学位論文要旨



No 215348
著者(漢字) 秋山,満
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,ミツル
標題(和) 農政改革下における水田農業の構造問題に関する研究
標題(洋)
報告番号 215348
報告番号 乙15348
学位授与日 2002.05.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15348号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 小田切,徳美
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本経済の国際化対応、戦後自作農の瓦解の現実に直面して、80年代後半より具体化する農政改革の動向と、その下における水田農業の構造問題を研究対象とし、農業基本法以来積み残されてきた「零細分散錯圃」克服へ向けた多様な地域的実践に学びながら、地域営農推進システムと担い手形成のあり方を実証的に研究している。

1,問題意識と分析視角

 零細分散錯圃克服の課題は、農業基本法以降の農政の中心テーマの一つである。70年代の稲作階層間格差の形成とそれに伴う農地流動化の進展は、農地法制の変更を伴いながら、それまでの自作農体制から大規模借地農制への展望をもたらし、「新しい上層農」の形成として注目された。しかし、農地の所有と利用の分離という条件の下で、地片単位の借地を通じた個別的規模拡大では、経営地の圃場分散問題を克服することは容易ではない。経営外部の地域的関与が必要とする問題意識のもとに、80年代には「集団的農用地利用」、「集団的農地利用秩序の形成」をめぐる議論へと展開された。それは、折からの米過剰のもとで不可避となった米生産調整下の転作推進過程における団地形成への現場での模索にも学びながら、大規模複合経営あるいは地域複合経営といった個別・組織・地域レベルでの米単作構造からの脱却の動きとも連結させ、それを支える地域レベルにおける土地利用秩序形成の課題として展開されていったのである。

 しかし、農政環境の悪化と分解の一層の進展は、そうして生み出されるべき土地利用主体それ自体が欠如する地域を広範に生み出すに至る。土地利用秩序形成の課題は、単なる土地利用調整に止まることなく、「担い手育成」の課題も引き受けながら展開せざるおえない局面にまで危機は進行してきたのである。折からの「新しい食料・農業・農村政策」(以降新政策)への農政転換は、従来の家族経営の延長上ではなくその枠組みを越えた経営体の育成を掲げるに至り、農用地利用調整の課題は背景に退き、「多様な担い手」の形態をめぐる議論へと論点はずれていった。

 本論文は、こうした議論に学びながら、農用地利用調整が具体的に展開する「場の条件」に沿いながら、担い手育成に向けたその調整の課題を「地域営農推進システム」としてとらえ、その具体的な実践の中から析出される「担い手の形態」「土地利用調整」の内容を検討し、先の「集団的土地利用秩序」と「担い手育成システム」の接合を計ろうとするものである。こうした担い手育成に向けた農地利用調整のあり方は、場の条件により多様になるため、共通の土俵、対象の限定が必要となる。土地利用調整の課題をはらむ契機として圃場整備事業、特に零細所有制と矛盾し次の生産力段階を内在させ、それ故実践的な土地利用調整が必然化する大区画型圃場整備を行った地域を極力選び、その土地利用調整形態、析出される担い手形態、その経営構造を検討する。また、もう一つの契機として米単作構造と矛盾し次の農法段階を内在させ、それ故実践的な土地利用調整が展開する生産調整推進システムを取り上げ、その土地利用調整形態、担い手形態、その経営構造を検討する。圃場整備推進地域では、両者は多くの地域で一体的課題として推進されるので、上記の視点から、その具体的展開のあり方を検討する。

 加えて、こうした土地利用調整の課題を越えて、直接「経営」に乗り出す公的経営体が増加してきている。そうした第3セクター型の経営展開は、先の担い手育成と土地利用調整の課題を一部自らの経営内部に取り込んだ形態であるので、その内部経営構造に踏み込んで検討する。

2,本論文の構成とその主要内容

 以上の問題意識のもとに、本論文の構成は、まず第1章で、土地利用型担い手の育成方策の展開状況と担い手育成確保の現状を検討する。そこでは、第1に、その基本性格を「耕作者主義」「家族経営主義」からの転換ととらえ、企業経営主義への転換期にあるものとして批判的に検討している。第2に、担い手育成方策の現状を、限定づけられ「地域化された構造政策」としてとらえ、「集団的利用権設定」という本来の理念からはずれたその運用における行政的「事業化」「選別化」性格を批判的に検討している。また、新政策が描く担い手像たる認定農業者(上からの計画、価格政策・プロセスの欠如、地域認知の欠如)、農業生産法人(農外資本による実質経営支配、転用規制緩和、農業生産法人脱農化の危険)、市町村公社(企業化と赤字化の下での「公的性格」の確保の困難性)に絞りながら、批判的に検討している。

