学位論文要旨



No 215347
著者(漢字) 李,哉泫
著者(英字)
著者(カナ) イ,ジェヒョン
標題(和) 農業経営の成長に伴うサービス化とその供給に関する研究
標題(洋)
報告番号 215347
報告番号 乙15347
学位授与日 2002.05.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15347号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 助教授 小田切,徳美
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

 農作業コストの低減の手段として、農作業の委託、農業機械のリース・レンタル、農業労働力の臨時的雇用などがある。これらの手段は、農業経営が固定的に抱えるコストを変動費に替えられる効果が得られるからである。さらに、もう一つ共通する点は、これらは、農業経営過程の遂行に必要な「サービスを外部化」することにより用いることができる手段であるということである。このような、農作業の実施に関わるサービスの外部化が農業経営の成長過程にもたらすメリットは、農作業コスト低減のほかにも多岐にわたるものがある。

 ところが、農業生産過程の遂行に関わる経営資源の調達や農作業そのものの実施に関しては、比較的規模の小さい兼業農家または高齢農家などが、当該機能の内部化ができない条件の下で、やむを得ずに外部化するケースが主をなしているのが実状である。つまり、これらの機能を経営内部で自ら行なうことも可能な大規模経営などが、意図的・積極的に外部組織から購入しているケースは相対的に少ない。外部化に対する正しい認識が定着していない中で、所有による満足感に甘んじているほか、農業経営が求めるサービスの提供に何らかの問題があることが理由として考えられる。

 本研究は、以上のような問題意識に基づき、農業サービスの積極的な購入が、農業経営の成長過程において欠かせない重要な経営管理の手段であることを、理論的かつ実証的に明らかにすることに課題をおいてある(第1章)。そして、専ら、比較的規模の大きい経営が積極的に行なっているサービス取引に焦点を絞った上で、サービス取引をめぐる需給実態を分析している(第2章)。なお、需給実態の分析の中では、関連統計に基づいて日米の比較を行なっているが、積極的な農業サービス取引の態様を浮き彫りにするためである。また、日本においても、農業経営にとって積極的なサービス化への意思決定が当該経営の安定的な成長に貢献していることを検証すべく、大規模稲作経営や複数の事業を展開している農業経営が行なっているサービス化の事例を取り上げている(第3章)。なお、本論には、農業生産過程に関わりをもつ三つのサービスに対象を限定しているが、農作業委託、農業機械のリース・レンタル、農業労働力の雇用に関する雇用者の紹介・斡旋・募集・供給などのサービスが該当する。

 一方、これらの農業サービスの供給実態に関しては、上述の三つのサービスについて、各々のサービスを提供している事例を取り上げた上、主として大規模経営の積極的な意思決定に基づいたサービス需要に応え得るサービス供給のあり方を探っている(第4章〜第6章)。

 このような問題意識に基づいて行われた各章の分析過程では、以下のような結果が得られた。

 第一は、農作業の委託、農業機械のリース・レンタル、農業労働力の雇用に関するサービスの積極的な外部化によっては、農作業実施に伴うコストの節約のほか、農業経営管理の容易さ、リスク管理などの経営管理上の効果が期待できるということである(表1)。

 第二は、日本における三つの農業サービスの需要は、アメリカのそれに比べて、相対的に積極性をかけているが、その背景には、(1)これらの農業サービスの外部化がもたらすメリットが充分に認識されていないこと、(2)積極的なサービス化を必要とするほど、成長を成し遂げている農業経営が相対的に少ないこと、(3)積極的な需要に対応しうる供給者の存在が希薄であること、という三つの要因が働いているということである。

 第三は、近年においては、農業経営の規模拡大や農業経営の事業領域の拡大が急速的かつ持続的に進んでいる中で、積極的なサービス化への意思決定を行なっている農業経営が増加しつつあり、この傾向は、今後さらに強まっていくことが予想されるということである。大規模経営のさらなる規拡大または新たな事業部門の導入には、機械設備への新規投資または新たな雇用が伴われるが、これらの投資や雇用などは、単位当りの生産コストの上昇や内部資金の逼迫という財務上のマイナス成長を余儀なくすることがある。そこで、このような問題を解決し、安定的な経営成長を可能とする一つの手段として、「農作業の委託」、「リース・レンタルによる機械設備の導入」、「農業労働力の臨時的雇用に関するサービスの利用」を、積極的に選択する経営が増えている。

