学位論文要旨



No 215365
著者(漢字) 吉森,佳奈子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシモリ,カナコ
標題(和) 『河海抄』の『源氏物語』
標題(洋)
報告番号 215365
報告番号 乙15365
学位授与日 2002.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15365号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 竹内,信夫
 東京大学 教授 松岡,心平
 東京大学 教授 黒住,真
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、中世後期の成立、四辻善成の著、『源氏物語』全巻注釈の早い例である『河海抄』が成り立たせた『源氏物語』とそのゆくえについて考察する。所謂注釈史、享受史としてではなく、資料にそくして、『河海抄』とともにあった『源氏物語』を見届けることは、それぞれの時代にあった『源氏物語』をあらわし出し、相対化し得ると考える。『河海抄』の『源氏物語』を問うことは、翻って、それとは異なるものとしてある近代以降の、わたしたちにとっての『源氏物語』を問うことに繋がる筈である。『源氏物語』について、従来当然視されてきた近代的な読みの制度をいったん括弧に入れ、テキストの空間や歴史の文脈の中ではどのような知のうちに成り立っていたかを、『河海抄』を通して実証的に明らかにすることをめざす。

 第一部では、『河海抄』が「准拠」というかたちで先例と後の史実とを列挙することによってその中に物語を並べ、『源氏物語』に史実と同等の意義づけを与えていることに注目する。謂わば物語の史実化であるが、『河海抄』のそうしたありようを基点として、中世における『源氏物語』の実際について考え始めることができる。

 第一章「『河海抄』の『源氏物語』」は、『河海抄』が、『源氏物語』を依拠すべき先例として、史実の列において捉えていることについて見る。ここに認められるのは、『源氏物語』を史実と等価とし、これを含んで歴史的先例空間を捉え出そうとする態度である。

 第二章「『河海抄』の光源氏」は、そうした視点から光源氏の問題を取り上げる。『河海抄』はしばしば、臣下であった光源氏について、御記を引用したり、また、親王の例によって注する。物語が賜姓源氏の範囲で先例が見出せない展開をしている場合には親王例を挙げるというような、先例が見出し難い場合に例の側を動かすことは、後の例を挙げることと同様、『源氏物語』の先例性が動かぬものであることを前提として初めて可能である。『源氏物語』の先例性を、全体を貫く前提として『河海抄』は成り立っている。それが『河海抄』の『源氏物語』であった。

 第二部では、『源氏物語』の史実化は、主として年代記或いは皇代記の文脈に依拠することで可能となっていることを、『河海抄』の「日本紀」の引用に注目することによって考察する。それによって、新たな年代記或いは皇代記の作りなしとも言えるような、『源氏物語』の先例化、規範化の実際について見ることができる。始源的なものへ史実を求心させてゆき、その中に『源氏物語』をおくのである。それは近代以降の「文学」としてなされたのとは異なる『源氏物語』の古典化であった。

 第三章「『河海抄』の「日本紀」」は、『河海抄』の引用文献の中でも最も多く引かれる一つ、「日本紀」が、内容的にも、文脈的にも、年代記或いは皇代記類との一致が認められることを、資料にそくして明らかにする。『河海抄』の「日本紀」は『日本書紀』ではなく、そのようなものによったと見られる。『日本書紀』そのものではないものが『日本書紀』であるかのように見做され、機能しているという点については、『河海抄』の側、中世の問題にとどまらない。『源氏物語』にとっても文脈を支え、理解の背後にあるのは「日本紀」言説であったと考えられる。

 第四章「『源氏物語』と「日本紀」」は、第三章で考察したことを更に進めて、所謂中世日本紀の空間にひろがってゆくような説話的な言説が、『河海抄』に入り、そこから出て行った状況について見る。『河海抄』が、「日本紀」言説の増幅の場となっていること、更に、その「日本紀」を、可能性として平安期にまで溯らせ得ることを明らかにする。

