学位論文要旨



No 215358
著者(漢字) 塚原,克平
著者(英字)
著者(カナ) ツカハラ,カッペイ
標題(和) 分裂酵母の分化を負に制御するRNA結合蛋白質Nrd1
標題(洋)
報告番号 215358
報告番号 乙15358
学位授与日 2002.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15358号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
内容要旨 要旨を表示する

 細胞周期のG1期は、細胞がDNA複製を開始し分裂増殖するか、または、ある機能を果たす細胞へと分化するかを決定する重要なポイントである。近年の分子遺伝学的研究により、細胞周期の開始機構については多くの役者が同定され、その制御機構が明らかになりつつある。しかしながら分化の開始という概念に目を転じると、そこに存在する普遍的な制御機構についてはほとんどわかっていないのが現状である。私は細胞分化の開始機構を明らかにする目的で、分子遺伝学的手法が使える分裂酵母を用い、真核細胞分化のモデルと考えられている酵母の性分化に関わる新規遺伝子の同定を試みた。本論文は分裂酵母の分化を制御する新規遺伝子についての研究である。前半で、分裂酵母変異株を用いた分化制御遺伝子クローニング法と、その結果得られたRNA結合蛋白質Nrd1の構造および生化学的機能を示し、後半で、nrd1+遺伝子の生理的役割に関する遺伝学的解析結果について述べる。

 分裂酵母は栄養豊富な培地中では一倍体で栄養増殖しているが、培地中の栄養源が枯渇すると、異なる性を持つ細胞同士が接合し一過的に二倍体細胞となった後、減数分裂過程を経て胞子形成を行う。この接合から胞子形成へ至る過程は、分裂酵母の性分化とよばれ、真核細胞の分化モデルと考えられている。私は分裂酵母の性分化開始に関わる遺伝子を解析することが、高等動物の細胞分化を考える上で重要なヒントを与えるに違いないと考え、性分化開始に異常を持つ変異株を宿主とした機能相補クローニングによる新規遺伝子の単離を試みた。

 私が選択した変異株はpat1と呼ばれる温度感受性変異株である。分裂酵母は栄養豊富な培地中で盛んに増殖している時には、プロテインキナーゼPat1が減数分裂開始因子Mei2をリン酸化することにより不活化し、減数分裂の開始を阻止している。温度感受性pat1行変異株は、制限温度下に置くことにより、一倍体にも関わらず減数分裂を開始してしまい致死となるという興味深い形質を示す。この表現型は、mei2変異、もしくはmei2+の発現に必須のHMG box型転写因子ste11の機能喪失変異により完全に抑圧される。私は、このようなPat1不活化による強制的な減数分裂開始を多コピーで抑圧する新規遺伝子として、nrd1+(Negative Regulator of Differentiation 1)を単離した。

 nrd1+遺伝子は529アミノ酸をコードするORFを持っていた。推定されるNrd1蛋白質はRNP1,RNP2という2つの保存されたアミノ酸配列を含むRNA結合ドメイン(RRM)を4つ持つという特徴を有していた。RRMは、出芽酵母のPoly(A)binding protein、ショウジョウバエの神経分化に関わるelav、ヒトのスプライシング因子U2AFなどに存在することが知られており、分裂酵母においては、上述のMei2が3つのRRMを持つRNA結合蛋白質である。私はnrd1+の機能ドメインに関する知見を得るためにdeletion analysisを行い、少なくとも最初のRNA結合ドメインがpat1変異抑圧に必須であることを見出した。また、Nrd1pはMAPキナーゼによりリン酸化を受けうる2箇所のスレオニン残基を持っており、このコンセンサス配列中の126番目のスレオニン残基をアスパラギン酸に置換した変異nrd1遺伝子は、pat1ts抑圧にpka1+遺伝子を必要とすることから、このスレオニン残基がNrd1の機能に重要であることが明らかとなった。さらに、FLAG-tagged Nrd1を用いた免疫沈降実験により、Nrd1蛋白質は、実際にRNAホモポリマーであるpoly(U)に結合することが明らかとなった。以上のことから、nrd1+は細胞内でRNA結合蛋白質として機能していること、また、リン酸化による制御を受けている可能性があることが示唆された。

