学位論文要旨



No 215356
著者(漢字) 清水,均
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ヒトシ
標題(和) 分子線エピタキシー法による低しきい値、高特性温度長波長帯多重量子井戸レーザに関する研究
標題(洋)
報告番号 215356
報告番号 乙15356
学位授与日 2002.05.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15356号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨 要旨を表示する

 光通信用信号光源及び光増幅用の長波長帯半導体レーザは、これまで主としてMOCVD成長により、GaInAsP/InP系レーザで生産されている。しかしながら、今後、デバイス特性を更に向上させるためには、非熱平衡状態で成長可能であり、界面急峻性及び膜厚制御性に優れる分子線エピタキシー(MBE)法の特徴を生かした半導体レーザの研究を行う必要がある。本研究では、固体ソースMBE法及びガスソースMBE法により、長波長帯レーザの低しきい値化、高特性温度化、高速性改善の為の材料検討に取り組んだ。従来のMOCVD法によるGaInAsP系は、しきい値は低い(1井戸当たりJth=100A/cm2)が、温度特性が良くない(T0=50〜60K)という欠点がある。

 温度特性及び高速性改善の為には、量子井戸からの電子の熱放出を抑制することが重要である。本研究では、長波長帯半導体レーザにおいて、材料変更による量子井戸の深さ(△Eb)と特性温度の関係に主として着眼点を置いた。ここで、量子井戸の深さとは、量子井戸の伝導体の第一量子準位からバリア層までのポテンシャルエネルギーを指す。従来の1.3μm帯GaInAsP/InP系は、△Eb≒107meVであった。

 まず、伝導体のバンドオフセットが大きいと期待される、1.5μm帯のAlGaInAs/InP系を固体ソースMBE法で成長し、成長条件が結晶性に与える効果、臨界膜厚の成長温度依存性、レーザの温度特性及び高速性に関して検討した。V族に砒素のみを用いる、この材料のMBE成長によるレーザとしては、世界一低いしきい値電流密度(Jth=0.8kA/cm2)を得た。高速性に関しては、微分利得の評価を行い、実効的な微分利得として9.3x10-16cm2というGaInAsP系よりも2〜3倍大きな値を確認した。キャリア輸送過程を考慮すると1.6〜3.3x10-15cm2となり、歪量子井戸レーザの理論計算と良く一致した。温度特性改善に関しては、この材料系で多重量子障壁(MQB)の実験的検討を行った。界面急峻性や膜厚制御性の点でMQBはMBE成長が適していると考えられる。特性温度、スロープ効率の温度特性共に改善が見られ、MQBによる長波長帯のレーザ特性の改善効果を初めて示した。しかし、実験的に得られた効果は小さく、理論の再検討と結晶性向上が共に必要であることがわかった。このレーザは1井戸当たりのJthは200A/cm2と、GaInAsP系と比べて高く、特性温度も60〜70K程度とGaInAsP系と同程度であった。Jthが高い原因の一つに固体ソースMBE法ではInPが成長できないことや、量子井戸にAlを含むにも関わらず成長温度はInの脱離で制限されるため、530℃までしか上げられないという問題があった。特性温度があまりGaInAsP系と変わらないのは、伝導体バンドオフセット量が不充分であった為と考えられる(△Eb≒180meV)。

 長波長帯のレーザを検討するため、AIGaInAsP系を扱えるガスソースMBEに取り組んだ。伝導体バンドオフセットが大きいと期待されていた1.3μm帯InAsP/GaInAsP/InP系を用いて、歪量子井戸レーザの更なる特改善を目的に、変調ドープのレーザ特性に及ぼす影響を研究した。InAsP系は高歪系であり、また、変調ドープは急峻なドーピングプロファイルが望ましいことから、MBE法が向いていると考えられる。n型変調ドープでは0.25kA/cm2という低しきい値電流密度が得られ、また、BHレーザを作製し、しきい値0.9mAというサブミリアンペア動作を確認した。MBE成長による長波長帯レーザとしては、世界で最も低いしきい値である。n型変調ドープでは低しきい値、高効率、低発振遅延時間、高出力動作に有利なことを実験的に示した。また、p型変調ドープでは、微分利得の増加と発振遅延時間の減少が確認され、高速変調動作に有利であることを実験的に示した。また、特性温度もアンドープレーザに比較してp型変調ドープでは10K程度増加した。歪補償により井戸数の増加も検討したが、InAsP/GaInAsP/InP系では、特性温度は最高でも75Kと、通常のGaInAsP系と比べて温度特性の大きな向上は出来なかった。InAsP/InP系ではGaInAsP/InP系と比べて△Ecは大きくなっていない為と考えられる(△Eb≒110meV)。更にInAsP系においてバリア層のバンドギャップを大きくしたInAsP/InP/AlGaInAs系量子井戸レーザ(△Eb≒260meV)を検討しJth=0.6kA/cm2、Ith=10mA、T0=90〜100Kを得た。

