が示唆された。さらに、KF58333はヌードマウス皮下移植KPL-4 xenograftに対する投与実験で優れた抗腫瘍効果を示した。興味深い事にオキシム異性体KF58332はKF58333と同量を投与しても腫瘍の増殖に影響を与えず明らかな活性差が見られた。両立体異性体間に静脈内投与後の血中濃度推移には大きな差は見られなかったが、KF58333を投与した腫瘍内でのみ erbB2, Aktの明らかなdepeltionが見られるとともにアポトーシスが明らかに促進されていた。以上の結果より両立体異性体のin vivoでの活性差には腫瘍内におけるhsp90阻害とそれに伴うアポトーシス誘導が関与している可能性が示唆された。

以上、本研究は細胞増殖シグナル伝達阻害活性を示す低分子化合物RAの作用メカニズムがhsp90の阻害を介したhsp90 client proteinの阻害によること、ならびにhsp90がerbB2高発現乳癌をはじめとするhsp90 client proteinが癌化形質の発現に関与する固形癌等に対する新たな抗癌剤標的分子であることをRAオキシム誘導体を用いて明らかにし、今後の抗癌剤開発に多くの示唆を与える研究であり博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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