 第2章では、稲作の階層間格差の現段階を確認しつつ当面の効率的経営単位として10ha程度を確認し、集落営農タイプ組織体もその受け皿としての内実を十分備えていることを指摘した。むしろ個別上向型大規模経営における圃場分散が問題であることを強調し、その存立可能性を広げるためには、集団的農用地調整による補完こそが必要であることを指摘した。また、土地利用調整の契機とした圃場整備事業は、大区画化が零細所有制と矛盾し、所有の内実を変化させる契機をはらんでいること、生産調整政策は転作の空洞化が進行し、その推進の基礎である平等性がすでに担保しえなくなっていることを問題とした。

 第3章では、転作推進を契機とする土地利用調整と担い手形成の動向を、良質米地域で担い手が分厚く存在する宮城県(南郷町・中田町)と、都市化普通米地帯で担い手の特定化が終了した愛知県岡崎市の事例で検討する。そこでは、良質米産地たるが故に、土地利用調整単位が転作地に限定され、効率的転作対応に取り組んでも最終的には良質米に特化し集中化していく宮城県の担い手のあり方と、相対的劣等地であるが故に、エリア分けという形で転作を含む水田全体が土地利用調整の対象となり、経営的には土地利用型輪作体系を生み出し転作を新たな不可欠の部門として経営内化していく岡崎市での担い手のあり方を対比的に示し、稲作の重みと兼業深化条件の違いによる担い手析出の原型的パターンをここで検討した。

 第4章では、集落・地区といった地縁組織が担い手を育成していく事例を、担い手特定化・エリア化・地代調整を含む借地規範の統一化に取り組んだ福島県塩川町と、地区単位で兼業農家が全員共同出役形態で一集落一農場形式の共同経営を生み出す島根県斐川町の事例で検討した。そこでは、計画作りにおける全構成員の合意作り、生活・定住環境作りといった共生原理の活用、ムラの就業場面の創出確保への努力といった共通性をみせる。しかし、利用調整の範囲が小集落であることに規定され、その合意の背後に担い手育成のための他地区への出作(競争)を前提する塩川と、組織範囲が大きいが故にその形成途上では町の転作受託集団等の補完・支援を必要(協同)とした斐川というように、その合意の母胎の地縁組織の有り様が他の地区・組織との関係に影響している点を検討した。

 第5章では、第3セクター型の担い手の動向を、中山間過疎地域の農協直営型経営受託事業に取り組む福島県昭和村、公社活動として最も長い経歴を持つ岩手県北上機械化農業公社、栃木県鹿沼市農業公社を取り上げ、その経営展開の経過と現状を経営内部に立ち入って検討した。昭和では、設立当初の組織の場合、その組織の維持拡大のためには、まず雇用維持のために周年就業確保できる事業範囲の拡大が必要であることを検討した。歴史のある北上と鹿沼の場合は、その公的性格に対応した「不利益」吸収の発現の仕方が異なっており、その事業展開が開田地帯での転作経営に限定されリスクを一身に背負っていく北上公社のあり方(赤字公社の典型)と、過剰転作対応体質・低反収地域・園芸地帯という地域特質のため、むしろ不利益部門として水稲部門が集中し経営展開していった鹿沼公社(企業化の典型)との対比として検討した。表面上全く逆の展開を示す両公社の事業展開の方向は、公社内部の独自の運営システム上の優劣の問題もあるが、公社を取り巻く地権者の「利益」のあり方が公社運営のあり方を根本で規定しているのであり、その逆ではないと思われ、公社自身の「利益」と取り巻く地権者の「利益」の調整こそがまず何よりも大切であることを示していると思われる。