 次に、nrd1+遺伝子の生物学的機能を知るために、nrd1破壊株を作製した。nrd1破壊株は、野生株と全く同じ様に増殖可能であった。私は、nrd1+遺伝子の機能が性分化開始の制御にあると考えて、nrd1破壊株が分化しやすくなっているかどうかを調べた。この結果、nrd1破壊株は、培地中の栄養源を段階的に減らしていくと、野生株が分化を開始しない条件でも分化をスタートしてしまうことがわかった。すなわち、nrd1破壊株は、培地中のグルコース量を2%から0.5%に下げるだけで接合を開始してしまう。この時の細胞の形態を観察すると、あたかも増殖しながら、分化の窓口のみが開いているという、増殖そのものにはまったく影響がないと考えられるphenotypeであった。また、グルコース枯渇のみならず、窒素源枯渇に対しても、野生株に比べて非常に接合しやすくなっていた。さらに、nrd1+遺伝子の過剰発現により、野生株の分化開始はマイルドに阻害された。以上のことから、nrd1+遺伝子は、培地中の栄養が豊富な状態の時に性分化を開始してしまわないように監視制御する機能を持つことが明らかとなった。また、窒素源や炭素源といった特定の栄養源シグナルを伝達するのではなく、培地中の栄養状態全体に対する反応の閾値を決める役割を担うことが考えられた。

 次に、nrd1破壊株がなぜ接合を開始してしまうのかを調べるために、接合に関わる遺伝子について、mRNAの発現変化を解析した。分裂酵母における性分化の開始には、分化開始のマスター転写因子であるSte11の発現誘導と、これによって転写誘導される一群の分化関連遺伝子群が関わっている。後者は、性フェロモンがなくても十分に転写誘導されるもの(mei2+等)と、フェロモン存在下で転写が大きく誘導されるもの(sxa2+,rep1+,fus1+等)の2種類に大別される。これらの遺伝子について、nrd1破壊株が接合を開始してしまう条件、すなわち、培地中のグルコース量を4分の1にしたときの転写量の違いについて、野生株とnrd1破壊株を比較した。この結果、nrd1破壊株では、Ste11の下流因子の発現が脱抑制されていることが明らかとなった。

 この傾向は、特にste11+と接合フェロモンの両者によって発現が誘導される遺伝子群において顕著であった。従って、nrd1+遺伝子の機能を喪失すると、栄養が十分ある条件にも関わらず、接合関連遺伝子群が発現され、分化を開始してしまうという機序が考えられた。また、nrd1+遺伝子の過剰発現により、mei2+の発現が抑制されることから、pat1変異抑圧のメカニズムは、この血mei2+発現抑制に起因していると考えられた。以上のことから、nrd1+遺伝子は、栄養豊富な時に、HMG-box型転写因子Ste11の下流遺伝子群の遺伝子発現を抑制し、十分に栄養が枯渇するまで分裂増殖を維持する役割を担っていることが明らかとなった。

 さらに、分化の開始を制御することが知られている遺伝子との関連を調べるために、二重変異株を用いた遺伝学的解析を行った。まず、グルコースおよび窒素源のシグナル伝達に関わるcAMP-Pka1経路については、nrd1破壊株の接合がcAMPにより完全に阻害されることから、nrd1+の機能がcAMPの上流または別経路である可能性が考えられたが、nrd1によるpat1変異抑圧にAキナーゼpka1+を必要としないこと、逆にpka1+によるpat1ts変異抑圧にnrd1+を必要としないことから、両者は別経路であると結論した。次に、ストレスMAPキナーゼキナーゼであるWis1経路との関連を調べた。Wis1破壊株は接合不能であるが、同時にnrd1+遺伝子を破壊した二重破壊株は、部分的に接合可能となった。しかしながらこの抑圧は完全ではなかったことから、別経路であることが示唆された。さらに、窒素源シグナルを特異的に伝達するncd1+についても、ncd1破壊株の接合不能がnrd1破壊により弱く抑圧され、完全ではなかったことから、同一経路における上位下位の関係ではないことが明らかとなった。

