学位論文要旨



No 215325
著者(漢字) 坂根,康夫
著者(英字)
著者(カナ) サカネ,ヤスオ
標題(和) 凍結レプリカ法による磁気ディスク用潤滑液の耐摩耗性の解明
標題(洋)
報告番号 215325
報告番号 乙15325
学位授与日 2002.04.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15325号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中尾,政之
 東京大学 教授 田中,正人
 東京大学 教授 光石,衛
 東京大学 助教授 松本,潔
 東京大学 講師 鈴木,健司
内容要旨 要旨を表示する

 近年、インターネットの普及と情報のマルチメディア化が進み、コンピュータの高速化と取り扱うデータの巨大化とが進んでいる。そのような中で現在まで、このコンピュータで取り扱う各種データの内部/外部主記憶装置として、ハード磁気ディスクドライブがその主役の座を占め、絶え間無い高速化/大容量化が図られてきている。この理由として、

(1)面記録密度が高く、小型化も容易である。

(2)データ書き込みと読み出しが速い。

(3)メインCPUからのアクセスが高速で、データ転送レートが高い。

(4)ビットあたりの単価が他のメモリと比較して安い。

(5)不揮発メモリであり、データの保存が容易である。

 等が挙げられる。中でも面記録密度の上昇は速く、最近では年率100〜150%での増加している。このようなハード磁気ディスクドライブの優位性を常に確保し、さらなる高密度化を達成するため、磁気ヘッドと磁気ディスクのすきま(スペーシング)を小さくし続けることが重要になる。なぜなら、磁気スペーシングが小さいほどヘッドからの書き込み磁束は鋭くなり、より小さなエリアを1ビットとして記録できるからである。同時に、磁気ヘッドと磁気ディスクの狭スペーシング化は、両者の接触を原因とするお互いの摩耗の発生を引き起こし、両者の破壊に至る可能性を高くする。このため、通常、磁気ディスク表面はアモルファスのカーボン保護膜で覆われ、更にその表面にはフッ素系の潤滑液が塗布される。磁気ディスク装置の安定した長期間の信頼性を確保するためには、磁気ディスク表面のうねりの低減(面の平坦度の向上)や、薄い保護膜の強靱化とともに、潤滑液の付着形態とその作用機構を詳細に解析し、耐久性の高い潤滑液層の設計をすることが、必須である。ちなみに、2001年には面記録密度が約8[GB/cm2]程度に達し、その場合のスペーシングは10[nm]を下回る。

 潤滑液の解析には、従来から赤外分光法、エリプソメトリ法、X線光電子分光法、二次イオン質量分析法、走査型トンネル顕微鏡観察などが試みられているが、いずれの手法もnmオーダの空間分解能は有さず、潤滑液の付着状態を損なわずに形態観察することができなかった。

 そこで本研究は、以下のような項目を目的として実施した。まず、潤滑液のサブμmオーダの付着形態を観察するために、nmオーダの空間分解能を持つ新しい観察手法を開発する。次に、この手法を用いて、磁気ディスク保護膜表面に存在する潤滑液が、初期状態としてどのように付着しているかを直接観察する。これにより、従来からの議論となっている、潤滑液のアイランド構造での付着の有無について明確な結論を出す。そしてさらに、この手法を用いて、磁気ヘッドと磁気ディスクとを接触摺動させた後の摺動エリアでの、潤滑液の付着状態観察を行い、接触する磁気ヘッドと磁気ディスクとの間で発生する摩耗に関して、潤滑液の耐摩耗性を明らかにする。この時、潤滑液の分子量の変化が付着状態と耐摩耗性とに対してどのように影響するかについても、直接観察を通して明らかにする。最後に、これらの知見を統合して潤滑液の付着状態のミクロなモデルを新しく提案し、次世代の磁気ディスクに求められる潤滑液の層構造の設計指針を得る。

 本研究の結論を次にまとめる。

(1)本研究では、磁気ディスク上のnmオーダの極薄有機膜である潤滑液層の付着状態を観察するために、試料を凍結状態にしたままプラズマ重合カーボン膜で覆い、そのカーボン膜を潤滑液表面の凹凸の形状レプリカとして利用し、透過型電子顕微鏡もしくは原子間力顕微鏡で常温で観察する、「凍結レプリカTEM法/凍結レプリカAFM法」を新たに開発した。これにより、nmオーダの空間分解能での潤滑液の付着形態の観察が可能となった。

