学位論文要旨



No 215335
著者(漢字) 池田,節子
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,セツコ
標題(和) 源氏物語表現論
標題(洋)
報告番号 215335
報告番号 乙15335
学位授与日 2002.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15335号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 助教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 片山,英男
 東京大学 客員教授 クリステワ,ツベタナ
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、『源氏物語』を、表現の分析を通じて解明することを試みるものである。第一部・第二部・第三部、あるいは巻ごとの相違に注意しつつ、他の作品とも比較して、『源氏物語』独自の表現のあり方を考察した。それにあたって、言葉の語義・用法を、『源氏物語』や平安時代の作品の用例調査によって正確に把握することを心がけた。

 本論文は、「第一篇 源氏物語の言葉」、「第二篇 主題と人物」、「第三篇 源氏物語の月日設定」の三部と「付篇 平安文学の言葉」からなる。第一篇では、『源氏物語』の表現を、『紫式部日記』『蜻蛉日記』『栄花物語』を中心とする平安時代の作晶と比較し、共通点と相違点を検討することを通じて相対化し、『源氏物語』独自の表現のあり方を考察した。『源氏物語』には繰り返しつつ物語世界を作り出していく特徴があること、『蜻蛉日記』と共通するところが多いことを中心に論じた。第二篇では、特定の人物に焦点を当て、人物や入物関係を描写する言葉が共通すること、あるいは相違することの分析を中心に、人物像や人物間の関係、人物間の主題の継承について考察した。第三篇では、『源氏物語』の月日設定のあり方を、平安時代の他の作品や平安時代の実際と比較しつつ考察し、その独自性について述べた。

 以下、章を追って、本論文の内容の要旨を述べる。第一章では、『源氏物語』には、近接して同語が繰り返されること、一人物および特定の人間関係の描写に同語が用いられることが多いことを指摘し、それが語彙不足や偶然によるものではなく、同語の結び付きによって、物語の基調が作り出されていると述べた。すなわち、一回的な内容表現とは別個に、同語群の結び付きによる表現が存在し、立体的な奥行きのある表現が形成されているのであり、同語反復表現は、『源氏物語』の表現の重要な特徴の一つであると論じた。第二章では、『源氏物語』では、設定の似る場面が近接することがしばしばあり、それらの場面は、お互いに補う関係にあることを指摘した。また、柏木物語は、源氏と藤壺の密通事件と共通する語が多数繰り返されていることから、源氏と藤壺の密通を描き直す物語であると位置付けた。同じ言葉・場面・物語を繰り返すことによって、単純化しつつも、物事を角度を変えてとらえ直し、考えを深めていくという『源氏物語』独自の粘り強い表現であると論じた。

 第三章では、フロッピー版『古典対照語い表』によって、『源氏物語護の形容詞・形容動詞の用例数を、『蜻蛉日記』『枕草子』と比較して、『源氏物語』では、心情語の語彙数が多く、使用頻度も高いことを確認した。『源氏物語』では、特に、他者を思いやる語、他者に引け目を感じる語が多いことを指摘した。また、類義語の、「憂し」「心憂し」、「恥づかし」「心恥づかし」、「苦し」「心苦し」「いとほし」の使い分けを検討し、『源氏物語』が、他の作品には用例の非常に少ない語(「心恥づかし」「心苦し」)を多用し、類義語を厳密に使い分けることによって、心情や感覚を細かく描き分けていることを明らかにした。

