学位論文要旨



No 215363
著者(漢字) 松浦,寿輝
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,ヒサキ
標題(和) 表象と倒錯 : エティエンヌ=ジュール・マレー
標題(洋)
報告番号 215363
報告番号 乙15363
学位授与日 2002.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15363号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩佐,鉄男
 東京大学 名誉教授 蓮實,重彦
 東京大学 教授 石光,泰夫
 東京大学 教授 浦,雅春
 情報科学芸術大学院大学 教授 横山,正
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、一九世紀フランスの生理学者であり写真家でもあったエティエンヌ=ジュール・マレー(1830-1904)の仕事を手掛かりに、西欧近代における「表象」と「イメージ」の問題を考察したものである。

 この考察は、大きく言って、三つの部立てに沿って進められている。

 まず、第I部「倒錯者マレー」を構成する三つの章において、わたくしは、マレーが医学者=生理学者としての名声を築いた一八六〇年代における仕事を一通り展望し、それが基本的に生体の運動をいかに表象するかというモチーフに貫かれている点を明らかにした。ここで生体の運動と呼ぶものは、血液循環のような体内におけるものと、歩行・跛行・疾走など「ロコモシオン」と総称される外的なものとをともども含む。

 マレーの「科学的」視線は生体の内部に侵入することを拒み、徹底的にその表層にとどまろうとする。この表層性は二つのものの不在によって定義される。第一に「実験」。そこでは生体解剖をはじめとする「実験」が峻拒される。他方、単に外からそれを「観察」するだけで満足しない。マレーの欲望が向けられるのは生体の運動の「表象」の作成であり、そこで問題化されるのはひとえに、外界と内界とを隔てる厚みのない境界面に生起する記号的事象の推移である。

 科学史家フランソワ・ダゴニェは、これを「生気論」に対立する「機械論」的立場と捉え、その現代的意義を顕揚する。しかし、むしろ「生命」の問題系を完全に欠落させたマレーの表象論が、医学からも生物学からも根本的に異質なまなざしと欲動を基盤として成立していることに注目すべきである。この特異なまなざしと欲動の発現形態には、身体をめぐる間接性の倫理としての「倒錯」が漲っている。写真技術の導入をきっかけとして、マレーが生命科学の言説から離脱し、運動表象の精緻化へと向かってゆくのはこの「倒錯」から導き出された必然的な成り行きであったと言える。

 次に、第II部「「近代」の閾」に含まれる三つの章において、わたくしは、この運動表象の精緻化に伴って生理学者から写真家へと変貌してゆく一八八○年代以降のマレーの仕事を概観し、それを運動映像の技術史の文脈に位置づけながら、この仕事の最終的な目的とは正確な「表象」の完成のはずであったにもかかわらず、むしろ「表象」の概念を逸脱する過剰なるものの露呈に至り着いてしまったことを明らかにした。

 表象のよりいっそうの正確さという要請から、マレーは、一八七〇年代までの彼の方法においては要をなしていた「グラフ」を棄て、新たな表象技術としての「写真」を採用することになる。そして、彼の被写体が運動する生命体である以上、この写真は当然、連続写真となる。「グラフ」から「写真」へというこの移り行きにおいて決定的なメルクマールをなすのは、一八八二年における「写真銃」の発明である。

 では、一八八○年代のマレーの仕事における写真の導入をどのように捉えるべきか。「グラフ」期のマレーが、生体運動のグラフ化、図表化を、「普遍言語」への翻訳という譬喩によって語っている一節に注目した。個別の諸言語、諸国語を越える普遍性を備えた「往時のラテン語」への転換として譬喩的に定義しうるものがグラフによる「表象」であるとすれば、写真に現われているものは、むしろこうした譬喩の無効性そのものによって定義されうる。連続写真のためのマレーの機械が、写真銃からクロノフォトグラフィヘと洗練されてゆくにつれて、このように言語には決して還元されえない過剰性ないし特異性は、いよいよ昂進してゆくことになる。

 言語への翻訳という譬喩を無効にするこの過剰な「何ものか」を、仮にひとことで「イメージ」と呼んだ場合、「表象」から「イメージ」へという転回を示しているものが一八八○年代のマレーの仕事なのであり、それは西欧近代のこの時期における認識論的な地滑りと同調した現象として捉えるべきであろう。

 クロノフォトグラフィが作成したこの「イメージ」の特異性を解明するために、本論文は、一方では、マレーと同時期にやはり動物と人体の連続写真を数多く撮影しその専門家として世界的名声を得たマイブリッジを、他方では、長くマレーの助手を勤めやがて師から離反し、独自の装置の商業化を企てるに至るドゥメニーを召喚した。この二人の同時代人の仕事とそれを貫く欲望を考察し、それとの対比においてマレー的「イメージ」の独自性を浮き彫りにしようと試みた。