 ところで、『河海抄』の「日本紀」の大半は内容に渉る注ではなく、「日本紀」中の漢字を、訓を介して『源氏物語』の語句の注とする、『日本紀私記』甲乙丙本に見られるようなかたちのものである。

 第五章「「日本紀」による和語注釈の方法」は、このような、現在のわたしたちには『源氏物語』理解のために注される必然性の見えにくい注が、やはり内容に渉るものと同じく、『日本書紀』そのものから採られたのではないことを検証し、考察する。このようなかたちの「日本紀」の注のうち、三割以上は『日本書紀』そのものと合致しない。内容に渉るものだけでなく、私記的な「日本紀」についても、『日本書紀』を離れ、増幅されたものの存在が推測されるということで、『河海抄』を見あわすことで、複数あった私記的な「日本紀」の、生成、流布のさまが具体的に明らかになる。

 更に、そのような私記的な『河海抄』の「日本紀」は、歌学の世界や字書類と接点を持ち、そこから歌語がつくり出されてくるような状況が認められる。歌学書類が引く訓の抜き書き集的な「日本紀」と、『河海抄』のそれとが一致するのは約四分の一程度で、そのことからも私記的な「日本紀」が複数流布していたことが窺われるとともに、「日本紀」が歌語をつくり出す場となっていることが、『河海抄』を通して確かめられる。

 第三部では、『河海抄』に入ってきているものが実際に生きていた場について考察する。「日本紀」に限らず、出典がそのままのかたちで生きているのではないということを、漢籍受容の問題としても明らかにする。『河海抄』は『源氏物語』注釈としてのみならず、漢籍が故事化し、流布してゆく一つの通路ともなっている。

 第六章「『河海抄』の「毛詩」」は、「毛詩」の引用について取り上げる。「毛詩」は『河海抄』に頻繁に引用される漢籍の一つであるが、詩句そのものではなく注が「毛詩」として引かれ、更にそれが説話化して流布してゆく状況が認められる。『河海抄』の「毛詩」は出典ではなく、説話の空間へまなざしを誘うものであった。また、『河海抄』の「日本紀」同様、漢籍の引用においても訓を介して漢字を物語の語としたかたちの注もしばしば見られるが、これらについても、直接引用ではなく、抜き書き集的なものの存在が想定される。それらは、かたちの上で名義抄や節用集のような字書類と類似するが、『河海抄』との見あわせによって、実際に、字書類と漢籍享受の空間が接点を持つ状況が確かめられる。同時に、その一致不一致の状況から、漢籍に関する訓の抜き書き集的なものもやはり複数存在し、流布していたことが推測される。

 第七章「「笛の音にも古ごとは伝はるものなり」考」は、少女巻で、夕霧に語った内大臣(もとの頭中将)の言葉、「時々は異わざしたまへ。笛の音にも古ごとは伝はるものなり」に関して見られる、注の転換をめぐって考察する。この件りを『河海抄』の示す『文選』「思旧賦」を通して見たとき、内大臣と光源氏のあいだの過去の時間があらわされる。それは、澪標巻以後の光源氏の政治家としての態度を、彼の流謫時の内大臣の態度と比して批判する『無名草子』と共通する理解である。「古ごと」を儒教的に捉え、物語の過去へのまなざしを持たないことが『湖月抄』以後近代の『源氏物語』であるとしたら、ここにあるのはそれとは異なる『源氏物語』である。

 第八章「『河海抄』と説話」は、『源氏物語』理解を支える説話の空間という視点で、作品中四例見られる「玉の瑕(玉に瑕)」という言葉についての注を例に考察する。『河海抄』は、注釈書として『源氏物語』をあらわし出すばかりでなく、現在はわかりにくくなっている、漢籍や『日本書紀』等の受容の説話空間を可視化する場でもあった。そこに入ってきているものをどのように捉えるかという問いによって見えてくるものは、説話の問題についても、新たな展望をひらく可能性を持つ筈だ。

