学位論文要旨



No 215352
著者(漢字) 土屋,直也
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,ナオヤ
標題(和) LESデータベースに基づく室内浮力乱流場の構造解析とRANSモデルの評価
標題(洋)
報告番号 215352
報告番号 乙15352
学位授与日 2002.05.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15352号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 吉澤,徴
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 助教授 谷口,伸行
 東京大学 助教授 大岡,龍三
 慶應義塾大学 教授 村上,周三
内容要旨 要旨を表示する

 建築室内の空調設計や温熱環境諸問題の解決にあたり、流れ場・温度場を精度良く予測する手法の開発は、重要な課題となる。空調された室内は、吹出噴流、衝突流、循環流、更には浮力による成層等、様々な流れが混在する極めて複雑な乱流場となっており、精度の高い予測手法の開発は容易ではない。このような建築室内の複雑乱流場の予測は、LES(Large Eddy Simulation)あるいは高精度RANS(Reynolds Averaged Navier-Stokes equations)モデルによるCFD(Computational Fluid Dynamics)解析が望ましい。しかし、LESは設計段階で用いられるほど実用化に至っていない。また、高精度RANSモデルとして応力方程式モデルが挙げられるが、圧力歪相関項のモデル化や数値定数の最適化が現在でも問題となっており汎用的でない。従って、短時間で精度良い結果が求められる実務設計の場面では、実用上優れた標準k-εモデルに非等方性の効果を組み込んだ改良k-εモデルの開発が現実的な課題となる。室内気流解析における改良k-εモデルは、低レイノルズ(Re)数効果と浮力による乱れの非等方性効果を考慮した低Re数型k-εモデル(村上らのMKC、MKCOモデル)や、代数応力モデル(Algebraic Stress Model, ASM)の簡易版であるWETモデルに対して壁の減衰効果を付加した2次の非線形k-εモデルが提案されている。このようなk-εモデルをベースとする高精度RANSモデルの開発では、kとεの輸送方程式の各項のモデリング及びレイノルズ応力と乱流熱流束のモデリングが課題となる。とくに、運動量・熱輸送に乱流拡散として直接影響を及ぼすレイノルズ応力と乱流熱流束の近似モデルの高精度化は重要となる。また一方、RANSモデルを開発する上で、モデリング検証用の基礎データや、壁や浮力の影響を受ける乱れ構造の知見を必要とする。しかし室内浮力乱流場に関する基礎データは、基本諸量となる乱流エネルギーとその散逸率でさえ正確で精密な実験データは少なく、さらに圧力拡散や圧力歪相関などの高次相関量を実験により測定することは困難である。

 そこで本研究はまず、

(1)冷風水平吹出しを持つ非等温室内モデルを対象にLESを行い、高精度かつ詳細な乱流統計量の数値データベースを作成する。

 そして、このデータベースに基づき、

(2)レイノルズ応力Rij、乱流熱流束Hiおよび温度変動強度<θ'2>の収支構造の解析を行い、Rij、Hi、<θ'2>の生産メカニズムやそれらの相互関係などを明らかにし、RANSモデルの評価・開発のための知見を得る。

(3)ASM、WETモデル、渦粘性モデルの予測精度およびモデリングの問題点を明らかにし、k-εモデルをベースとする高精度RANSモデルの開発のための知見を得る。

 ことを目的として行ったものである。

 本論文は以下の7章より構成される。

 第1章では、本研究の背景と目的、そして研究の進め方を述べている。

 第2章では、非等温・非圧縮性流れの数値シミュレーションを行う際の基礎方程式を示し、さらに乱流モデルの必要性、乱流モデルの種類について解説を行った。そして室内浮力乱流場解析で用いられているRANSモデルとして、応力方程式モデル、ASM、WETモデル、標準k-εモデル、MKCおよびMKCOモデルの基礎式を示し、各モデルを導出する際の仮定、モデル化について解説を行った。

 第3章では、本研究で用いたLESの基礎式、LESに導入されるsubgrid scale (SGS)モデルについて解説した。SGSモデルに関しては、標準Smagorinskyモデルとdynamic Smagorinskyモデルについて、各モデルの導出過程や問題点などを解説した。次に、非等温室内気流解析にLESを適用する際に必要となる数値計算方法として、離散化手法、計算アルゴリズムおよび境界条件について解説した。さらにLES解析で未だ確立されていない温度の壁面境界条件として2層型の壁関数を提案した。