 最後に、やはり三つの章からなる第III部「イメージ、その欲望と倫理」において、この「イメージ」なるものの特質を、十九世紀末から二〇世紀にかけての歴史的文脈を参照しつつ、理論的に解明することを試みた。まず、マイブリッジ、ドゥメニーを受け継ぐもう一つの同時代的試みとして、リュミエール兄弟のシネマトグラフ映像の特質を分析し、それとの差異によって改めてクロノフォトグラフィ映像を定義し直すところから始める。次いでそこを起点として、哲学者大森荘蔵の「立ち現われ一元論」の命題、さらに小説家プルーストによる「失踪したアルベルティーヌの喚起」という文学的達成、というこれら二本の補助線を引くことを通じて、「表象」と「イメージ」の問題の、やや一般的なかたちでの定式化を試みた。

 マレーの機械を決定的に凌駕しそれを過去のものとしてしまったという評価を与えられるシネマトグラフは、ひとたび分解した複数映像を連続的に提示することで運動感の錯覚を醸成する娯楽機械であるが、一つには視覚的アトラクションの魅力、もう一つには長いナラティヴを組織しうるという充実した物語的能力という、この二つのメリットのゆえに、二〇世紀の全体を通じて全世界にわたって商業的成功を収めることになった。マレーの発明は一八九五年以降このリュミエール兄弟の成功の陰にたちまち忘れ去られ、映画前史の一エピソードの地位しか占めないものとなってゆく。見えるものを見えるがままに「見せる」ものがシネマトグラフであり、他方、見えないものを「見させる」ものがクロノフォトグラフィという言いかたも可能である。その場合、「イメージ」の出現という歴史的な出来事をシネマトグラフとの関係で語ることはもちろん可能であり、妥当であるが、そこにおいて決定的なのはむしろスクリーンヘのプロジェクションというシネマトグラフ独自の映像発生システムであろう。その一方で、シネマトグラフ映像の自明性を持たず、「見えるものを見えるままに」という同語反復が安堵させるようには決して人々を安堵させないクロノフォトグラフィの「不自然さ」に、「表象」ならざる「イメージ」の或る重要な特質が露呈していると考えることも可能である。凝固した運動という逆説ないし矛盾語法(オクシモロン)のうちに、二〇世紀的な「イメージ」の魅惑の核心を見ることが可能のはずである。

 「ゼノンの逆理」の解明を通じて「運動」「時間」「過去」等の主題を徹底的に考究した大森荘蔵は、この「イメージ」の問題に関して或る哲学的視点を提示している。一方で運動は表象しえない、他方で「イメージ」は存在しないとする大森の「立ち現われ一元論」は、一面の真理を含んでいながら本質的な欠陥を孕んでおり、その欠陥を鮮烈に炙り出すものこそがまさにマレーの作成した連続写真であり、また不在なるものに向けられた欲動の沸騰を執拗に追求し、それに文学的表現を与えたたプルーストの小説執筆の営みなのである。

 以上の三部構成によって、わたくしは、映像機械の技術史とマレーの仕事の発展とを重ね合わせつつ、一八八○年代に焦点を結ぶ「表象」から「イメージ」へというエピステモロジックな転換を浮かび上がらせようとした。この転換の意義を、以下に簡単に要約する。

 ふつう人はマレーの発明を、写真と映画の中間に位置する過渡期の産物と見なしがちである。だが中間と言うならそれはむしろ、言語と言語ならざるものとの間の閾の上にあると言うべきだろう。表象の欲望が、その窮まりの果て、或るとき唐突に言語ならざるものの領域へ突き抜けてしまったわけで、しかしその欲望の主体たるマレー自身は、あくまで言語のパラダイムの内側にとどまり、同語反復の堂々巡りのうちに閉じこめられることに執着しつづけた。クロノフォトグラフィが棲まっているのは、この「ずれ」のただなかである。

 他方、プルーストの築いた巨大な言語的大伽藍もまた、或る「ずれ」の中で生成していったのだが、そこでの「ずれ」とは、「失われた時間」という言語ならざるものの表象に取り憑かれながら、しかしそれに用いるべき素材として言語以外のものは残されていないというパラドックスのことだった。クロノフォトグラフィが技術的洗練の過程を辿り、またプルーストがパリとイリエ=コンブレーとを往還しつつ文学的思春期を過ごしていた西欧の一八八○年代とは、表象作用の限界に対する尖鋭な意識の出現によって定義される決定的な一時期である。この時代が興味深いのは、フランスで言えば第三共和制初期に当たるこの時期、そうした限界意識をみずからの仕事の中核に据えることに存在を賭けた少数の芸術家や文学者たちが出現し、数の上でのその稀少性にもかかわらず、彼らの神経症的な創造行為による達成が、以後一世紀以上にわたって、「近代」的な「作品」行為の地平に君臨しつづけることになったからである。

