学位論文要旨



No 215336
著者(漢字) 尾張,充典
著者(英字)
著者(カナ) オワリ,ミツノリ
標題(和) 否定詩学 : カフカの散文における物語創造の意志と原理
標題(洋)
報告番号 215336
報告番号 乙15336
学位授与日 2002.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15336号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅井,健二郎
 東京大学 教授 平野,嘉彦
 東京大学 助教授 藤井,啓司
 東京大学 助教授 塚本,昌則
 成城大学 教授 木下,直也
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 芸術表現は表現媒体の文法によって制限を受ける。それゆえ、創作者の想像力を十全に表現しようとする創造行為が、文法との格闘として把握されることも稀ではない。この場合、創造力を発揮させるための実践的な戦術は、創作者の持つ詩学と言い換えられる。

 本論文で扱う作家フランツ・カフカ(1883-1924)は、その伝記的資料が示すように、自分の抱く想像力を言葉に直接的に定着させることの困難に対して自覚的であった。彼の描く作品世界が一義的な世界像へ直線的に還元されない原因は、作家の世界像が表現の段階で断片化し、屈折しているためと考えられる。カフカは、自分の創作行為を闘いの比喩で語っていたが、屈折した彼の作品世界は、この詩学的な格闘によって生じたものだと仮定できる。

 本論文では、カフカの作品の解釈を通して、その統一的解釈を妨げる要因のテクストにおける機能を分析し、そこからカフカに独特の創作原理を導き、その詩学を明確にする。

第一部

 第一部では、特徴的な作品である『流刑地にて』と『巣穴』を第一章と第二章でそれぞれ取り上げ、カフカの言語活動の基本的な問題点を明らかにする。

 カフカは、自分の創作行為を出産や性行為の比喩で語っている。これは、言葉と書き手との神秘的合一(unio mystica)による自己同一性の希求の現れである。しかし、他方では、彼は、言語が指示性に依拠する記号であり、言表主体と客体である言語との同一性が不可能であることも自覚していた。彼はこの問題から、自己破壊を志向する弁証法を展開したが、それは、メタ言語を発する主体の破壊によって、言語的な自己同一性を追求するものと考えられる。

 物語作品『流刑地にて』は、身体に書き込まれる書字と、それによる人体の破壊を中心的動機としており、書記言語による救済と破壊の弁証法の詩学的検証と見なせる。

 物語では、身体と融合する文字に、主客分離を超越した自己言及と、絶対者の権力の顕現と蘇生の可能性が付与され、それは、カバラの言語理論で啓示と創造の媒体と見なされた「神の名」に相当する。西欧の知のパラダイムにおいて、文字は死・不在と関連付けられるが、この物語が志向するのは、その逆転のユートピアである。

 だが、物語は同時に、同一性と現前性を文宇によって求める詩学的実践が、現擬似宗教と化した、独身者の自己目的の快楽として破門されることも暗示する。カフカの詩学的検証は、文字の絶対性を相対化しながら、書くことのユートピアと、その崩壊の必然性を示している。

 自己目的としての言語行為は、未完の物語断片『巣穴』でも描かれる。物語が提示するのは、言表行為の主体である語り手の「わたし」と、語られる言表の「わたし」の統一性が物語行為によって確立する過程であり、そして、その言表行為のトポスも「わたし」に統合される機制である。それは、モノローグ的な言語行為の営まれる脳髄世界の寓意である。独我論的な世界の主として君臨する言表主体は、物語の中で、言表行為によって妄念を膨らませ、外界との接点を自ら放棄し、言葉の消費に耽る。これは、言葉による閉塞空間で非生産的な言語行為に呪縛された言語的な主体のあり方を示すものであり、『流刑地にて』で描かれた、言葉に耽溺する独身者の別の側面といえる。

 物語テクストが語り手の言語活動の空転を提示すると同時に、その物語テクスト自体も明確な指示対象に至らず、空転する言表行為となっている。それは、この物語が、語り手の物語行為を行為遂行的示す「物語り(Das Erzahlen)の物語」として、文学から成り立つ生の詩学的実践となっていることの証しである。

第二部

 第二部では、第一部で問題となった、文学と同一化を志向する生の実践と、その閉塞性と非生産性の認識が、どのようにカフカの詩学と結び付くかを検証する。その際、伝記的な形式を持つ物語断片『ある犬の研究』と、それとほぼ同時期に成立した物語『断食芸人』を第三章および第四章で取り上げ、それぞれの作品で語り手が実践する物語行為の背後にある意志を明らかにする。

