学位論文要旨



No 215360
著者(漢字) 古屋,一英
著者(英字)
著者(カナ) フルヤ,カズヒデ
標題(和) 細菌性リポ多糖類投与により誘発される脳虚血耐性誘導現象におけるセラミドの関与の検討
標題(洋)
報告番号 215360
報告番号 乙15360
学位授与日 2002.05.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15360号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 助教授 郭,伸
内容要旨 要旨を表示する

 脳は他の臓器と同様、様々な非致死性のストレスを受けた後に致死的なストレスに対して耐久性を獲得して細胞が生存可能となることが知られてきた。脳虚血の場合にも同様の現象がよく知られていて、虚血耐性現象と言われている。中大脳動脈閉塞に代表される局所脳虚血の動物モデルにおいても虚血耐性誘導がかかることがわかり、その結果は脳梗塞体積の縮小として反映される。例えば軽度の前脳虚血後に中大脳動脈閉塞を行うと単に中大脳動脈閉塞を行った場合よりも梗塞体積は減少したり、短時間の一過性虚血を中大脳動脈領域に与えると中大脳動脈閉塞後の梗塞体積が減少することが報告されている。臨床上の観点からは、局所脳虚血モデルにおける耐性現象を研究することは重要であり有意義と考えられる。非致死性のストレス負荷による前処置はpreconditioningと呼ばれる。高熱、低温などの生体にとって適正域ではない温度環境への暴露、短時間の虚血負荷、spreading depression、細菌性リポ多糖類(bacterial lipopolysaccharide:LPS)投与などが虚血耐性を誘導できる有効なpreconditioningとして知られてきた。脳におけるこの虚血耐性現象の機序に関しては未だ明らかにされていない。様々なpreconditioningによって惹起される耐性誘導が、その刺激特有の経路によって引き起こされるのか、或いは共通な経路によって引き起こされるのかに関してもはっきりした事はわかっていない。臨床応用としての観点からは、preconditioningをヒトに行うことは不可能であるが、その経路の解明により治療応用可能な戦略をとることは充分に可能である。LPSはエンドトキシンショックに代表される臨床的重要性から集中的に研究されており、これを動物モデルで虚血耐性に応用した場合、他のprecondetioningによるモデルと比べ、シグナル伝達でのcandidateの役割を解析しやすい面があり、臨床応用への道も開かれる可能性がある。近年LPSによるシグナル伝達にはTNF-αやInterleukin-1β(IL-1β)のシグナル伝達と同様、スフィンゴミエリン経路が関与しているとの報告がなされてきた。セラミドはこの経路でシグナル伝達開始に重要な役割を果しているが、神経細胞の培養系でのTNF-α投与にて獲得される虚血耐性がセラミド合成を阻害すると消失するという報告はLPSによる虚血耐性のシグナル伝達においてのセラミドの関与を充分に示唆するものである。そこで我々はセラミドがLPS前投与後の局所脳虚血耐性獲得にも関与しているのではないか、と考えた。これを検証するため以下のような実験系を組み立て虚血耐性時でのセラミドの関与を検討することとした。(1)LPS前投与にて局所脳虚血耐性が誘導されることを明らかにする。(2)LPS投与後のセラミドを経時的に測定することによって虚血耐性誘導時での動態を明らかにする。(3)それを基に外因性にセラミドを投与しLPS投与時と同様の脳梗塞体積の減少を得るか否かを確認する。

(1)LPS前投与による局所脳虚血の耐性誘導実験

 低濃度のLPS(0.9mg/kg)とコントロールである生理食塩水を自然発症高血圧ラット(SHRと略)に経静脈的に投与後24,48,72,96時間後及び7日後に手術的に中大脳動脈を閉塞し、この24時間後に脳梗塞体積を比較した。48,72,96時間前投与のシリーズでコントロール群に比しLPS群で有意に梗塞体積の減少が観察され、LPS前投与は梗塞体積をそれぞれ22.8%(p<0.05)、25.9%(P<0.02)、20.5%(P<0.02)減少させた。耐性誘導の効果は72時間前投与のものが最大であった。