 表象の限界をめぐる意識とは、創造行為の主体の個人的な認識というよりはむしろ、表象作用それ自体がおのれみずからに差し向ける非人称的な自意識と呼ぶべきものだ。実際、映像空間の「近代」は、「表象の自意識」の発生とともに開幕する。マレーの運動表象もまたこうした極めつきの「近代」の産物の一つであり、それは、同時代の自然科学者の業績と補完させ合うことによってよりはむしろ、マラルメの詩篇「エロディアッド」やセザンヌの油彩の連作《水浴する女たち》などと共鳴させ合うことによってはるかに豊かに輝く「作品」である。

 ここで問題となっているのは、ひとことで言えば、表象作用の可能性を疑問に付すという身振りである。ただし、マレーはそれを、マラルメのように、詩的言語からコンヴェンショナルな意味を纂奪し、純白の空虚によって統べられる否定神学的な空間を創出することによって行ったのではない。また、セザンヌのように、迫真的な奥行きと造型的な平面性との拮抗関係を微妙に調停しつつ、色彩と形態の戯れに堅固な秩序と鋭利な強度を与えることによって行ったわけでもない。マレー自身の欲望は、むしろ表象作用のひたすらな徹底化にあったのだが、ほとんど畸形的とさえ呼びうるこの徹底性それ自体によって、彼のまなざしは或る瞬間ふと、表象の臨界点に踏み越えてしまう。

 そのとき、不透明で、厄介で、いかがわしく、収拾がつかず、「どうしようもない」何ものか、目眩めくような輝きで主体の視線を脅かし、ときにそれに盲目を強いもする手に負えない過剰な何ものかとしての「イメージ」が生誕する。マレー自身にとって、これは図らずも逢着してしまった不測の事態であった。表向きにはあくまでもまっとうな厳正科学の衣裳をまとっている彼の装置と言説が、不意にそこになだれ落ちていってしまう密かな倒錯の実践だったのである。直截さと隠微さとが矛盾せずに共存していたという意味で、そこには紛れもなく或る倒錯があった。

 「イメージ」としてのクロノフォトグラフィは、結果的に或る種の「美」をまとうことに成功したかのごとくであり、かくしてそれは科学の認識空間をはみ出して芸術の領分へと引き寄せられ、それによって二〇世紀的な存在意義を獲得したように見えないでもない。ただし、審美的な価値がマレーの関心事であったことなど一度もないという事実に改めて注意しておこう。たとえマレーの名前をマラルメやセザンヌのそれの傍らに据えたとしても、それはマレーを科学から引き離し芸術へと引き寄せるためではいささかもない。クロノフォトグラフィは、「科学」のジャンルはもとより「芸術」のジャンルにも収まりきらぬ過剰な倒錯の実践であった。それは、「一八八○年代西欧」の認識的空間の内部で同型の力線を提示したとはいえ、マラルメにおける「文学」やセザンヌにおける「絵画」とはやはり少なからず異質な欲望に衝き動かされた企てだったのである。本論文がめざした最終的な目的は、結局、この特異な欲望の発現様態の記述にほかならない。

審査要旨 要旨を表示する

 松浦寿輝氏の学位請求論文「表象と倒錯エティエンヌ=ジュール・マレー」は、副題にあるとおり19世紀フランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレー(1830-1904)の仕事を通して、西欧近代における「表象」と「イメージ」の問題を考察したものである。マレーは運動する物体(多くは生物)の像を連続してとらえた写真(クロノフォトグラフィ)によってその名をよく知られているが、これまでの研究ではその写真が未来派をはじめとする20世紀の美術表現に与えた影響や、静止画像の連続的投射である映画(シネマトグラフ)の前史として語られることのみ多く、彼の仕事そのものに真正面から取り組んで、その意義を解明しようとする松浦氏の試みは、それだけでも十分高く評価されるべきものである。

