学位論文要旨



No 215339
著者(漢字) 竹下,克志
著者(英字)
著者(カナ) タケシタ,カツシ
標題(和) 頚椎屈曲における項靱帯の力学的機能
標題(洋)
報告番号 215339
報告番号 乙15339
学位授与日 2002.04.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15339号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 森田,明夫
 東京大学 講師 室伏,利久
 東京大学 講師 星地,亜都司
内容要旨 要旨を表示する

a.研究目的

1.背景

 頚椎椎間板ヘルニア、頚椎後縦靭帯骨化症などの頚椎変性疾患は頚部痛や頚椎の可動性低下などの頚椎局所の問題にとどまらず、頚髄や頚部神経根への圧迫による神経障害を惹起する。とくに頚髄への圧迫は頚髄症さらに四肢麻痺を引き起こし、患者のQuality of Lifeは著しく低下する。後方からの除圧をはかる椎弓切除術はその簡便さとともに広い範囲の除圧が可能なことからいち早く世界中に広まった。しかし術後に頚椎の生理的前弯が失われ更に後弯となり、時には術後軽快した神経症状が再度増悪する症例が報告されるに及んで、椎弓切除術の主たる問題として頚椎の術後後弯が注目されるようになった。椎弓切除による術後後弯や瘢痕膜形成などの諸問題の解決を自的として本邦にて!970年代に椎弓形成術が考案された。諸家の報告によると椎弓形成術は神経回復には椎弓切除と同等の効果があるが、術後後弯の予防には限定した効果しかもたないとされる。

 頚椎後方靭帯の機能不全は後弯の主たる機序の一つと見なされている。頚椎の支持組織としての後方靭帯および軟部組織には後方浅層より項靭帯、棘上靭帯、棘間靭帯、黄色靭帯ならびに椎間関節包がある。項靭帯を除くこれら後方の支持組織はその力学的特性が明らかにされているが、項靱帯の力学的特性に関する報告はほとんどない。

 術後後弯については屈伸方向の力学特性の手術による変化が問題と思われる。さらに後方の靱帯組織は伸展には関与せずいずれもその張力により屈曲運動に対してのみ機能していると考えられる。そこで今回の研究は項靭帯の役割を屈曲方向に限って明らかにすることとした。

2.目的

 頚椎の屈曲における項靱帯の力学的役割を明らかにすること

b.実験方法

 死体より頸椎標本を18個採取し、そのうち本実験には13個を用いた。死体はシンシナティ大学病院入院患者からの献体で死亡後24時間以内あるいは冷却後48時間以内に標本採取を行った。実験後に正面および側面のレントゲン撮影を行い、骨奇形や転移のないこと及び実験による骨破壊がないことを確認した。

 測定器械はInstron社製モデル4464である。後頭骨と頚椎を含んだ標本は屈曲方向に60度程度の回転運動はあるとされ、その回転に追随可能な標本の固定法と器具の製作が必要であった。そこで5つの標本を用いて2度の予備実験を行った。初回は骨や軟部組織の位置確認と後頭骨固定器具設計のデータ収集用に頚椎の動態撮影を行い、2回目は設計した器具の改良のために行った。

 標本のリラクゼーションのためのpreconditioningとして上下運動を4回繰り返した後、6回目にデータ収集を行った。移動速度は秒速15mmでサンプリング周波数は20ヘルツとした。6回目に中間位のスタート位置と最大屈曲位すなわちRodがもっとも下方に傾いた位置で停止させ35mmカメラとデジタルカメラで静止画撮影を行った。

 各標本を3回の上記運動を行いデータ収集した。初回は靱帯をすべて温存した状態(以下温存群)で、次に項靱帯を骨付着部近傍で切り取った状態(以下項靱帯切離群)、最後に残る棘上靱帯・棘間靱帯・黄色靱帯をメスで切離した状態(以下全切離群)でおこなった。

 3標本で力と変位をそれぞれモーメントと角度に変換する互換式を求めるためデジタルビデオを用いて上下運動を動画撮影した。デジタルカメラで記録した動画をPCに取り込んだ後、運動開始から一秒ごとの静止画を取り出した。変位量を独立変数、Rodの角度変化とモーメントアームの長さ変化をそれぞれ従属変数として相関を見て変位量からの変換式を求めた。変換式とInstronから収集した変位量と力Fで屈曲角度θ夕とモーメントM(=Fx1)を計算した。

 標本の力学特性の指標として臨床上の屈曲可動域を反映する屈曲角と頚椎の屈曲安定性を反映するあるモーメント値での剛性の2つを代表として求めた。温存群、項靭帯切離群、全切離群の3群における屈曲角と剛性を繰り返し測定の一次元分散分析で統計処理した。プログラムはSASを使用し、以下のプログラムを実行した。各群間の分析にはTukey's studentized range testを用いた。いずれもp=0.05を有意水準とした。

C.結果

 表Eに一標本の項靭帯切除時のInstronら収集した時間、変位量、力のデータを示す。標本は9から11秒で1回の上下運動をおこなっている。変位・カ曲線を図左に示す。

 0.91Nmにおける屈曲角は12標本で計算可能で温存群、項靭帯切離群、全切離群で平均と標準偏差はそれぞれ24.1±7.1、31.0±8.1、36.7±9.6(degree)であった(図右上)。温存群を基準として項靱帯切離群で7°、全切離群では12°の屈曲角の増加があった。3群には統計学的有意差があり、群間では温存群と全切離群に有意差があった。