(2)LPS前投与後の脳内および血液中のセラミドの動態

 (1)での耐性誘導の実験結果から、前投与後72時間までを耐性が成熟するまでの期間と位置付けこの間のセラミドの測定を行った。無処置のSHR3匹を用いて中大脳動脈灌流域の大脳皮質の含有セラミドを測定し、これを基礎値とした。またLPS投与群とコントロール群での大脳皮質のセラミドを経時的に測定した。LPS投与群の大脳皮質では投与6時間から12時間の間にセラミドは上昇し始め12時間の時点で基礎値の149.%に上昇、その後さらに24時間、48時間と上昇し続けた(182%)が、72時間の時点では下降し基礎値の132%であった。コントロール群との比較では12,18,24,48時間の時点でのセラミドが有意に高かったが72時間の時点では両群間の差は消失した。

 またLPS或いは生理食塩水投与前に採血し得られ牟血清中のセラミドを基礎値とし血清のセラミドを測定したところ、LPS投与群の血清中ではセラミドは24時間後にピークに達し基礎値の約2倍に上昇したが、その後速やかに下降し48時間後には基礎値のレベルに戻った。これは72時間後も同様であった。コントロール群では測定したどの時間においてもセラミドの上昇は見られず、両群では24時間目の差が有意であった。血液中でのセラミド上昇の由来については血液を低濃度(10μg/ml)と高濃度(100μg/ml)のLPS及び生理食塩水と共に24時間インキュペートした後測定を行ったが、24時間後でもLPSを生体内に投与した時の値には到達していないことから血液中でのセラミドの由来を血液細胞、特に白血球に求めることは困難であると考えられた。

(3)外因性セラミド投与による虚血耐性の誘導実験

 セラミドがLPSによるシグナル伝達の下流に位置し、LPSと受容体が結合する段階をバイパスしてLPSを投与した時と同様の効果を引き起こすと仮定すると、セラミドの動態に類似させて外因性に細胞透過性のあるセラミドアナログを投与すればLPS前投与と同様の脳梗塞体積の減少効果、つまり虚血耐性を得ることができると考えた。まずセラミドアナログ(C2-セラミド)100μg/kg経脳槽的に投与してから中大脳動脈を閉塞したところコントロール群と比較し有意な脳梗塞体積の縮小が見られた(P<0.05)。次にC8-セラミドを1mg/kg経静脈的に投与し24時間後、48時間後に中大脳動脈閉塞を行った群と中大脳動脈閉塞5分後に注入した群を作成し脳梗塞体積を比較検討したところLPS前投与の時と同様、梗塞体積を縮小させる効果があることが判明し(P=0.007)セラミドによる虚血耐性の誘導が可能であることが明らかとなった。

 今回の実験では、低濃度のLPS投与においてその後の局所脳虚血という侵襲に対し梗塞体積の縮小という形で耐性現象が誘導されること、及びその機序に関してはスフィンゴミエリンサイクルの関与が示唆され、耐性現象が誘導されるまでの間セラミドが一過性に上昇することが確認された。この上昇は血液中では一過性であるのに対し脳では48時間持続していた。また血液中でのセラミドの由来を白血球に求めることは困難であることも示唆された。末梢血中で上昇したセラミドが脳内での持続的なセラミド上昇に一部は関与している可能性も捨てきれないにせよ、LPS投与後の脳と血清中でのセラミドの動態が時間的にかなり異なっているという事実は脳でセラミドが生成されていることも示唆している。

