学位論文要旨



No 215334
著者(漢字) 高松,大輔
著者(英字)
著者(カナ) タカマツ,ダイスケ
標題(和) Streptococcus suisの分子遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 215334
報告番号 乙15334
学位授与日 2002.04.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15334号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

 Streptococcus suisは豚に髄膜炎,心内膜炎および関節炎等を起こす病原菌で,まれに人にも感染し髄膜炎を起こすことがある。本菌には病原因子の候補がいくつか報告されているが,その起病性との関わりについては不明な点が多い。本菌における病原因子と発病メカニズムの解明を妨げている一因として,分子遺伝学的解析系の乏しさ,すなわち,本菌への遺伝子の導入や遺伝子の破壊を効率良く行うための宿主-ベクター系が開発されていないことが挙げられる。そこで著者は,S.suis体において遺伝子導入および遺伝子破壊を行うためのベクターを作製し,その有用性を実証するため,今回一連の実験を行い,以下の成績を得た。さらに,病原因子の候補の多くは全ての強毒株に保有されているわけではないという事実に着目し,その分子遺伝学的背景を推察するために,以下の解析を行った。

 まず,S.suis血清型2型DAT1株が小型のプラスミドpSSU1を保有していることを見出し,その全塩基配列を決定した。その結果,pSSU1は全長4,975bpで,6つのopen reading frame(ORF)を含んでいた。FASTAおよびBLASTを用いた相同性検索の結果,6つのORFにコードされる蛋白質のうち,ORF1,0RF2,およびORF5は,Streptococcus agalactiae由来のプラスミドpMV158上にコードされるCopG,RepB,およびMobにそれぞれ高い相同性があり,さらにORF4はStreptococcus ferus由来のプラスミドpVA380-1上にコードされるORF3に高い相同性があった。しかし,ORF3およびORF6については高い相同性を示す既知の蛋白質は見つからなかった。pMV158のcopGおよびrepB遺伝子は,このプラスミドのrollillg circle(RC)型の複製に関与する遺伝子であり,さらにpSSU1上には,RC型の複製をする際に重要な2回順向きに繰り返す配列と2箇所のreplication origin(ori),すなわちdouble-strand oriおよびsingle-strand oriも存在したことから,pSSU1は,RC型の複製をするpMV158 familyに属するプラスミドであることが明らかになった。

 RC型の複製をするブラスミドは,グラム陽性菌内だけでなく陰性菌内でも複製可能であることが多い。そこで,pSSU1のRC型の複製に必要な遺伝子領域に,抗生物質耐性遺伝子およびマルチクローニングサイト(MCS)を含むlacZ遺伝子を付加することにより,3種のシャトルベクターpSET1,pSET2,およびpSET3を作製した。抗生物質耐性遺伝子としては,pSET1にはクロラムフェニコール耐性遺伝子(cat),pSET2にはスペクチノマイシン耐性遺伝子(spc),pSET3にはその両者を使用した。これらのベクターはS.suisだけでなくEscherichia coli,Salmonella Typllimurium,Streptococcus pneunoniae,およびStreptococcus equi subsp.equiへも効率よく導入することができた。また,E.coliでは,DNA断片がMCSに挿入された組換えブラスミドを持つ株を,X-ga1を用いたカラーセレクションによって選択することも可能だった。ところで,遺伝子解析のための宿主菌には,相同組換え頻度が低いrecA遺伝子変異株を使用することが多い。しかし,RC型の複製をするブラスミドの中には,recA遺伝子変異株内で不安定になるものもある。そこで,pUC19を用いて作製したS.suis recA遺伝子破壊株,既存のE.coli recA遺伝子変異株,およびそれらの親株を用いて,3種のベクターによる形質転換効率および各ベクターの菌内での安定性を調べた。その結果,recA遺伝子変異株に対する形質転換効率は,pSET2を用いた場合,E.coliでは同等または僅かに低下した程度だったが,S.suisでは著しく低下した。一方,pSET1およびpSET3を用いた場合は,いずれの菌種でも,その効率は著しく低下した。また,抗生物質による選択圧非存在下では,親株に比べrecA遺伝子変異株の方が、各ベクターの維持が不安定になることも明らかになった。次に,作製したベクターの有用性を実証するため,pSET2を用いてrecA遺伝子全長のクローニングとrecA遺伝子破壊株の相補試験を行った。その結果,E.coliではS.suisのrecA遺伝子全長をクローニングすることができなかったが,S.suisではクローニングに成功し,S.suis recA遺伝子破壊株のrecA遺伝子の機能を相補することにも成功した。これらの成績から,pSET1,pSET2,およびpSET3がシャトルベクターとしてだけではなく,E.coliではクローニングが困難なS.suisの遺伝子を,S.suisで直接クローニングして解析するためのベクターとしても有用であることを示した。