 カフカにとって、個人史は創作への意志と密接な関係がある。彼は、創作と「生の立て直し」の原点に「自伝的調査」を据えていた。自伝は、社会的及び個人的自己実現と直接結び付く表現であり、語る主体の生を救済させる意図と不可分である。伝記的形式の作品は、この要請から生まれたものであり、自伝形式の作品『ある犬の研究』は、その典型と見なせる。この物語で描かれるのは、自らの信じる真理追求にも拘わらず、有用性と社会的意義を見出すことの出来なかった語り手が、自分の生を物語行為によって救済しようとする営みである。これは、社会から逸脱した独身者の自己弁護の試みに他ならない。

 しかし、物語テクスト上では、生の救済を志向する語り手の言説は、イロニーによって相殺され、喜劇的に無化される。この場合のイロニーは、語り手の意図を超えた物語テクストの構成原理に基づくものであり、その意味で、テクストの構成原理の基盤となる作家の詩学は、物語られる世界の事象での生の再構築の否定を志向するものといえる。

 『断食芸人』も、同様の原理に基づいた作品である。物語は三人称形式によって語られるが、語り手は、物語世界を読者に紹介するだけに留まらず、語りの視点の移動や体験話法等、主人公の心情と同調する語りの手法を用いて、読者を主人公の立場に引き入れる戦略的な物語行為を実践している。この戦略の意図は、大衆から誤解され、そして忘却される見世物芸人の主人公に、「偉大な芸術家」という像を付与し、主人公の生の救済することにある。

 しかし、テクストの言説構造の分析から明かされるのは、この「像」が物語世界の現実に基盤を持たない虚像であり、それは、主人公自身の言葉によってその像が否定されることからも証明される。このような関係から、物語『断食芸人』は、生の救済への意志と、意志の否定という力学に支えられた構造を持つことが明らかになる。

 その際注目すべきなのは、物語の意志の転覆が物語の完結を意味している点である。主人公として設定された見世物小屋の芸人の生が無為に等しいことを考慮すれば、物語の構成原理は、無としての生を弁護する意図を明確に打ち出しながら、それをあえて棄却することにある。換言すれば、物語内現実の「生の立て直し」の物語的実践の無化が、「生の立て直し」に基づく作家の創作原理である。無化によって浮彫りにされるのは、実現されずに行き場を失った、物語ることへの意志であり、これを否定的に表出することが、カフカの詩学の原理であると考えられる。

第三部

 第三部では、第五章で、カフカの最期の物語である『うた歌いヨゼフィーネ、あるいはねずみの民』を手掛かりにして、無化する物語、無に基づく表現行為の詩学的可能性について考察する。そして、続く第六章で、物語への意志が無化される詩学的必然性を明らかにする。

 カフカの最期の作品『うた歌いヨゼフィーネ、あるいはねずみの民』の主人公は、『断食芸人』同様に、無に基づく芸術家である。しかし、その主人公を取り巻く社会が否定性によって特徴付けられている点は、先の作品と大きく異なる。物語の背景となる社会は、自らの否定性に対して肯定的な生活感情を上塗りする欺瞞的な生として措定される。このような状況で、主人公の芸術の否定性に、ユートピア的な内的な統合の場としての性格が付与されている。

 その際、示唆的なのが、主人公の芸術(音楽)が、音楽を理想化する、ロマン派で特徴的な言説と親近性を持つ、言語記号表現の超越を志向するものとして措定されている点である。それは、『流刑地にて』で問題となった、不在に基づく言語的記号の意味作用を克服しようとする詩学的な方向性と考えられる。

 一方、物語の語り手は、否定的にしか言及不可能な主人公の記述を試みるが、その物語行為の背後にあるのは、「ないもの」と認識される生を「あったもの」と位置付け、歴史(=物語)的に救済しようとする意志である。語り手の意図する主人公の救済は、『断食芸人』同様に、物語内現実に論理的な基盤を持たず、それだけ一層、物語上では、救済への意志の強度が鮮明になる。この意志は、物語られる世界において異質性を際立たせている語り手自身の物語行為の救済、ひいては、自ら「なかったもの」になりつつあるカフカ自身の文学的生の救済の志向性を示しているといえる。

 以上の考察から、カフカの詩学の基本原理が、「生の立て直し」の意志の実現そのものではなく、その行為を否定することで、否定によってしか可視的にならない意志の強度を示すことにあることが判る。

 カフカが創作の出発点として掲げていた「無として認識される生」は、記号的な意味論に基づく生の否定であり、表現媒体である言語記号の克服の志向も、それに基づく。否定性に貫かれた詩学の追求は、カフカの場合、三つのレベルで構成される。第一に、物語られる主人公(言表内容)のレベルで表現の記号性の克服が描かれ、第二に、物語る語り手の言表行為のレベルで、無としての表現のあり方の肯定化(意味付け)が解体・無化される。そして、それが、作家自身のレベルでの、無として認識される文学=生の行為遂行的な実践となるのである。肯定的であることを自ら禁じ、自らを無化し続ける表現行為は、生と言語に対して誠実でありながら、なおかつ、記号的には到達不可能な真実に至ろうとする真摯な営みといえる。この真摯さを貫こうとして生まれた創作原理が、自己否定的にしか存立し得ない否定詩学なのである。