 以上述べてきたように、本研究により、nrd1+遺伝子は、Ste11によって誘導される遺伝子の発現を抑制することにより、栄養豊富なときには分化が開始しないように、その閾値を決めている機能を有することが明らかとなった。最近nrd1+遺伝子のヒトホモログが単離され、分裂酵母と同様に、血球細胞の分化開始を制御する因子であることが明らかとなったことから、nrd1+遺伝子が進化的に保存された普遍的な分化制御因子であることが示唆された。このことにより、分裂酵母の性分化制御機構解明を突破口とし、高等哺乳動物細胞の分化開始機構に迫るという方法論が、細胞分化の普遍的メカニズム解明に極めて有用であることが証明された。したがって、この方法論を用いることにより、高等真核細胞の分化制御機構に中心的な役割を果たす遺伝子群が次々と同定され、複雑で難解な細胞分化の全体像が明らかになっていくものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は高等哺乳動物細胞の分化開始機構を明らかにするため、分裂酵母の接合を細胞分化開始のモデル系として、これに関わる新規RNA結合蛋白質Nrd1の同定と機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.分裂酵母pat1変異株の致死性を多コピーで抑圧する遺伝子をスクリーニングした結果、新規遺伝子nrd1+の単離に成功した。Nrd1+は529アミノ酸からなる新規蛋白質をコードし、4つのRNA結合ドメインを持つことからRNA結合蛋白質であると考えられた。N末端からのdeletion解析の結果、第一番目のRNA結合ドメインが活性に必須であることが示された。またFLAGタグを用いた免疫沈降実験により、Nrd1蛋白質が実際にpoly(U)に結合することが示された。

 2.Nrd1蛋白質はMAPキナーゼによりリン酸化されうる2つのスレオニン残基を有する構造をしていた。変異導入解析の結果、126番目のスレオニン残基をアスパラギン酸に置換したNrd1蛋白質をコードする変異nrd1遺伝子はpka1+欠損時にpat1変異を抑圧できなかったことから、Nrd1蛋白質がスレオニン残基のリン酸化により活性制御を受けうることが示された。

 3.nrd1+遺伝子の生理的役割を明らかにするために、nrd1破壊株を作製し、その表現型を検討したところ、栄養源枯渇に対する感受性が上昇しており、野生株が接合しない条件でも接合を開始してしまうことが示された。また、逆にnrd1+遺伝子の過剰発現により接合が阻害されることが示された。

 4.接合に関わる遺伝子群の発現解析を行った結果、転写因子Ste11によって誘導される遺伝子群、特にその発現誘導に接合フェロモンを必要とする遺伝子であるsxa2+およびrep1+の発現がnrd1破壊株において顕著に亢進していることが示された。また、接合フェロモンを用いた実験から、これらの発現誘導が、nrd1破壊株によって亢進した接合の結果ではないことが示された。さらに、nrd1+遺伝子の過剰発現によりmei2+の発現が抑制されることが示された。

 5.既存の分化開始制御系との関連を明らかにするために二重変異株を用いた上位下位検定を行った。まずpat1変異とnrd1破壊株もしくはpka1破壊株との二重変異株を作製し解析した結果、nrd1はpat1抑圧にpka1+を必要とせず、逆にpka1+もnrd1+を必要としなかったことから、nrd1+はグルコース-cAMP-Pka1系とは別経路であることが示された。次にwis1欠損変異株の接合不能形質がnrd1破壊により部分的に回復されたことから、ストレスMAPキナーゼ経路の完全な下流因子ではないことが示された。さらにncd1破壊株の接合不能形質もnrd1破壊により部分的に回復されたことから、窒素源シグナル系とも別経路であることが示された。

 以上、本論文では新規RNA結合蛋白質Nrd1を同定し、この因子がSte11誘導性遺伝子群の発現抑制により、細胞を取り巻く条件が整うまで分化開始を抑制するという新しい制御機構の存在を明らかにした。また、Nrd1には哺乳類ホモログが存在し、分裂酵母の場合と同様に動物細胞の分化制御因子であることがその後の研究により明らかとなっている。本研究はこれまで未知に等しかった、高等哺乳類細胞の分化開始制御機構解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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