学位論文要旨



No 215332
著者(漢字) 三浦,隆昭
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,タカアキ
標題(和) 酵素リガンド複合体のNMR解析 : ユビキチン結合酵素とミリスチン酸転移酵素への応用
標題(洋)
報告番号 215332
報告番号 乙15332
学位授与日 2002.04.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15332号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

 本論分は、1)多次元NMRによるヒトユビキチン結合酵素2b(HsUbc2b)の溶液構造決定ならびに化学シフトマッピング法を用いたHsUbc2bとユビキチンの結合領域の決定、2)transferred NOE(trNOE)法によるCandida albicansミリスチン酸転移酵素選択的阻害剤の酵素結合コンホメーション決定、の2部から構成される。

1)多次元NMRによるヒトユビキチン結合酵素2b(HsUbc2b)の溶液構造決定ならびに化学シフトマッピング法を用いたHsUbc2bとユビキチンの結合領域の決定

<ユビキチン結合酵素>

 ユビキチン結合酵素(Ubc,E2)は、真核細胞において選択的タンパク質分解シグナルとして重要な機能を持つユビキチン化に関わる酵素群の一つである。E2は、そのユビキチン結合システイン残基とユビキチン分子C末端のグリシン残基間にチオエステル結合を生成して、ユビキチンリガーゼの作用により標的タンパク質にユビキチン分子を転移する。ヒトユビキチン結合酵素2b(HsUbc2b,152aa)は、16種知られるヒトユビキチン結合酵素の一つで、ラットを使った筋萎縮性の抗悪疫質モデルにおいてこの酵素のmRNAレベルが増幅していることから、ユビキチン化による骨格筋の代謝昂進原因分子としての可能性が疑われている。ユビキチン結合酵素については、これまでに7つのホモログのX線結晶構造が報告されており、また、ユビキチンについてもX線ならびにNMRにより立体構造が決定されている。しかしながら、HsUbc2bの3次元構造ならびにユビキチン-ユビキチン結合酵素複合体に関する構造化学的な情報の発表はなかった。

<ヒトユビキチン結合酵素2bの溶液構造決定>

 HsUbc2bの立体構造を多次元溶液NMR法により決定した。NOE帰属には、スイス連邦工科大学で新たに開発されたNOE自動帰属プログラムCANDIDを用いた。構造計算はプログラムDYANAで行い、得られた構造をさらにAMBER力場を用いてプログラムOPALpによりエネルギー最小化を行った。構造計算には、NOE自動帰属プログラムより得られた1475のNOEに由来する距離制限情報、70の水素結合情報、ならびに286の2面角制限情報を用いた。得られた20の最終構造はよく収束し、残基4-148についてのRMSD値は、主鎖、側鎖重原子それぞれに対し0.69Å、1.39Åであった。HsUbc2bは、4つのαヘリックスおよび4つのβストランドからなる反平行β-シートを有するα/β型のコンホメーションを取っており、ユビキチン結合システイン残基は、第4βストランドと第2αヘリックス間を繋ぐ部分のほぼ中心に位置する(図1)。また、このシステイン残基上に、2つのループが張り出して浅い溝を形成しているが、{1H}-15N-NOESY測定から一方のループ(Gln115-Pro121)の運動性が高いことが分かった。このループの運動性が、ユビキチンとの相互作用に必要である可能性が考えられる。