 これまでS.suisにおいて遺伝子破壊株を作製する際は,上述のごとくpUC19の様なグラム陽性菌内では複製ができないベクターを用いて,破壊したい遺伝子の一部をE.coliにクローニング後,その遺伝子断片をcoliベクターを形質転換の方法でS.suisに導入し,目的の遺伝子が相同組換えによって破壊された株を得ていた。しかし,ベクター上の遺伝子断片と染色体との間で相同組換えを起こした株を得るためには,組換えの頻度を上回る効率のよい形質転換系が必要となる。ところが,S.suisは一般に形質転換の効率が悪く,この方法は限られた株にしか応用できない。一方,他の菌では,形質転換の効率に拘わらず,高率に目的の遺伝子を破壊するために,低温ではプラスミドが維持されるが,一定温度以上では複製が阻害される温度感受性(Ts)ベクターを用いた方法が利用されている。このTsベクターを利用すれば,破壊したい遺伝子の一部を含むベクターを保有する株を,いったん低温で増殖させた後,培養温度をプラスミドが複製できない温度まで上げて,遺伝子破壊株を得ることができる。しかし,S.suisではTsベクターが利用されていなかったことから,今回,pG+host3のTs oriに,抗生物質耐性遺伝子(catまたはspc),MCSを含むlacZ遺伝子,およびE.coli内では培養温度に拘わらず複製ができるようにColE1ブラスミドのoriを付加した3種のS.suis用TsベクターpSET4s,pSET5s,およびpSET6sを作製した。ここで使用したTs oriはS.suis内だけでなくS.equisubsp.equi,Streptococcus equisubsp.zooepidemicus,およびStreptococcus dysgalactiae内においても,28℃ではoriとして機能するが,37℃ではその機能が阻害されることを確認した。次に,作製したTsベクターの有用性を実証するため,spcを持つpSET4sを用いて,S.suisが産生するコレステロール結合型細胞障害毒素suilysinの遺伝子(sly)の破壊を試みた。まず,slyの大部分をcatに置き換えたsly遺伝子領域(sly::cat)をpSET4sに連結したsly遺伝子破壊用プラスミドpSLYKを作製し,S.suis DAT2株に導入した。いったん28℃,クロラムフェニコールおよびスペクチノマイシン存在下でpSLYKを保有するS.suis DAT2株を増殖させた後,培養温度を37℃に上げ,クロラムフェニコール耐性菌を選択した。選択されたクロラムフェニコール耐性菌のうち,2.6%はスペクチノマイシンには感受性で,ダブルクロスオーバーにより染色体ヒのslyが完全にsly::catに置き換わったsly遺伝子破壊株だった。これらの成績から,今回作製したTsベクターは,S.suisの遺伝子を効率よく破壊するための有用な道具となることを示した。

 近年,ゲノムの全塩基配列決定の成績等から,細菌は同種または異種の間で,病原遺伝子や薬剤耐性遺伝子など多くの遺伝子を,水平伝播により交換していることが明らかになりつつある。また,本菌においても,制限修飾遺伝子が異種菌由来の外来遺伝子で,さらにS.suisの株間でも水平伝播したことが明らかになった。上述のsuilysinは,S.suisの病原因子の候補の1つであるが、全ての強毒株がsuilysinを産生しているわけではない。従って,本遺伝子の当該領域をsuilysin産生および非産生株で比較解析することは,水平伝播による病原遺伝子の拡散および本菌の進化について新たな知見を与える可能性がある。そこで,suilysin非産生性であるS.suis DAT1株のsly遺伝子当該領域の塩基配列を決定し,S.suis DAT2株のsly遺伝子領域の塩基配列と比較した。その結果,slyの上流と下流の遺伝子は両株に保存されていたが,DAT1株にはslyの代わりに全く異なる遺伝子orf102が存在した。slyまたはorf102の5'および3'末端に隣接する領域では,両株間でそれぞれ65.9および66.5%の相同性があり,これらの遺伝子の周辺領域には長い繰り返し配列や可動因子の痕跡は見つからなかった。次に,血清型1〜28型の参照株を含む計66株で,当該遺伝子領域の構造を調べたところ,この領域で遺伝子の再編成を起こしていた6株の例外を除く全ての株において,ゲノム上の同じ位置にslyまたはorf102のどちらかの遺伝子しか存在しなかった。この成績は,slyまたはorf102のどちらかの遺伝子が,可動因子に頼らない何らかの方法で異種菌から獲得された外来遺伝子であることを示唆する。さらに,血清型1〜28型の計43株で16S rRNA遺伝子による系統樹を作成し,各遺伝子型の分布を調べた結果,16S rRNA遺伝子の塩基配列が全く同じ株の中にも,slyを保有する株とorf102を保有する株の両者が存在することが明らかになった。また,全く同じ塩基配列の0rf102遺伝子を保有するDAT1株と血清型7型参照株が,系統樹上では比較的遠縁であることも明らかになった。

 これらの成績から,この遺伝子領域がS.suis株間でも水平伝播により交換されたことを示すだけでなく,S.suisにおける異種菌からの遺伝子の獲得および株間での遺伝了の交換は,制限修飾遺伝子等の特殊な遺伝子だけでなく,他の遺伝子領域でも起こっていることを示した。