審査要旨 要旨を表示する

 フランツ・カフカ(1883-1924)はドイツ文学史上最も特異な存在といえるユダヤ系作家であるが、本論文は、カフカ文学の特質は物語短篇のジャンルにあるとの基本的認識に立って、カフカの諸作品の中から主たる分析対象として五篇の特徴的な物語短篇作品を選び、それらの極めて精緻な分析を通して-しかし、それら以外の諸作品、書簡、日記等にも言及するとともに、四文字(テトラグラム)(JHWH)をめぐるカバラの言語理論(ショーレムの研究に依拠)に深く留意し、また、カフカに関する先行諸論考についても厳密に吟味を重ねつつ-カフカにおける物語創作の意志のありよう、ならびに、カフカ文学の構成原理たる「否定詩学」を、解明・叙述したものである。

 カフカの作品世界は一義的な世界像に還元しえない屈折を孕んでいる。本論文において論者は、一義的解釈を妨げる要因を語りの構造の分析を通して取り出し、この要因が物語世界においていかなる機能を果たしているかを詳細に検討し、そこからカフカに特有な創作原理を導き、その詩学を明らかにしようとする。

 本論文第一部では、カフカの言語観の持つ問題点が検討される。論者はカフカの言語実践を、言語の意味指示機能を克服し言語と書く主体との神秘的合一を志向するものと捉え、そこから破壊と救済の弁証法を導く。ついで、物語作品『流刑地にて』を分析し、合一の媒体とされる文字が意味指示的な記号へと硬直化する過程を示しつつ、この弁証法が書記言語の否定に至る必然性を解明する。続いて論者は、カフカの言語実践の特徴としてモノローグ的な状況を挙げ、この観点から物語断片『巣穴』の語りの構造を分析し、この物語断片を物語行為の物語と把握したうえで、主人公かつ語り手である「わたし」の内的統合が言表行為を通して目指される一方で、同時にこの言表行為が閉塞的状況下で空転してゆく機構を明らかにする。

 第二部では、物語行為への意志が、伝記的要素を持つ物語『ある犬の研究』および『断食芸人』の分析を通して検討される。論者は、イロニーのありよう、語り手の視点の移動、話法の変化を克明に分析しつつ、伝記的物語が主人公の生を再構成し救済しようとする意図に貫かれていることを示すと同時に、語り手の地平を超えた層でこの語り手の言説が相対化され無効となる物語テクストの構造に注目する。そして論者は、テクストには直接的に現れない物語ることへの意志が語り手の言説の無化を通して否定的に表出することを指摘し、語りの無化によって完遂される屈折した自己否定的物語構造に、一義的な世界像へ還元しえないカフカの創作原理の原型をみてとる。

 第三部では、この創作原理の詩学的可能性が、『うた歌いヨゼフィーネ、あるいはねずみの民』の解釈を通して検討される。論者は、内的統合の媒体としての主人公の芸術が否定的言辞によってしか記述されえないことを示し、その記述を試みる語り手の物語行為と主人公の表現行為との並行関係を指摘し、両者に向けられる否定的なものの救済への意志を解明する。ついで論者は、カフカの創作が「無として認識される生」に基づいていることを書簡および日記の記述によって根拠づけ、主人公の営み、語り手の言表行為、作家自身の経験が否定性において一貫していることを示す。これらの考察に基づいて論者は、「無として認識される生」を自己否定的に実演するカフカの屈折した物語構造の創作原理を「否定詩学」という概念で理解し、それがカフカの真摯な言語実践にほかならないと結論付ける。

 以上のように、本論文は、主人公の言動、語り手の振舞い、作者の意志の関係とそれらのあいだのずれに着目し、これを精緻に分析することによって、言葉の意味指示機能のうちには直接現れてこないテクストの屈折した構造を明らかにし、そこに新たな詩学の可能性を見出す意欲的な研究成果であり、今後のカフカ文学の研究にきわめて有益な視点をもたらしたものと評価できる。他方、本論文はカフカの長篇作品を主たる分析対象としておらず、ここで明らかにされた創作原理と長篇小説との関連については議論の余地が残るほか、本論文で用いられた、短篇作品一篇に五〇頁余を費やす叙述形式は、そのままでは長篇作品の分析に用いることが困難である。とはいえこのことは、カフカの「否定詩学」における破壊と救済の弁証法の構造を見事に解明した画期的な功績を損なうものではない。

 以上により、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するものと判断する。

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