<化学シフトマッピング法を用いたHsUbc2bとユビキチンの結合領域の決定>

 解析に供するユビキチン-HsUbc2b複合体の調製には、HsUbc2bのユビキチン結合システイン残基をセリン残基に置換した変異体HsUbc2b(C88S)を用い、化学的により安定な両タンパク質間のエステル結合複合体を調製した。また、両タンパク質のアミドグループにおける化学シフト変化は、ユビキチンまたはHsUbc2b(C88S)のいずれかについてのみ15Nラベルされた2つの異なる複合体を調製して測定した。ユビキチンでは、HsUbc2bとの相互作用は、主にC末端Val70-Gly76およびLys48,Gln49に見られた。一方、HsUbc2bでは、化学シフト変化を示した残基は、活性部位近傍である第2αヘリックスおよび第2第3α-ヘリックス間に位置するflexibleなループ部分に集中していた。また、HsUbc2bに対するユビキチンの滴定実験から、HsUbc2bが活性部位の裏側にあたるβ-シート部分でユビキチン分子と非共有結合的な弱い相互作用をしていることが分かった。これら化学シフト変化に関して得られた知見を基にユビキチン-HsUbc2b複合体モデルを構築した。ただし、複合体中でユビキチンとHsUbc2b両者間でNMRシグナルの線幅が異なっていることから、これら2分子の複合体中における相対的な位置関係にはある程度の自由度があると考えられた。

2)transferred NOE(trNOE)法によるCandida albicansミリスチン酸転移酵素選択的阻害剤の酵素結合コンホメーション決定

 抗真菌剤の新しい分子標的としての可能性が期待されているCandida albicansミリスチン酸転移酵素(CaNmt)に対する選択的阻害剤Ro09-3472/000誘導体の酵素結合構造をtrNOE法を用いて決定した。trNOE法は、酵素を含む複合体全体の構造を決めずに低分子阻害剤の酵素結合コンホメーションを決定するのに有効なNMR法であるが、観察されたtrNOEには、リガンドと酵素作用部位との特異的な結合から生じるものに加えて、非特異的な相互作用やスピン拡散効果からの寄与も含まれる場合があるので注意が必要である。ここでは、CaNmtの作用部位に高い親和性を持つ既知化合物1(図2)を用いて、Ro09-3472/000誘導体と酵素間の特異的な結合を阻害し、化合物1添加前後でNMR共鳴シグナルの線幅の変化を測定することにより、観察されたtrNOEが、酵素活性部位とテスト化合物との特異的な相互作用によるものであることを示すことができた。また同時にこれらの化合物に対し、ウシ血清アルブミン(BSA)を用いて非特異的なタンパク質結合活性の可能性についても試験した。

 試験した6つのRo09-3472誘導体のうち、Ro09-3700/001(ラセミ体)およびそのエナンチオマーであるRo09-4764/001(S,図2)、Ro09-4765/001(R)の3化合物は、CaNmtに対し特異的な結合を示し、かつ、BSAとの相互作用は示さなかった。そこで、trNOEを選択フィルターとしてコンホメーション検索を行った結果、Ro09-4764/001(図2)についてCaNmt結合コンホメーションを決定することができた(図3)。NMR由来のRo09-4764/001酵素結合コンホメーションを、X線結晶解析によって決定された2つのRo09-4764/001類縁体と比較した結果、これら3者はよく一致していることが分かった。

図1.HsUbc2b-NMR構造

図中、2次構造、N-,C-末端、活性部位およびflexibleループの位置を示した。

図2.化合物1(Ki(app)=0.031±0.003μM;Devades et al.(1998)J.Med.Chem.41,996-1000)およびRo09-4764/001の化学構造式

図3.Ro09-4764/001のCaNmt結合コンホメーションNMR構造22個の重ね合わせ

図に示した構造は、trNOEに由来する14の距離制限条件を用いて化合物のコンホメーションライブラリーから選択した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、核磁気共鳴(NMR)分光法を用いた酵素リガンド複合体の解析に関するもので、3章よりなる。研究対象とした2種の酵素(ヒトユビキチン結合酵素2bならびにCandida albicansミリスチン酸転移酵素)は、いずれも新規薬剤開発の標的分子として知られ、効率的かつ合理的な薬剤開発には、構造化学的な情報が必須である。そこで著者らは、これら2つの酵素リガンド複合体について、それぞれ化学シフトマッピング法および転移NOE法を応用してNMR解析を行った。

