学位論文要旨



No 215338
著者(漢字) 大橋,芳雄
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,ヨシオ
標題(和) 侵害受容、心血管、および呼吸調節におけるα-calcitonin gene-related peptide (αCGRP)の役割 : αCGRP遺伝子欠損マウスを用いた検討から
標題(洋) Roles of α-calcitonin gene-related peptide (αCGRP) in the regulation of nociceptive, cardiovascular and respiratory functions revealed by gene targeting
報告番号 215338
報告番号 乙15338
学位授与日 2002.04.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15338号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 山崎,力
 東京大学 助教授 五十嵐,徹也
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 石川,隆
内容要旨 要旨を表示する

 カルシトニン遺伝子関連ペプチド(calcitonin gene-related peptide:CGRP)は、1982年にカルシトニン(CT)遺伝子の解析から発見された37個のアミノ酸残基からなるペプチドで、中枢および末梢神経系のみならず心臓、呼吸器、消化管、表皮や血管にも多く認められ、そのほとんどが求心性知覚神経の遠位終末部に存在している。CT/CGRPは6個のエクソンから構成される共通の遺伝子にコードされているが、組織特異的なスプライシングにより、甲状腺C細胞ではCTmRNA(エクソン1-4)が、神経組織ではCGRPmRNA(エクソン1-3,5-6)が産生される。また、CT/CGRP共通遺伝子とは異なる遺伝子でコードされるアイソフォームも見いだされており、それぞれα、βCGRPと呼ばれる。αとβCGRPの生理作用は同じである。近年、未梢神経系において、ノルアドレナリン、アセチルコリンといった古典的神経伝達物質以外の物質を伝達物質とする、非アドレナリン非コリン作動性(non-adrenergic non-cholinergic:NANC)神経と呼ばれる神経の存在が注目されているが、こうしたNANC神経の一つにカプサイシン感受性神経があげられる。これは、トウガラシの辛み成分であるカプサイシン処理によってその神経に含有される物質が枯渇される神経の総称であるが、こうした神経の研究により、従来求心性神経とされてきた一次知覚神経が、中枢を経ずに直接その遠位端である末梢組織に対しても作用していることが明らかとなってきている。CGRPはこのカプサイシン感受性NANC神経の伝達物質として、疼痛の知覚のみならず、強力な血管拡張作用を介した局所の血流調節、陽性変時・変力作用、および気管平滑筋の収縮などを司っている可能性が報告されている。

 CGRPの生理的および病態生理的意義を実際に生体レベルセ明らかにするためには、ジーンターゲティング法による解析が有用と考えられる。そこで本研究では、特にαCGRPの侵害受容、循環および呼吸調節における生理的意義を明らかにするため、αCGRP遺伝子欠損マウスを樹立し、正常マウスとの比較検討を行った。

 BALB/cマウス遺伝子ライブラリーよりマウスCT/αCGRP遺伝子をクローニングし、この共通遺伝子の中でαCGRPのみに変異遺伝子を導入するため、第3〜5エクソンを含む7.0kbの断片のうち、αCGRPを特異的にコードする第5エクソンにネオマイシン耐性遺伝子を挿入し、コンストラクト5'端に単純ヘルペス由来チミジンキナーゼ遺伝子を連結したDNAコンストラクトを作成した。このコンストラクトを、エレクトロポレーションにより129/Svマウスより樹立されたES細胞SM-1に導入し、薬剤耐性を利用したpositive-negative selectionを行ってPCR・Southern解析で遺伝子型を決定した結果、G418・ganciclovir存在下で生き残ったクローンより、相同組み換えの起こったES細胞を得た。これらのES細胞をC57BL/6マウスより得られた胚盤胞にマイクロインジェクション法にて導入しキメラマウスを得、germline transmissionを確認した。さらにその子孫よりαCGRP・遺伝子欠損マウスを樹立した。

 αCGRP遺伝子発現の欠損の確認は、RT-PCRおよび免疫組織染色にて行った。ノックアウトマウスでは、αCGRPmRNAを示す286bpのbandは脳幹、脊髄、肺いずれの部位でも認められず、脊髄における抗CGRP抗体による染色でも後索は染色されなかった。用いた抗体はβCGRPに対しても100%の交差反応性を有しており、このことよりβCGRPの代償性の過剰発現は存在しないと考えられた。一方、CT遺伝子の発現は甲状腺においてmRNAレベルおよびタンパクレベルでも両者で差を認めず、αCGRP遺伝子の欠失によりCTの発現は影響を受けていないばかりか、alternative splicingが一方的にCT産生の方向に進むわけではないことも示された。血中カルシウム、リン、CT濃度にも差を認めなかった。