 終章は、『河海抄』以後への展望を試みる。『河海抄』は『源氏物語』享受の流れの中で、高い評価を受け続けてきた注釈書であるが、その言うところは後の注釈書類にあまり受け継がれなかった。受け継がれたのは、物語理解に必要である以上の史実や典拠を挙げない立場の『花鳥余情』の方向であり、作品の捉え方という点で『河海抄』と『花鳥余情』のあいだに文学史的な転換を認めるべきである。

 『千鳥抄』は、四辻善成の『源氏物語』講義による、という成立事情から、『河海抄』の踏襲であるとして、その内容についてあまり問われることがなかった注釈書であるが、これを見あわすことで、『河海抄』と『花鳥余情』のあいだ-『源氏物語』を史実の列に連なるものと捉える認識の転換、また、『源氏物語』享受の担い手に連歌師たちか加わったことで、語句への興味が前面に出てくること等-がある程度具体的に描かれ得る。

 以上、一言で言うと、本稿は、『源氏物語』、『源氏物語』注釈、また、そこに引照される「日本紀」や漢籍等について、できる限り当時の文脈にそくして辿ることで、テキストの受容、流布、また、歴史意識等をめぐる従来の通念を再検討しつつ、これらを、人々の時々に「生きられた言説」のうちに解き放とうとすることを試みたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、中世において『源氏物語』がいかにあったかということに、『河海抄』という場を通じて迫ろうとするものである。『源氏物語』が「古典」として現在わたしたちの前にあるということは、不変であり続けたということではない。その時代時代の『源氏物語』として、意味を更新して生き続けてきたのだということを、具体的に見届けようとする本論文の主題は、「『河海抄』の『源氏物語』」という標題に集約される。

 『河海抄』は、貞治年間(1362-1368)の成立といわれる。著者の四辻善成(1326-1402)は、順徳天皇皇子善統親王の孫で、臣籍に降下して、左大臣にまで昇った。近代の研究において『河海抄』が取り上げられたのは、主として、『河海抄』のあげる歴史的事実は、作者がそれを意識し、物語がそれに準じて書かれたと見る、準拠論と呼ばれる方向からであった。あるいは、豊富な引用文献に対する文献学的関心から注意されたのであった。それに対して、本論文は、『河海抄』が歴史的事実をあげ、文献を引くのは、『源氏物語』に「息をふきこ」み、立ち上がらせる営みであることを見ようとする。『源氏物語』が、わたしたちの『源氏物語』--近代の読みの制度のなかの『源氏物語』--とは異なるものとして、そこに生きてあったことを見るのである。

 本論文は、序章本稿の立場と全体の構成、をはじめに置いて問題設定とし、終章『河海抄』以後、をもって『河海抄』以後への展望を示して閉じられる。本論部分は、全八章から成るが、第一部『源氏物語』と史実、第二部「日本紀」の問題、第三部『河海抄』における漢籍の引用と説話の空間への広がり、の三部から構成される。第一部(第一章『河海抄』の『源氏物語』、第二章『河海抄』の光源氏、の二章から成る)は、『河海抄』が歴史的事実をあげる意味を問う。とくに、『源氏物語』以後の例をあげることに注目して、それは、『源氏物語』が基づいた史実--史実の物語化--をあげたのではなく、同じ歴史空間に、『源氏物語』と史実を置こうとしたもの--物語の史実化・先例化--として見るべきだとする。第二部(第三章『河海抄』の「日本紀」、第四章『源氏物語』と「日本紀」、第五章「日本紀」による和語注釈の方法、の三章からなる)は、そうした『河海抄』の歴史空間(歴史把握)がどのような基盤の上に成り立っているかということを、「日本紀」という点から追究する。『日本書紀』を再編・変換しながら広がる「日本紀」と呼ばれるテキスト群、また、「年代記」「皇代記」の類が、そこに見出されたのであった。さらに、第三部(第六章『河海抄』の「毛詩」、第七章「笛の音にも古ごとは伝はるものなり」考、第八章『河海抄』と説話、の三章から成る)は、広く『河海抄』をささえている知の基盤をあらわしだし、『河海抄』がそこで成り立たせている、現在とは異なる『源氏物語』がそこにあることを示した。