 更に深い量子井戸(△Eb≧350meV)を形成するために、GaAs基板上の1.2〜1.3μm帯レーザである、高歪GaInAs系やGaInNAs系が注目されている。この材料は準安定混晶であり、最も非熱平衡状態に近い形で成長可能なMBE法はこの材料の成長に向いている。RFセルによるNラジカル源を搭載し、AlGaInAsPNSb系を扱えるガスソースMBEに改造した。本研究では、Sbを微小量含んだ長波長帯GaInNAs系SQWレーザと高歪GaInAs系SQWレーザをガスソースMBE法により成長した。Sbにより、成長モードが2次元成長から3次元成長に変化する臨界膜厚を大きくすることができた。GaInNAs系レーザで、波長1.257μmでの室温CW動作を達成した(Jth=0.7kA/cm2)。GaInNAs系を用いたレーザでは過去の報告例中、最も低いしきい値電流と同等であり(12.4mA@25℃)、なお且つ、高特性温度(T0=157K@25〜85℃)で、100℃以上の高温までCW発振した。1.25〜1.3μm帯のレーザで、世界で初めて、低しきい値電流且つ高特性温度(T0≧150K)を有する端面出射型レーザを報告した。

 最後に、本研究で検討した材料や、他研究機関の報告に関して特性温度(T0)と△Ebの関係や利得係数G0と△Ebの関係、G0と微分利得(g0)の関係を理論と比較してまとめる。電子の熱放出モデルから、85℃での熱放出確率を25℃とほぼ同一とするためには、△Eb≧350meVとなる材料が必要である。また、一般にバリア層及び光閉じ込め層のバンドギャップを大きくすると屈折率が下がり、光閉じ込め係数が小さくなる為にJthは増加する。現状では光閉じ込め係数を保持したまま△Eb≧350meVが期待できるのは、GaInNAs(Sb)/GaAs系のみであり、GaInNAs(Sb)系レーザは、ペルチエフリーの光加入者用光源やVCSEL材料として非常に有望である。また、非熱平衡に近い形で成長できるMBE成長は、GaInNAs系の成長に適していると言える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,石英光ファイバ通信用長波長帯レーザの低閾値化,高特性温度化,高速性改善に向けて,固体ソース分子線エピタキシャル成長法(MBE)およびガスソースMBE法に依拠した半導体量子ヘテロ構造材料の研究を行い,それらを実素子に適用した結果について論じたものであり,6章より構成されている.

 第1章は序論であって,研究の背景,動機,目的と,論文の構成が述べられている.長波長帯レーザとして一般的なGaInAsP/InP系レーザは,閾値電流密度は低いが,温度特性が良くない(特性温度T0で50〜60K)という欠点がある.温度特性および高速性改善のためには,量子井戸からの電子の熱放出を抑制することが重要である.本研究では,長波長帯半導体レーザにおいて,新規半導体材料のヘテロ接合によって伝導帯の量子井戸深さ(△Eb)を拡大し,もって温度特性を改善することに主眼をおいている.

 第2章は「1.55μm帯AIGaInAs/InP系MQWレーザ」と題し,まず伝導帯のバンドオフセットが大きいと期待される,1.5μm帯のAlGaInAs/InP系材料を固体ソースMBE法で成長し,成長条件が結晶性に与える効果,臨界膜厚の成長温度依存性,レーザを作製した場合の温度特性および高速性に関して論じている.この材料系のMBE成長に、よるレーザとしては,世界一低い閾値電流密度(Jth=0.8kA/cm2)を得た.高速性に関しては,微分利得の評価を行い,実効的な微分利得として9.3x10-16cm2というGaInAsP系よりも2〜3倍大きな値を確認した.キャリア輸送過程を考慮すると1.6〜3.3x10-15cm2となり,歪量子井戸レーザで理論的に予測される値と良く一致した.温度特性改善に関しては,この材料系で多重量子障壁(MQB)の実験的検討を行った.特性温度,スロープ効率の温度特性共に改善が見られ,長波長帯レーザにおけるMQBの有効性を初めて実証した.このレーザは1井戸当たりのJthは200A/cm2と,GaInAsP系と比べて高く,特性温度も60〜70K程度とGaInAsP系と同程度であった.この原因は,固体ソースMBE法ではInPが成長できないこと,量子井戸にAlを含むにも関わらず成長温度はInの脱離で制限されるため,530℃までしか上げられないこと,伝導帯バンドオフセット量が不充分(△Eb≒180meV)であったこと,などが考えられる.

