学位論文要旨



No 215328
著者(漢字) 須田,新
著者(英字)
著者(カナ) スダ,アラタ
標題(和) 塗布型クロメート皮膜の構造と防食機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 215328
報告番号 乙15328
学位授与日 2002.04.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15328号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴田,浩司
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 助教授 篠原,正
 東京大学 助教授 山下,勝
 東京大学 助教授 山口,周
 東京大学 助教授 岡部,徹
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 塗布型クロメート処理皮膜は、"Cr(VI)-Cr(III)-酸"の水溶液を金属表面に塗布し乾燥することにより得る、Cr化合物の金属防食皮膜である。

 クロメートに関するこれまで基礎研究例、特に塗布型クロメートに関する基礎研究は、薄膜であることと実用化が近年であるために、研究例が少なく理論的な裏付けを必要としていた。

 本研究では、基本組成の塗布型クロメート、およびその組成中に主要添加物であるシリカ(sio2)微粒子を添加した場合について、乾燥過程における成膜機構、皮膜構造の変化、さらに防食機構について総合的に解析を行い、今後の改良開発研究のための指針を得ることを目的とした。

2.論文構成と研究結果

 第1章では、従来の研究と本研究の構成について述べ、従来の研究における本研究の位置付け、および対象とするクロメート液組成の選定理由、解析方法についての基本姿勢を述べた。

 第2章では、基本組成クロメート皮膜の乾燥昇温時における構造変化について、熱分析の結果を基に、質量解析、XPSあるいはIR分析により解析を行った。

 この結果から、300℃以下において、クロメート皮膜を3つの構造(状態)に整理した。

 つまり、85〜200℃の間にある吸熱反応、200℃以上300℃をピークとした発熱反応があり、85℃の皮膜を第1状態、200℃を第2状態、300℃を第3状態とした。

 ここで、第1状態〜第2状態のクロメート皮膜の変化は、Cr3+を中心とした縮合反応(高分子化)が生じる。第2状態〜第3状態の変化は、脱酸素還元による分解反応(低分子化)であることを明らかにした。また、クロメート皮膜の水難溶成分と可溶成分の防食機構における役割を説明し、これらの組成分析を行った。

 その結果、各状態における皮膜の水可溶成分は、主としてCr(VI)、および少量のCr(III)で構成され、水難溶成分の大部分は、非晶質CrPO4として構成されており、さらにCr(VI)が固定化されていることが判明した。

 以上の解析結果をまとめ、クロメート皮膜の乾燥温度による構造変化を図1のように推定した。

 第3章では、塗布型クロメートの最も主要な添加物であるシリカ微粒子を添加した塗布型クロメートについて、クロメート皮膜中へのシリカ添加量と乾燥温度の影響、さらにシリカ添加クロメートの皮膜構造について、熱分析、質量解析により解析した。

 その結果、シリカとCrイオン共存時のCrイオン(クロメート成分)の受ける影響、および両者の結合状態を明らかにした。ここで、シリカは希釈効果によりCrイオン種間の多核錯体化を妨げるが、クロメート成分を架橋基としてシリカ粒子同士が結合すると考えられたことから、結果的に低乾燥温度で高分子化した皮膜が形成されるものと推定した。

 また、乾燥皮膜中のシリカは、クロメート成分中のアニオンなどを架橋基として配位架橋しており、シリカ粒子問は結合した構造を持つものと推定した。

 以上の結果から、シリカ無添加クロメートは、乾燥することによりクロメート成分が縮合した高分子化皮膜構造を取っていたが、シリカ含有クロメートはシリカ粒子間がクロメート成分などで結合された図2に示すような皮膜構造を取っているものと推定した。

 第4章では、耐食性に及ぼすシリカの添加効果について、添加量と乾燥温度の影響を検討した。また、腐食環境の影響についても検討した。

 その結果、シリカ添加により著しい耐食性の向上が認められた。ここで、高耐食性を発揮する最適シリカ添加量と乾燥温度は、腐食環境により異なることを明らかにした。

 このことは、Crおよびシリカ固定率の腐食環境中における減少パターンが異なることなどから、シリカ含有クロメート皮膜の耐食性は、液組成や処理条件といった1次的な条件より、成膜後に曝される腐食環境などの2次的な条件に強く影響されることを明らかにした。

 シリカ添加クロメートの防食性は、シリカ添加により強固な皮膜が形成され、腐食因子の透過抵抗として作用するバリヤー(物理的)防食効果と、さらにバリヤー効果のみで説明不可能な防食効果があり、これはシリカの吸脱着作用などの化学的な防食効果によるものと推定した。ここで、物理的防食機構については、acインピーダンス測定法とXPS解析を用いて強固な皮膜が形成されることを明らかにした。

 第5章では、クロメート皮膜中のシリカの化学的な防食作用について、シリカ粒子とCrイオン相互の、水溶液中における吸着脱着挙動について、電気伝導度と原子吸光分析法を用いて検討した。

 その結果、酸性水溶液中において、シリカ表面にCr(VI)イオンが吸着し、アルカリ水溶液中においては、既にシリカに吸着していたCr(VI)イオンが脱着することがわかった。