 1.0Nmにおける剛性は11標本で計算可能で温存群、項靭帯切離群、全切離群でそれぞれ0.186土0.027、0.134±0.045、0.126±0.061(Nm/degree)であり(図右下)、温存群を基準として項靱帯切離群で28%、全切離群では32%の剛性の低下があった。3群には統計学的有意差があり、群間では温存群と項靭帯切離群に有意差があった。(p<0.01)

d.考察

1.文献的考察

 過去の椎弓切除・椎弓形成術に関する実験や頚椎後方靭帯の実験ではすべて項靭帯に対する考慮はなく、実験開始前に項靭帯はすでに切除されている。項靭帯の機能に触れた報告も少ない。Fielding(1976 Spine)やJohnson(2000 Spine)らの定性的あるいは組織学的報告しかなく生体力学の定量的報告はない。

2.本実験に関する考察

 今回の実験結果から後方靭帯の屈曲にたいする抑制の約50%は項靭帯が占めることがわかった。項靭帯は頚椎靭帯のなかで椎体後方にあるとされる頚椎の矢状面での回転中心からもっとも離れている。すなわちモーメントアームが大きいため、同一の力がかかった場合はより大きなモーメントを生じる。このため頚椎すべての棘上靭帯、棘間靭帯、黄色靭帯を合わせた場合と同等の屈曲抑止能を有していると思われる。

 また標本により同一モーメントでも屈曲角の変化は大きく異なった。この個体差は性差、年齢差、変形性頸椎症の程度などに起因すると考えられた。特に変形性頚椎症による骨棘の程度が強く影響しており、骨棘の増生が著しい標本では屈曲角の変化が少なく、靱帯切離による影響も少ない傾向があった。すなわち変形性頚椎症で可動域が小さい症例では靱帯温存に留意する必要性が低いと思われた。

 椎弓切除法では棘間靭帯と黄色靭帯の温存は不可能であるが、項靭帯と棘上靭帯は術式の工夫により温存が可能であり、今回の実験結果から侵入時に両靭帯を温存した術式が望ましいと考える。また椎弓形成術も原法では軟部組織に関する配慮はあまりみられていなかった。靭帯および筋肉付着部の温存を目的として、吉田(1992 Spine)や都築(1996 Int Orthop)らが変法を報告している。今回の研究はこうした軟部組織とくに項靭帯の温存の有効性を生体力学的に裏付けたものといえる。

 今回の実験では力による制御は標本に過負荷となるモーメントがかかる可能性があるため、変位量制御による実験系とした。従って標本ごとに最大モーメントが異なることになった。今回用手的に適正と判断したモーメントは結果的に0.9から3Nmと適正値であった。

 ロッドと器具間の摩擦による煎断力で頚椎は前方移動の力を受けることとなるが、前方移動の制御は椎間板、前後縦靱帯と椎間関節によるとされているが、いずれの靭帯も温存されており影響は無視できると思われる。測定誤差はデータ収集、各解析の段階で最大5%から10%程度の誤差率であり、今回の実験結果への影響はすくないと思われる。

 今回の実験結果をin vivoの頚椎に敷術するにはいくつかの留意点がある。まず死体標本による実験である以上、筋肉から力が全くかかっていない。したがって角度や力の絶対的値の生理的意味するところはわからない。しかし実験は全靭帯温存、項靭帯温存、全靭帯切離の状態の比較であり、これらの比較は生理的意味合いを有すると筆者は考える。以上、実験系によるいくつかの制約はあるものの、今回の実験は項靭帯の重要性を明らかにしたと筆者は考える。

 前述したように頚部筋の脊椎安定性への寄与は決して無視できるものではない。項靭帯はその屈曲に対する抗力としての機能のみならず、後部筋力の伝達機構としても今後その重要性が明らかになるかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は頚椎の屈曲における項靭帯の力学的役割を明らかにするため、死体標本を用いた生体力学的実験にて、項靭帯の有無による頚椎運動の相違を解析したものであり、下記の結果を得ている。

 0.項靭帯を含む靭帯組織を温存したまま後頭骨から第一胸椎までを死体より採取した13標本で力学試験を行い、標本を全靭帯温存、次に項靭帯のみ切除後、最後に棘上靭帯・棘間靭帯・黄色靭帯を切離した3条件で上下運動による変位・力曲線を得た。また補助実験から得た関係式より屈曲角・モーメント曲線に変換し、一定モーメントでの屈曲角および剛性を求めた。

 1.O.91Nmでの屈曲角では3群間に有意な差があった。屈曲角では項靱帯の切除で7°増加し、全切離による増加12°の58%を占めた。

 2.1.0Nmにおける剛性では項靭帯の切除でO.052Nm/degree低下し、全切離による低下0.060Nm/degreeの88%を占めた。

 3.以上より項靱帯は屈曲に抗する頚椎後方靭帯の力学的機能の多くを占めると推察され、項靭帯は回転中心から離れており比較的小さな張力でも大きなモーメントを生じることがその背景にあると思われた。

 以上、本論文は死体頚椎標本を用いた生体力学試験にて、角度変化および剛性変化の相違から、項靱帯の屈曲に抗する力学的役割の大きいことを明らかにした。頚椎椎弓形成術における項靱帯の重要性は臨床経験からのみ提唱されてきたが、本研究はその力学的役割の重要性を初めて明らかにし、臨床において項靭帯の温存が術後の後弯予防に意義を持つことの根拠を示した点において、学位の授与に値するものと考えられる。

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