 終章は、以上の検討の結果を総括している。

審査要旨 要旨を表示する

 日本農業の積年の課題は水田農業における構造問題だといってよい。一方では現在の農業機械化技術発展水準に対応した装備と経営規模を有し、他方では内外の経済的条件に見合ったコストで生産しうる経営体が生産の中軸をしめるような農業構造を創出することがそれである。その際、水田における零細分散錯圃の存在がこうした技術と経済の両面における規模拡大を阻害する重大な要因として立ちはだかっていることに着目し、これを克服する土地利用調整の具体的な姿を一つの切り口として、水田農業の構造問題解明への実証的な検討を行ったのが本論文である。

 論文は序章、第1-5章、終章からなる。序章は上述の問題意識を整理し、論文の構成を示したものである。第3-5章の詳細な地域実証分析が本論文の中心となるが、第1,2章はそのための前提として、構造問題に関わる農政の展開過程を批判的に検討し、本論文の分析枠組みを示している。終章は総括である。

 第1,2章においてはまず、70年代の自作農体制から大規模借地農体制への転換が「新しい上層農」を生みだしたものの、零細地片単位の借地による規模拡大は規模の経済を十分には発現させることができず、圃場分散問題に直面したことを明らかにした。そして、80年代に強化された米の生産調整は一方で米単作的農業生産構造からの脱却の課題を提起するとともに、他方では転作地の団地化を通じて「集団的土地利用」を要請したから、規模拡大は複合化を内包しつつ、地域的土地利用調整(圃場分散の間接的解決)を媒介にして初めて可能になったと指摘した。さらに、90年代には分散錯圃の直接的解消をめざす大区画圃場整備によって、一方では担い手そのものの育成が図られ、他方では一層強化された米生産調整の受け皿創出がめざされることになったという現段階的特徴が解明された。

 以上の検討を通じて、規模拡大を担いうる営農主体そのものの形成(担い手育成)+営農主体が利用する農地そのものの分散克服と大型化(圃場整備)+生産調整を効果的に実施しうる地域的土地利用調整(集団的土地利用)の重層的な結合によって初めて構造問題が解決しうるという分析枠組みが示された。以下の章はこうした分析視角に基づいた詳細な実証分析にあてられている。

 まず、第3章では、生産調整推進と圃場整備を契機として担い手=個別的農家の組織化が図られた宮城県南郷町・中田町と愛知県岡崎市の事例が比較検討される。前者では良質米地帯のために、農地利用調整が転作地に限定されるとともに、94年の転作緩和でこうした利用調整が解体され、稲単作化を強めた問題性が指摘される。これに対し後者では、米作の相対的劣等地であるために、転作地を含む全農地が土地利用調整対象となり、担い手の地域内棲み分け(エリア制)と輪作型土地利用が定着していく積極面が指摘される。

 第4章は、圃場整備を契機として担い手そのものの育成が図られ、生産調整を含む地域全体の土地利用調整が図られた福島県塩川町と島根県斐川町の事例が比較検討されている。両者ともに担い手不足に直面し、全構成員が参加した計画作成、地域の定住条件整備・就業場面確保におけるムラ的共生原理の活用を通じて、前者(1集落)では特定の農家(3戸)、後者では全戸出役の一地区(4集落)一農場方式で担い手を特定しつつ、転作・地代調整が行われた。前者では担い手が集落外へも進出せざるをえないのに対し、後者では地区内での完結性を有しているところに今日の集落が抱える問題状況が投影されている。

 第5章はもはや農家の枠を超えた地域農業の担い手が形成されざるをえなくなっている事例を取り上げて、圃場整備や生産調整への対応を論じた。第1の事例は福島県昭和村の農協直営型経営受託事業で、特定農業法人へ発展するとともに、周年就業できる事業を確保しつつ規模拡大を図っている。第2の事例は岩手県北上市の機械化農業公社で、開田地帯の水田転作を一手に引き受けるべく組織化されたため赤字体質からの脱却が困難になっている。第3の事例は栃木県鹿沼市農業公社で、転作への対応が過剰な程に行われる園芸地帯で、不採算部門としての水田農業を一手に引き受けることで黒字体質を維持できている。

 以上の検討を通じて、水田農業の構造再編のためには上述の三つの分析視角に沿って、地域ごとに多様な担い手を創出していくことが不可欠であるという本論文の結論が導き出されることになる。このように本論文はこれまでの農業構造問題研究に新たな一石を投じたものであり、理論上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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