 第四章では、『紫式部日記』と、『紫式部日記』を粉本とする『栄花物語』の後一条天皇誕生記録を、内容の相違と表現の相違の両面から比較検討して、『紫式部日記』には女房の記事が多いこと、女房など仕える側を主語にすることが多いことから、『紫式部日記』が仕える側を中心に記録されていることを明らかにした。そのうえで、『紫式部日記』の執筆を道長の要請によるとする定説に疑問を提起した。また、『紫式部日記』は、備忘録的で表現が整わないところがかなりあり、草稿性が強いことにも言及した。第五章では、『栄花物語』の『紫式部日記』を粉本とする部分において、『源氏物語』を読み慣れた者には全く抵抗感のない表現が、『栄花物語』では、逐一書き換えられていることがかなりあることを指摘した。それらは、紫式部独自の表現であると考えられ、紫式部独自の物の見方・考え方が表れていると論じた。一方、『源氏物語』に特徴的な表現で、『紫式部日記』には見られないものもある。三作品を比較することによって、それぞれの作品の表現の特徴と、紫式部の思考法の特殊性が浮かび上がることを論じた。第六章では、『源氏物語』と『蜻蛉日記』を比較して、共通点と相違点を指摘した。『源氏物語』独自の優れた表現として注目されてきた、和歌および漢詩文の地の文への融合・挿入句・凝集する表現、および、第一章・第二章で指摘した反復表現が、すでに『蜻蛉日記』に見られることを指摘し、紫式部が『蜻蛉日記』の影響を強く受けていると結論した。

 第七章(この章から第二篇)では、光源氏の義兄でライバルでもある内大臣が、少女巻以降、自分で考え語る人物に成長し、光源氏を脅かす存在になることに注目した。そのとき、光源氏は、人間関係の中で生かされる相対的な主人公になり、超越性を失うことを指摘した。また、少女・梅枝・藤裏葉の三巻と玉鬘十帖とでは、光源氏の相対化のなされ方が異なることにも言及した。第八章では、「いまめかし」という形容詞の語義を、『源氏物語詔と平安時代の作品の用例によって検討し、一級の美を表すほめ言葉でありつつ、豊かで景気がいいという意になることも多いことを明らかにした。由緒ある古いものよりも、権勢の証しともいうべき新しく豪華なものを好む平安時代の価値観がうかがわれる。ところが、『源氏物語』で「いまめかし」と形容されるのは、内大臣などの藤原氏である。光源氏は、玉鬘十帖において権勢家的であるが、それでも、「いまめかし」とはほとんど形容されていない。それは、光源氏の権力が磐石とはいえないことを示すものであるが、同時に、主人公の尚古趣味を強調することには、紫式部の中世を先取りする美意識を見ることができると述べた。

 第九章では、女三の宮の人物像を、紫の上と比較しつつ考察した。両者は、正反対に造型されていると通常考えられている。しかし、両者には「いはけなし」「何心なし」「らうたし」といった形容語が共通する。女三の宮は、藤壺の姪という血筋のみならず、幼稚さという性質においても紫の上と重ね合わされているが、その違いも対比的に描かれ、決定的に内実に差のある女君に造型されていると述べた。第十章では、光源氏と薫を、恋愛と道心の面から比較して、共通点と相違点を探り、薫は、第一部の光源氏を受け継ぎ、光源氏において中絶した問題を追求する人物であると位置付けた。薫は、源氏とは全く性質の異なる人物であるが、後期物語の主人公たちは皆、薫を模倣した人物になる。すなわち、薫は、紫式部による、新たな主人公の型の創造であると論じた。第十一章では、大君が薫の求婚を拒否した理由を考察した。中の君と匂宮の結婚を境に変化していることを指摘し、中の君の結婚以前は、後見の必要から結婚を強制されることの屈辱感、それ以後は、愛の永続性への絶望から、大君は薫を拒否すると述べた。後見のない女君の生き難さという主題が、第二部の紫の上から第三部の大君へ継承されていること、第三部では、昔物語の話型が否定されていることを指摘した。

 第十二章では、『源氏物語』と『宇津保物語』以外の平安時代の作品には、容姿が似ているという記述がほとんどなく、平安時代、「似ている」とは簡単には言わないことを指摘した。形が似ているものは同一の存在であるとする古代的な感覚が『源氏物語』にもあるとする説を確認し、光源氏と冷泉帝がそっくりだとしばしば記されていることの重要性を強調し、冷泉帝の即位を以って、光源氏の王権の実現と考え得ると説いた。しかし、「似ている」ことに対する感覚は、『源氏物語』の内部でも変化し、第三部では、形が似ているものは同一の存在であるとする心性は薄くなっていると述べた。