 第3章は「1.3μm帯InAsP系変調ドープレーザ」と題し,燐を扱えるガスソースMBEに取り組んでいる.伝導帯バンドオフセットが大きいと期待される1.3μm帯InAsP/GaInAsP/InP系材料を用いて,歪量子井戸レーザの更なる特性改善を目的に,変調ドープのレーザ特性に及ぼす影響を研究した.InAsP系は高歪系であり,また,変調ドープは急峻なドーピングプロファイルが望ましいことから,MBE法が適しているといえる.n型変調ドープでは0.25kA/cm2という低閾値電流密度が得られ,また,BHレーザを作製しサブミリアンペア動作(閾値0.9mA)を達成した.MBE成長による長波長帯レーザとしては,世界で最も低い閾値である.n型変調ドープでは低閾値,高効率,短発振遅延時間,高出力動作に有利なことを実験的に示した.また,p型変調ドープでは,微分利得の増加と発振遅延時間の減少が確認され,高速変調動作に有利であることが実験的に示された.また,特性温度もアンドープレーザに比較してp型変調ドープでは10K程度増加した.歪補償による井戸数の増加も検討したが,InAsP/GaInAsP/InP系では,特性温度は最高でも75Kと,通常のGaInAsP系と比べて温度特性の大幅な向上は得られなかった.InAsP/InP系ではGaInAsP/InP系と比べて△Ecが大きくなっていないためと考えられる(△Eb≒110meV).更にInAsP系においてバリア層のバンドギャップを大きくしたInAsP/InP/AlGaInAs系量子井戸レーザ(△Eb≒260meV)を試作し,Jth=0.6kA/cm2,Ith=10mA,T0=90〜100Kを達成した.

 第4章は「1.3μm帯GaInNAs系レーザ」と題し,更に深い量子井戸(△Eb≧350meV)を形成するために,GaAs基板上の1.2〜1.3μm帯高歪GaInNAs系材料とそれに基づくレーザに関し論じている.この材料は準安定混晶であり,最も熱平衡状態から遠い成長が可能なMBE法はこの材料の成長に向いている.RFセルによるNラジカル源およびAl,Ga,In,As,P,Sb源を備えるガスソースMBEを開発し,Sbを微小量含んだ長波長帯GaInNAs系SQWレーザと高歪GaInAs系SQWレーザを同MBE法により成長した.Sbにより,成長モードが2次元成長から3次元成長に変化する臨界膜厚を大きくすることができた.その結果,GaInNAsSbレーザで,波長1.257μmでの室温CW動作を達成した(Jth=0.7kA/cm2).GaInNAs系活性層を用いたレーザでは過去の報告例中最低の閾値電流と同程度であり(25℃で12.4mA),なおかつ,157Kという高特性温度(25〜85℃)で,100℃以上の高温までCW発振した.1.25〜1.3μm帯で,世界で初めて,低閾値電流かつ高特性温度(T0≧150K)の端面出射型レーザを実現した.

 第5章は「各材料系のまとめと長波長帯レーザの究極の材料系に関する考察」と題し,本研究で検討した材料や,他研究機関の報告に関して特性温度T0と△Ebの関係や利得係数G0と△Ebの関係,G0と微分利得g0の関係を理論と比較してまとめている.電子の熱放出モデルによれば,85℃での熱放出確率を25℃とほぼ同一とするためには,△Eb≧350meVとなる材料が必要である.また,一般にバリア層および光閉じ込め層のバンドギャップを大きくすると屈折率が下がり,光閉じ込め係数が小さくなるためにJthは増加する.現状では光閉じ込め係数を保持したまま△Eb≧350meVが期待できるのは,GaInNAsSb/GaAs系のみであり,GaInNAsSb系レーザは,熱電素子不要の光加入者用光源や面発光レーザ(VCSEL)材料として非常に有望である.また,熱平衡から離れた状態で成長できるMBE法は,GaInNAsSb系の成長に適していると言える.

 第6章は結論であって,本研究で得られた成果を総括している.

 以上のように本論文は,光ファイバ通信用長波長半導体レーザの温度特性向上を目指して,伝導帯オフセットを従来材料より大きく取れる可能性のあるInP上のAlGaInAs,InAsP,およびGaAs上のGaInNAsSb量子井戸構造を分子線エピタキシー法の特徴を活かして成長し,実際にレーザ素子を作製して各材料の利害得失を系統的に明らかにするとともに,この過程を通じて世界最高レベルの特性温度や閾値電流を達成したものであって,電子工学分野へ貢献するところ少なくない.

 よって本論文は博士(工学)、の学位請求論文として合格と認められる。

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