 第1章では序論として、まず本研究で用いられている2つのNMR測定法の原理、次に本論文の構成について述べている。

 第2章では、ヒトユビキチン結合酵素2b(HsUbc2b,152aa)に関する解析が述べられている。ユビキチン結合酵素は、真核細胞中、選択的タンパク質分解シグナルとして機能するユビキチン化に関わる酵素群の一つであり、そのユビキチン結合システイン残基とユビキチン分子C末端のグリシン残基間にチオエステル結合を生成して複合体を形成する。ヒトユビキチン結合酵素2b(HsUbc2b,152aa)については、ラット悪液質モデルを用いた実験から、ユビキチン化による骨格筋の代謝昂進との関与が報告されており、HsUbc2b-ユビキチン複合体に関する構造化学的な情報はHsUbc2bを分子標的とした抗悪液質剤開発に有益と考えられた。本研究では、まず多核多次元NMR法を用いてHsUbc2bの3次元溶液構造を決定した。NOE帰属については、自動NOE帰属プログラムCANDIDを用い、NMRによるタンパク質の構造決定において一般的にもっとも時間を要するNOE帰属の過程を効率的に行うことができた。得られた構造は、類縁タンパク質のX線構造と全般的によく一致することが示された。また、ユビキチン結合システイン残基上に張り出している2つのループのうち、一方について溶液中運動性が高いことを{1H}-15N-NOE測定から示すことができた。このループの運動性がユビキチンとの結合に必要である可能性が考えられる。

 次に化学シフトマッピング法を用いて、HsUbc2b-ユビキチン複合体の結合領域を明らかにした。その際、HsUbc2bのユビキチン結合システイン残基をセリン残基に置換した変異体を用い、化学的により安定なエステル結合複合体を調製した。また、両タンパク質の主鎖アミドグループにおける化学シフト変化は、ユビキチンまたはHsUbc2b(C88S)のいずれか一方が15N標識された2つの異なる標識複合体を調製して測定した。ユビキチンでは、HsUbc2bとの相互作用は、主にC末端Val70-Gly76およびLys48,Gln49に見られた。一方、HsUbc2bでは、化学シフト変化を示した残基は、活性部位近傍に位置する第2αヘリックスおよび第2第3α-ヘリックス間に形成されるループ部分に集中していた。また、HsUbc2bに対するユビキチンの滴定実験から、HsUbc2bが活性部位の裏側にあたるβ-シート部分でユビキチン分子と非共有結合的な弱い相互作用をしていることが分かった。これら化学シフト変化に関する情報を基にユビキチン-HsUbc2b複合体モデルを構築した。ただし、複合体中、ユビキチンとHsUbc2b両者間でNMRシグナルの線幅が異なっていることから、これら2分子の相対的な位置関係にはある程度の自由度があることが示唆された。ユビキチン分子を標的タンパク質に転移させるというユビキチン結合酵素の機能から考えて、"固い"複合体を形成しないというこの観察結果は妥当であると著者は考察している。

 第3章では、Candida albicansミリスチン酸転移酵素(CaNmt)の選択的阻害剤に関する転移NOE(trNOE)解析について述べた。CaNmtは、基質タンパク質N末端へのミリスチン酸付加反応を触媒する酵素で抗真菌剤の分子標的としての可能性が期待されている。trNOEは、酵素結合・解離の速い交換状態にあるリガンドについて、酵素結合構造を決定するのに有効なNMR法である。ただし、観察されたtrNOEには、リガンドと酵素作用部位との特異的な結合から生じるものに加えて、非特異的な相互作用やスピン拡散効果からの寄与も含まれる場合があるので注意が必要である。本研究では、非特異的結合については、既知のCaNmt選択的阻害剤を利用したリガンドの1次元1HNMRの共鳴線幅測定、また、スピン拡散についてはtrROEスペクトルの評価を行い、これらの影響を取り除くことに成功した。得られたtrNOEを用いて決定した阻害剤の酵素結合構造は、その後、類縁化合物について決定されたX線酵素結合構造とよく一致した。

 本研究は、細胞機能上重要なユビキチン化の過程を理解する上で鍵となる構造化学的情報を与えたものであり、また、trNOEの応用に際して一般的に問題となる点について解決法を提起するものである。さらに、これらの結果は、両分子を標的とした薬剤開発に有益な情報を与えるものであって、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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