(2)凍結レプリカTEM法を用いた観察の結果、潤滑液のボンド層の付着形態は、均一に全面を覆う付着層(均一分布層)と、その中に潤滑液が離散的に凝集したクラスタ群(凝集クラスタ群)とからなる2元構造であることを明らかにし、従来信じられてきたような単純なアイランド状の付着状態ではないことが明らかになった。観察像と付着形態を模式的に示す。クラスタは表面に半球状に存在しており、高さと直径のアスペクト比は約1:10であり、クラスタの高さは分子量が大きい方が高くなるが、数nmである。

(3)凍結レプリカAFM法でCSS後の磁気ディスク表面を観察すると、摩耗で発生した新生面にも潤滑液が観察された。これから、磁気ヘッドと磁気ディスクとが接触することで潤滑液層は摩耗するが、同時に摩耗した潤滑液が新生面へ供給されることを確認した。この潤滑液の摩耗と再付着との繰り返しがバランス良く発生しているために、固体表面の摩耗の進行が防止されることが磁気ディスクにおける潤滑の基本メカニズムである。

(4)凍結レプリカAFM法による観察とCSS・連続摺動試験とでわかったことだが、局所的に偏ることなく2元構造で表面に分布して、より高い被覆率で表面を覆う潤滑液ボンド層は、より高い耐摩耗性を示す。そのためには、ボンド層の均一分布層を保護膜カーボン上に、これ以上厚く化学吸着しなくなるまでディップさせる、飽和吸着処理が重要である。また、ボンド層の上に少量のモバイル層をプラスすると、耐摩耗性は更に大きく改善する。

(5)超臨界流体抽出法と凍結レプリカAFM法での観察とでわかったことだが、潤滑液を飽和吸着させた場合、その分子量が大きくなるに従って、ボンド層の2元構造における均一分布層の厚みが増加する。また、凝集クラスタ群の形状は分子量で決まり、分量量が大きいほど、クラスタの高さと直径は大きくなり、付着量が増えるとその数が増加する。そしてそのクラスタの高さは分子量に寄らず常に、その分子のジャイレーション半径の約3倍であった。

(6)超臨界流体抽出法とCSS・連続摺動試験とでわかったことだが、分子量が大きいボンド層が付着した表面ほど、耐摩耗性も向上する。これは、分子量が大きいほど潤滑液分子のポリエーテル主鎖が長くなるために、分子内のモビリティが大きくなり、自己潤滑性が高くなるためと考えられる。

 最後にまとめると、磁気ディスクの潤滑液の耐摩耗性を向上するには、表面に存在する潤滑液の量だけが問題ではなく、潤滑液が高い被覆率で均一に分布していることが高い耐摩耗性を実現する、そのためには、潤滑液の付着状態をnmオーダで観察して潤滑液の種類やその分子量や付着量を磁気ディスクドライブの方式に合わせて適切に設計することが重要である。また、本研究で得られた知見である、「表面を分子レベルでできる限り覆うように潤滑液のボンド層を形成した上に、潤滑性と修復性に優れる薄い潤滑液のモバイル層を形成するという2層構造による潤滑」という考えは、磁気ディスクに限らず一般的に応用できる薄膜潤滑液の基本デザインである。

潤滑液表面の凍結レプリカTEM像

磁気ディスク表面の潤滑液の付着形態を示す模式図

低分子量潤滑液のボント層を有するディスクのレプリカAFM像(1×1μm画像)

中分子量潤滑液のボンド層を有するディスクのレプリカAFM像(1×1μm画像)

高分学量潤滑液のボンド層を有するディスクのレプリカAFM像(1×1μm画像)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「凍結レプリカ法による磁気ディスク用潤滑液の耐摩耗性の解明」と題し、7章からなる。

 近年、インターネットの普及と情報のマルチメディア化が進み、コンピュータの高速化と取り扱うデータの巨大化とが進んでいる。そのような中で現在まで、このコンピュータで取り扱う各種データの内部/外部主記憶装置として、ハード磁気ディスクドライブがその主役の座を占め、絶え間無い高速化/大容量化が図られてきている。中でも磁気ディスクの面記録密度の上昇は速く、最近では年率100〜150%で増加している。今後もこのような延び率を維持しながら、さらなる高密度化を達成するためには、磁気ヘッドと磁気ディスクのすきま(スペーシング)を小さくし続けることが重要になり、2002年現在でそのスペーシングは10[nm]を下回っている。なぜなら、磁気スペーシングが小さいほどヘッドからの書き込み磁束は鋭くなり、より小さなエリアを1ビットとして記録できるからである。しかし同時に、この狭スペーシング化は、磁気ヘッドと磁気ディスクとの接触を原因とするお互いの摩耗の発生を引き起こし、両者の破壊に至る可能性を高くする。このため、様々な手段により磁気ディスク装置の安定した長期間の信頼性を確保することが行われているが、磁気ディスク表面にナノメートルオーダの厚みで塗布された極薄潤滑液層の付着形態とその作用機構を詳細に解析し、耐久性の高い潤滑液層の設計をすることが高信頼性の達成には必須である。このような現状から、本研究は極薄潤滑層の付着状態を観察する新たな手法を開発し、その観察結果をもとにして潤滑液層の耐摩耗性のメカニズムを解明し、次世代の高性能潤滑液層の設計指針を得ることを目的として行われたものである。