 第4章では、冷風水平吹出しを持つ非等温室内モデルを対象に、十分細かい格子解像度を確保したLESを実行し、乱流統計量の数値データベースを作成した。まず、標準Smagorinskyモデルとdynamic Smagorinskyモデルを用いたLES解析を行い、SGSモデルの違いが予測精度に及ぼす影響を検討した。2つのSGSモデルによる平均速度・温度分布の計算結果を比較し、両者はほとんど差がなく、本LES解析の格子解像度に対してSGSモデルの依存性が小さいことを確認した。さらにLES結果は、天井付近の吹出噴流の性状をはじめとして全体的に実験結果との対応が良く、本データベースの信頼性は高いと判断した。尚、LESデータベースは、計算が安定で計算負荷の小さい標準Smagorinskyモデルを用い作成した。また本章では、データベースの中心となるレイノルズ応力、乱流熱流束および温度変動強度の輸送方程式の各項(収支式)の評価の際、数値誤差を防ぐためにコンシステントスキームの導入を検討した。コンシステントスキームを用いたレイノルズ応力等の収支式の評価は、式展開の煩雑さから、これまでは空間に一様な方向を有し、式展開の大幅な簡略化が可能となるchannel乱流のような単純流れ場解析への適用に限られていた。そのため、3次元性の強い複雑乱流場の解析へ対応可能なレイノルズ応力等の輸送方程式に対してコンシステントスキームを用いた離散式を新たに導出した。とくに、(1)ノルマルストレスと温度変動強度の輸送方程式の各項は、乱流拡散項を含めすべて、運動方程式と温度輸送方程式の離散式との整合性を満たす(2)乱流エネルギーkの輸送方程式は、その定義点をセル頂点に置くことで高精度にエネルギー保存性を満たす離散式を導出した。

 第5章では、作成したLESデータベースを用い、レイノルズ応力Rij、乱流熱流束Hiおよび温度変動強度<θ'2>の収支構造の解析を行った。本章では、室内浮力乱流場の特徴的構造として、(1)吹出口近傍の混合層(2)天井付近中央のシアー流(3)吹出噴流衝突流(4)右側鉛直加熱壁付近のシアー流に着目し、レイノルズ応力等の輸送方程式の各項の寄与を詳細に検討した。その結果、Rij、Hiおよび<θ'2>の生産・散逸・再分配・移流・拡散に対する貢献の定量的な知見が得られた。さらに、Rij、Hiおよび<θ'2>の生産メカニズムやそれらの相互関係を明らかにした。また、それぞれの収支の残差はほとんど0であり、収支算出にあたって数値誤差は小さく、コンシステントスキーム適用の効果を確認した。

 第6章では、第5章で得られた知見とLESデータベースを基にRANSモデルの評価を行った。まず標準k-εモデルとLESを比較検討した。標準k-εモデルの結果はLESと比べ、吹出噴流の性状を非拡散的に予測することをはじめとして壁付近の流れ場・温度場の予測精度が低い。これは、乱流エネルギーkの分布性状を見ると等方的渦粘性モデルの欠陥が明らかで、標準k-εモデルでは運動量・熱輸送における乱流拡散を正しく評価しないことに起因する。そこで、既往の室内気流解析で用いられているASM、WETモデル、渦粘性モデルの予測精度を調べ、レイノルズ応力と乱流熱流束の近似モデルを高精度化することの有効性を検討した。さらにレイノルズ応力と乱流熱流束の収支構造の知見を基に、各モデルのモデリングが予測精度に及ぼす影響およびモデリングの問題点を明確にした。

(1)ASMは、壁面シアー流れ及び吹出口近傍の混合層において、レイノルズ応力と乱流熱流束の非等方的な分布性状を精度良く再現する。吹出噴流衝突領域では、壁に垂直方向のノルマルストレスと乱流熱流束の壁減衰挙動を物理的に正しく再現する。他のモデルではこの挙動を再現しない。

 但しASMでは、拡散項の寄与が大きくなる壁近傍において、移流・拡散項と圧力歪相関項の近似モデルの精度が悪く、両者が相反する非物理的な挙動のもと良い結果を与える。これは、LRR(Launder-Reece-Rodi)モデルに基づくASMの適用限界と考えられ、圧力歪相関項の高次モデルの導入、さらに拡散項の中で圧力拡散項の寄与が大きいことを考慮した拡散項のモデリングによるASMの高精度化を必要とする。

(2)WETモデルは、モデル式中のレイノルズ応力と乱流熱流束を渦粘性/渦拡散モデルにより近似することで、渦粘性/渦拡散モデルの近似精度が低いところでは、それらよりも精度の低下をまねく。さらにWETモデルでは、壁減衰効果および低Re数効果を組み込まない場合、壁極く近傍で数値不安定を引き起こす極めて精度の悪い結果を与える。これに関しては、簡便な方法として壁減衰関数fμを課すことで、改善されることを確認した。