 第四は、本研究が取り上げている三つのサービスのうち、農作業サービスに関して言えば、大規模経営の求めるサービスの質的要件を充分に満たしうる供給者が比較的少ないということである。そして、このことが、農業経営の積極的なサービス化への意思決定を妨げる一つの要因であることが指摘できる。第4章では、稲作における農作業受託事業を実施している農業事業体を「稲作経営+アルパ型」、「地域農業支援型」、「サービス専門会社」に類型化した上で、各々事業体の特徴をまとめた。その特徴の中には、サービス専門会社を除けば、多くの作業受託実施事業体が、必ずしも委託者のニーズを重視した農作業サービスの供給を行なっていない理由が明らかになっている。

 第五は、農作業サービスの供給に大きく傾斜したサービス専門会社にこそ、農業サービスの積極的利用が必要であるということである。サービス取引には、「需要に合わせた供給の困難さ」がつきまとうものである。この供給の困難さをコントロールするために、多くのサービス供給企業は、供給能力を一定とし、需要の操作に勤める。この点に関連しては、農作業受託事業実施事業体の農作業受託体制が典型的な例である、需要側(委託者)がもつはずの意思決定権(作業実施日の指定、品種の選択、その他作業内容に関する指示など)の一部が、受託側へ委譲されているケースが見受けられているからある。このようなサービス供給側の需要操作に対して、第3章で取り上げる有限会社新鮮組は、供給を需要にあわせる組織体制を作り上げている。そして、その組織体制のカギとなるのが、サービス化である。つまり、年間を通して激しく変化する需要量に合わせた経営資源の内部化は、過剰投資になりかねないために、これらの需要量の変化に柔軟に対応できる手段として、多くの経営資源を需要の最盛期のみ臨時的に導入し、内部化を極力抑えている。需要に合わせたサービスの供給体制は、農業サービスを積極的に求めている大規模経営などが、供給者を選択するさいに最も重視する要件である。

 第六は、農業機械リース・レンタルの事業化の可能性が確認されており、当該サービスの需給をめぐっては、需要側にとっても、供給側にとっても、大きなメリットが得られているということである。第5章で取り上げる北海道士別市の農協農機具センターが実施している農機リース・レンタル事業は、利用者にとっては、農業機械及び設備への投資のさいに、融資と購入に加わる、もう一つの選択肢として与えられているほか、先行投資による資金の逼迫を解決する有効な手段となっている。また、供給側である農協にとっては、農業機械販売事業にリンクされ、農協全体の収支構造に相乗効果をもたらしている。

 第七は、農業労働力の雇用に関するサービス提供の仕組みの中には、単なるサービス取引に留まらず、極めて独特な仕組みを形成しているものが多く、これらは、農業経営が抱えている深刻な農業労働力不足問題を解決しうる有効な手段であるということである。農業労働力の雇用にかかわるサービスは、従来の地縁関係または血縁関係に依存した農業臨時雇いの確保が困難となりつつ中で、収穫及び集出荷期に一時的・短期的な臨時雇いの調達を迅速かつ安定的に行なえる、ある種の供給ルートを必要とする野菜及び果樹作経営において需要が増えている。こうしたニーズに応えるべく、農協、生産者組織などが供給側にたって、雇用労働力に関する情報の提供、農作業希望者の紹介・斡旋、労働力そのもの派遣というサービスを提供している事例が多く確認された。これらの事例の中には、周辺地域には少ない求職者の代わりに、「遠隔地の若いフリーター」(愛媛県真穴地区)、「地元の大学の学生」(愛媛県北条市)、「非農家主婦」(長野県松本市)などを、参加・交流的次元で雇用している特色のある仕組みが少なくない。

 第八は、農業サービスの供給者は、公共機関、農協その他の農業団体、営農集団である場合が多いということである。サービスのみに特化した事業の実施をめぐっては、安定的な経営展開を妨げる多様な要因が働いている。また、農業サービスの利用には、農業サービスが必要であるという必要条件と、必要なサービスが充分に購入できるという充分条件を、同時に満たすことが求められる。現実の農業サービス需要者の多くが、充分な農業所得を確保していない零細経営であることを考慮すれば、後者の充分条件が満たされていないサービスの利用者が少なくない。こうした状況の下で、必要なサービスを外部組織(市場)から購入しないで、組合組織とりわけ農協もしくは需要者白らが構成員となる営農集団によって供給しているのが実情である。ところが、(1)農協が事業の実施主体である、(2)需要者自らが供給に携わっているという点は、サービスを受ける側のニーズより供給者の都合が優先されがちである。このような供給の仕組みは、当該サービスの利用者に与えられるインセンティブを著しく阻害するものである。

 最後には、農業サービスの望ましい需給構造に関連して、一つに、広域的なサービスの供給体制が必要である。二つに、総合的なサービス供給体制が必要である。三つに、サービス提供者に対してサービスの質向上を促す必要がある。四つに、需要者の意識の改革が必要である、という四点を提言している。