 第1章は「序論」であり、研究の背景と目的、本論文の構成について述べられている。また、磁気ディスク装置の現状と、これまでに行われてきた潤滑液層の解析や観察に関す研究について紹介し、従来の方法では空間分解能が不十分であることを指摘している。

 第2章は、本研究で開発した「凍結レプリカ法」と呼ぶ新しい観察手法について解説している。この方法により、本研究ではnmオーダの空間分解能で潤滑液の付着形態観察を可能にしている。

 第3章は、凍結レプリカ法と透過電子顕微鏡観察とを組み合わせることにより、ジルコニア保護膜上の潤滑液の付着状態を観察している。観察から、潤滑液のボンド層は均一に全面を覆う付着層(均一分布層)と、その中に潤滑液が離散的に凝集したクラスタ(凝集クラスタ群)とからなる2元構造であることを初めて明らかにしている。これにより従来からの潤滑液の付着形態についての議論(単純なアイランド型)に決着をつけ、Stranski-Krastanov型の付着形態で有ることを見いだしている。

 第4章は、凍結レプリカ法と原子間力顕微鏡とを組み合わせることにより、カーボン保護膜上での潤滑液の付着形態観察にも応用できることを示している。ジルコニア保護膜での場合と同様に、カーボン保護膜上でも均一分布層と凝集クラスタ群という2元構造で潤滑液が付着していることを明らかにしている。また、CSS試験後の磁気ディスク表面の潤滑液層を観察することにより、磁気ヘッドと磁気ディスクとの接触により潤滑液層は摩耗するが、同時に新たな場所への再付着が発生していることも確認され、この摩耗と再付着との繰り返しがバランス良く発生していることが磁気ディスクにおける長期間の耐久性を説明するものであると述べている。同時に、より高い被覆率で表面を覆うボンド層は、より高い耐摩耗性を示すので、ボンド層の均一分布層をこれ以上化学吸着しなくなるまで付着させる飽和吸着処理が重要であることも観察から導いた。

 第5章では、分子量の異なる潤滑液を、超臨界流体抽出法を用いて狭い分子量分布で分離・塗布し、凍結レプリカAFM法により観察を行っている。分子量が付着形態に与える影響として、その分子量が大きくなるに従って、ボンド層の2元構造における均一分布層の厚みが増加し、凝集クラスタ群の高さと直径が大きくなることを明らかにしている。この時、そのクラスタの高さは分子量によらず、その分子量での分子ジャイレーション半径の約3倍であることを見いだした。

 第6章では、得られた知見をもとに、磁気ディスク装置の各種の起動・停止方式に合わせた最適な潤滑液の設計手法についてまとめている。

 第7章は「結論」であり、上述した内容を総括している。

 以上を要すると、磁気ディスクの潤滑液の耐摩耗性を向上するには、表面に存在する潤滑液の量だけが問題ではなく、潤滑液が高い被覆率で均一に分布していることが高い耐摩耗性を実現すると結論している。そのためには、潤滑液の付着状態をnmオーダで観察して潤滑液の種類やその分子量や付着量を磁気ディスクドライブの各方式に合わせて適切に設計することが重要であることを明らかにしている。また、本研究で新たに開発した凍結レプリカAFM法は、その形状が柔らかく観察が難しい液体有機薄膜の形態観察に広く応用できる手法である。そして本研究で得られた知見である、「表面を分子レベルでできる限り覆うように潤滑液のボンド層を形成した上に、潤滑性と修復性に優れる薄い潤滑液のモバイル層を形成するという2層構造による潤滑」という考えは、磁気ディスクに限らず一般的に応用できる薄膜潤滑液の基本デザインであり、機械工学およびトライボロジに寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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