 シリカ添加クロメートの化学的防食機構のひとつは、金属腐食反応によるpH変化により起こるもので、金属腐食のアノード酸性領域において、シリカはCr(VI)イオンを吸着固定する。また、カソード塩基性領域では、既にシリカに吸着していたCr(VI)イオンが脱着する。

 つまり、シリカを含有しないクロメート皮膜が、大部分のCr(VI)イオンを単に系外に流出していたことに比較して、シリカ添加クロメート皮膜は、シリカの吸脱着性により、溶出Cr(VI)イオンを保持(吸着)、溶出(脱着)し効率良く自己補修作用を発揮して防食に寄与するものと推定した。

 第6章では、クロメート皮膜の金属防食機構について、クロメート皮膜の欠陥部などの露出金属部を防食する現象としての自己補修作用について、クロメート処理亜鉛めっき鋼板に人工欠陥部を付与し、SVET(走査振動電極法)、acインピーダンス測定法、XPS解析により腐食防食挙動を解析した。

 その結果、クロメートの防食機構は、皮膜欠陥部などを防食する現象としての自己補修作用が寄与していることを実験的に明らかにした(図3)。さらに、この作用はクロメート皮膜の水可溶成分によるものであることを推定し、皮膜状態によりCrイオンの溶出持続性が異なり、これに従って自己補修作用による防食性が変化し、耐食性も変化することを明らかにした。

 また、シリカ添加有無のクロメート処理冷延鋼板について、同様にSVETを用いて、自己補修作用に及ぼすシリカ添加の影響を検討し、シリカによる自己補修作用の持続性延長効果を明らかにした。ここで、シリカの耐食性向上機構について、シリカ粒子とCr(VI)イオンの吸脱着現象により自己補修作用が発現する期間が延長されるためと推定し、第4章の結果を裏付けた。

 XPS解析では、自己補修作用により、皮膜欠陥部などの金属表面に新たにクロメート皮膜が再形成することを確認した。

 クロメート皮膜は、極薄膜であるにも関わらず、この自己補修作用を有することにより高防食性能を発揮するということが理解された。

 第7章では、第6章で解析したクロメートの自己補修作用について、解析試料を工夫して同章の解析方法を応用することにより、反応型クロメート処理亜鉛めっき鋼材の自己補修作用を定量的に検証した。さらに、XPS解析結果により自己補修機構を考察した。

 その結果、クロメート皮膜の自己補修作用は、acインピーダンス測定により腐食反応抵抗値の増加、およびSVET測定により腐食面積、腐食電流値の減少として確認し、明らかにした。さらに、自己補修作用はクロメート皮膜から溶出する主成分であるCr(VI)イオンが、皮膜形成型インヒビター、およびアノードインヒビターとして作用し防食効果を発揮することを推定した。

 第8章では、研究の総括、および応用について述べた。

3.まとめ

 基本組成の塗布型クロメートについて、本研究により明らかにした点は以下の通りである。

(1)クロメート皮膜の乾燥温度による構造変化

 基本組成のクロメート皮膜は、乾燥温度300℃以下で2つの熱反応を有すことから、反応の生じる前後の温度において、3つの皮膜構造を有する。また、皮膜構造変化によって、皮膜の水可溶成分と難溶成分の組成、および量が変化するので、それに従い諸物性が変化する。

(2)クロメート皮膜中シリカの防食作用

 クロメート皮膜中のシリカの防食作用は、腐食因子に対する物理的なバリヤー効果、および化学的な作用として、シリカ粒子表面へのCrイオンの吸脱着能が関与する。

(3)クロメート皮膜の自己補修作用による防食作用

 クロメート皮膜の金属防食能には、自己補修作用が寄与する。この作用は、クロメート皮膜の水可溶成分により生じるものであり、乾燥温度による皮膜構造変化に従って、可溶成分も変化するのでその作用効果も変化する。また、クロメート皮膜中のシリカによるCrイオンの吸脱着能は、自己補修作用に寄与する。

 以上の本研究で得られた結果は、およそ未解明であった塗布型クロメートの成膜機構や乾燥処理温度の作用効果、並びにクロメート皮膜へのシリカの添加効果、自己補修作用による防食機構などについての基礎的な理論となり得るものであり、工業的に利用すれば、目的の物性を持つクロメート処理液組成や、最適クロメート処理条件を設計するための基礎理論の一端になるものと考える。

図1塗布型クロメート皮膜の乾燥温度による構造変化

図2クロメート皮膜中のシリカ粒子とクロメート成分結合モデル図

図3欠陥部を付与したクロメート処理亜鉛めっき鋼板の腐食電流分布の経時変化(SVET)

審査要旨 要旨を表示する

 自動車,家電製品,建築物などの金属部材には,その耐食性および塗装膜との密着性を向上させることを目的として,クロメート処理やリン酸塩処理などの表面処理が施されているが,現在ではその50〜70%は耐食性に優れたCr化合物皮膜を得るクロメート処理である.なかでも,「Cr(VI)-Cr(III)-酸」水溶液を金属表面に塗布-乾燥させる塗布型クロメート処理は,「Cr(VI)-酸」水溶液中で処理を行なう従来の反応型クロメート処理に対して,処理中にCrが環境中に放出されないため,全クロメート処理の80〜90%を占めるに至っている.従来から,クロメート皮膜から溶出するCr(VI)イオンが防食作用に重要な役割を果たしていると言われてきたが,この効果は必ずしも明らかにされてはいなかった.本論文は,塗布型クロメート処理法において最も重要であるにもかかわらずこれまで不明な点が多かったクロメート皮膜の構造とその防食機構について検討したものであり,8章よりなる.