表1農作業遂行におけるサービス化のメリット

審査要旨 要旨を表示する

 わが国の農業では、従来、農作業の委託、農業機械のリース・レンタル、農業労働力の臨時的雇用などは、それが「サービス」として外部調達が可能であること、固定的に抱えるコストを変動費に置き換える効果があることなどから、農作業コスト低減の手段として広く認識され利用されてきた。しかしその実態をみると、比較的規模の小さい兼業農家または高齢農家などが農業機械購入にともなう過剰投資を避けるために利用するケースが多く、大規模経営などがそのメリットを生かすために意図的・積極的に利用しているケースは相対的に少ない。これはサービスの外部化に対する正しい認識がわが国では十分に定着していないこと、その効率性の比較とは別に大規模経営が農業機械の所有そのものの満足感に甘んじていること、そして重要な点は、農業経営が求めるこれらのサービスの需給のあり方に何らかの問題があることなどによるものである。

 本研究は、以上のような問題意識のもとに、農作業委託、農業機械のリース・レンタル、農業労働力の雇用の紹介・斡旋・募集・供給などの農業サービスの積極的な利用が、農業経営の成長過程において欠かせない重要な経営管理の手段になっていることを、理論的かつ実証的に解明したものである。

 まず序章では、これまでの先行研究のレビューと問題点の指摘、研究の課題などが整理され、続く第1章では、農業経営過程におけるサービス化の意義、経営者の意思決定におけるサービス化の動機などが論じられている。

 第2章では、比較的規模の大きい農業経営が積極的に行なっているサービス利用に焦点を絞り、サービス取引をめぐる需給実態を分析している。この中で、国際的な農業サービス取引の事例をわが国と比較するために、米国の実態を分析している。わが国の農業サービス需要は米国に比べると積極性にかけているが、その背景には、これらの農業サービスがもたらすメリットが十分に認識されていないこと、積極的なサービス化を必要とするほど成長している農業経営が相対的に少ないこと、需要に対応しうる供給者の存在が希薄であることなどの点のあることが明らかにされている。

 第3章では、積極的なサービス化への意思決定が当該農業経営の安定的な成長に貢献している点を検証するために、大規模稲作経営や複数事業を展開している農業経営のサービス化の事例を分析している。近年は、農業経営の規模拡大や事業領域の拡大が急速に進んでいるが、この中で積極的にサービス化への意思決定を行ない、経営を安定的に成長させている事例の増加しつつある点が明らかにされている。

 第4章では、農作業受託事業を実施している農業事業体を分析し、それを「稲作経営+アルファ型」、「地域農業支援型」、「サービス専門会社型」に類型化するとともに、サービス専門会社を除けば、多くの事業体が必ずしも委託者のニーズを重視した農作業サービスの供給を行なっていない実態を明らかにしている。また、大規模経営が求めるサービスの質的要件を十分に満たしうる供給者が比較的少なく、このことが農業経営の積極的なサービス化への意思決定を妨げる一つの要因になっている点が明らかにされている。

 第5章では、北海道士別市農協の農機リース・レンタル事業の事例を分析し、需要側からみれば、機械・設備投資の際の融資と購入に加えた選択肢であることのほかに、先行投資による資金の逼迫を解決する有効な手段でもあること、また、供給側の農協にとっても、農業機械販売事業にリンクし、農協全体の収支構造に相乗効果をもたらすなど、双方にとってメリットのある事業であることが明らかにされている。

 第6章では、農業労働力の雇用にかかわるサービスについて分析し、従来の地縁関係または血縁関係に依存した農業臨時雇いの確保が困難になりつつある中で、収穫及び集出荷期に一時的・短期的に臨時雇いに依存する野菜や果樹作経営などにおいて需要が増えていること、また、こうしたニーズに応えるべく、農協や生産者組織を中心に情報の提供、紹介・斡旋、そして労働力そのものの派遣というサービスを提供する事業が増えていることなどが明らかにされている。

 終章では、これらのサービスの積極的利用によって、農作業実施に伴うコストの節約のほかに、リスク管理などの経営管理上の効果が期待できること、農業サービスを積極的に求めている大規模経営は、需要に合わせたサービス供給を重視しこれを供給者選択の要件にしているが、サービス取引には「需要に合わせた供給の困難さ」がつきまとい、この供給の困難さを克服するためには、サービスの再外部依存や組織体制の工夫が必要であることなどが考察されている。

 以上、本研究においては、農業経営のサービス化とその供給に関する実証的研究を通じて、わが国農業におけるこれからの経営成長に関する有用な知見が得られ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。したがって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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