 第十三章(この章から第三篇)では、『源氏物語』では、五月・六月・七月は飛ばされることが多いこと、人は春に生まれ秋に死ぬというように、人の一生と一年の月目が対応することを指摘した。人の一生と一年の月日を対応させることは、『源氏物語』以前の文学作品や平安時代の実際には見られず、中国思想の影響と推測される。こうした月日設定のために、五月・六月・七月の存在する年が浮かび上がること、時ならぬ生死などには重要な意味があることを強調した。三ヶ月を飛ばすことは、一年を九ヶ月に単純化することであり、また、人の死を秋に固定することは、悲しみの描写の類型化でもある。繰り返すことによって、単純化しつつ、繰り返されないものとの間に二重性を作り出すのであり、第一章・第二章で述べたこととも共通する、『源氏物語』の表現の大きな特徴であると述べた。第十四章では、一か月の中の日付の設定は、月設定とは異なり、それほど顕著な特徴はなく、ほぼ当時の習慣に従っていると述べた。そもそも日付が記されること自体少なく、日が特定されることは例外的で、「…のほど」「…余日」などと、人の生死の日付でさえも幅のある目付で示されることを指摘した。

 付篇では、心情を表す語として、「あぢきなし」「あやし」「いとほし・心苦し」「憂し・つらし」「すずろ」「つれなし」「らうたし・らうたげ」、美を表現する語として「なまめく・なまめかし」「みやび」「らうらうじ」、生活習慣や調度などの語として「元服・裳着」「手習」「屏風・屏風歌」「物忌・方違え」「按察使」を、『源氏物語』を中心に平安文学の用例を検討し、新見を加えて解説した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、『源氏物語』を織りなす言葉の徹底的に緻密な分析を通して、この物語における人物造型や心理描写、あるいは物語生成の方法を克明に分析したものである。

 論文の構成は、「第一篇 源氏物語の言葉」「第二篇 主題と人物」「第三篇源氏物語の月日設定」および「付篇 平安文学の言葉」からなるが、『源氏物語』における類型的なものの反復と変奏の様相への着眼が、論文全体を一貫している。すなわち本論文は、『源氏物語』において、ある類似した表現や、場面・状況などの類型が、反復されながら変奏されていくそのありかたを通して、ひだ深い心理や複雑な人間関係の葛藤が織りなされている様態を提示し、その反復が複雑多様な物語世界に様式的な統一感をもたらしている点を精緻に分析し、明らかにしたものである。

 「第一篇 源氏物語の言葉」では、語彙や文章のレベルでの反復と変奏を分析し、とくにある人物にいくつかの特定の同語群が繰り返し用いられることによって、その人物の基調的なものが確保されていることを指摘している。またこの第一篇では、『源氏物語』に特徴的な語彙や表現を析出し、それらを『紫式部日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『栄花物語』などと比較することで、『源氏物語』の表現の独自性および『紫式部目記』や『蜻蛉日記』との共通性を明らかにしており、平安朝文学のすぐれた文体史研究にもなっている。

 「第二篇 主題と人物」では、語彙や文章レベルよりもさらに大きな、作中人物の心理や性格、人間関係、場面や状況といったレベルにおける反復と変奏の位相に照明が当てられている。また「第三篇 源氏物語の月目設定」は、この物語におけるさまざまなできごとの月日設定の類型性を分析したものである。

 『源氏物語』には、その細やかな心理描写も含めて、すぐれて写実的な小説的達成が認められるが、しかしながらその写実性は、近代的な小説とはいかにも異質な印象を与える。本論文は、上述のようなさまざまなレベルでの類型的な要素の反復と変奏の様相を犀利に分析することで、写実性と様式性とが調和したこの物語の表現の稀有なありようを手に取るように明らかにする。『源氏物語』における類型的な表現の反復と変奏をかくも精緻に分析した論考は、これ以前には存在しない。

 第一篇における言葉の用例の抽出方法やその解釈には、必ずしも異論の余地がないわけではなく、また個々の事例の分析を統合していく際の論述がやや平板に流れるきらいもあるなど、若干の不満もなしとしないのであるが、しかしながらそれは、上記のような本論文の全体的な意義をいささかも減ずるものではない。よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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