 全体の姿勢は、具体的・実証的に、『河海抄』が成り立たせる『源氏物語』を見届けることに貫かれ、中世に生きた『源氏物語』の現場としての『河海抄』、という問題が明確に提起される。「古典」の成立を論議する言説は、国民国家論の影響を受けて国文学の分野にもあらわれているが、本論文は、言説でなくあくまで資料にそくして追究する。

 本論文の意義は、第一に、従来の『河海抄』把握を根本的に転換して、『河海抄』が『源氏物語』を成り立たせるありようを明らかにしたことにある。こちら側の論理で『河海抄』を見るのでなく、『河海抄』の側にそくして、そこにあげる例をおいながら、それをテキストの全体を貫く論理というところにまで問い、『源氏物語』と史実とを同じ歴史空間に置くというありようを示しだしたことはきわめて刺激的な提起であった。近代の『源氏物語』の制度を問い直すもの--研究の自明性への問い直し--でもあり、その見地は、「古典」として歴史のなかに生きる『源氏物語』把握にとって示唆するところ多大である。第二に、「日本紀」にかかわる第二部が、いわゆる「中世日本紀」論とは別なかたちで、中世における「日本紀」の問題を具体化したことである。引用された「日本紀」記事の検討を全面的に行うことによって、中世における歴史認識の基盤が可視化される場としての『河海抄』の意義がはじめて明確にされたといえるのである。それ自体は多くは断片的だが、きわめて多数の引用があり、それらを全体として見てゆくときに、従来知られていた資料とのつながりももとめられ、「日本紀」の広がりがあらわしだされるのであった。本論文には、『河海抄』の「日本紀」引用の一覧が資料として添えられているが、ていねいな労業であり、今後の発展の可能性も受けとめられる。ここから、諸資料との連繋をもとめ、ありえた皇代記の類を具体化してゆけるならば、中世の歴史認識の基盤が、よりたしかに見えてくるであろう。そうした方向の可能性を示すものとして期待される。

 第三に、第三部の諸論が、漢籍の引用をめぐって、それがどのように知的基盤ないし教養として実際にあったかということを、『河海抄』を通じて示したことである。たとえば第八章は、「たまに(の)きず」という表現について、『河海抄』が原典『淮南子』によるのではなく、類書のごときによることを見ながら、それが実際に教養としてあったありようをあらわしだした。比較文学的問題といえるが、出典論的な見地にとどまるのでなく、漢文学がいかに内在化されて文化基盤となるかということを追究するのである。研究状況として、その必要は、『蒙求』の古注集成の刊行などにもうかがえるように自覚されつつあるが、『河海抄』が、問題を露頭させる、いわば現場であることを明確にしたのは、本論文の意義として評価される。

 ただ、論文全体の一貫性という点で、第一、二部と第三部との関係にやや緊密を欠くところがあり、終章が、『河海抄』以後への展望を示すには弱いのではないかという指摘があった。また、四辻善成という著者のもった王権への強い意識や、室町幕府二代将軍足利義詮の命を受けたという成立事情をおいて、テキストの内部からだけで、『河海抄』の『源氏物語』という主題は可能だろうかという問題も提起された。さらに、中世の『源氏物語』を通じて中世精神史に迫るという問題意識が先駆的に出されていることも視野に入れておきたいという要望もあった。しかし、それらは本論文の価値を基本的に損なうものではないと認められる。

 なお、本論文の諸論、序章・終章を含めて全十章のうち、七章はジャッジを経た学会誌に掲載されたものであり、そのことによっても本論文の質は証されているといってよい。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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