(3)等方的な渦粘性モデルは、ノルマルストレスの非等方性の再現が悪いこと、壁に平行方向の乱流熱流束を評価しないなど、他のモデルに比べ予測精度は低い。

 第7章では、全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題を総括している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、非等温の乱れた室内気流の性状を詳細に解析し、これを記述する数学モデルの性能を検証し、新たなモデルを導く際の指針を示したものである。論文は、流れ場の形状依存性が高く複雑な乱れ構造を示す非等温室内気流のLES(Large Eddy Simulation)を実行し、乱流統計量の詳細な数値データベースを作成し、実験結果との比較によりその信頼性を検証している。このデータベースを用いてレイノルズ応力及び乱流熱流束の収支構造の解析を行い、室内複雑流れ場における乱流構造・浮力特性を解明し、レイノルズ平均操作に基づく乱流モデル(Reynolds Averaged Navier-Stokes equations model、RANSモデル)の評価・開発に必要、有用となる知見を得ている。さらにこの知見に基づき、現在、室内気流解析で用いられているRANSモデルの予測精度およびそのモデリング上の問題点を検討し、精度、信頼性向上のための指針を示している。本論文は、以下全7章より構成されている。

 第1章では、本研究の背景と目的及び構成について述べている。

 第2章では、非等温室内気流解析で用いられているRANSモデルとして、ASM(Algebraic stress model)、WETモデル、標準k-εモデル、低Re数型k-εモデルの基礎式を示し、モデル導出の仮定、モデリングについて解説している。

 第3章では、非等温流れ場におけるLESの基礎式、モデリング(subgrid scaleモデル)について解説している。また、その数値計算手法を説明している。

 第4章では、冷風水平吹出しを持つ非等温室内モデルを対象に、十分細かい格子解像度を確保したLESを実行し、乱流統計量の数値データベースを作成している。この結果はレザー流速計を用いた詳細な実験結果と比較され、データベースの精度と信頼性が確認されている。また、データベースの中心となるレイノルズ応力及び乱流熱流束の輸送方程式の各項(収支式)の評価の際、数値誤差を防ぐためにコンシステントスキーム(解析的微分操作と整合性をもつ離散式の構成)を導入している。従来、コンシステントスキームを用いた各収支式の評価は、式展開の煩雑さから、空間に一様な方向を有し、式展開の大幅な簡略化が可能となるチャンネル乱流のような単純流れ場解析への適用に限られていた。しかし本研究では、3次元性の強い複雑乱流場におけるコンシステントスキームを新たに導いて使用している。

 第5章では、作成した数値データベースを用い、室内浮力乱流場の特徴的構造として吹出噴流及び噴流衝突領域に着目し、レイノルズ応力及び乱流熱流束の輸送方程式における各項の寄与を詳細に調べ、レイノルズ応力等の生産・散逸・再分配・移流・拡散に対する貢献の定量的な知見を得ている。この解析によりレイノルズ応力等の形成機構やそれらの相互関係など、非等温室内気流での浮力乱流構造の特徴を明らかにしている。また、レイノルズ応力等の収支算出にあたり、数値誤差が小さく、コンシステントスキーム適用の効果が有用であることを確認している。

 第6章では、数値データベースを用い室内気流解析で用いられる代表的なRANSモデルとしてASM、WETモデル、渦粘性モデルのアプリオリテストを行い、レイノルズ応力及び乱流熱流束の生産・散逸・再配分・移流・拡散の寄与に対する各モデルで用いられたモデリングが予測精度に及ぼす影響と問題点を検討している。その結果、ASMは吹出噴流領域において、レイノルズ応力と乱流熱流束の非等方性状を精度良く再現し、噴流衝突領域では、ノルマルストレスと乱流熱流束の壁減衰挙動を物理的に正しく評価するものの、両領域の壁近傍において、ASMは移流・拡散項の代数近似と圧力歪相関項の近似モデルの精度が悪く、両者が相反する非物理的な挙動のもと良い結果を与えることを明らかにしている。そのため、ASMの高精度化では、圧力歪相関項の高次モデルの導入と同時に、移流・拡散項の代数近似の改良を必要とすることを指摘している。WETモデルは、モデル式中のレイノルズ応力と乱流熱流束を渦粘性モデルで近似することで、渦粘性モデルの近似精度が悪くなる領域では、その相乗効果により更なる精度の低下を招くことを指摘している。また、壁の極近傍では数値不安定を引き起こすなど極めて精度の悪い結果を与えるが、簡便な解決方法として壁減衰関数の付加によりとれを改善できることを確認している。渦粘性モデルに関しては、もはや衆知のことでもあるが、ノルマルストレスの非等方性の再現性が悪いこと、せん断流において壁に平行方向の乱流熱流束を評価しないことなど、大幅な予測精度低下が非等温室内気流の解析においても免れ得ないことを示し、その精度低下を定量的に評価している。

 第7章では、全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題を総括している。

 以上を要約するに、本論文は室内の浮力乱流場を対象に乱流統計量の詳細な数値データベースを作成し、これに基づき、レイノルズ応力及び乱流熱流束の収支構造を解明し、さらに室内気流解析で用いられる代表的なRANSモデル(ASM、WETモデル等)の予測精度及び問題点を定量的に明らかにし、建築室内気流の予測に用いられるRANSモデルの評価・開発のための有用な知見を得ている。本研究の成果は、建築環境工学分野のみならず工学全般における熱流体解析技術の発展に寄与するところが大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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