 最初に、生後8週から16週の雄のノックアウトマウス(KO)および野生型(WT)について、侵害刺激に対する反応性を検討した。55℃に加熱したhot plate上にマウスを置き、最初に後肢を舐めるまでの時間(lick latency)および3分間に後肢を舐める回数(lick frequency)を観察したが、いずれもKOおよびWTで反応に差を認めなかった。さらに強い機械的刺激を加えるため、マウスの尻尾にクリップをはさみ(tail clip)、同様に尻尾を舐めるあるいは噛むまでの時間および回数を検討したが、やはり両者に有意な差を認めなかった。一方、化学刺激に対する反応性はWTとKOで明瞭に差が認められた。カプサイシン50μgを足底皮下に注射したところ、5分間のlick frequencyはKOで有意に低下していた(KO:3.7±0.6vs.WT:8.2±1.3,P<0.05)。lick latencyは有意差は認めなかったものの、KOで延長している傾向があった。従って、αCGRPは、通常の温痛覚にはあまり重要ではないものの、急性炎症を引き起こすような強い組織障害に際しては、痛みの重要な伝達物質であると考えられた。

 次に、循環制御におけるαCGRPの役割について検討するため、大腿動脈へのカニュレーションを行い、観血的連続圧測定にて、まずウレタン麻酔下での血圧・心拍数測定を行った。KOでは有意に平均血圧の上昇(KO:107.7±2.2vs.WT:99.3±2.2mmHg,P<0.01)および心拍数の上昇(KO:681.1±6.3vs.WT:622.3±8.3bpm,P<0.01)が認められた。KOでの平均血圧の上昇は無麻酔・無拘束下でも認められ(KO:119.0±2.9vs.WT:104.6±5.7mmg,P<0.05)、テレメトリーを用いた無麻酔・無拘束下での心拍数測定でもKOで有意の上昇を認めた(KO:554.4±26.4vs.WT:475.0±23.5bpm,P<0.05)。KOでの血圧上昇が未梢血管抵抗の上昇によるものなのか、それとも心拍数上昇に伴うものなのかを検討するため、末梢性α1-blockerであるプラゾシン(1μg/g)を腹腔内投与し、血圧・心拍数の変化を観察したが、プラゾシン投与後も心拍数はKOで有意に上昇していたのに対し、血圧の差は消失した。一方心臓超音波法による検討では一回拍出量に両者で差を認めず、従って、KOにおける平均血圧の上昇は、心拍数上昇の結果ではなく未梢血管抵抗の上昇によるものと考えられた。

 さらに、αCGRPが心臓自律神経系におよぼす影響を検討するため、薬物の投与実験を行った。副交感神経遮断薬であるアトロピンを腹腔内投与すると、WT、KOとも有意な心拍数上昇が認められたが、その上昇率はWTで有意に大きかった。また、β遮断薬であるアテノロールを投与すると、両者とも有意に心拍数は減少したが、その減少率はKOで有意に大であった。心臓における交感神経活性の亢進あるいは副交感神経活性の減弱が考えられたため、次に動脈圧受容体反射について検討した。麻酔下にフェニレフリン(1-100μg)あるいはニトロプルシッド(1-30μg)を動注し、反応性の心拍低下あるいは上昇を測定してグラフ上にプロット、ソフトウェアDeltaGraphを用いて既報の等式にカーブフィットを行った(y=p4+p1/(1+exp[p2(x-p3)])、yは心拍数、xは血圧)。KOとWTで得られたカーブに差はなかったが、アトロピン投与下で圧受容体反射を検討すると、顕著な差が認められた(図)。すなわち、KOでWTと比較してカーブの右方偏位が認められ、MAP50(上記等式のp3値に相当)は有意に上昇を認めた(KO:150.0±7.1vs.WT:107.5±18.1mmHg,P<0.05)。アテノロール投与下の圧受容体反射にはKO,WTで差を認めなかった。以上の結果より、KOでは交感神経活性が亢進新していると考えられた。尿中カテコラミン代謝産物の増加および心拍変動の減少もKOで認められ、いずれも交感神経活性の亢進を支持するものと考えられる。

 αCGRPは末梢の血管周囲ばかりでなく、特に圧受容体反射の中枢である下位脳幹にも多く認められる。従って、αCGRPはその交感神経抑制作用を介して、末梢において局所循環を調節しているだけでなく、中枢性にも特に圧受容体反射を介して循環制御に関与していると考えられる。