 第1章は緒言であり,表面処理に関する既往の研究を総括して本論文の目的を明らかにするとともに,その構成について述べている.

 第2章では,基本組成クロメート皮膜の乾燥昇温時における構造変化について85〜300℃の温度範囲で検討している.その結果,乾燥温度によって3つの状態-低温側から第1状態,第2状態,および第3状態-を有することを見出し,以下,85,200および300℃を代表的な乾燥温度として検討を行なっている.ここで,第1状態〜第2状態のクロメート皮膜の変化はCr(III)を中心とした縮合反応(高分子化)であり,第2状態〜第3状態の変化は脱酸素還元による分解反応(低分子化)であることを明らかにした.また,クロメート皮膜の水難溶成分と可溶成分の組成分析を行い,各状態における皮膜の水可溶成分は主としてCr(VI)と非晶質CrPO4で構成され,水難溶成分は主として非晶質CrPO4で構成されている,と推定している.

 第3章では,塗布型クロメートの最も主要な添加物であるシリカ微粒子の影響について,シリカとクロメート成分の結合状態を中心に検討している.その結果,クロメート成分については,シリカの添加に伴って希釈されるため,それら同士が多核錯体化することはないが,それが架橋基として働き,シリカ粒子同士を結合させている,ことを見出した.また,このようなシリカの効果により,シリカ無添加クロメートが第2状態になる温度範囲でクロメート成分の縮合した高分子化皮膜構造を取っていたのに対して,シリカ含有クロメートは低乾燥温度においてもシリカ粒子間がクロメート成分などで結合された高分子化皮膜構造を取りうるとしている.

 第4章では,塗布型クロメートの耐食性に及ぼすシリカ添加の効果について検討している.その結果,シリカ添加により著しい耐食性の向上が認められるが,・その耐食性は,液組成や処理条件といった1次的な条件より,成膜後に曝される腐食環境などの2次的な条件に強く影響されることを明らかにした.また,シリカ添加クロメートの防食効果は,シリカ添加により形成された強固な皮膜が腐食因子の透過抵抗として作用する物理的なもの(物理的防食効果)だけでなく,シリカ上でのクロメート成分の吸着・脱離にともなう化学的なもの(化学的防食効果)も発現するとしている.

 第5章では,第4章で指摘されたクロメート皮膜中シリカの化学的防食作用について,Crイオンのシリカ粒子への吸着・脱離挙動を中心に検討している.その結果,化学的防食が金属腐食反応によるpH変化により起こるものであり,pH5.5以下である金属腐食に伴うアノードにおいてはCr(VI)イオンがシリカ上に吸着し,pH8.5以上のカソードでは既にシリカに吸着していたCr(VI)イオンが脱離することを明らかにした.すなわち,シリカを含有しないクロメート皮膜が大部分のCr(VI)イオンを単に系外に流出してしまうのに対して,シリカ添加クロメート皮膜中のシリカは,アノードではCr(VI)イオンを吸着固定し,カソードでは腐食インヒビターとなるCr(VI)イオンを放出することによって効率良く防食効果を発揮する,としている.

 第6章では,クロメート皮膜の金属防食機構のうち,皮膜欠陥部などの露出金属部が防食される現象(自己補修作用)について検討している.その結果,走査型振動電極法により露出金属部近傍の腐食電流密度分布をその場測定し,アノード電流-すなわち金属の溶解-が時間とともに低下するという防食作用(自己補修作用)の可視化にはじめて成功した.また,この作用が,Cr(VI)イオンを含む水可溶成分が露出金属部に吸着し,この部分に新たなクロメート皮膜が形成されることによって発現することを明らかにした.すなわち,クロメート皮膜は,極薄膜であるにも関わらず,この自己補修作用を有することによって優れた防食性能を発揮するとしている.

 第7章では,クロメート皮膜の自己補修作用について電気化学的にさらに詳しく検討し,この作用が腐食反応抵抗値の増加,および腐食面積と腐食電流の減少,として特徴付けられることを明らかにしている.また,こうした挙動は,クロメート皮膜の再形成だけでなくCr(VI)/Cr(III)の酸化還元反応に伴って生じる素地金属の不動態化にも起因する,としている.

 以上要するに,本論文は,現在最も多く使われている金属部材の表面処理法である塗布型クロメート処理において重要であるクロメート皮膜の構造とその防食機構の関係を解明し,亜鉛系めっき鋼板のクロメート処理方法などの開発に寄与するとともに,Cr(VI)イオン流出量のさらに少ないクロメート処理開発のための指針を与えるものであり,金属表面工学への貢献が大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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