 実際我々の行った実験では内因性セラミド濃度は血清中で48時間後には急峻に下降しているのに対し、脳では上昇を続けている。虚血耐性現象においてセラミドの関与は以上の如く強く示唆されるものの、その効果(17%の梗塞体積減少率)はLPS前投与の場合(20-25%)よりも弱くLPSによる虚血耐性現象をスフィンゴミエリンサイクルのみで説明することは困難であり、そのシグナル伝達にはさらに他の経路も考慮しなくてはならないことが示唆された。またセラミド自身は虚血侵襲時に静脈内及び脳内に投与しても有意に梗塞体積の減少が得られ、これを虚血耐性現象と捉えるには時間的に早すぎることから、それ自身に何らかの保護作用があることも示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は細菌性リポ多糖類の低量投与による前処置(preconditioning)によって局所脳虚血での耐性誘導を行い、そのシグナル伝達の上流に位置すると思われるセラミドの関与を明らかにするため、自然発症高血圧ラットによる中大脳動脈閉塞モデルを使用しセラミドの動態および外因性セラミド投与による脳梗塞体積の縮小効果を見たものであり、下記の結果を得ている。

 1.低濃度のLPS(0.9mg/kg)とコントロールである生理食塩水を自然発症高血圧ラット(SHRと略)に経静脈的に投与後24,48,72,96時間後及び7日後に手術的に中大脳動脈を閉塞し、この24時間後に脳梗塞体積を2,3,5-triphenyltetrazolium chloride(TTC)染色により測定し比較した。48,72,96時間前投与のシリーズでコントロール群に比しLPS群で有意に梗塞体積の減少が観察され、LPS前投与は梗塞体積をコントロール群に比しそれぞれ22.8%(P<0.05)、25.9%(P<0.02)、20.5%(P<0.02)減少させた。耐性誘導の効果は72時間前投与のものが最大であり前投与後72時間までが耐性が成熟するまでの期間であることが示された。

 2.無処置のSHRを用いての中大脳動脈灌流域の大脳皮質の含有セラミドを逆相HPLCにより測定しこれを基礎値として前処置後のラット大脳皮質のセラミドを測定した。LPS投与群の大脳皮質では投与6時間から12時間の間にセラミドは上昇し始め12時間の時点で基礎値の149%に上昇、その後さらに24時間、48時間と上昇し続けた(182%)が、72時間の時点では下降し基礎値の132%であった。コントロール群との比較では12,18,24,48時間の時点でのセラミドが有意に高かったが72時間の時点では両群間の差は消失した。

 またLPS或いは生理食塩水投与前に採血し得られた菰清中のセラミドを基礎値とし血清のセラミドを測定したところ、LPS投与群の血清中ではセラミドは24時間後にピークに達し基礎値の約2倍に上昇したが、その後速やかに下降し48時間後には基礎値のレベルに戻った。これは72時間後も同様であった。コントロール群では測定したどの時間においてもセラミドの上昇は見られず、両群では24時間目の差が有意であった。

 この血液中でのセラミド上昇の由来については血液を低濃度(10μg/ml)と高濃度(100μg/ml)のLPS及び生理食塩水と共に24時間インキュベートした後測定を行ったが、24時間後でもLPSを生体内に投与した時の値には到達していないことから血液中でのセラミドの由来を血液細胞、特に白血球に求めることは困難であると考えられた。

 3.セラミドアナログの投与実験においては、まずC2-セラミド100μg/kgを経脳槽的に投与してから中大脳動脈を閉塞したところコントロール群と比較し有意な脳梗塞体積の縮小が見られた(P<0.05)。次にC8-セラミド1mg/kgをLPSと同様、経静脈的に投与し24時間後、48時間後に中大脳動脈閉塞を行った群と中大脳動脈閉塞5分後に注入した群を作成し脳梗塞体積を比較検討したところLPS前投与の時と同様、コントロール群に比し梗塞体積を縮小させる効果があることが判明し(P=0.007)セラミドによる虚血耐性の誘導が可能であることが明らかとなった。

 以上、本論文はLPSを用いたpreconditioningによるラット中大脳動脈閉塞までの虚血耐性獲得期間において一過性にセラミドが上昇することを初めて示したものであり、また内因性セラミドの動態に一致させた外因性セラミドの投与実験から脳梗塞体積の縮小を示したものである。本研究はこれまで未知であったしPSによる虚血耐性獲得の過程でのシグナル伝達解析に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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