 最後に、呼吸調節に関して検討した。下位脳幹は、動脈圧受容体反射だけでなく、呼吸の反射にも関与している。そこで、種々の機械的・化学的刺激を加え、呼吸数の変化を検討した。侵害刺激としてtail pinch刺激、化学刺激として、肺内のC-fiberを刺激するフェニルビグアナイド(0.04,0.4μg/g)、および低酸素状態として頸動脈小体を直接刺激するNaCN(3.5μg/g)を投与したが、いずれの刺激に対してもWTとKOで呼吸数の変動に差は認められなかった。従って、αCGRPはこうした呼吸の反射の調節にはあまり関与していないと考えられた。ただし、αCGRPの気道過敏性に与える影響については更なる検討が必要である。

 臨床的にαCGRPは冠動脈攣縮、レイノー病、心不全、気管支攣縮などへの関与が報告されており、今回樹立したαCGRP遺伝子欠損マウスは、αCGRPのこうした循環器・呼吸器疾患における意義を考える上で重要な動物モデルになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、中枢および末梢神経系において広範に存在する神経伝達物質の一つであるαカルシトニン遺伝子関連ペプチド(αCGRP)の生体内、特に侵害受容、心血管、および呼吸調節における役割を明らかにするため、発生工学の手法を用いて遺伝子欠損マウスを作成し解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.カルシトニン(CT)/αCGRP共通遺伝子において、αCGRPを特異的にコードする第5エクソンにネオマイシン耐性遺伝子を挿入したDNAコンストラクトを作成し、エレクトロポレーションによってES細胞に導入することにより遺伝子欠損マウスを樹立した。RT-PCRおよび免疫組織学的検討によりαCGRPの欠損が確認された。また、βCGRPの代償性の過剰発現の存在しないこと、およびCTの産生に影響がないことも確認された。

 2.侵害刺激に対する反応性の検討では、hot plate testによる温度刺激、およびtail clip testによる疼痛刺激いずれに対してもαCGRP欠損マウスと野生型マウスで反応性に差を認めなかった。一方、カプサイシン足底内皮下注による化学刺激に対しては、有意にαCGRP欠損マウスでlick frequencyの低下が認められた。αCGRPは、通常の温痛覚にはあまり関与していないが、急性炎症を伴う強い組織障害に際しては痛みの重要な伝達物質であることが示された。

 3.αCGRP欠損マウスは野生型マウスに比較して麻酔下、無麻酔・無拘束下ともに有意に高い平均血圧、心拍数を示した。末梢性α1-blockerであるプラゾシンの腹腔内投与後も心拍数はαCGRP欠損マウスで有意に上昇していたが、血圧の差は消失した。一方、心臓超音波法による検討では一回拍出量に差を認めず、αCGRP欠損マウスにおける血圧の上昇は、心拍数上昇の結果ではなく未梢血管抵抗の上昇によるものであることが示された。

 4.αCGRPが心臓自律神経系に及ぼす影響を検討するために行った薬物投与実験では、アトロピン投与により野生型マウスの方が心拍数の上昇率の大きいこと、またアテノロール投与では逆にαCGRP欠損マウスの方が心拍数の減少率が大きいことが示された。さらに、動脈圧受容体反射の検討において、血圧-心拍数関係を示す曲線はαCGRP欠損マウスと野生型の間で差はなかったが、アトロピン投与による心臓副交感神経系の抑制下での検討ではαCGRP欠損マウスにおいて曲線の右方偏位が認められた。一方アテノロールによる交感神経抑制下では差は認められず、これらのことからαCGRP欠損マウスでは交感神経活性が亢進していることが示された。尿中カテコラミン代謝産物の増加および心拍変動の減少もαCGRP欠損マウスで認められ、いずれも交感神経活性の亢進を支持するものであった。

 5.呼吸調節におけるαCGRPの役割を明らかにするために行ったtail pinch刺激試験、フェニルビグアナイドを用いたpulmonary chemoreflexおよびNaCNを用いたarterial chemoreflexの検討では、αCGRP欠損マウスと野生型で呼吸数の変動に差は認められず、αCGRPはこうした呼吸の反射の調節にはあまり関与していないことが示された。

 以上、本論文はαCGRP遺伝子を特異的に欠失する遺伝子改変マウスを作成し解析することで、生体におけるαCGRPの役割を、特に侵害受容、循環調節、呼吸調節の面から明らかにした。In vitroの系におけるαCGRPの多彩な生理作用が報告されているが、本研究は、実際の生体レベルでのαCGRPの生理的、病態生理的意義の解析に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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