 以上のように,本研究において確立したS.suisの遺伝子導入系および遺伝子破壊系は,今後,本菌だけでなく他のグラム陽性菌の病原因子の分子遺伝学的解析を行う際にも大いに貢献するものと期待される。さらに,sly遺伝子の水平伝播に関する知見は,S.suisの病原細菌としての進化およびその多様性獲得のメカニズムを解き明かす鍵になると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 Streptococcus suisは豚に髄膜炎,心内膜炎及び関節炎等を起こす病原菌で,まれに人にも感染し髄膜炎を起こすことがある。本菌には病原因子の候補がいくつか報告されているが,起病性との関わりについては不明な点が多い。本菌における病原因子と発病メカニズムの解明を妨げている一因として,遺伝子学的解析を行うための宿主.ベクター系が開発されていないことが挙げられる。本研究は,S.suisにおいて遺伝子導入および遺伝子破壊を行うためのベクターの作製と作製した解析系を用いて本菌の病原性を解析する上で重要なS.suisの多様性獲得メカニズムに関する知見を得ることを目的として行われ,論文の内容は以下の4章より構成される。

第1章 S.suisDAT1株由来小型プラスミドpSSU1の全塩基配列決定

 S.suis由来プラスミドの複製様式を明らかにし,S.suisへの遺伝子導入用ベクター開発の基礎にすることを目的として,S.suis8DATl株より小型プラスミドpSSU1を分離し,その全塩基配列を決定した。決定した塩基配列を解析した結果,pSSU1は,rolling circle(RC)型の複製をするpMV158 familyに属するプラスミドであることが明らかになった。RC型の複製をするプラスミドは,グラム陽性菌内だけでなく陰性菌内でも複製可能であることが多いことから,pSSU1は遺伝子導入用ベクター開発の基礎として適しているプラスミドであると考えられた。

第2章S.suis-.E.coli用シャトルベクターの作製とその応用

 第1章において明らかになったpSSU1の複製に必要な領域を用いて,遺伝子導入用ベクターpSET1,pSET2,及びpSET3を作製した。作製したベクターの宿主菌への効率の良い導入と安定な維持には,宿主RecA蛋白質が必要であったが、各ベクターはS.suisだけでなくEscherichia coli, Salmonella Typllimurium,S.pneumoniae,及びS.equi subsp.equiへも効率よく導入することができ,広宿主域のべクターとして利用できることが明らかになった。さらに,E.coliではクローニングができなかったS.suis recA遺伝子全長をpSET2を用いてS.suisでクローニングすることができ,S.suis recA遺伝子破壊株のrecA遺伝子機能相補試験にも成功した。これらの成績から,これらのベクターが、E.coliではクローニングが困難な遺伝子を,S.suisで直接クローニングして解析するためのベクターとしても有用であることを示した。

第3章S.suis用温度感受性ベクターの作製とその応用

 これまでS.suisでの遺伝子破壊株の作製は,グラム陽性菌内では複製ができないベクターを用いて行われていた。しかし,この方法は,効率のよい形質転換系が必要なため,限られた株にしか応用できない。そこで著者は,形質転換効率に拘わらず目的の遺伝子を高率に破壊するためのベクターとして,pG+host3の温度感受性(Ts)oriを利用したS.suis用TsベクターpSET4s,pSET5s,及びpSET6sを作製した。ここで使用したTs oriはS.suis内だけでなくS.equi subsp.equi,S.equi subsp.zooepidemicus,及びS.dysgalactiae内においても,温度感受性であることが確認された。さらに作製したベクターを用いて,S.suisのコレステロール結合型細胞障害毒素suilysinをコードするsly遺伝子の破壊株作製にも成功し,作製したTsベクターが,S.suisの遺伝子を効率よく破壊するための有用な道具となることを示した。

第4章S.suis sly遺伝子領域の水平伝播

分子遺伝学的解析系を用いて病原性の解析を行う場合,一般に特定の株を代表として用いることが多い。しかし,S.suisという菌種は多様性のある株により構成されているため,特定の株で得られた成績を,S.suisという種に当てはめて考察する上で,この様な多様性を生み出した分子遺伝学的背景についての知見を得ておくことは重要になる。そこで著者はS.suisの病原因子の候補の1つであるsuilysinに着目し,suilysin非産生株のめ遺伝子当該領域と産生株のsly遺伝子領域の塩基配列と比較することにより,sly遺伝子の水平伝播について考察した。その結果,S.suisのsly遺伝子またはsly遺伝子非保有株の当該遺伝子領域に存在していたorf102遺伝子のどちらかの遺伝子が、可動因子に頼らない何らかの方法で異種菌から獲得された外来遺伝子であり,この遺伝子領域がS.suis株間でも水平伝播により交換されていることが明らかになった。これらの成績から,S.suisにおける異種菌からの遺伝子獲得および株間での遺伝子の交換は,S.suisの多様性獲得に貢献しているメカニズムであることが示された。

 以上本論文は,S.suisの分子遺伝学的解析系を確立し,さらに,その解析系を使用して病原性の研究を行う上で重要なS.suisの多様性獲得メカニズムについての新知見を与えたもので,学術上,応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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