 論文はいずれも3章からなる3部によって構成されている。第I部「倒錯者マレー」では、写真を用いる以前のマレーが医学者-生理学者として、生体の運動を正確に図示することを追求していた1860年代の仕事が主として取り上げられる。運動を機械装置によって図表に翻訳するこの仕事は「クロノグラフィ」と呼ばれるが、松浦氏によればその最大の特徴は、解剖のように対象に直接はたらきかける「実験」も、また対象を外部の視点からとらえようとする「観察」もともに退け、ひたすら内部と外部との境界面に生起する事象の推移に目を注ぐ特異な視線である。生体の運動の「表象」の作成に向かおうとするこの欲望は、また「生命」の問題系の欠如によっても特徴づけられ、松浦氏はそれを「倒錯的」と形容する。「生気論」と「機械論」の対立という一般的図式を排したこの見解は、同時代の科学的言説およびこれまでの科学史研究を丁寧に検討したうえで引き出されており、十分な説得力をもつと同時に、この倒錯性にこそ「表象」から「イメージ」への転換の契機があるとする氏の着眼は秀逸である。

 内容的にも本論文の中心を占める第II部「『近代』の閾」では、運動表象のよりいっそうの正確さを追求するマレーが、その手段として写真を採用することによって、「表象」性それ自体をも逸脱してしまうという本論文の主要な論点が考察される。1882年の「写真銃」の発明を転回点とする、この「グラフ」から「クロノフォトグラフィ」への移り行きを、松浦氏はマレー自身の比喩を用いつつ、「普遍言語への翻訳」としてのグラフが、そうした記号システムの媒介をもたない、ありのままの現実の「焼き付け」である「写真」に置き換えられることとしてとらえている。そして写真における無媒介的な「写し」の関係が、言語に還元されえない特異なもの、「表象」を超えた過剰なものをそこにもたらし、ここでもまた倒錯的に「イメージ」として出現すると論じるのである。マレーの諸著作を丹念に検討しながら精緻に展開されるこの議論は、マレーの連続写真を見る者の感じるある種の違和感の本質をみごとに解き明かすものということができるだろう。松浦氏はこうして出現した「イメージ」の特異性をさらに分析するために、同時代にやはり人体と動物の連続写真で名声を博したマイブリッジと、長らくマレーの助手を勤めながら結局は師から離反して、独自の映像装置の商業化を企てるにいたったドゥメニーを取り上げている。マイブリッジとマレーの眼差しのうちにひそむそれぞれの欲望の解明と、ドゥメニーの仕事を通して語られる同時代のさまざまな「動画」の試みに対するマレーの態度の分析は、ともにこれまで十分に論じられることのなかった問題点への取り組みとして、高く評価すべきものである。

 第III部「イメージ、その欲望と倫理」においては、第II部で提起された「イメージ」の特質を、19世紀末から20世紀にかけての歴史的文脈のなかで理論的に解明することが試みられる。ここでまず取り上げられるのは、マレーと同時代にやはり「運動映像の表象装置」の開発に取り組み、「シネマトグラフ」の発明によって映画史にその名を残すリュミエール兄弟である。「見えるものを見えるがままに見せる」シネマトグラフと、「見えないものを見させる」クロノフォトグラフィとの対比を主軸に進められる第1章「シネマトグラフの手前で」は、映画に関する論考も数多く発表している松浦氏ならではの知見に富んだすぐれた論述である。続く2章ではマレーの連続写真を主たる根拠としつつ、プルーストの文学作品から抽出した「アルベルティーヌ・コンプレックス」をも引き合いに出して、哲学者・大森荘蔵の「立ち現われ一元論」に対する批判が展開される。運動は表象しえない、イメージは存在しないとする大森に対して、まさしく運動の表象でありながら「イメージ」として現前するクロノフォトグラフィが有力な反証を提供するものであり、この議論によって松浦氏の提起した「イメージ」の概念の一面がより明確になったことは間違いないが、本論文全体を通して見た場合に、この部分がある異質な印象を与えてしまうのも否めない事実である。審査委員のほとんどがその点に触れ、論文全体の一貫性がややそこなわれていることが指摘された。

 以上通観してきたように、本論文にはいくぶんかの瑕疵があるとはいえ、マレーという特異な存在を19世紀後半の西欧の文化史的文脈のなかに正確に位置づけ、彼のクロノフォトグラフィがもたらした「イメージ」の意義を表象作用についての意識の転換として明晰に解き明かしている。松浦氏自身が「跋」で述べているとおり、「イメージ」については理論的な面でさらなる展開が可能だろうし、1880年代西欧におけるエピステーメーの転換という命題についてもいっそうの掘り下げが望まれるところである。その点は今後の課題としながらも、現時点での学術的成果として本論文はきわめて高度な水準に達しており、欧米語に翻訳されれば国際的にも高い評価を得られるものと判断される。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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